“第四帝国”としてのアメリカ

〈訳読‐2〉「東西融合〈涅槃〉思想」の将来性 (その6)

 

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「我々は、これまでに考えられた何よりもはるかに強く、そしてその根拠は今の我々には未知の、そうした力に遭遇することになるだろう。現在のところ、これ以上は言えない。我々はいま、そうした力と密接な接触をとる努力を開始しており、6ないし9カ月のうちには、この件について、もっと正確なことが言えるようになるだろう。」

ウェルナー・フォン・ブラウン

(1959年、地球外生命の現実性を示唆して)

世界の銀行界において、米国とドイツは、二つの戦争を互いに戦いながらも、一世紀あるいはそれよりも長期にわたり、相互に緊密につながってきた。アメリカには、たくさんのドイツ同調者がいる。結局、19および20世紀、ドイツからの移民者は、アメリカに定着した外国人の中で最大の部分を形成した。アメリカに新たに移民したドイツ人は、勤勉で、刷新的で、そして稼いだお金を貯金した。彼らの「なせばなる精神」は、アメリカを偉大にする助けともなった。こんな表現がある。「ドイツ人は最良のアメリカ人を作ったが、最悪のドイツ人も作った」。

一次大戦からのドイツの復興にあたって、1920年代のウォール・ストリートの金融支援は有名な話である。多くの米国の大企業がドイツに投資し、後の二次大戦の金融および技術的基盤を築く、いわばうかつな支援をなすこととなった。そうした企業には、ジェネラル・エレクトリック、スタンダード・オイル、フォード、ジェネラル・モーターズ、チェース・マンハッタン銀行そして、ロックフェラーやJ・P・モーガン財閥などが挙げられる。〔大西洋の〕西側の投資家や政府は、ナチ時代の前も、その最中も、そしてその後も、ドイツ産業に関心をもちづづけた。これが、二次大戦後も、かつてのナチの知恵が欲された際にはいくども、その遺産、秘密技術、そして人材の安易な導入を行わせてきた理由である。

ドイツは、二次大戦以前の10年間、いくつもの〔異星〕人の着陸や密接な接触など、多くのUFO飛来の場と報じられていた。ナチは戦前、アルデバラン星系から来たET〔異星人〕との接触をもったドイツ人超能力者の小グループに、その先進技術を譲り受ける役をさせた。この〔星間〕友好グループのブリル協会は当初、世界への善のみをもたらすことをその趣旨としたものだった。ゆえにアルデバラン人は、ブリル協会の超能力者たちに、星間飛行機、反重力、そしてフリーエネルギー装置の計画案を伝えることを許した。だがナチは、戦争に専心しはじめるとともに、ブリル協会を巻き込んでババリアン・イルミナチ・ツーレ協会を設立し、共同してそうした諸技術の開発を活発化させた。そうして最初のETとの「星間条約」が、1933年、同協会とあいだに交わされたとされる。1936年、ナチはバイエルン州に墜落した宇宙船を修復したと言われている。こうしたさまざまなETとの接触で、ナチ下のドイツは、今日の水準でいっても、はるかに進んだ近代科学知識を持つに至っていた。

 

第三帝国の執念

第三帝国の主導者、ことにアドルフ・ヒットラー、アルベルト・シュペーア〔(1905-1981)政治家・建築家でナチ政権の軍需大臣〕、そしてハインリヒ・ヒムラー〔(1900-1945[自殺])政治家、親衛隊全国指導者、ナチ内閣内務大臣〕は、超自然分野やエソテリックな分野に執着していた。彼らのそうした分野の理解は、独特のナチ式概念――アーリア民族の神秘的能力や、劣等民族との雑婚はその品位低下をもたらす――で育成された。ナチの「Teutonophilism」は、古代ゲルマン文字、ゲルマン神話、そして「超人間」の概念を伝えるものである。カギ十字章は、新たな汎ドイツ民族主義に伴う一般的風土を表していた。アルバート・シュペーアは明らかに、土占いや牧草の線の図形化やドイツの聖地に、高い関心を持っていた。そして彼の建築は、神秘的幾何学や数占いの原理を体現していた。ドイツのブリル協会は、地球の内部には神秘的エネルギーがあり、それはドイツ人科学者によって汲み出されるといったアイデアを広げた。ヒットラーが、彼の軍事作戦に幸運な日を星占い者に相談したり、戦場で水や地雷を探査するために占い棒者を雇ったことは、よく知られている。

アドルフ・ヒットラーは、戦争に勝利するには、第三帝国が最適技術水準をもつ必要があることを知っていた。彼は1942年、ババリアン・ツーレ協会からえたすべての技術をもちいて、いわゆる「Vergeltungswaffe (報復武器)」の生産に許可を与えた。V-2ロケット、つまり報復武器2は、1944年9月7日、英国へむけて発射された。ドイツ人はまた、それ以外にも秘密武器の開発――完成には至らなかったが核兵器も含む――に、狂ったように精を出した。総統であり親衛隊長のハインリヒ・ヒムラーは超自然分野に専心し、また、「ベル」とよばれた逆工学〔訳注〕されたUFOへの関わりは、彼の側近が〔その担当に〕考慮されるまでの脱線のようである。1942年、ヒムラーは、前空軍省高官で技術を担当していたハンス・カムラー博士を選び、ロケット計画をまかせた。そしてまもなく、世界的に有名なロケットおよび宇宙旅行科学者である、ヘルマン・オーベルト教授がその探究の長に命じられた。

