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松果腺は小さな灰色の分泌腺で、〔グリーンピースの〕豆粒ほどの大きさで、左右の大脳の間で、脊髄が脳内に達する部位に位置している。樹木の松の実も、松果腺と同じ形をしているため、この名がつけられている。松果腺の位置は、脳の幾何学上の中心にほぼ重なっている(本章末図参照)。
驚かされることに、松果腺は、古代エジプトのシュメール人や、バビロニアの芸術品や絵画の中に描かれており、私たちの祖先がその意味に気付いていたことを忍ばせている。さかのぼること紀元前2180年、エジプトの王たちは、松果腺の活動を向上させるためにschefa-foodを用い、感受性、覚醒力、直観を高めていた。松果腺は長い間、神聖な知恵の宿るところと呼ばれてきた。古代エジプト人は、一匹あるいは二匹のヘビ形の突起を王冠の第三の目のあたりにあしらった冠をかぶっていた。古代エジプトの人たちにとって、ヘビは知恵の象徴だった。これにより、聖書のマタイ伝10:16で、私たちがなぜ「ヘビのごとく賢くあれ」とさとされているのかが理解される。エジプトの女王クレオパトラは、よく自分の額に磁石を置いて下垂体を刺激し、若い活気をとりもどし、美を高めようとしていた。ただ彼女は、すでに自分の額の中に、松果腺という磁石をもっていることは知らなかった。
アッシリアの翼をもった神ニムロッドは、松果腺あるいは松かさ――バビロニア神話のタンムズ〔春と植物の神〕以来の再生の力を象徴――をかかげている。松かさあるいは松かさの杖は、神の地位に広く共通し、繁殖と再生の芸術的象徴である。古代ギリシャの神ディオニシスは、繁殖のシンボルとして松かさの杖をもっていた。
東洋の伝統の中では、第三の目を醒まさせるということは、ヨガの鍛錬を通じて達成されるとされている。ことにクンダリニ・ヨガは、第三の目あるいはアジナ・チャクラの存在を教えている。二匹のヘビは松果腺をへて起こされるクンダリニ・エネルギーを意味している。古代サスクリット語の「クンダリニ」は「解明」あるいは「啓発」を意味し、第三の目が覚醒した時に修行者が経験する光を指している。この体験は、その人に、自分が誰であるかを悟らせ、内的魂との会話を促す。
アジナ・チャクラとは、第三の目が宿る場で、意識の源である。実際の両目は過去と現在を見るが、第三の目は将来の洞察を明らかにする。アジナという言葉は「命令」を、ことに師匠の命令あるいは霊性的導きを意味する。西洋のオカルトやニューエイジ思想では、アジナ・チャクラは、第三の目あるいは心霊視の目と同じものとされ、本来のタントリカ体系には見られない考えである。
教祖グイデ・キラエルはこう記している。
エネルギーをチャクラの頂点から松果腺へと取り込む時、――私たちの体の70兆個の細胞と直接に触れ交信する――根元設計図あるいは神の部屋と称されるなにものかを呼び起こす。
松果腺はまさしく主なる分泌腺である。記述のように、それは両眼の間に位置している。それは、千里眼の臓器であり、エジプト文明におけるラーまたはヘルー「神」の目である。仏教においては、両眼を閉じた修行において、第三の目――仏陀の額の点に象徴される――を開け、私たちの霊的内部あるいは魂を見ることを可能とする。それは、アンチ・エイジング効果を持ち自然の抗酸化物質であるメラトニンを分泌する。メラトニンの分泌はまた、私たちの皮膚の色づけを助ける。
with permission, (c) Brad Olsen, 2015
意識は、異なった周波数が作り出し、私たちに、現実を表わし、異なったイメージを作り、物事を違った風に見ることを可能とする。人は、いったんそのエネルギーの源――松果腺の活性化やチャクラの瞑想――に入り込めば、真のその人を発見し、このエネルギーが何でであるかを知るようになる。まさしく、すべてはエネルギーなのである。
松果腺は、もっとも謎の多い内分泌腺で、長く西洋の吻合術の関心の的ともなってきた。昔、松果腺は記憶が意識へとのぼる流れを左右するバルブと考えられていた。現在、松果腺は、ちょうど目の網膜のように、信号の変換器と見られている。しかし、脳に近いながらその一部でない臓器が、なぜ、見ることとは関係のないのに、光に反応するのだろうか。
「発見への実際の旅は、新たな陸地をさがすことにあるのではなく、新たな目をもって見ることである」、と述べたのは、フランスの作家マーセル・プルーストである。私たちの直観が活発となり、プラトンが言うように、魂の目が清められてさらに高揚し、「私たちが真実に到達しえるのはそれを通じてのみである…。おそらく天にはひとつの典型があり、それを見ようと欲し、それをなしえた者には、それとは、自分の内に見つけることであったのである」。そうした常とう句は現実的とはいえず、プラトンの弟子にとってすら、彼らの師の知恵に懐疑をもった。プラトンは言った。「汝らは私を、幾何学のような実行不可能な学問を課していると考えている」。だが「魂の目」が覚醒するのは、こうした学問をつうじてであり、その特別の目は、普通の目の一万倍以上の価値をもつ、とプラトンは続けた。プラトンをはじめ他のギリシャ哲学者たちは、松果腺は「思想の次元」へと私たちを結びつけるものだと考えていた。ネオプラトン派哲学者のイアンブリコスは、プラトンの説を繰り返して、数字の学問は、脳の臓器――今日、松果腺として生理学上知られている――を覚醒させる働きをもち、古代人は「知恵の目」とそれを呼んだ、と説いている。
生涯のほとんどをオランダですごした1650年生れのフランスの哲学者ルネ・デカルトは、プラトン、ソクラテスそしてアリストテレスの著書から大きく影響を受けた。彼は松果腺について、「魂の座」であると述べ、「それを取り巻くたくさんの毛細血管によってもたらされる動物感覚で満たされている」と信じた。松果腺は、デカルトが言うように、霊性の働きをつかさどる焦点で、私たちを理性の五感を超えさせて多重感覚へと導き、宇宙へと広がるホログラフィックな高次元な意識に目覚めさせる。デカルトは、松果腺と脳内でのその生理学的働きについて、1644年の著書『哲学の原理』にこう述べている。「両眼視によって描かれ、目の”粒子”によって(凝縮され)観測される視界の線は、松果腺によって処理されて、神経や筋肉を支配する“液体”を支配する」。別の哲学者らは、「生命の信号」を運び、身体へ命令を与えるセントラムというものを考えている。最近の研究は、松果腺が目の網膜のような働きをする感光性の細胞をもっており、実際に「見る」ことができ、文字通り「第三の目」の役目を果たしていることを発見している。
