著者の使命観

〈訳読‐2〉「東西融合〈涅槃〉思想」の将来性 (その2)

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「彼らが、彼らに何もできない人をどう扱うかで、その人たちの本性を容易に見極めることができる」

 

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ

「アメリカ人が見たものは? 四州にUFO」。1965年8月2日、イリノイ州オルトンのイブニング・テレグラフ紙はこう報じた。

「昨夜から今日未明にかけて、テキサス、ニューメキシコ、オクラホマ、そしてカンサスの各州当局には、未確認飛行物体(UFO)を見たとの報告が殺到した。オクラホマ幹線道路警備隊は、車中の隊員がダイアモンド形編隊を組んで飛行している物体を30分にわたって見たと語り、ティンカー空軍基地は、レーダーで、高度2万2千フィートをとぶ四機のUFOを追跡した。カンサス州では、セドゲウィック群保安官が、気象局が高度6千から9千フィートを飛ぶ物体を追跡したと述べた。ある観測官は、その物体は「赤く、自然に火花を散らして爆発した」と語った。「目撃者らはおそらく、観測された方角からして、木星あるいは、リゲル、カペラ、ペテルギウス、アルデバランの星を見ていたのではないか」と空軍は述べた。

前世紀の大部分をつうじ、はたして何回のこうしたUFOの報道が、それがいったいどういう現象なのか、ことさら真剣に討議されたり結論されたりすることなく、幾度くりかえされたことだろう。上記の記事が私の目にとまったのは、この多数の目撃談のあったまさにその同じ日の朝、イリノイ州シカゴで私が生まれたからであった。そして少年期以来、私は、地球人とETの遭遇があるかも知れないという空想を持ち続けてきた。私は宇宙服を着たETのイラストをかき、直接の接触を可能にする方法を想像した。いまだに、ハリウッド映画の描く味方のETや悪者のET――通常、互いに破壊し合おうとする両軍との間に介入――以外には、私のこれまでの生涯に何ら決定的なことは起っていない。私は、若者時代、そうとう熱心な究明作業に専念し、自分の好奇心を満たそうとしたが、新たな岐路をもたらすいくつものドアを開けるだけにとどまった。知識と真実の開拓に燃える若者として、私は3年間にわたって世界を旅した。そして時の経過につれ、私は、いっそう関心をそそられる手掛かりに遭遇し、恐れつつ呼び起こすされる不可解さに包まれた深く歪んだその謎を解明したいとする新たな命題を負ったのであった。

これまでに、私はいくつもの説を調べてきた。おそらく、UFO現象総体は、NASAや軍によって私たちが信じ込まされてきた単なる集団幻想だろう。湿地のガス、目撃の伝え聞き、衛星、惑星、きらめく星、人類の衛星など、いろんな説明が登場してきた。だが、1997年3月に発生した二つの州上空の「フェニックスの光」といった、何千人もの人たちによって目撃された「高度に不思議な」出来事、あるいは、世界の何百万人もが目撃した異常現象はどうなのだろうか。くわえて、クロップ・サークル、家畜切断、人々の誘拐といった、超自然現象の手引書に取り上げられている諸事項はどう説明されるのだろうか。これらはどれも、プロジェクト・ブルーブック〔1952年―1969年、実際に活動した米空軍のUFO研究部門〕の再開や別の政府機関による新たな究明を求めてはいないのだろうか。私たちはみな狂っているのか、あるいは、世界中の何百万人により集団的に信じられているといった、新たな近代的伝説を単に共同妄想しているだけなのか。UFO現象とは、古代ギリシャ以来の豊穣な神話の源なのか、それとも、人類の火の発見以来の最大の発見なのか。私の疑問は常に、私たちに情報を与えるべき米国の特定の機関が、この隠蔽にかかわっているにちがいないということだった。どの優れた探偵もそうするるように、私は最初に、その動機とは何かを調べた。つまり、UFOを秘密にしておくことで、利益を得ているのは誰かということだった。

第二は、私の探偵の作業が、明らかな情報の隠蔽――私自身の超自然現象目撃を立証させないでいた――をかいくぐってしか出来ないことだった。いまだに私は、その時をもって時間が止まってしまったように、生涯を変えたと言うべきその「畏敬」の瞬間をありありと覚えている。それは、私が自分の中心をなす信念を見直さなければならない衝撃をもたらした。私は家に帰り、その「確かな遭遇」について本を読んだり、あるいは、それが何であったのかを調べたかった。しかし、私たちに与えられたものはすべて、どんな超自然現象をも否定し、まともには取り扱わない、公式見解のみであった。