〔訳注〕「backward-engineering」の訳で、技術的に遅れている側が、完成した先進技術装置を分解、分析し、その技術を追跡、習得しようとすること。

ヘルマン・オーベルト博士は、「UFOの動作は、我々に知られた反作用ロケットを含む、いかなる推進方法をも考慮していない」と結論し、「『反重力装置』の原理が予想される」と述べた。これは、ことにオーベルトが直接に関与した「ベル」やナチのUFOの製作がゆえに、世界を分ける声明であった。外向的なオーベルトは、1954年には、「私の胸中では、UFOがなんらかの種類の惑星間乗り物であることは疑いがない。それはまた、重力圏を曲げるか転換することで推進していると結論できる」とのべている。

オーベルトの宣言を今日の物理学の見地から分析して、数学者のワルド・ローケは、アインシュタインの重力原理と後にヘルマン・ヴェイルによって開発されたテンソル・モデルを結合させる。そしてその結合は、その等式が負の数値を生み出す時、反重力圏が発生する可能性を明らかにした。ローケ教授は、そうしたシステムを持続させるには、少なくとも900キロアンペアの連続したエネルギー入力、あるいは、毎秒1020個の電子の変換が必要であることを明らかにした。充分な熱遮断がなしでは、温度は即座に28,000Kelvinに上がってしまい、太陽の表面温度とほとんど同じになる。ナチがそうした力を実現させたかは怪しいが、ローケ教授は、それがもし事実なら、ベルの初期の試験で、それが短時間持続した理由であるかもしれない、と述べている。その科学者らは、ただ、それが進み続けるほどの力を発生させることはできなかっただけである。ナチがその逆進技術の乗り物を軍事装置へと実用化させていれば、二次大戦は極めて違った展開となっていただろう。

戦後、この元ナチのロケット科学者のグループは、「紙クリップ・プロジェクト」を通じて、秘密裏にアメリカへと連れ去られた。同じ技術は、米国政府が指揮する実験へと注入されたのだろうか。おそらくそうであり、そうした実験はまた、マンハッタン計画以来、もっとも極秘な作戦に分類された。紙クリップ・プロジェクトのナチ科学者の使用が認められるまでには、数十年を要した。戦争直後の1946年、明らかに歴史を書き換える努力として、ロックフェラー財団は、書き換えた二次大戦の公的歴史を出版するために委託料として13万9千ドルをついやし、第三帝国のあらゆる神秘主義と超自然分野の成果を消し去った。ロックフェラー財団への主要出資社の一つは、スタンダード・オイルであった。

 

ナチの逃亡ルート

ODESSA、ドイツ語の Organisation der dhemaligen SS-Angehorigen の短縮語は、元親衛隊員の組織の意味であるが、それは、1946年に、ドイツの戦争降伏の直後にナチ親衛隊員によって設立された国際的ネットワークである。その計画は、第三帝国崩壊の前に作られ、海外の辺境のナチ植民地に再組織されて設立された。その時、ナチは、世界中に秘密の逃亡路を作ることを決定していた。このODESSAの目的は、後に「ラットルート」と呼ばれる、そうした秘密の逃亡ネットワークを作って機能させ、元親衛隊員を戦争犯罪で逮捕され、告発されることから逃れるためであった。

こうしてドイツやオーストリアから逃れたものたちの大半は、南米か中東に移動するよう手配された。ODESSAの設立者ともくされているハインリヒ・ヒムラーは、ニュールンベルグでの裁判を待つ拘留中に自殺した。アドルフ・アイヒマンはODESSAの援助でアルゼンチンへ逃げた。悪名高いアウシュビッツ医師ジョセフ・メンゲールもまた南米へ逃げたが、アイヒマンのように、捕らえられ、裁判にかけられ、処刑される代わりに、その地で死んだ。1万人を超える元ドイツ軍将官が、バチカンや赤十字の助けをえて、ODESSAによって用意された逃亡ルートをへて、南米へ行ったと見積もられている。研究者の中には、ヒットラーは、戦争の末期にベルリンの地下壕で死んだのではなく、パタゴニアのサン・カーロス・デ・バリロッチェのナチ秘密基地へ逃げたと反論するものがいる。この説によれば、戦争末期、彼は潜水艦でアルゼンチン南部に運ばれ、そこに隠れて余生を過ごし、1960年に老いて死んだとされる。

連合軍報告は、「新ベルリン」施設と呼ばれる巨大なナチのネットワークについての情報を述べている。この施設は、南極のニュースウェイビアランド〔ドイツ語発音ではノイシュヴァーベンラント〕――現在はクイーン・マウド・ランドという名称――の氷と山々の下にあり、「ハイジャンプ作戦」と呼ばれた緊急の米軍の行動をおこさせた。海軍大将リチャード・E・バイアード率いる、「科学調査」に見せかけた、1空母、12水上艦船、1潜水艦、20機以上の航空機とヘリコプター、そして4千名のエリート海軍兵力を擁する、強力な小艦隊作戦が展開された。バイアードと彼の艦隊は1947年2月26日、ナチの南極大隊に全面急襲をしかけたが、文句のない敗北をきっし、ただちの撤退となった。本国に帰還後、バイアード海軍大将は議会で証言し、敵は、「いたるところを信じられない速度で飛ぶ」能力を持っており、派遣艦隊に対し、海中より出現した「不思議な飛行物体」による攻撃を加えたと述べた。今日でさえ、このハイジャンプ作戦は、高度な部外秘情報となったままである。

 