松果腺が光に反応することが発見されたことは、この器官が直接な接触をもたないでも外界の変化を感知するようなことができることを示唆している。他の説は、網膜と松果腺の構造が似ていることから、おそらく松果腺は目によってのみ表される様々な遺伝子をもっているのではないかと提唱している。すなわち、松果腺は光受容体と光学処理の完成したシステムをもっている。言い換えれば、松果腺には、光通信回路があるということである。しかし、それはどういうことであるのか? たぶん、まだ未知の、あるいは不可視の回路があり、それがその哺乳動物の松の実に、直接に感光性の能力をあたえているようである。これが、何世紀にもわたって哲学者や研究者らを悩ませてきていることである。
1918年、スエーデンの解剖学者ニルス・ホルムグレニンもまた松果腺を「第三の目」と称したが、その理由は、カエルやツノザメの松果腺の一部の細胞に網膜のコーン細胞にたいへん似ているものがあるのを発見したからであった。もし、動物がその松果腺を活用しているのであれば、どうして人間もそうしないのであろうか。最近の研究では、ウェスターン・フェンス・トカゲの松果腺に感光体が含まれており、それは頭の先から突出している。研究者の中には、第三の目を松果腺とも下垂体とも特定せず単に視床として述べている者がいるが、松果腺は雄に関連し、下垂体は雌に関連している。
よく松果腺や第三の目と関係づけられる一角獣の角は前頭にはえており、それが、古代のカルトにおいて進んだ動物とか魔性とかに結び付けられた理由であろう。松果腺は、すべての哺乳動物にあって油脂を分泌する器官とされ、〔松の木の場合〕この油脂がその血液あるいは命といわれる松ヤニである。世界中の神話や伝統は、人間の進化や第三の目について、豊かな情報原となる。私たちの多くは、ギリシャ神話で、ウリッセースが戦ったキュクロープス〔一つ目の巨人〕、あるいは、直観や直接的宇宙観を意味する神秘的シバの目についての話を聞いている。こうした神話的寓話もまた、遠い昔に住んでいたとされる初代の巨人やタイタンの特徴を語り、その額にあった大きな目を取り上げている。
また、別の神話的な人物は、ローマのワインと酩酊騒ぎの神バッカスで、彼も、ギリシャの神のディオニソスと同じく松かさの器を携帯していた。「松かさの中庭」と呼ばれるバチカン広場にある大きな松かさの彫刻に注目してみたい。ローマ・カトリック教会の装飾や燭台にもまた、松かさのデザインがほどこされている。面白いのは、聖書のヤコブが神と顔と顔を合わせて見たとされるのは、「松かさ〔Pe-ni-el〕」という島においてである。そこではこう述べられている。「体の光は目である。したがって、もしその目の光が一つなら、汝の体は光でみたされよう」。
世界のいたるところで、そして、歴史のあらゆる時代に、私たちはさまざまの松かさの逸話や象徴を見出せる。たとえば、バビロニアの神タンムズは、松かさを持っている姿で描かれている。中央アメリカの神ケッツアールコアートルはよく、松かさを飾る衣服をつけ松かさにの形に彫られている。ヒンズー教は、そのすべての神の顔を二つの目の間の額に位置する第三の目をもったものとして描いている。また、両目の間の点は、仏陀の肖像に見られる同様な特徴でもある。
注目されてはいないが、他の興味深い事実は、アメリカ合衆国のキャピタルビルのドームの頂上であり、また、ほとんどすべての州のキャピタルビルのドームも、松果腺の形をしていることである。そうしたドームは脳で、そのトップ組織は松果腺である。おそらく偶然であるのだろうが、しかし、ワシントンのキャピタルビルのドームの内面には、フリーメーソンとの密接な関係を表す多くの興味深い絵――松かさの象徴に満たされ――が描かれている。そうしたメーソンの象徴とはミツバチの巣で、それはまさしく松かさ、つまり松果腺の形なのである。
こうした事実は古代の神話を思い起こさせ、そうした覚醒意識はそれに共鳴してゆくものとなる。たとえば、ノルウェーの神話が告げる話では、その神オーディンが「知恵の泉」からの水を飲む、つまり事物の輪廻を体験するために、自分の一つの目――霊性的視力をもつ第三の目を示唆している――を犠牲にしなければならなかった。また、地に落ちた天使とか、アダムとイブといった物語などは、人間進化の初期段階や性の分離が、第三の始原人種あるいはレムリア〔太古に存在していたと考えられていた仮想の大陸で今のインド洋を占めていた〕人種へと通じてゆく歴史的関連を語っている。そうした時代に、知恵の臓器つまり人間の脳はめざましく発達し、神聖なるリーダーたちは、芸術、科学、そして人間性の根源を幼児のうちに教えられたと言われている。そうして彼らは神聖な事実への直接の視界をもつ第三の目に支えられた深い知恵を、私たちの内的存在に植え付けた。神智学〔訳注〕運動によれば、三つ目の巨人である第三の始原人種がいっそう身体的に発達し、霊性の無垢さを失った時、神々は、私たちを自ずからの道に残して退っていった。
〔訳注〕 神秘的直観によって自然の奥底に徹し、神の啓示に触れようとする宗教的立場で、仏教とバラモン教に基づく一種の汎神論的輪廻説。
こうした古代の伝説は、人類がどのようにこの地球に存在するようになったかの生きた知識を提供しており、古代の資料についての科学知識上の解釈を補完するものとなっている。こうした19世紀の神智学研究は、人類の過去について、第三の目の活性化とも関連して、新たな視点をもたらした。
前インカでも古代エジプトでも、「第三の目」の力を呼び起こすため、「額の上の動物像」が用いられた。いずれの文化も、私たちがいわゆる「第三の目」ないしは「内部の目」を覚醒させれば、ほぼ恍惚状態をつくりえたと理解されている。そうした動物は、それが位置している両眼の間の額に存在する霊性的輝きや考えを象徴していた。
星間移動、超感性,霊媒などといったオカルト能力は、長く、「頭の中の光」の発達と密接に関連しているとされてきた。オカルト信者は、身体をリラックスさせた後、第三の目へ集中することにつとめ、それを繰り返す修行をもって松果腺を活性化させる。この手法は、額の中央部に意識を集中させることによってなされるが、リラックスした状態では、両目に意識を集めることはない。オカルトの言い伝えによれば、第三の目を活性化させる正しい道は、「イダ」と「ピンガラ」と呼ばれる体の相反する二つの「流れ」――「スシュムナ」と称される脊髄と縦の中央軸線をめぐる――を「均衡」させることである。この相反の均衡は、相反を統合し、第三の目を目覚めさせて第三の力を作り出し、修行者に、真実の要素、霊的自分そして自分が誰であるかを開眼させる。