その私の遭遇談はこういうものだった。1997年の7月半ば、私は二人のキャンプ仲間とともに、オレゴン州のクレーター湖の最高地点をハイキングで歩いていた。そして、仲間の二人も、私とまったく同じ表現を認めている。我々は、真昼間の中を、強く明るい真白い光線がその湖の奥方向へと動いているのを見ていた。その火口湖の上空、約200メートルで、そのゆっくり動く白い光線は、一束の光線から完璧に正方形の輝点に変化し、それらは消えるまで、空中を同じ速度で動いていた。そうしたシーンが終わった後、我々三人は、驚きのあまり、笑って地面を転げまわった。そして我々は、グループの他の三人を追って急いだが、残念ながら、彼らはすでに森林の中に入っていたため、我々が見たものを何も見ていなかった。我々三人が、その際に森林に入る前、三人は数秒間続いた別の光線を見た。それは、シャスタ山――そこから約50キロ離れたカリフォルニア州にある――の方向へと動いていた。この二回の信じがたい目撃は、5分以内のことだった。それは、私たちが知ることを許されないものをすべて究明しようと、私の生涯の探究が定まった一瞬だった。そして、この探究が実って、本書『「東西融合〈涅槃〉思想」の将来性:未知次元への飛躍』となったのである。

 

真実を追い求めて

それから決して長く経させることなく、私は、後に相当の分量となってこの本となるノートをつけ始めた。答えのない疑問が無数にあり、余りにたくさんの見え透いた否定がされ、そして、余りに多くの失われた命や取り返せない変化を負わされた人生があった。私は、本書の各章に提示したすべての問題のあらゆる面を、一つの事柄を少なくとも三種の取組みの切り口を用いて論じてその全貌を描こうとこころみ、たとえどれほど突飛かつ奇異な結論に達しようと、それにひるまず調べつくすことを自身の任務と定めた。本書の資料の編纂方式は、「ザガット・ガイド」〔ニューヨークのレストラン案内書に始まった評価システム〕が採用している調査法と同じく、すくなくとも三項目の可能類似点を比較し、それを読みやすい情報へと煮詰めたものである。私の目標とするものは、基礎教育を受けた人なら誰にでも理解できるよう、関連する概念を結合し、明瞭な形に整理認識し、そして、そうした資料を簡明な型に統合することである。ただし、そうした「理解可能」な統合型式が仕上がったとしても、本書のほとんどの題目に、懐疑を呈する者――こうした趣旨を自分のウェブサイトでひっくり返すことに専心――がきっと現れれてくるだろう。しかし、たとえ懐疑論者が現れなかったとしても、そうした情報がただちに、《エソテリック》と受止められることはあるまい。

私には、自身でつかみうる、もっとも正確かつ真実な情報以外を述べる意志はない。私は一度たりとも、軍や政府機関に安全保障の誓約を与えたことはない。というのは、私も他の誰も、私の愛国心を決して問わなかったからである。私は単に、異様あるいはエソテリックなことの収集あるいは編纂家にすぎない。UFOに関しては、あまりに数限りない目撃談がありながら、政府当局はできうる説明すら何らしていない。すでに疑いようのないことは、私たち人類が、いく種かの高度に発達した存在――外宇宙から、すでに次元間宇宙船に乗って到来し、この地球か太陽系内に基地を持っている――によって観察されているか、もしくは、地球上の何らかの科学集団が私たちには未知の物理学原理を発見し、その秘密研究が進行中であるかのいずれかであることだ。もはや上記のような三つの可能類似点が連結しているのは憶測の域を越えている。玉ねぎの皮をむけばむくほど、ミステリーの謎は深まっているのだ。

一方、地球上の宇宙人の存在を認めるオバマ政府への2011年の請願署名を提出後、以下のような返答があった。「合衆国政府は、我が惑星以外に存在するいかなる生命、もしくは宇宙間存在からの、人類のどの者との接触や関わりの証拠は持っていない。加えて、公共の目から隠されている証拠を示唆する信頼ある情報もない」。UFOへの公共の関心をかわす同じ煙幕は、今日でも用いられている。それはあたかも、私たちが属する社会とは、理解できぬことなら何であろうと否定することに専心する社会であるかのごときである。