「紙クリップ」されたナチ

征服された枢軸勢力は戦後、南極へと逃げたが、他のものは、アメリカの科学頭脳集団に吸収されるために意図的に北アメリカへと渡った。この秘密作戦は、明晰なドイツ科学者や将官(ナチの戦争犯罪人として裁判中のものもいた)が、何百人――何千人という者もいる――も、米国へもたらされて免罪や新たな所在が与えられた。そこでは彼らは、国家諜報、産軍複合体、宇宙開発組織、精神科医、石油化学、あるいは有力企業の職といった組織においての重要な研究および企業の仕事が想定されていた。また別のものは、ARCO、スタンダード・オイル、エクソン、ザパタといったさまざまのロックフェラー陣営の石油カルテルのための、そして、ババリアン関連の秘密協会の支部の仕事であった。そうした各企業は、二次大戦中、石油を第三帝国へ売っていたもので、ナチの戦争装置を動かしづづける援助をしていた。いったん、そうした移植されたナチ科学者が、軍事、産業、宇宙開発、諜報、そして石油産業に浸透すると、彼らの考え方は、その部下へと広がりはじめた。そして10年もたたないうちに、彼らは、ファシスト企業・政府を作り上げる道に長け、彼らの軍事産業帝国へと何兆ドルもの金を流下させ始めた。

1.2.5 4th Reich

第三帝国は、第二次大戦で決して降伏していないことを忘れてはならない。ナチの伝統は引き続がれており、そのもっとも才気ある精神は、暗号名「紙クリップ」との極秘作戦により、戦勝国、すなわち、米国やソ連へと持ち出された。(with permission, (c) Brad Olsen, 2015)

中には逃亡する必要のない(戦争犯罪者とはみなされていない)ナチもおり、彼らは、名前を変えることもなく、ただちに仕事をありつき、アメリカに渡って新たな生活を始めた。彼らは、ナチのひらの諜報員や科学者で、さらには、若く熱狂的な取り巻き連中も、「紙クリップ」作戦の下での米国で歓迎された。諜報将校は、東側のソ連を監視する助けとして雇用され、科学者の大半は宇宙開発計画を促進するために活用された。そうした元ナチらは、その足場を得ると、かれらはその秘密のネットワークをヨーロッパの金庫を略奪するために用い、多くの国に前線企業を作るとともに、アメリカ企業界への道を固めていった。彼らは、アメリカを宇宙開発競争の勝者へと導く、喉から手の出るような技術をもたらした。しかし彼らはまた、。その権威主義的考えを基礎とするナチ思想ももたらし、「自由の国」として鉄則とされてきた、正当な手段という考えに終止符をうたせ、宣戦布告のない侵略戦争や個人の自由の削減に向かわせた。CIAの後ろ盾となったババリアン・イルミナチと、ナチ党の金庫となったババリアン・ツーレの関係の深まりは、CIAの秘密活動上層部がナチ親衛隊自身の中核と何ら変わらない人員構成となることを許し、ファシスト同調者や米国諜報組織内部で働く第五列〔スパイ行為として裏切り行為をする部分〕二重スパイの助けをえるようになった。一部のナチは確かに、ニュールンベルグ裁判で「犠牲」にはされたが、それは連合軍をなだめ、ヨーロッパが脱ナチ化したとの幻想を打ち立てるためであった。

要職にある友人のかすかな援助をえて、そうした元ナチたちは秘密集団を組み、政府の最高職へと浸透し始めた。不幸なことに、元ナチらはその世界制覇の企てを止めていなかった。そしてその企ては、人はどのようにすれば権力の座につけるのかをめぐり、政権にある限られた期間なぞよりむしろ幾世代にもわたった視野をもつ権力者による支援をえるにはどうすればよいのかを考える時のみに理解されるものであった。そして、そうした世代をまたぐ展望は、まさしく、ジョージ・W・ブッシュの祖父、今は無きプレスコット・ブッシュ上院議員――ナチ・ドイツの金融的支援に取り組んで利益をえていた諸企業の重役であり株主――の持つものであった。プレスコット・ブッシュは、将来の米国大統領であるジョージ・ハーバート・ウォーカーの父でありジョージ・W・ブッシュの祖父で、1942年に、「敵国との通商」法をもってその会社を掌握していた。彼は、ドイツ兵がアメリカ兵を殺している間、アメリカからのヒットラーへの資金を援助していたのであった。

1.2.2 ss-von-braun

この稀有な写真には、将来の「米国宇宙計画の父」、ウェルナー・フォン・ブラウンが写っている。総督ハインリヒ・ヒムラーの背後に半分隠れているが、彼がナチのロケット試験場であるピーネミュンデを訪れた時のものである。フォン・ブラウンはナチのエリートの正装である親衛隊の黒軍服を着ることを好んだ。ナチの階級を研究したものは誰でも、ヒムラーの精鋭の命令は「ナチの必要とするものに週末なし」との政策をもっていたことを、よく知ることとなった。(with permission, (c) Brad Olsen, 2015)

1.2.3 US-bomber-over-Peenemunde

「空飛ぶ要塞」が、北ドイツのバルチック海近くにあるピーネンミュンデの秘密ロケット基地上空を飛んでいる。二次大戦中の連合軍による爆撃の際の主要標的の一つであった。(with permission, (c) Brad Olsen, 2015)