神智学運動の創唱者のひとりヘレナ・ブラヴァツキー は、彼女の著書『Secret Doctrine』(1888)の中で、進化過程にある松果腺についてこう述べている。「第三の目はもはや働いていない。・・・というのは、人間は物質のぬかるみにあまりに深くはまりすぎているからである」。「第三の目は・・・そうして硬化してやがて消滅し、・・・頭の中の奥に沈み込み、いまや頭髪の下に埋められて・・・霊性のしだいな消滅と物質性の増大を負い・・・退化器官となった。・・・第三の目は死んだが、松果腺の存在としてその名残が目撃される。」
ブラヴァツキー はさらにこう述べる。松果腺は「人間の至高かつ最神聖な意識――その全知で霊性をもち全てを包容する心――のまさに要である。それは「時計の振り子で、いちどその内的ねじが巻かれたら、エゴの霊性的世界を受容の至高の平野に到達させ、その地平はほとんど無限の広がりをもつ」。人間の霊的物的中心である心臓が、松果腺と完璧な共振をおこす時、両器官は一体になるとブラヴァツキー は主張する。そしてこの一体化は修行者に熟達をもたらし、事実上の無限な視界をもった神のごとき力を与える。
神智学の教えによれば、第四の始原人種すなわちアトランティス人種は「三つ目」の人種として始まり、人類の身体的進化のもっとも物質的な段階に、転落の途上にありながらも、霊性と物質が均衡して存在していた。そうした人類は、身体も大きく、巨人的な強さと偉大な知識をもっており、進んだ文明を築いていた。しかし、知能的心、五感、個的エゴ、低い情熱といったものの発達のもたらす弊害により、第三の目は、もはや霊的器官としては機能せず、進んだ人物のみが、その第三の目をその霊的心性と協調して働かせたのみであった。最終的には、第三の目はしだいに「石化」して消滅し、頭の奥部に沈み込んで無能となった。しかし、今日においても、恍惚状態や霊的視野にある時、真の自己が活性化し、この「始原の目」は脹れ、拡大すると言われる。同様に、ヒンズー教や他の信念体系の伝統にあっては、七つのチャクラはプラナつまり生命の力の中心であり、私たちの身体の不可欠なエネルギーとなる。心や感覚はオカルトエネルギーの通路であり、様々な心身的中心つまりチャクラをつうじて働く。そしてその最高のものが松果腺である。こうした諸中心は、私たちが霊性を進化させればその開発は持続する。チャクラは身体のいくつもの活性点に呼応している。
誰もが知る人類史上の二人の偉人といえば、それは、イエス・キリストと仏陀である。この二人の尊師は、私たちよりはるか昔の過去の生命の進化から第四の始原人種の霊性の時代まで、開明のレベルを成し遂げたと言われている。ニューエイジ運動では、彼らは「登りつめた尊師」とされている。同様に、神智学は、霊性の進化と身体の進化を通し、あらゆる人間は最終的に、そうした聖者がすでに達成した認識の段階を獲得する。言い換えれば、その松果腺を再活性することを知った時、私たちはいつか、そうした登りつめた尊師たちの力と能力をふたたび得ることに至る。
そのはじめに、もし私たちが自分の身体的特性、すなわち「仏陀特性」を知ろうとする時、私たちはそれを異なった目、つまり、違った受け止め方をもって見なければならない。この目とは、知恵の目、仏陀の目、天の目、あるいはキリスト教徒が単独の目とよぶものである。イエスは「もし汝の目が一つなら、汝の全身は光に満ちることだろう」と言った。仏典や聖書や他の経典に述べられるこの目とは、身体的目のことではなく、私たちの知恵の中の、そして意識の大海の中の一つの目のことである。実際にはそうした目はない。しかし、私たちは、天国から地獄まで、あるいはこの世から仏陀の世界までを見ることができる、それゆえそれを目と呼ぶことができる。そして、この目を開くため、私たちは、車を運転するように、その方法を私たちに示してくれる人を必要とし、私たちを導くために、車の運転を知っている人を必要としている。これが、時代をとおして、そうした尊師たちが登場する場面である。
神智学大学出版のために書いたジョン・ヴァン・マター・ジュニアの本は、次のように述べている
オカルトや宗教の尊師たちは、今日の大半の人々の内的視野が覚醒され、人為的鼓舞――昔の賢人や一般の人々に知られていた能力――をもって習得されなければならないことに賛同するだろう。人間は、時間の永遠の流れにそった発展のなかで、光と闇の時代を通過してきた。また、進化のどの段階においても、突出した知識と知恵を反映させてきた。意識の内部力とその活発な循環は、外部の感覚器や身体の機能をつうじて発揮されている。したがって、松果腺は、下垂体とともに、特定の生理学的働き――新陳代謝や成長の周期をつかさどり――をしているものの、それはまた、直観、発想、霊的視野そして神聖な考察の器官でもある。
私たちが、霊性を発展させその神聖さを高める時、自分のエネルギーをみつめ、バランスをはかることは個人の技量に属す。ほとんどの場合、第三の目や他の心神的中心に意識的に関与することは、現在の私たちの理解が不十分であるだけに、利口なこととはされない。私たちは、未成の神、意識と物質からなる存在、そして霊性的な進化をとげているものとして、まだ学ぶべきことは多い。そうした第三の目を通じて表される潜在性を発展させるもっとも有効な道は、私たちの毎日の暮らしの中で、人格と直観のもっとも無私な質を意図して発現させることである。この道に従って、後は成るに任せるた自身の時を送ることである。
昔の登りつめた尊師たちはそれぞれに、望ましい条件を与えれば、松果腺は透視能力や直観力の源となりえると説いた。同様に、エソテリック生理学においては、私たちが既視感や予感をえる時は、私たちの松果腺は振動を始め、もしその振動を強めかつ長める霊性的鍛錬が用いられば、両まゆの間にある松果腺を開眼することにつながりうるとする。予感を得る時がいつであろうと、松果腺はわずかに振動しており、私たちがひらめきを得たり直観的理解に達した時、それはまだわずかながらより強く振動する。私たちにとって、その働きがどれほど強いかは、私たちがどれほどに自身の霊性的能力を育ててきたかによる。というのは、松果腺が活性化している時には、それは「宇宙心」から直接な光線を受け取る。また、松果腺は通常、両眼がそれを凌駕して働いているために不活発である。しかし、「原初の目」を再び活性化するのは私たちの運命である。
前出の『Secret Doctrine』によると、霊性と霊魂の衰退は、身体上の進化と同時進行しており、それがゆえ、最初の人種の霊性と霊魂の感覚は、外的感覚の発達にともなって退行した。〔そのころ〕第三の目は活発に用いられ、はるかに大きな器官であった。つまり、人間の霊性的要素は、今日の極めて初期の知性と霊魂の要素以上に、優位に君臨していた。そうした推移をもって、人間の純粋に霊性的な特性の萎縮により、中央の「目」の萎縮を含むその生理学的働きが無くなる時点へと退化していった。しかし、松果腺はいまだにそこに存在し、そして、鍛錬しだいでは、再活性化も可能である。