そうとう多くの人たちは、「暴露」という言葉を、悪い意味にしか考えていないようである。実際、大半の暴露のシナリオは、「陰謀論」より多い欠陥をもっており、それは〔事実上の〕沈黙を意味している。そういう〔悪い意味での〕暴露屋はただ、否定をつづけることで真実が明るみに出ることを望まない者らを助け、一種の貝殻をつくることで満足している。暴露屋はどうみても、新たな考えに怯える者らのために、一時の避難場所を提供しているだけである。

警告をしておくが、誰かが「真実」とあなたに告げることは信用しないことだ。ことに本書で出くわす類の内容に関しては。何も信じず、何をも疑うことだ。あなたがすべきことは、もし本書の内容に共鳴するなら、自分にとっての真実を見つけることだ。誰か他人が方向を示して手助けすることはままあるだろうが、それは、自身の識別のテストをパスした上でのことだ。静かに座して黙想し、自分の内なる声を聴いてそれを導きとすべきだ。本書に読んだことや自分の内なる感覚からえたことを瞑想すべきだ。それらは人の心の言語であるから。

 

「陰謀論」についてのコメント

通常の慣習上では、「陰謀」とは、特定の集団がもつ結束した確信で、それは無根の事実や嘘だけでなく、言外の否定的意図や見識に基づくものをいう。

一方、「陰謀論」という言葉は、通常、ひとつの確信への否定的論断法〔つまりレッテル貼り〕として用いられ、稚拙もしくは過激な想像によるとか、偏執狂といった病的状態による異端な発想とかとレッテルを貼って、その〔確信への〕信用を失墜させる目的をもつものである。

他方、「陰謀」という言葉は、ある真実の出来事の意図的ねじ曲げを表す際、ひとつの事実への「色付け手段」として使用される。言い換えれば、社会一般に公表されるねじ曲げられた情報である。この場合、「二重陰謀」がありうる。すなわち、

(1) 計算された悪意の本当の出来事が〔起こされる場合〕で、事故とかよく準備された意図として見せかけられた「陰謀」と、

(2) (1)を隠蔽するための巨大な複合論断装置としての「陰謀」、

という「二重陰謀」である。

本書においては、「陰謀論」という言葉を、この「二重陰謀」の意味で用いる。そしてさらに、私は、社会に公表されている情報とは、この意味のみであると確信する。

そこでさらに、「グローバル秘密集団」――(詳述すれば)選挙に基づくあらゆる政府を背後からあやつる絶対組織――という用語を明確にしておくと、これは、「沈黙の陰謀団」と呼ばれるべき一団である。これはまた、陰謀行為とともに「事実公表の禁制」をはかる一団でもある。したがって、そのもとで過去に起こり、これからも起こるだろう諸事を白日のもとに公表し、それによって、あらゆる市民がその決定的情報を知り、自分自身の結論を持つよう、私を含む多くの人たちを望ませている。

ところが、私やそうした人たちは、そのレッテル貼りの主たちにより「陰謀論者」と色付けられ、本書やあらゆる証拠文献をただちに唾棄、無力化しようとする意図にさらされる。こうした輩に対し私は、彼らは、背後に隠れ、公表を怖れ、否定を拡大して現状の維持をはかる権力集団である、と返答しよう。残念なことではあるが、本書は、私たちが人間として耐えられない禍々しさのレベルを、少なくとも維持可能なレベルに変えようとする道であり、そして、その「二重陰謀」の下手人らが私たちを黙らせようと望む道は、彼らのそういう人間観を表している。

私は、本書が、その禍々しさを凝視し、それを通り抜け、そして真実に到達する、その助けとなることを切に望んでいる。〔強調は著者〕

 

地球が抱えるジレンマ

最初に、私は結論を示しておきたい。すなわち、私たちは、共に高まれば高まるほど、私たちの惑星と集団的幸福を左右する社会的な障害を共に克服できる、というのが私の心からの望みである。これはまた、全編を一人称で述べたこの著述の目的でもある。私は本書を、単に自分の説や見解を述べる場としてではなく、調査研究書として著わした。それは、私にとってのものではなく、私たちにとってのものである。共に歩いてゆくために。

