敢えての大言壮語なもの言いを許していただくと、サイエンスはもはや《ポスト・サイエンス》との次元に根ざさないでは、もう(それともすでに)行き詰まってしまうのではないか。そして、その《ポスト・サイエンス》とは、物や規模(お金)に焦点が当てられる”客観”サイエンスにはまり込んだ陥穽から抜け出るために、もっとヒューマン、そして敢えていう“主観的”なサイエンスへと血流を回復してゆく必要があると思います。近年、「心脳問題」を扱う脳科学や、意識の問題に照明が当てられるのも、そうした客観サイエンスが扱いきれない新たな跳躍領域への突破口を開きたいとする、時代に潜む暗黙の共有意志の表れのようにも考えられます。
今回、この「〈連載〉グローバル・フィクション」の二回目として、『「東西融合〈涅槃〉思想」の将来性』(原題「Future Esoteric」)のまえがき部分を採り上げるのも、著者ブラッド・オルセンが「エソテリック」といういかにも特異な用語を使って、自分の拠って立つ思想の根底の動機を表そうとしているところに、上記のような、大言壮語な姿勢が必要な時代にあるという、同じ大気を吸っている同時代意識があるのではないかと感じるからです。この根底の動機こそ、私がこの二度目の「訳読」作業を始める決断をさせてくれた引金でもあります。
すでに物理学、ことに理論物理学の分野では、もう一世紀以上にもわたり、その運命的な壁の突破を図ろうとの努力がなされてきています。そして周知のように、その風穴が量子物理学の分野から開けられています。
そこで私も、僭越ながらその流れを拝借して、このサイエンスの新たな潮流に便乗してみようとこころみたものが、先にこのサイトでフリー出版した『新学問のすすめ』です。
二十世期初頭、世界の物理学の尖鋭たちが議論したのは、端的に言えば、物理学と哲学や宗教の分野の結合で、その際、ことに彼らのヒントとなったのは、東洋とくに仏教の哲学でした。つまり、そうした議論をへて、科学思想を先導してきた西洋文明と、その西洋文明の壁に新風を吹き込む量子物理学の登場に、東洋(仏教)思想は、歴史的かつ思想的インパクトをもたらしてきたということです。
今回訳読した「著者の使命観」と「本書へのイントロ」に執拗なほどに述べられていることが、「エソテリック」という、いわば西洋文明の内省の議論とその奥深い分野の採り上げにまつわる、充分にややこしい説明――ことに「本書へのイントロ」で顕著――です。
ここで少々、この訳読の取っ付き段階での私の憶測をはさんでおきたいのですが、それは、この「ややこしい」説明におよんでいる著者、すなわち、こうした先駆的な著述に挑んでいる彼を取り囲む、アメリカ社会の雰囲気であり、プレッシャーについてです。つまり、敢えてこうした言葉を用いますが、アメリカ社会で”陰湿かつどす黒い”力を発揮している教会を中心とする宗教界の役割です。ここで私はそれを、日本では天皇制が果たしている役割と代置できるものではないか、との仮説を設定しておきたいと思います。言うならば、日本では一種の「タブー」として働いているのものが、アメリカではまさかタブーとはならないのでしょうが、もっと世論化あるいはポピュリズム化した「言説」――彼はそれを「対抗言説」と呼んでいる――となっているのでしょう。
さて、元に戻ってその「エソテリック」という概念ですが、それはきっと西洋人にでも馴染みの薄いものと思われ、それがゆえに、そのしつこい程の言及がなされているのだと推測されます。
そこで私は、自分のある直観に従い、この著書の原題にあるその「エソテリック」という基軸用語を、やや長ったらしいですが、「東西融合〈涅槃〉思想」と訳し、著者の目的を私なりに――つまり双質的、あるいは掛け言葉的に――表現しようとしたわけです。そして同時に、邦訳する以上、日本人の関心をそそりそうなタイトルにしたいと、ローカルなねらいもつけた積りです。