ヘレナ・ブラヴァツキーは、次のような古代の解説を引用している。「雌雄一体で、ひとつの頭、三つ目のそうした初期の時代、人間は四腕だった。彼らは、自分の前も後も見ることができた」。そして彼女は、第三の目は当初、頭の後ろ側にあったことを採り上げる。この人間の両性具有の最後の時は「四腕」であったという表現は、おそらく、古代インドの通俗神のすべての表出や偶像――多くの腕をもって描かれている――の謎を解くものである。古代ギリシャのアクロポリス、アルゴスでは、「ゾウアノン」が報告されている。これは、粗雑にほられた木の彫像で、三つ目の巨像を代表するダイダロスにささげられ、そしてまた、これも三つ目のゼウス・トリポパスにささげられた。こうした神の頭には、顔に二つの目があり、その上の額にもう一つの目があった。西洋世界のすべての彫像のもっとも古い特徴は、第三の目が描かれていることであると考えられる。
初期の第三の目は、おそらく、現在の二つの目が形成される以前には機能しており、むしろそれが主体だった。興味深いことに、松果腺や両眼は、胎児脳の組織層――胎児学では広く知られた事実――から突き出ている。これは、一般的に、その器官や感覚器の進化を顕著に示唆している。生物学では、松果腺は、少なくとももっとも原始的な脊椎動物においては、最初の目の性格をもっていると認識されている。無脊椎動物や下等脊椎動物は、数億年にわたって、様々な種類の目を進化させてきた。一つの目を持つもっとも下等脊椎動物の一種は、ホヤの幼生である。魚類や両生類そして爬虫類にも、元始的第三の目の構造をもつものがある。鳥類でさえ、頭骨の内側に感光性の松果腺を持っている。いくつかの恐竜もまた、その頭骨の頂点にある穴から判断して、巨大な第三の目をもっていた可能性がある。後期哺乳動物や哺乳動物に似た恐竜も、こうした穴をもっているが、その第三の目は頭骨の下でやがて退化し、人間や高等脊椎動物に発見される松果腺となった。しかし、ヒツジは、いまだに強い光に直接に反応する松果腺をもっている。
その大きさや形状における人類の初期の違いは、天与の知性の助けが作用した身体特性上の一種の実験と言え、著しい身体的要素が人種の最大の違いをもたらした。初期の地球上の移動あるいは「渡り歩き」にあって、人類は、鉱物や、動植物生態の面で、低いものから高いものへと移動して行った。そうした初期の渡り歩きに際し、人間界は、〔宇宙の〕エーテル要素を媒介物として地球上に先に出来上がっていた植物や動物の基礎形態を採り入れた。こうした高等な人間による人種の反復発生は、動物にも見られるように一般的プロトタイプを創り出し、自らの特色に沿って、主たる単純な人間特性からしだいに分化し多様化していった。
生物学は、人間の胎児が、単一細胞から、さまざまの生物界に似た各成長段階をへることを明らかにしている。例えば、えら孔をもった魚類期があり、尾をもった爬虫類期があり、そして哺乳類期をもっている。まれなことだが、ある子供たちは、えら孔の残余や明らかな尾をもって生まれることがある。疑問とされるのは、なぜ、こうした異変が、いまでも出現しているのかということである。その答えは、そうした初期の進化の根元的記憶が私たちの原生原形質内に残され、遺伝子にも信号を与えているのではないかということである。研究によれば、人間は、所有しながら直接には使われない特殊なDNAをもっている。新しい形の生体石化が、人間の脳の松果腺につきとめられている。それは、長さ20ミクロン以下の小さな結晶からなっている。電子顕微鏡スキャンにより、数タイプの構造が発見されている。エネルギー分散分光器は、そうした結晶が、カルシウム、炭素そして酸素成分のみを含んでいることを示している。
〔上のホールスの目と視床の両者間の〕類似性は、神秘ではなく、正確さの現れである。現代の考えに立てば、古代エジプト人が人間の脳の知識をもっていたはずはなく、それは偶然以上のものではないと見られよう。だが私たちは、明らか過ぎるものには盲目となる。〔エジプト神話の神〕ホールスの目は、六つの部分に分けられ、それぞれは、臭覚、触覚、味覚、聴覚、視覚、思考の六感覚を表している。視床は脳の一部で、感覚を通じて入ってくるあらゆる信号を翻訳している。明らかな類似性が見られる。
メラトニンは、もっとも強力なホルモンのひとつで、松果腺がそれを制御する。松果腺は、脳内部の数部位から視神経を走る刺激により直接に信号を受けてメラトニンを分泌し、メラトニンは両眼の網膜内にも存在する。このホルモンは、日周期――睡眠・覚醒周期とも呼ばれる――に関係しているらしいが、科学者はまだ、その働きを充分には理解していない。メラトニンの分泌は、年齢によるが、ほとんどの人にとって、午後9時半から10時半の間に始まり、眠さを感じさせる。ほとんどの人は、メラトニンの分泌は午前1時ないし2時の間にピークに達し、真昼に最低へと落ちる。松果腺はまた、その生産、睡眠と運動活動、血圧、免疫システム、下垂体と甲状腺、細胞の成長、体温、そして他の重要な機能をつかさどっている。これらはすべて、均衡のとれたメラトニン周期によっている。メラトニンは、松果腺のみが生産し、ピノリンという同じトリプトファン基物質からなる。メラトニンは、弱い電気信号をDNAの二重らせんに送って、〔細胞核の〕間接核分裂を起こさせる。この電気信号は、8ヘルツの電子信号で、水素をはしご段に結合させたり、結び付けを開けたりできるほか、DNAを複製することができる。
しかし、神智学文献は、こうした生理学的機能に加え、この頭骨底部にある豆粒大の器官が、透視眼や直観といった活動の重要な精神生理学的な中心であるとしている。古代インドの文書は、松果腺をチャクラの活性化の元と述べている。光は脳の潜在力を全面的に活性化し、千年にわたって眠ってきた生得の不滅の力を顕現させる。松果腺は光に敏感なため、私たちの体はソーラーエネルギーを使え、身体的栄養素へと変換できる。太陽のエネルギーは、脳に力を与える源で、人間の眼は、太陽が人間の体内に入り、そこに留まりうる唯一の器官である。眼が太陽のエネルギーが人間の脳内に入る道である一方、太陽凝視という古代からのヒーリング法は、栄養素、ヒーリングそして霊性的啓蒙を私たちにもたらしてくれる。サンゲイジング(太陽凝視)は、古代エジプト、ギリシャ、マヤ、そしてアメリカ原住民族たちによって実行されていた。東洋では、チベットの僧侶のほか、ヨガ、気功、そして太極拳といった伝統技法でも使用されてきた。