二次大戦が終了して数カ月以内に、ナチの科学者や諜報将校は、CIAの初代長官である独裁者アレン・ダラスの用心深い監視のもとに、アメリカに連れてこられた。その意図は、元ナチの優秀な科学者を、武器開発、高度技術、そして諜報部門にもたらすことであった。ナチ将軍ラインハルト・ゲーレンと彼の部下は、戦後すぐ、ヨーロッパにおける拡大するソ連の脅威に関する情報を集める援助をCIAに与えるために連れてこられた。ロケット技術者であるヴェルナー・フォン・ブラウン、彼の指導者ヘルマン・オベルス、V-2ロケット技師アーサー・ルドルフ、そして他に100名以上の上級ナチ科学者たちが、米国陸軍およびNASAのさまざまの航空宇宙計画に雇用された。

どのようにして、ナチの要部は、米国内に新たに形成された秘密政府を作り出すことを支援したのであろうか。アレン・ダラスは、白アーリア人の優越性といったナチ精神の隠れた支援者であり、ババリアン・イルミナチのメンバーであった。彼は、ナチ・ドイツ、アメリカの石油企業、そして対サウジアラビアとの間での金融を行っていたことで告発されている。ダラスは、弟や反ユダヤ的考えをもつ二番目の妻とともに、第三帝国に利益をもたらす国際金融ネットワークを設立した。大戦末期、ダラスは、ナチの資金を、連合軍の監視をかいくぐり、密かに欧米側の顧客にとり戻すことに成功した。アレン・ダラスは、1953年から1961年まで、もっとも長く民間出身CIA長官を務めた。彼がウォーレン委員会〔1963年11月22日のケネディ大統領暗殺事件を検証するために設置された調査委員会〕の委員に選任された時、ほとんどだれも驚かなかった。しかし、その選任は後になって、歴史家たちによって非難されることとなった。と言うのは、ケネディー大統領は、ピッグス湾事件〔訳注〕の後、CIA長官の彼を厳しく叱責して更迭しており、当然に、同委員会における重大な判定において、彼が公平であることはありそうもないことであったからである。にもかかわらず、歴史は彼をアメリカの近代諜報システムの筆頭の創設者として記憶することとなり、そして彼の名は、ワシントンDCの新空港に「ダラス国際空港」として記銘されることとなった。元ナチたちは、ダラスのような朋友やその彼の思想的傾向に助けられ、その新天地における政権を「政府の背後の政府」にしようと考えていたとしても、想像に難くないことである。何らの公的監視による制約も受けないでは、ファシスト構想がいまだにうごめいていると想定するのは、いかにも論理的な結論であろう。

〔訳注〕1961年に在米亡命キューバ人部隊「反革命傭兵軍」がアメリカ合衆国の支援――CIAとアイゼンハワー大統領はカストロ政権転覆計画を秘密裏に開始――の下で、フィデル・カストロ革命政権の打倒とアメリカ傀儡政権の再興を試み、キューバのビッグス湾に侵攻した事件。ジョン・F・ケネディ大統領の承認を経て1961年4月15日に侵攻が開始されたが、東側諸国の援助を受けたキューバ軍は3日間の戦いで撃退に成功した。この作戦でCIAは、作戦失敗のリスクを過小評価して報告していた。この事件の直後、キューバ政府は先の革命が社会主義革命であることを宣言。ソビエト連邦への接近を強めた結果、翌1962年にはキューバ危機が起きることになる。〔ウィキペディアより抜粋〕

1.2.4 first Nazi jet airplane

世界最初のジェット機はナチによって開発された。二次大戦後、第三帝国ための航空技術の先端を切り開いた同じ科学者が、紙クリップ・プロジェクトのもと、米国のNASAのために働いた。(with permission, (c) Brad Olsen, 2015)

 

ソ連をスパイする

二次大戦後、将軍ラインハルト・ゲーレン〔1902-1979〕の組織〔「ゲーレン機関」と呼ばれた〕は、ソ連によってその母国が占領された東ヨーロッパの人たちの「移民前線」の広範囲な組織化を命じた。移民前線とは、移住者が選択した新たな国へと出発し、政治的環境しだいでは一時的便宜としての亡命者とさせる働きをした。移住者の集まりは、よく、策謀や反革命の温床として疑いをかけられる。アメリカ政治をめぐって秘密の影響を与える重大な画策の実行にかかわったのは、このゲーレンのスパイ組織をつうじた、そうした国際ナチ組織網であった。そして数十年後、こうした亡命者組織は、ケネディー大統領暗殺に背景からの影響を与えたことが発見されているばかりでなく、ロナルド・レーガンやジョージ・H・W・ブッシュ政権時代の共和党政治にも重要な役割を果した。ファシスト・ナチの移民前線のゲーレンの組織が、その将軍の死後も長く生存し、よく組織され、政治的にも有力であったことは、国際ナチ組織がその当初の未達成の使命を引き継ぐ、結束力と影響力をもった組織であったことを意味している。〔このように〕仔細な研究は、第三帝国が決して降伏していなかったことを示している。二次大戦の終結において降伏したのは、ドイツという国だけであった。

西ドイツの諜報組織〔Bundesnachrichtendienst〕BND は、連邦情報機関――西ドイツの海外情報機関――とともに1956年に設立された。CIAと違って、BNDは、海外と国内の両方にわたる情報活動上の責任を有していた。BNDは、上述のゲーレン機関の末裔で、1949年に発足したCIAによって手掛けられ、監督された。ナチ・ドイツのためにソ連に対して動いていた諜報組織は、基本的にラインハルト・ゲーレン将軍によるものであった。1950年代、CIAはゲーレンとその配下機関のBNDを通じて、西ドイツの諜報を支配した。戦後すぐのころ、かれらの焦点はソ連の脅威であった。今日では、ドイツBNDの機能は、それが西ドイツ政府のもとで行ったものと極めて同一である。BNDの対の組織はCIAであり、そのドイツでの反諜報機関はBfV――連邦憲法擁護庁(1950年設立)――で、これはアメリカのFBIとほぼ同じ存在である。