「地球が抱えるディレンマ」とは、私たちの現在の政府、あるいは、国民を秘密に支配する者らのシナリオによるもので、地球上の人たちを深く眠らせておくための自作自演劇である。他方、私たちの一人ひとりは、自由な意志、自由な精神、そして、自由な意識を持っている。それはあなたの人生であり、全人生が貴重品である。たとえ好きなことをし、それに没頭していたとしても、自分が選択の自由を持っていることを、決して忘れてはならない。すなわち、もし何かが嫌いなら、別のことをしよう。もし自分の仕事がいやなら、辞めよう。もし時間がないのなら、テレビを見るのを止めよう。もし生涯の愛をさがしているのなら、さがすのを止めよう。あなたが愛することを始めるのを、彼や彼女は待っている。考えすぎるのを止めよう。真直ぐな考え方は、「未知の」事象への直観といったような、深い直覚的な知恵を開かせる。人生は単純である。食事の際は、どのひと噛みにも感謝しよう。あなたの腕、精神、心を新たな人、新たな物事に向かって開こう。私たちの間の違いなぞ、表面的なものにすぎない。あなたの隣の人に、何が心を湧きあがらせるかと尋ねてみよう。そして、あなたをわくわくさせる夢を語ってみよう。旅に出てみよう、そして道に迷うことから、自分を見つけよう。多くの機会は、一度だけだ。だから、常にそれをつかまえよう。人生は、出会う人と、その人たちと共につくり上げたことの産物だ。だから、外に出て、創造を始めよう。人生は短い。夢に生き、その情熱を共有し合おう。

私たちは、自国の人たちやすべての他国の人たちと、平和であろうと努めなくてはならない。そうすれば、私たちはお互いにユートピア世界を築くことができるだろう。もし、このシナリオが実現したなら、おそらく、意識を相互に結び合わせるには、相互尊重が要とされるであろう。誰かを置き去りにしておきながら、自分の素質を伸ばしてゆくというようなことは、私たちの多くには困難なことだろう。私たちは皆、相互に伸びてゆかねばならない。できる限り、本性のままでいよう。いまこそ、お金という通貨を用いているのは我々の惑星だけだということを、真剣に受け止めよう。私たちのみが、同じ惑星人をホームレスにしたり、飢えで死なせたりすることを許す発達文明をもつ。私たちは、そこに生まれた惑星に住むことに、お金を払うようにさせられている。私たちは、権力、領土、物的資産、そしてお金をめぐって、いくども戦争をしてきた。人類は、他の生物種を、恥ずべきにも絶滅させてきた。こうしたあらゆる混迷は、富と支配を価値とすることをめぐって生じてきた。私たちはいかにして、新たな規範へと移ってゆくのか。私たちはどのようにして、この地球の抱えるジレンマを克服してゆくのか。

どの政府も現在、地球が私たちを苦しめているとの劇を演じている。だが、そうした政府は、私たちが本当に求めているものではない。私たちは、かつてなかったように気付き始めている。世界の人々は開眼しつつあり、自身の周囲に巣食うペテンと策謀の底知れぬ深さに目覚め始めている。そうしたペテンと策謀は、彼らの富を盗み、化学物質は彼らを毒し、金融詐欺は彼らを隷属化させ、プロパガンダは彼らを操っている。こうしたペテン構造は、現代の政府、主流メディア、大学そしていわゆる「科学」研究機関のもつ構造である。私たちのあらゆる制度は、浸透され、搾り取られ、そしてようやくいま、その結果による驚くべき背信・裏切りがその生な姿で暴かれ始めている。こうした巨大な覚醒の広がりは、新たな「透明性の時代」の到来の中で、嘘を見通す力を私たちに与えつつある。

 

必要なのは愛

男にせよ女にせよ、人の本性を変えさせるものは何だろう。私たちは、自分自身をその内面から吟味してみる必要がある。私たちのうちの多くは、完全に自らの道を失っている。私たちは誰も、自分の周囲に生じている変化に期待を抱く。時には、厳しい現実でもそれからの適度な刺激は歓迎する。だが私たちは、慣れ親しんだ習慣を変えるのを怖れる。中には、それにあまりに馴染んでしまっているがゆえに、古い習慣を守ろうと争いさえする人もいる。新たな分野への知識を開拓することは、並大抵のことではない。自分を前進させるために、日々できることはさほど多くはない。朝、元気に目覚めた時、感謝の気持ちを持とう。身の回りの人たちの誰にも、たとえ知らない人であっても、親しくしよう。自分の家族、ことに子供たちには、毎日、自分の愛情を伝えよう。暮らしの些細な事々――口にする食べ物から、苦しむ患者をけたたましく運ぶ救急車まで――にも、心からの祈りを表そう。他者のために、思いやりをほどこそう。そうすることで、私たちが周囲の世界に与えた振動をもって私たちの環境を磁気化できる。私たちができる小さなことや、私たちが持つ考えが、確かな違いを作り出す。そして、その振動数や持続時間を変えることで、感謝をもって態度がかわる経験をするだろう。あなたは、自分がどこにいて、自分が誰であるか、忘れないでいよう。私が過去20年間、自分に言い聞かせてきたことは、「地球上に共創の天国を作る主とならん」、ということであった。私たちは、求めることで、達成することができるのだ。