近代においては、太陽凝視を、身体、精神、情緒そしてスピリチュアルな健康法であるとともに、長い間なんら食物をとることなく太陽エネルギーのみで命を維持することも可能としてきた。この修行は「太陽食い〔sun eating〕」と呼ばれている。さまざまな科学者や医師団の指示と監視のもとで行われた長期の厳密な断食が、脳の灰色細胞を再生し、松果腺の典型的な収縮ではなく拡大を確認している。太陽凝視は、太陽光の弱い、日の出後の1時間と日没前の1時間に限られる。もし、太陽凝視が、夜明けや夕方の時間以外に行われた場合、網膜に深刻なダメージを与えることとなる。
ひとたび身体がこうした霊性な力と効果的に結びついた時、光は食物となる。松果腺を刺激するために深呼吸をもちいるブリザリアン〔呼吸修行〕という考えは、それにより、大量の酸素と「プラナ」と呼ばれる生命の力を血流に取り入れようとするものである。酸素に満ちた血液は、松果腺を振動、共振させ、そのサイズを大きくさせる。
幻覚剤研究家のリック・ストラスマン博士は、そのベストセラー書、『DMT:The Sprit Molecule』 の中で、いかに松果腺が「セロトニン――脳内の重要な神経伝達物質――に関する成分の合成に極めて活発であるか」について説明している。神経伝達物質は、神経細胞間のコミュニケーションをつかさどる化学的伝達物である。LSD、メスカリン、プシロシビン、DMTといったもっとも典型的な幻覚剤が作用する脳の部位に、セロトニンも同じく作用する。マリファナもまた幻覚剤のひとつで、松果腺を活発化させ、第三の目の働きをたすけ、私たちの霊性的進化をより全的なものへと方向づける。さらに、こうしたドラッグのほとんどは、その化学構造がセロトニンと似ている。カナビスを食用にすることもまた、心眼の活性化に役立つ。
ストラスマン博士は、上述の物質のほとんどは、「トリプタミン」系のドラッグに属するといい、松果腺は、「人間の血液や脳脊髄液の中で発見された1つないし2つの内生的トリプタミンを産出し、脳脊髄液は常時脳を浸し、その中に発見される成分は脳の機能に影響する可能性が高い」と述べている。同博士はまた、瞑想状態、自発的瀕死体験、そして典型的な死や生まれ変わり、あるいは至上の幸福感を引き起こす現象に、そうした幻覚剤が松果腺をつうじていかに働いているかを説明している。
普遍的にみられる神の神秘像がみな白い光線を伴っていることは、心理的なレベルでは、松果腺における化学反応――きわめて光の影響を受けやすいことが知られている――によって発生する経験と説明されうる。光が二つの眼と一つの松果腺を通過するように、ひとつの三点構造をなし、多くの身体機能とともに意識の通常あるいは変換された状態を支配し統制している。こうした三要素はまた、神秘状態や「幻覚的」経験に、直接に関連あるいはそれを意味している。白い光線の画像は、神秘主義や幻覚経験に関連しているばかりでなく、臨死体験者による記録に共通したイメージとも関連している。ストラスマン博士によると、臨死体験に頻出するそうしたシーンが描かれる理由は、死後、松果腺が機能を停止した時、その中に存在する化学物質の幾種かが「幻覚剤」〔すなわち「開眼剤」〕に変化するからである。
さらに話をすすめれば、松果腺は、死に際し重用な役割を果たすばかりでなく、誕生、あるいは、おそらく生まれ変わりの際にでもそうである、とストラスマン博士は言う。松果腺は、人間の胎児の男女区別が明白になるのと同じころ、最初に形を表す。これらのことが生じるのは49日の間で、この期間は、仏典によると、逝去した人の生命の力が次の現実存在に再結合する時間と同じである。
松果腺は、胎児内で最初に発見される分泌腺であり、わずか一ヵ月ほどの発達で明瞭となる。誰もが幼児の時、私たちは第三の目をもって生まれてきており、宇宙の力と偉大さを目撃するために見開かれている。銀河系の永劫性を原子下レベルの観点で見ると、私たちは生命を、その知恵と恩恵の偉大さに感謝をも含めて見ることができる。しかし、私たちが成長するにともない、両親、教師、管理者、同僚、メディア等々、私たちの第三の目を覆う幾層もの幻想と混迷によって限定され、ついには、私たちの第三の目は閉ざされ、その視野は闇と化し、私たちの神秘の視界がもたらしたであろう世界の不思議や知恵に無知とさせてしまう。このように、生命の力が松果腺を経る時、その意味が出現し、トリプタミンが分泌され、臨死や再生にかかわる視覚体験を介在させるのである。
1970年代と1980年代、広範な医学的研究が、松果腺の化学的特性についての進んだ科学的理解を明白にした。一般的に言って、松果腺はきわめて活発な器官で、腎臓に次いで、身体内で二番目に高い血流を得ているが、その体積は下垂体と同じである。松果腺には、腎臓――血液を浄化する第一のフィルターの働きをする――に次いで、身体内で得られうる最高質の血液、酸素、そして諸栄養素が供給されている。松果腺は、全身体のうちでリンをもっとも多く吸収し、ヨウ素を甲状腺に次いで二番目に多く吸収している。脳の他の部位のうちのどこも、それほど多くのセロトニンを含んでおらず、メラトニンの生産を可能としている。解剖学的な特色は、脳の中で、同等な他の器官のなかでは唯一、対を持たない中心軸上の器官で、脳梁による影響を受けていない。脳のまさに中心に位置し、松果腺は、血液脳関門〔訳注〕の範囲外で、理論上は脳の一部でさえない。
〔訳注〕 脳の血管を構成する細胞間のたいへん密接した結合のことで、極めて小さな分子のみがその間隙を通り血液から脳へと直接に通過できる。
松果腺は自律神経によって神経支配されている。それは個体の生涯にわたって、大きさや形態や内部構造における、きわめて多様な変化を示す。松果腺と下垂体との間には、重要な機能的結合――双方の活動は相反的な傾向がある――がある模様で、松果腺は下垂体に関しては抑圧的である。脳内のLSD量を計ると、そのほとんどが松果腺と下垂体、第二に海馬、扁桃核、脳弓といった辺縁系、第三に視床下部に集まっている。
松果腺はメラトニンを生産し分泌し、おそらく、ノルエピネフリン――交感神経節後から放出される神経伝達物質――に反応して他のホルモンも生産、分泌している。このように、松果腺は、副腎中心部のように、神経性内分泌の変換器官である。ノルエピネフリンが放出される度合いは、光が網膜の感光体を活性化させた時に低下し、交感神経が刺激された時――たとえば低血糖や強いストレスの時――に上昇する。
松果腺は、一対の酵素ヒドロキシンドール――セロトニンを数種の幻覚誘発作用をもつ酵素に変えることができるOメチル変換酵素(HIOMT)とインドールNメチル変換酵素(INMT)――を含んでいる。もし松果腺のセレトニンの含有を増加させ、通常の酵素反応を妨害すると、HIOMTとかINMT(メチル類を一つの化合物から他の化合物に変換する触媒であるメチル変換酵素)といった他の松果腺の酵素の作用をうける基質となる。そうして、セレトニンは、こうした酵素によって、たとえば、5メチル基NとかNジメチル・トリパタミン――DMTと同じような幻覚誘発物質(アマゾン原住民がBanisteriopsisビールに混ぜるcawa に含まれる)――へ変換される。