米国には、つねに二つのCIAがあったことを立証する必要がある。ひとつは、影響ある地上のもので、他は、闇で動くものである。CIAは、二次大戦後、OSS〔戦略諜報局〕とゲシュタボが合併して設立された。そのナチ部分は、父親ジョージ・ブッシュが率いるあらゆる麻薬取引を監視する部署であった。他の部分(「白い帽子」と呼ばれた)は、政府に雇用されて給与をえている愛国者たちで麻薬からどんな金も得ていない人たちで構成されていた。最初で最大の麻薬密輸作戦が、CIAに代わって、ジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュ――彼が大統領であり、ザッパ・オイルのCEOの間――によって実行された。麻薬は漁船で沖合の石油リグに運ばれ、そこから麻薬は職員のヘリコプターやボートに積み替えられたが、税関や他の法執行機関によって摘発されることは決してなかった。そうした麻薬のほとんどは米国内に流入し、CIAや軍の諜報組織、そして、イスラエルのモサド――イスラエルの中央安全保障・諜報機関――により保有され支配された。

 

偽国旗作戦

偽国旗作戦とは、自国民に対してその国の政府によって実施される秘密の作戦で、人々をあざむくために、そうした作戦は敵によって実行されたように見せかけられた。基本的に、「犠牲者を演ずる」ことが政府にとっての定石で、それによって自身の攻撃性を隠すことができる。偽国旗作戦の計画にあたっては、その第一段階は問題を発生させ、次に、それへの解決策を提示する。よってこの方法は他に、「問題・対策・解決」方式とも呼ばれる。問題あるいは人々の反作用を引き起こす「状況」の発生後、次の段階が、いっそう憲法上の自由を侵害し、恐怖や混乱を増強するインチキの解決法を作り出す。その一例は、社会保障を段階的に削減するために、人々にそれを不可避と受け入れさせるよう、経済的危機が作り出された。

1933年2月のドイツ国会議事堂の火事は、同建物への放火作戦である。この事件は、ナチ・ドイツとドイツ国会議事堂放火事件令を設立させる引き金となり、ドイツの大半の市民的自由を刈り取り、かつ、ナチの主張に「友好的」でないと見なされる出版がナチによって禁止されることに用いられた。戦後公表された文書は、ニュールンベルグ裁判の証言も同様に、空軍総司令官ヘルマン・ゲーリングがその火事の首謀者であったことをあばいた。それは一種の内部工作で、かつ、偽国旗作戦であった。そうした秘密工作は、自由を制限する法律を通し、ナチに初の政権奪取を可能とするべく、圧倒的多数議席を与党にもたらすための口実として使われたものであった。1939年、ドイツは、ポーランドへの侵攻を、彼らのラジオ放送局のひとつへの計画的攻撃を理由とし、それをポーランド人による破壊行為と非難した。

偽国旗作戦〔False flag operations〕は、自軍の進軍方向を変えて反撃に移る代わりに、敵の旗を用いた小部隊に攻撃させるという古い戦法から、そう呼ばれている。こうした人為的そして時には悲劇的出来事は、選りすぐりの工作者たちに、手段と、戦争からえる利益と、そして人権の浸食を許す。そうした作戦は、予想される反応――人々の恐怖――を発生させるための見せかけのもので、社会通念へのコントロールを取り込む契機をつくる。偽国旗作戦は、社会の安全と国家の保安と見せかけて、人々を恐怖状態に維持し、ゆえに戦争が正当化され、人権のはく奪が可能であるために実施される。前ミネソタ州知事ジェシー・ベンチュラは、FBIやCIAのそうした行為の様々な段階へのかかわりを指摘し、そのほとんどの場合、それらは、爆発物、智謀、そして武器を用意していると述べている。

米国においてのもっとも知られた偽国旗作戦はノースウッド作戦で、1962年、CIAがでっち上げた秘密作戦で、赤十字をつけた飛行機が撃墜され、それはカストロによるものと非難した。しかし、ケネディー大統領はその作戦を支援することを拒否した。ジェームス・バムフォード――米の諜報機関について書いたベストセラー・ジャーナリスト――はこう書いている。「議長と合同参謀長による文書承認を受けたノースウッド作戦は、アメリカの路上で無実の人々が射殺され、キューバから逃れた難民をのせたボートが荒海で沈没し、ワシントンDC、マイアミその他の場所で一連の暴力的テロが必要とされている。人々は、かかわってもいない爆破の犯人とされ、飛行機はハイジャックされる。嘘の証拠を使って、それらのすべてがカストロの仕業とし、かくしてレムニツアー(大将)や彼の一味に口実を与えると同時に、戦争を開始するための社会や世界の支持を得ようとするものであった」。ノースウッド作戦の機密扱いが取り去られた後、ABC放送はこの事件をこう報じた。「1960年代初め、アメリカの軍上層部は、無実の人々を殺し、米国の諸都市をテロにおとしいれ、キューバに対する戦争への公共の支持を得るための計画を作った。それはノースウッド作戦と暗号名が与えられ、その計画には、暗殺、荒海でのボートの沈没、飛行機のハイジャック、米国船の爆破、そして、アメリカの諸都市での同時の暴力的テロさえ含まれていた。」