もし、人類に宇宙的意識にもとづく一体感というものがあるなら、あるいは、神的なものとして確信できるものであるなら、その神聖なきずな感は、愛である。私たち人類は、超克の時にあっては、お互いにそして世界に、愛と親切を表すことにより、その先導をなすことができる。私たちの各々にとって、命あるものを傷つけることにすぎない考えは、いつか矛盾に行き詰まる。私たちは、暴力行為を許さないとする必要がある。個人としての倫理性と道義性は、最も重視されるべきである。そのような道において、私たちは愛と道義と尊重と利他主義を誓い、私たちの行為のすべてへの導きとしよう。その最初の一歩は、今日、知恵を求め、親切を表し、思いやりで包み込むことから始められる。

愛を与えないでいることは、あなたにとって、辛いことであるにちがいない。それは、私たちが自身に与える審判である。そして一生のうちに繰り返して、その教訓を学んでゆこう。私たちは誰も、愛を与えることに躊躇することがある。しかし、私たちはまた、愛を躊躇しない選択を行うことができる。学ぶべき最大のことは、愛とは、ただ与え、ただかえってくるものであることだ。愛は「究極の真理」である。この至高地点を忘れずに、そして、もし読者が、本書を読んで怖れを感じたり、怒りを持ちそうになった時は、このひと言に再び立ち返ってきてほしい。世界にはとてつもない不正があるが、それらはすべて解決可能である。愛は「究極の真理」であるがゆえに。

人類が、あらゆる暴力と戦争を放棄し、すべての資源を共有し、そして愛を完全に取り入れた時のみ、私たちは、この惑星の振動を高めることができる。そしてそれが生じた時、地球に新たな夜明けが訪れ、外的なあやつりが永遠に終わる時となる。愛は、私たちのあらゆる問題の解決法である。もし私たちの誰もがともに参加し、自由に関わり合う権利を行使すれば、政府による抑圧の君臨は力を失い、そして、新たな力が私たちの誰をも同時に変革してゆく。史上、初めてのこととして。

 

世界の変革を祈って。

 

ブラッド・オルセン

カリフォルニア州、サンフランシスコにて

2012年8月2日〔47歳の誕生日に〕

 

0 2 1 Milky Way

with permission, (c) Brad Olsen, 2015

銀河系星雲にはおよそ1000億強の星があり、およそ100億強の褐色矮星つまり崩壊中の星がある。銀河系星雲の直径は、約9万から10万光年である。三次元世界の人間にとって、銀河系星雲を光速――秒速30万キロ、分速1800万キロ、時速10億770万キロ――で旅行して、およそ10万年を要する。しかし、もし近道があったとしたら?

 

with permission, (c) Brad Olsen, 2015

with permission, (c) Brad Olsen, 2015

地球は太陽の周囲を、一年でおよそ9億5800キロメートルを、時速10万7182キロメートル、秒速29キロメートルで旅している。地球人が太陽を見るとき、それは8分前に生じた出来事である。太陽自体は、次元間の入口となりうる。

 

0 2 3 Mayan astronaut

with permission, (c) Brad Olsen, 2015

 

 

 

 

遠い昔からETが地球を訪れていた可能性はある。古代マヤの創設の物語、Popol Vuh はこう述べている。「星からやってきた人は、なんでも知っており、空の隅々と地球の丸い表面を調べた。」

 

参考文献

“American’s Seeing Things?” Chronicle of the 20th Century, Mt Kisco, NY, 1988

 

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Future Esoteric: The Unseen Realms by  Brad Olsen

http://cccpublishing.com/FutureEsoteric  www.bradolsen.com

with permission, (c) Brad Olsen, 2015

 


 

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