通常、セレトニンはミトコンドリア酵素のモノアミン酸化酵素(MAO)――セレトニンを不活性な代謝物質に変える――によって不活性化される。 MAOは主要な酵素で、セレトニン、ドーパミン、エピネフェリン、ノルエピネフリンを分解したり不活性にする。したがって、MAOを妨害する酵素はいずれも、セレトニンのレベルを上げるように働き、松果腺が自己発生的な幻覚誘発剤を生産するようにうながす。ハーマラ・アルカロイドは、セレトニン拮抗物質、CNS〔中枢神経〕刺激剤、幻覚誘発剤そして極めての効力ある短期MAO抑制剤である。
松果腺は、磁鉄鉱を含んでおり、自ら磁界を発生させていることが知られている。この磁界は、地球の磁界と相互に影響し合っている。日の出時の太陽風は地球の磁界を帯電させ、かつ松果腺を興奮させる。こうした影響は、午前4時から6時までの間が最大で、これが太陽凝視――「太陽食い」とも呼ばれる――には日の出時が最適である理由である。こうした時間には、松果腺は下垂体を興奮させ、成長ホルモンを分泌させる。これが、多くの太陽凝視の実行者に、爪や髪の毛の伸びの良いこと、髪の毛の色の回復、食事を抑える能力そして広く若返り現象が報告されている理由である。
完全に活性化すると、松果腺は一種の降圧変圧器となり、私たちの光体〔訳注〕の極めて高速の電磁運動を、振動――私たちの臓器脳が心的イメージで解釈できる――へ変換する。松果腺は、内省的な視覚器官である。それは自身を内向きのあらゆる方向から見、その受容器をコーティングした炭化カルシウム結晶のプリズムを通して、「光体」が「光言語」へと作り変えられた内的光の心的イメージをとらえる。
〔訳注〕 「光体」とは、著者による造語で、固体、液体、気体につぐ状態の物体の次元のこと。
マルセロ・ヨセフ・ボーゲル博士は、数々の実験をとおして、結晶の成長は人間の思考波のパターンによって変化しうる――人間はパターンにたって考えるため――ことを示した。彼はまた、結晶の成長は、生き方の愛の状態によっても変化することを示した。こうした実験結果 は、江本勝博士による人間感情が水の分子構造に関係しているとの研究とも呼応している。私たちの考えのパターンは、エネルギーとして伝搬し、既知の特定の周波数をもっている。恐れに満たされた思考パターンは低い周波をもち、他方、愛に満たされた思考パターンは高い周波をもって伝搬する。
思考波は特定の周波数でエネルギーを伴って伝搬するため、それは、松果腺内にある微小結晶のような結晶体によって捕えられ、貯蔵され、送信されうる。さらには、結晶は記憶することが証明されている。したがって、結晶がコンピューターのソフトウェアプログラムを保存するために用いられるように、それは思考のパターンを保存するためにも使いうる。この意味で、恐れたあるいは愛を持った思考のパターンの慣習は、私たちの脳の「ハードウェア」内に保存され、そうしたパターンが繰り返されるよう方向付けられる。したがって、恐れた思考パターンの経歴は、恐れをもって生きる慣習をつくり、他方、愛をもった思考パターンの経歴は、愛を持って生きる慣習をつくる。
私たちの松果腺は、したがって、一種の「人格の関門」として働き、それを介して、私たちの多次元な自己は自然の地球へと帰一してゆくことができる。それはまた、私たちの各々が、自分自身の限りない自然へと帰ってゆく「関門」でもある。そういう松果腺という関門は、方解石の微小結晶を含んだ一種の「光の液体」で構成されている。一個の結晶は固体であり、その中に、原子、分子、イオンが秩序をもって配置されており、同じパターンが繰返されている。
私たちの松果腺の微小結晶は、昔の鉱石ラジオ〔の鉱物結晶〕と同様な働きをする。すなわち、松果腺通じて受信される周波数のほとんどは、人間が受信しえる範囲外のもので、それらは、色や音として受信される。そのため、私たちが高度な次元より受信するメッセージの多くは、色合いとか音調である。将来の医学や自然療法は、色、音、周波数、そして振動に関連するものと予想される。繰り返しとなるが、もし私たちの思考パターンが恐れによるものであるなら、それは低い周波を持ち、私たちの松果腺を光の低い周波数に合わせるものとなる。他方、私たちの思考が愛の周波数に同調するものならば、私たちは自分の松果腺の関門を高い周波数に合わせることとなる。私たちが自分の思考をめぐる達成をえた時、私たちの松果腺関門は、愛の思考の高い周波数におのずから合わせてゆくこととなる。そして、私たちは、こうした光と音のメッセージを新たな「光言語」へと翻訳できるようになる。
人は最初に松果腺関門を開いた際、主として聴覚メッセージを受け取るとの研究がある。もし、欲望とはこうしたメッセージを光言語に変換することであるなら、音の周波数を40オクターブ〔つまり80倍に〕上げる必要がある。人〔の人格〕が拡大される時、その人が自らの霊性に従うようになるとの覚醒をえて完成する。これを説明する際には、アインシュタインのE=mc2の定理のようにあらゆるエネルギーは光速に規定されているため、二つの周波数が出会った際、高い方の周波数が低い方の周波数を共振させて高めるという現象が、それの助けとなる。そうして、私たちが霊性的自分に服従する時、宇宙の光と無条件の愛が私たちの松果腺関門を通過し、そのエネルギーは私たちの脳波、意識、情緒、思考パターンそして受容を、共振によって高める。よって、私たちの霊性に降伏することによって、私たちは自分の意識を、光言語の高いオクターブを受け入れるに充分なほどに高めることができる。事実、この「光言語」を一度取り入れると、通常、人はその松果腺関門を充分に開放し活性化できる。これこそ、仏陀によって語られた悟りの瞬間であろう。
光言語を受け入れる人格関門の力に関連して重要なことは、私たちの松果腺の微小結晶が圧電現象の特性をもっていることである。圧電は、結晶や、特定の磁器、骨、DNA、そしていろいろなタンパク質といった特定の固体物質内に蓄積された電荷である。この特性のゆえ、特定の結晶が、圧力計、発振器、共振器、そして波動安定器に用いられる。結晶はまた、光の両極性の平面を、紫外線といった高い周波数へと回転させる能力をもつ。紫外線は、三次元世界の光のスペクトラムのなかで、最も高い周波数をもつ。したがって、紫外線はより高い次元へと入ってゆく関門の役を果たしている。