もうひとつのよく知られた(そして成功した)偽国旗作戦は、その数年後に実行された。それはトンキン湾事件で、米国がベトナム戦争を開始する口実を与えた。元国防長官ロバート・マクナマラは、トンキン湾の一隻の船にかけられた第二の攻撃は実際にはなかったことを認めた。1964年8月、新聞報道は、アメリカの海軍艦船に北ベトナムによる二度の攻撃があったことを報じた。その最初は、8月2日に、第二は8月4日に行われたと伝えられた。第二の攻撃は、述べられたようには起こっていなかったことが認められた。加えて、いくつかの報道は、そうした攻撃がまったくなかったことさえ示唆していた。これは、その第二の攻撃がトンキン湾決断をおこさせ、ジョンソン大統領に東南アジアに侵略する全権委任が与えられるという、悲劇的に重要な作戦であった。その第二の攻撃がなかったのであるなら、ベトナムに侵略する理由はなかったことが今となっては明白になったのであり、アメリカは、そのまったく嘘の口実によって、ベトナム戦争に踏み切ったのであった。

より最近では、綿密な調査が解明するところによると、9・11のテロリストの攻撃こそ、米国政府内の勢力――軍部および国際エリート――によるまさしく偽国旗作戦であった。多数かつ拡大する米国、イタリア、英国のプロフェッショナル技術者およびビル解体専門家、現役および退役空軍関係者、そして少数の果敢な探究ジャーナリストらは、(ユーチューブより得られる図面や技術情報を用いて)公式の説明ではまず不可能な仕業であることを論じている。それによると、9・11攻撃は、虚偽の「テロとの戦争」への触媒として、米国憲法による保護を解体する状況を用意し、アフガニスタンやイラクでの新たな戦争を誘発することによってイスラエルの国内安全保障を増進し、そして、中東の石油資源を奪取する手段として総結集されたものである。その証拠は大量、精緻、そして増大しており、米国政府、イスラエルのモサドのスパイ組織、そして金融セクター内部の選り抜かれた少数が、ワールド・トレード・センターの三棟のタワーに実際に爆薬をしかけ、そして、ペンタゴンにミサイルを撃ち込んだのである。そのモハメッド・アタ〔WTCビルの一つに自ら操縦して突っ込んだとされるハイジャック犯〕のハイジャック計画は、諜報機関によって事前によく知られており、内部関係者はその事前通報を、爆薬を仕掛けたワールド・トレード・センターの三つのビルと電線でつなぐ仕事を終わらせるようために使った。建築家、技術者、物理学者、消防士、学者、パイロット、科学者、内部通報者、新聞記者、そして映画製作者らはすべて、「9・11の真実」運動を支援している人々であり、増大している。

9・11事件の発生の中で、ジョージ・W・ブッシュ大統領と彼の政府は、疑われる「大量破壊兵器」の所有が米国への「差し迫った脅威」となっているとして、米国のイラクへの侵攻は正当であると、アメリカ社会を意図的に信じさせるように誘導した。今では衆知のように、前ブッシュ大統領は存在しない大量破壊兵器をイラクへの先制侵攻の理由として用いた。後にブッシュ政府はそれを取り消し、イラクが「差し迫った脅威」と公言することはなくなった。加えて、ブッシュ政府は、9・11のワールド・トレード・センターとペンタゴンへの攻撃の前に、サダム・フセイン政権を転覆するために軍事力をもちいる計画を立てていた証拠もある。

そもそも、米国における偽国旗作戦は、ドイツ国会議事堂放火事件で用いられた古く汚い作戦の再利用である。要するに、ヒットラーの宣伝の極意は「単純さを維持し、それが真実となるまで、幾度も繰り返す」ことであった。この「大きな嘘」は、きわめて有効な大衆宣伝方法である。アドルフ・ヒットラーは、1925年の自書『我が闘争』の中で、「厚顔さが真実を大胆に捻じ曲げるために用いられている」などとは誰も信じないよう、嘘は「途方もなくでっかくつけ」、と述べている。

ヘルマン・ゲーリングは、ニュールンベルグ裁判において、以下のように宣伝についての見解を告白している。

当然に、普通の人々は戦争を望まないが、結局、その政策を決定するのは、その国の指導者たちである。そして、人々を、民主主義かファシスト独裁か、あるいは、国会か共産主義独裁化のいずれかにもってゆくかをあやつることは、つねに簡単なことである。声高であれ、無言であれ、人々はつねに指導者たちの賭け事に連れ込まれる。簡単なことである。しなければならないことは、彼らに、攻撃にさらされていると告げることであり、平和主義者は愛国心に欠けていると非難することであり、そして、国を危険にさらすことである。この原則は、どこの国でも同様に有効に働く。

より小国でより産業開発の遅れている国の指導者たちは、よく米国の外交戦略に反対し、戦争を起こすような狂気にとらわれない。それは、彼らが国民よりよく情報をえているからであり、軍事行動の結果を知っているからである。いかなる戦争でも、攻撃者は敵と比べた同等の力が必要とされるのではない。攻撃者は、支配性を獲得するために、少なくとも5倍の局地優先性を必要とする。いかなる国も、きわめて特定の目的と早期の勝利を視野に入れないでは、戦争を開始したりはしない。アメリカの独立戦争(1776-1779)や英国の独立への挑戦(1812-1814)を除き、いかなる一国たりとも、その大陸上で対米戦争を起こしたものはない。1915年、米国は、第一次大戦への参戦にあたり、ルシタニア号が客船として禁じられているにも拘わらず、モーガン銀行の武器を積んで敵海域内を航行した。その結果、同船はドイツの潜水艦によって沈められ、何千人もの命が奪われた。そして、これによる怒りが、アメリカの人々をして戦争参加に賛成するに十分な動機となった。過去二世紀の間のアメリカが関わったすべての戦争の歴史を注意深く見てみると、ほぼ毎回、偽国旗作戦がその開始のきっかけとなっていることが明白である。