むろん、「エソテリック」という言葉そのものには東西融合という意味はないようですが、その「奥義」とか「秘義」からにじみ出してくる含みには、東洋思想の「奥義」にも通じるものを見出せます。そこで、東洋の「奥義」を代表する言葉として「涅槃(ねはん)」があると考え、この訳題となった次第です。
さて、そういう事情から、以下、連載される訳読中では、この「エソテリック」という用語については、二つに使い分けてゆきます。すなわち、それが、本書の原タイトルの意味で使われている箇所では、「東西融合〈涅槃〉思想」を適用し、その語源に言及する使用がされている箇所では、そのままの「エソテリック」を用いてゆきます。ただし、両方を含めた掛け言葉的な使用がされている場合も少なくなく、そこでは、《》でかこった《エソテリック》といった扱いをするつもりです。
ところで、この「エソテリック」について、ウィキペディアでは、その語の解説を「エソテリック・ティーチング」の解説として、以下のように述べています。ある意味で分かりやすい解説ですので、紹介しておきます。
エソテリック・ティーチング(英語:Esoteric Teaching)とは、有史以来、あらゆる時代、民族、信仰を通して神秘家、予言者、聖者、修行僧たちが語り伝えてきた共通の真理であり、秘儀・秘教のこと。キリスト教系の「神秘主義思想」「神秘主義哲学」に分類されることが多い。古代エジプトの時代は高位の僧だけに伝えられるなど、長らく口述の形でごく一部の修行者のみに脈々と伝えられてきた。
エクソテリック(公教)のように外面的な戒律や教則、教祖をトップとするピラミッド型の組織を持つ宗教とは異なる「内面の教え」であり、霊的覚醒に至る修養法としても知られる。イエス・キリストが最も身近な弟子たちに授けたのも、このエソテリック・ティーチングだった(キリストの死後、組織的に伝道されたキリスト教は顕教であり、そもそものキリストの教え=エソテリック・ティーチング[密教,秘教]と異なる点が多いとされる)。
著者のブラッド・オルセンについて、これまでのところ、私は彼との面識はなく、原著書を通じて出会い、翻訳手続き上の必要からのメールのやり取りを通じての交換が始まっているレベルです。本書や、次の訳読に予定している『現代の「東西融合〈涅槃〉思想」』から知りえる限りでは、クリスチャンの薀蓄も深い人物のように受け止められます。そのため、そうした背景のない、私のような典型的日本人には、時に”教会臭さ”も感じさせられます。しかし、それを問題にしたいのではありません。つまりこの点は、逆に、典型的な西洋人にしてみれば、私たちの発想には、仏教的な”抹香臭さ”を見出さざるをえないのではないかと思います。本書の訳読のもつ意味は、そうした両文化間の違いを互いに意識しつつ越えてゆく、地球横断的視野の形成のための、血肉の通った土台となるかと期待しています。
加えて、彼の告白にあるように、彼の人生は、UFOの目撃体験によってそのモチーフが決定されてしまったようです。ところがこうした話題は、そうした体験もまれでかつ、宇宙開発論議も近年ようやく独り立ちできるようになった日本では、一種のオタク的テーマとして特にマイナーに取り扱われがちです。そういう日本特性から脱する意味でも、このいわゆる「ET」に関する実に生々しいほどにリアルな議論は、私たち日本人に、広く欠けている視点ではないかと思います。貪欲にかぶれたいと思います。
いずれにせよ、いまや、この狭くなった地球上で、東も西もあったものではなく、まさに、その奥義でつながっているらしき共通の人間性に、本書の訳読を通じ、あらためて立ち返ってゆきたいと思います。
そこで今回は、二つの章を一挙に掲載します。
ではどうぞ、その「著者の使命観」と「本書へのイントロ」へお進みください。
また、予告した「宇宙外交学」に特に関心をお持ちの方は、こちらからどうぞ。