科学者は、理論上、携帯電話のグローバル・システム(GSM)波が、微小結晶をつうじて松果腺組織膜を新たなエネルギー変換メカニズムにさせていると説明している。GSMは、同一チャンネル上で同時に8つの通話を可能とするデジタル技術である。ということは、私たちの松果腺関門も、現在の段階でも多重のメッセージを受けうる可能性を物語っている。実際、私たちの松果腺は、私たちの関心を、睡眠の内部世界とか瞑想とか外的な物質世界にあつめるよう支配している。この多様なメッセージを受け取る能力は、私たちが物的生活をの関係を維持しながら、同時に、内的自己に傾倒する助けになりうる。
私たちの大脳は、この地球という容器に電磁的共鳴力の中心があるように、私たち個人の「眠れる巨人」である。松果腺はその実際の接点であり、神経・分泌腺間の変換器として働き、その多次元な情報を下垂体に伝えている。そして各下垂体は、そうした情報を受け取る逆の接点として働き、それを大脳の全体へと送り届ける。次に、大脳皮質は、電磁的周波数を電流に変換するように出来ている脳細胞への情報の様々な周波数を集める。こうした電流は、私たちの思考や行動や習性を支配し、そして私たちの意図とか行動を介して、私たちの現実へと反映される。
別の角度から見ると、松果腺は、私たちだれもが所有している生物的超伝導共鳴器であるとも考えられる。研究家のアナンダ・ボスマンは、松果腺はDNAをハドロン〔素粒子のひとつ〕の環状面を通じたホログラフィック投影の多次元的変換器とすなる可能性をもっていると説き、人を若がえらせる助けとなると示唆している。人間の脳に少量のみ自然に生産されるDMTという物質は、松果腺で作られているとの仮説がある。このDMTはT-RNAメッセンジャーに作用し、DNAや私たちの身体や臓器の再生産のためのタンパク質を合成する。
1972年導師サトヤナンダはこう観察している。
全ての霊的システムは、その身体構造をその体内にもっている・・・。アジュナ・チャクラ――その身体的対応物は松果腺――に関し、その正確な機能について、長く医師や科学者を当惑させてきた・・・。ヨガ修行者――微妙な心理の科学者――はつねにテレパシーについて、思考や交信や透聴などの霊性的力である「シディー」として語ってきた。そうしたシディーの媒体がアジュナ・チャクラで、その身体的拠点が脳と結ばれている松果腺である。偉大なヨガ修行者は、松果腺は全宇宙の思考や霊性的現象を伝番する微細な振動の発信器であり受信器であると述べてきた。
人間の松果腺は、神経ホルモンのメラトニン――もっとも有力なアンチオキシダントのひとつ――を産出するだけでなく、もっとも革命的なピノリン(6-methoxy-tetra-dydro-betaまたは6-MeO-THBC)である。ピノリンはDNAの複製を導くメラトニンより優れている。ピノリンは超伝導物質を体内に生産することができる。ピノリンは、命のパルス――毎秒8サイクルでDNAが複製に使用する――と共鳴して、老化細胞の分裂を抑える。この8ヘルツの周期の共振は、1970年代末のアンドリア・プハリヒにより、ヒーリング実施者に計測され、以来、でイオンの師たちに知られている。
松果腺は、前述のように、見かけは松かさのようで、そのイメージは超感覚的知覚をもつ驚くべき臓器として世界中で取り上げられてきた。既述のごとく、何でも見える眼との視覚慣習は古代エジプトの象徴であるホールスの目までさかのぼり、ごく最近では、アメリカの1ドル札の裏面にも見られる。ホールスの目はまた、エジプトの太陽神、ラーの目としても知られている。ヒンズーの伝統では、松果腺は超感覚的第三の目――その世界認識はなんら身体の目に限られていない――と結びついている。ヒンズーの神シバと多くの他の神は、額に第三の目をもって描かれている。その松果腺はチャクラの頂点に連結されており、また、千の花弁のハスとも呼ばれ、他から私たちの意識にエネルギーを移したり取り入れたりする。
道教や多くの中国宗教では、「チャン〔chan〕」のように、「第三の目の修行」は、いろいろな気功の構えにおいて、目を閉じて両眉の間に神経を集中して行われる。こうした修行のねらいは、業者に宇宙の正しい振動に応答する能力を与え、いっそう高い瞑想への基礎作りとすることである。理論上では、第三の目は二つの目の真ん中に位置し、それが開かれた時には、額の中央へと広がる。
古来の慣習が何世紀にわたって取り上げられ実践されていることを、近代の科学が確認するのを見るのは素晴らしいことである。松果腺は、歴史的に、「思考の流れを支配する括約筋」、「霊性の座」として見られ、近年では、「神経性内分泌変換器官」と描写され、今日では、当初に信じられたよりいっそう複雑な生理学的機能を持っていることが確認され、さらに、病理学的過程においてかつて可能とみられたよりさらに広範囲な意味が解明されるだろうことが予想されている。加えて、松果腺に発見される様々な神経伝達物質や生物質の機能の理解に向けた探究が目ざされている。こうした探究の結果は、松果腺にとって第四の多機能面での重要性をもたらすであろう。それは、哺乳動物の「様々の生殖に関する諸事の一時的措置」、幾種かの変温動物の「周期的体温調節過程」、あるいは両生動物の「夜間の退色反応」ばかりでなく、人間を襲う発作、睡眠障害、異常行動といった分野へ、著しい諸変化をもたらすであろう。
かつて師匠たちが永年にわたって維持したように、松果腺が電磁エネルギー、より厳密には地球の自然の磁界に感応するとの考えは、いまや科学者が確認していることである。地球の磁界の巨大な変化は、松果腺の覚醒の効果をもつとともに、集団レベルに高度に働くうえに、他方、全体を閉鎖させてしまうという逆の働きもする。松果腺付近の磁鉄鉱の集まりの最近の発見は、ハトの帰巣本能のように、それが人間に地磁気による方向感覚という残余能力を与えている可能性がある。しかし、この能力はおそらく、松果腺の機能の退化とともに失われているだろう。グラハム・ブラックウェル博士は、人間の松果腺が多数の方解石の微小結晶を含むことの発見は、人間の内耳に方解石結晶が発見されたことに「驚くべき類似性を与えている」と言う。その内耳での発見は、圧電現象の特性を与えている。もし、松果腺でのそうした発見がまたこうした特性をもっているなら、それは外部の磁界は直接に脳に影響を与えるかもしれないとの意味をもつ。松果腺の上での方解石の微小結晶は、電子顕微鏡によるスキャンで観測されている。整形外科と電気生理学の研究者、ロバート・O・ベッカーはこう述べている。
この仕事に鑑みて、10ヘルツが脳波計の支配的(アルファー)周波数であるとの事実は、すべての動物において、あらゆる生物はDCシステムを通じ地球に磁気的に結び付けられているということの新たで重要な証拠となる。