 

宣伝マシーン

1948年にジョージ・オーウェルによって書かれた小説『1984年』は、ナチ・ドイツから連想される残忍な独裁政治のもとの生活を描いた英国の反ユートピア郷小説である。それは、ウィンストン・スミスとの主役をめぐるその将来小説であり、彼は普通の市民だがファシスト全体主義政府の典型的標的であり、1984年に彼の住む国家、オセアニア政府と衝突して、彼の身の没落が始まる。この小説は、「新会話」と呼ばれる一つの言語体と、その悪名高い言い回し「大兄たちが君を見ている」を採り上げる。形容詞「オーウェルい」とは、政府の全体主義的行動や容赦ない組織を意味し、浸透しかつ介入する脅威でもある大衆監視体制を暗示している。「真実省」の知性的職員であるウィンストン・スミスは、政府が常に正しかったとする歴史の修正と書き換えをする仕事をしている。彼は来る日もくる日も、証拠を修正し、新聞記事を書き直し、「無人間」と特定された人々の存在を消去している。だが最後には、ウィンストンは疑問をもち、政府に歯向かい、思想警察に逮捕され、「親愛省」において尋問される。

オーウェルは、政府が全面的コントロールをおこなう将来を暗く描いている。メディアによる数限りない情報操作の事例のなかで、『1984年』の中の脚色された映像は、大衆の公私の生活の中心を占めるテレスクリーンとよばれる双方テレビを通して、政府が作り出したい話を大衆に売りつける宣伝手法である。オーウェリアンな教えによると、「そしてもし、他の誰もが政党が言うその嘘を受け入れ、そしてもし、記録が同じことを告げているのなら、嘘は歴史となったのであり、それが真実なのである。」

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ヒットラーは、親衛隊をイエズス会士やメイソンといったテンプル騎士団や他の十字軍団になぞらえた。これは1937年からの有名なポスターで、テンプル騎士の聖なる鎧を着てサタンとの闘いに備えている。(with permission, (c) Brad Olsen, 2015)

ヒットラーとナチ党は、1921年ではドイツの人々の間で、わずか1パーセントの支持率だった。しかし、同党の注意深い統制のとれた政党運営の結果、すぐにメディアや生産企業との間の合意を取り付けるまでになった。彼らは、大化学企業や武器製造企業(メッサ―シュミットや他の数社)との同盟をでっち上げ、見た目には突然、爆発的に人気を伸ばし、ナチは過半数党となった。ナチの政権党への成長の要因は、部分的には、意欲を欠くメディアにあり、ライセンス契約に同意した関係の中で、あまたの合併や買収をへながら、その共犯者になっていった。かくして、ナチ・ドイツは、究極の国家支配メディア宣伝マシーンを作り上げていった。今や私たちは、同じ過程をアメリカにおいて目撃しているのである。

 

アメリカのネオ・ナチ

ひとつのネオ・ナチ集団である、アメリカの Nationalist Socialist Movement (NSM) は、わずか500名の加盟員を持つにすぎないが、2011年秋、TV番組「60 Minutes」の年度最初の特集に取り上げられた。ヘイト演説は、米国憲法修正第1条〔宗教上の自由を禁じる法律の制定を禁止〕で容認され、暴力を扇動しない限り犯罪ではない。ネオ・ナチは、移民法や「褐色化するアメリカ」に反対する弾劾演説を焦点にしている。彼らのゴールは、アメリカが「全員白人」の故国となることである。彼らの戦略は、すべての非アーリア人種に自主的に米国から去ることを求めるか、必要ならそれを強制することである。NSMは、他の人種差別団体――KKK、様々の南部旗組織、そしてナチ思想に帰属するヘイト団体――と結合組織を作っている。人種的嫌悪は、アメリカ最初の黒人大統領の選出にも拘わらず、いまだに消え去ってはいない。

作家ジム・マーズによると、半世紀以上も前に克服されたと考えられる陰険なナチ思想は、実際はアメリカで活性化している。彼は、過去60年間、現代アメリカに国家社会主義の形態をもたらそうとの努力――その要は、秘密の新帝国ないしは「第四帝国」を創設しようとの――がなされてきたとの疑念の余地のない証拠を用意している。ドイツの第三帝国の生き残りは、米国やその他の国の同調者とともに、ODESSAといった組織や、いまだに帝国への忠誠を誓いながら匿名のままで生きようとするDie Spinne〔「蜘蛛」の意〕といった組織によって隠れ場所が与えられてきた。彼らは、二次大戦終結以来、舞台の背後で、米国を基盤として活動しながら、ナチズムの原理を世界中の文化、政府、そしてビジネスに植え付けようと動き続けている。そうした原理には、軍事主義、ファシズム、白人優越主義、征服観、そして市民社会へのスパイ活動の浸透に加え、国益と国是をコントロールするための企業と宣伝の活用がある。

 

