今回より、訳読を『「東西融合〈涅槃〉思想」の将来性』にもどし、まさに今日的焦点に迫る章を採り上げてゆきます。その焦点とは「国の秘密主義」。そしてその実像を、アメリカ合衆国――今やまさに、のたうつ恐竜――の本性として、本二著書の主題である「エソテリック」な見地にそって観察してゆきます。
この章には、著者がアメリカ人自身としてまさにその内部から告発する、自国の“裏面”が克明にかつ毅然として描かれています。
日本がその米国の属国であることは、もはや「隠蔽」しきれない衆知の事実となりつつあります。そういう日本であるなら、その属す相手がいったい何者であるのか、その本性くらいは知っておく必要があります。
「やはり米国」なのか「されど米国」なのか。これから訳読してゆく各章は、そうは易々と観察できる米国ではありません。
ところで、私は70になろうとする今でも、ケネディー大統領が暗殺された1963年11月23日(米国時間では22日)のことをありありと思い出すことができます。その祝日の朝、高校2年、17歳の私は、クラブ活動のバレーボール部の試合があり、その県大会予選会場に向かっているところでした。そしてその最寄りのバス停で降りたところで、路上に散乱しているたくさんの号外にいやでも気づかされました。それには、黒地に白抜きの大文字見出しで、「ケネディー大統領暗殺」とありました。
それ以来、国のトップたる大統領が暗殺される国とは、あるいは、それほどのことを起こしうるその背後関係とは、そしてその本当の犯人とはと、いろいろと考えあぐねさせられてきました。
そうした長年の疑問に、今回の訳読は、そのもっとも核心に迫る解答が用意されているものと受け止めています。
それは、今日の日本を見てもまさにそのものずばりであるように、世界を秘密裏に牛耳る存在と、その危険を明らかにすることのリスクに腑を抜かれた政治家たち――それすらにもピント外れのセンセーらも多いようですが――の存在です。
ケネディーは、その自らへの危険を承知で、もっと大きな危険を国民に知らせた結果、その事実を身をもって世界に証明したわけでした。
今回の訳読に引用されている、彼の暗殺の2年前になされた演説は、まさに、今日までもの世界をおおうその暗雲の暗さを予告したものです。
前回の訳読でも見たように、その暗雲は、一国の大統領どころか、この地球すらをも破壊する段階にいたろうとしているごとくです。
それでは本章にご案内いたします。