「新世界秩序」という総計略

その実際の結果は、アメリカにおける自由の喪失である。アメリカにおいて現在、私たちの誰もが、警告や法的手続きなく投獄される可能性があり、政府が彼らの計画に脅威となることを私たちが行っていると決定したならば、合法的に、誘拐、拷問、そして暗殺すらされかねない。彼らがしなければならないことは、ただ、個人を彼らが称する「テロとの戦い」における容疑者と指名すればよいのみである。9・11以来、議会はいくつかの深刻な法規――社会の安全を守ると見せかけた自由の制限――を通過させ、あるいは通過させようとしてきている。9・11のすぐ後に通過した愛国法は、事実上、反テロリズム操作において、政府の力を拡大するものである。その法律の賛同者は強化された諜報活動によって米国市民に安全を提供するものと信じているものの、そうした「安全」はプライバシーの損失という高いコストを払うものである。例えば、愛国法のもとでは、犯罪捜査の対象となっていない米国市民でも、政府の大量のデータベースに含ませることができ、また、被疑者と「偶発的接触」をもった市民は、盗聴の対象となる。そうした軽微な違反でも、極めてプライベートな記録へアクセスする法執行を許すものとなる。暴力拡大及び国内発生テロリズム防止法のもとでは、政府機関に対して異議をとなえることも、テロリズムとしてその人の発言を分類することもありえる。これは、「暴力の拡大」についてのあいまいで明瞭な定義を欠くことによる。もし一個人が、そうした大まかな基準によって「怪しい」と見なされれば、その人は、愛国法あるいは軍事委員会の規定の対象となる。これには、自白を引き出す特別手段も含まれる。まさに、〔オーウェルの『1984年』の〕「大兄」と同じ情況である。

国土安全保障省は、占拠抗議運動を粉砕するにあたって、残忍な警察の背後にあった。9・11以後、連邦政府は、「国土の安全」との口実を用いて、ひとつの連邦警察を作った。それがいま、各都市政府への作戦支援にあたっている。オークランド市長ジーン・クアンは、「占拠抗議運動」を抑圧するために招集された18都市の市長の会議に、国土安全保障省が参加していたことを認めている。ついに、提案されている敵国交戦法が、裁判ぬきに、アメリカ人「テロ容疑者」の投獄や暗殺すらも容認しようとしている。「新世界秩序」のいよいよの到来である。

だが実際は、もっと悪い。『Popular Mechanics』誌は、アメリカでは、毎日、3千万台と見積もられる監視カメラが働いていると書いている。警察、学校、銀行、ビジネスなどで、毎週、およそ40億時間におよぶビデオ録画がとられている。あらゆる電話会話、ソーシャルメディア交信、そして送信されたe-mail は収集されて保管され、いかなる時にも捜査が可能となっている。

何もかもに埋め込み可能なRFID〔訳注〕追跡チップは、囚人や性犯罪者への埋め込みが拡大する勢いである。RFIDチップは、皮膚の下に入れられ、電波を通じて情報を送るように考案されている。サウジの発明家によって開発されたチップは、その装着者を青酸カリの服用で殺すこともできる。他のチップは、もし装着者が服従しない場合、火傷を負わすことができる。一般人には、ID証の盗難、財布や鍵やパスの紛失、そしてその他の情報盗用をなくす解決法として有効である。私たちの免許証やパスポートにはすでにRFIDチップが埋め込まれており、あらゆる動きが追跡され、新たな病院患者は、おなじチップが皮膚下に埋め込まれる。

〔訳注〕Radio Frequency IDentification の略で、砂粒大のコンピュータチップをもちいて対象物の遠隔からの追跡を行う技術。

支配者を自任する人たちは、米国宇宙司令部を通じ、「全範囲支配 (Full Spectrum Dominance)」と呼ぶ計画の概要を公表した。「すでに開発済み」の高感度衛星監視、「指向性エネルギー」、そしてレーザー兵器は、地球上のどこにいる反対者であろうと、標的にする能力がある。そしてついに、連邦緊急事態管理庁〔Federal Emergency Management Agent (FEMA)〕は、こうした同類の機関によって取って代わられた。〔それらは〕もともと、地方機関の範囲を超える緊急事態に備えるために、数十年前に設立されたものである。それが、〔2001年の〕9.11以降、国土安全保障省の下におかれ、緊急準備・即応指令庁〔Emergency Preparedness and Response Directorate〕と改名された。その最初の長官は、国土安全保障省として縮小された有効性について警告を放ち、そして2007年、FEMAに復権された。だが、長引くテロの脅威の強調は、自然災害への即応性を低下させているとの批判がある。事実、FEMAの「封じ込め野営地」や手錠付きの鉄道車両が、最近、アメリカ全土にわたり、当局の言う「全国的流行病あるいは社会不安の時」に用いるためとして、設置あるいは一新された。綿密に準備された偽国旗作戦は、こうした社会不安を暴発させ、「新世界秩序」の全面適用を許すのではないだろうか。そうならないことを望みたいが、彼らが所有している技術や彼らが行ってきたこと、あるいは、そのなせる能力を見れば、私たちの将来は、オセアニア国のウィンストン・スミスの世界のように、寒々としたものになろうとしている。だが、私たちはいま、ウィンストン・スミスが持っていなかった、インターネットを持っており、こうした脅威への社会の覚醒が広がっている。

 

【本章終了】

 

参考文献

 

Good, Timothy, Above Top Secret. William Morrow and Company, 1988.
 
Marrs, Jim, The Rise of the Fourth Reich: The Secret Societies That Threaten to Take
Over America. William Morrow and Company, 2008.
 
Nazi connection to the U.S. Government:
 
 
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Future-Esoteric-12-cover-small


Future Esoteric: The Unseen Realms by  Brad Olsen

http://cccpublishing.com/FutureEsoteric  www.bradolsen.com

with permission, (c) Brad Olsen, 2015


 
 
 
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