インドの生物物理学者サラダ・スブラハームマンヤムの率いる調査グループは、人間の脳波は〔地球磁場の〕超短脈動に反応しているばかりでなく、その対象の頭が地球の場に関連してどの方向に面しているかによっても異なって反応している、と報告している。しかし、奇妙なことに、その頭の方向は、もし対象がヨガ修行者であった場合は、変化はない。その研究は以下のように報告している。
その関係は、松果腺に関する最近の研究によって、明確に証明されている。頭蓋骨の中心にあるこの小さな器官は、神秘家の第三の目とあいまいに定義される以上のものとなった。それは、メラトニンとセレトニン、他の役割とともに、すべての生物サイクルを直接に支配する二つの神経ホルモンを産出する。ヤツメウナギは、すべての脊椎動物の祖先に似て、ある種のトカゲのように、頭の表面近くに実際の第三の目をもっており、他の脊椎動物にみられる「盲目化した〉松果腺と違って、直接に光に反応する。著名な英国の解剖学者J・Z・ヤングは、最近、この器官はこうした動物におこる皮膚の色の日内変化を支配している。
あなたの脳の中の松果腺は、異なった磁気作用のレベルが発する色を見ることができる。地球上のどこにも、違った磁界がある。そこで、この器官は、異なった色やパターンを認識することで、こうした磁気的作用をつうじて信号を受け取ることができる。これは、あなたの脳が体外からいかにして信号を受け取るかというメカニズムを示した最初の科学的実験である。長い間、動物が磁気信号を認識することは知られてきた。サメは水の磁気的変動を感知することができる。群れをなす魚も同様である。そうした魚は、他の魚が動くと、同時にそれに合わせてその群れも動く。鳥も、磁界を指針として、はるかに遠い距離を戻ってくることが知られている。生物学が私たちに示すところでは、生命は同じように磁界を感じることができる。そうであるなら、どうして人間はこうした能力をもっていないのだろうか。
もっとも重要な点は、極めて小さな磁界が松果腺に働くことである。いくつかの研究者のグループが、二分の一ガウスかそれ以下の磁界を、地球の自然の磁界に加えるか、差し引くかの方向に与えて、松果腺のメラトニンとセレトニンの産生を増加あるいは減少させることを証明した。他のグループは、そうした磁界に反応して、松果腺の細胞の物理的変化を観測している。その実験は、照明を調節したものである。というのは、多くの脊椎動物においては、松果腺は頭の中深くに位置していながら、私たちの知る限りでは、光には直接に反応できないのに、頭の上で輝く光が同器官のホルモン産出をいくらか変化することが何年間にわたって知られてきたからである。
顕微鏡の出現は、私たちに限りなく小さなものを客観的に受け止めることを可能にした。他方、望遠鏡は、私たちに無限に遠くのものを見ることを可能とした。もし、松果腺が私たちにすべてのことの「超レベル」を見ることを可能とするなら、私たちは、東洋のヨガ修行を研究すべきであり、さらに、その素晴らしい器官の開発を追求すべきである。インドのヨガ修行者は、松果腺の超機能を開発する鍛錬をおこなっている。その高みに到達する時、人は、多大な努力をすることなく、その超レベルの段階を受け取ることができる。
人間が入手可能なエーテル・エネルギーの最も力強く高度な源として、松果腺は、千里眼とか霊気を得ることなど、霊性的力を起こす上で、つねにもっとも崇められてきた。第三の目を活性化し、より高い次元を得るためには、松果腺や下垂体は調和して振動しなくてはならず、既述のように、それは、瞑想、対話、あるいは太陽凝視の実践を通じてえられる。松果腺は、活性化すると、エネルギー体内部とより高い平面との間の連絡回路となる。そこでチャクラの頂点は、大脳が松果腺に触れている脳内部に到達する。純粋なエネルギーであるプラナは、脳のこのエネルギー・センター通じて得られる。充分な鍛練をつむと、宇宙体の振動レベルが得られ、それは身体から離脱する。
個人の人格と霊性との結合に、下垂体を通じてえられる正しい関係が出来上がると、松果腺を通じた意識が開かれ、磁界が作り上げられる。正と負の力が相互作用し、それが充分に強くなると、「頭の中に光」が作りだされる。頭の中のこの光が作動すると、宇宙の投光者はみずから光を携えつつ身体から退くが、常に、「銀の索」を身体の中に残してゆく。神聖な音のひびきは、自分自身への執着といった望まれない振動の打消しをたすけ、私たちは地球の集合的意識をその松果腺に呼びこむことができる。人がその次に感じることは、完全な一体感で、何ものからもの隔たり感もない。その体験へ入ってゆける。
霊性的活動は、松果腺への刺激をもたらす。ひとは、祈りを唱えたり、詠唱したり、経文を繰り返したり、特別の瞑想をすることで、意図的に小胞モノアミントランスポーター(VMAT2)あるいは「神の遺伝子」を活性化することができる。科学者は、霊性的人たちが覚醒される特定の遺伝子を捉えてきたが、何が原因となってある人たちにおいてはVMAT2がDNA遺伝子を活性化し、別の人たちにはそうでないのかについては不明である。大きな集団においての霊性的活動は、VMAT2をいっそう活性化する。そうした霊性的技法が強まれば強まるほど、VMAT2や他の霊性的エネルギーの活性化は強まる。
私たちはだれも、音といった高エネルギーな振動がグラスを壊すことを知っている。音はまた、人の身体に影響をおよぼす電磁エネルギーをおこす。会話や音楽演奏や車の走行、そして通常の室外の音といった人によって起こされるほとんどの音の振動は、VMAT2を活性化しているとは考えられない。しかし、祈りの繰り返しや経文の詠唱が、修行者のVMAT2やDNA中の霊性的エネルギーを活性化する。特定の音や周波数もまた、松果腺内の霊性活性化物質の産生を、薬品の使用なしに、刺激する。松果腺の高い活動をもつ人々は、そうでない人々より、より明らかに夢を思い出すようであり、幻影を見たりや大規模に超自然な行動を報告している。太陽の波動、ことに夜明けや夕方の太陽凝視の際にも、セロトニン、ベータ・エンドロフィンあるいはドーパミンといった「気持ちを良くする」ホルモンの分泌をもたらす。その内分泌線は、太陽凝視の際、他のホルモンを分泌することも知られており、そうしたホルモンは、高いエネルギーをもたらすばかりでなく、長生やサマディーの経験あるいは高い意識をもつくりだす。日の出の時、マイナス電荷された松果腺とプラスに電荷された下垂体の両要素が結び付き、瞑想中に「頭の中の光」を創り出す。この光は、神秘家や、秘伝授受者、預言者そして祈祷者によって、各時代にわたって目撃されてきている。彼らはそれを、神、あるいは普遍的知性の体験と呼んでいる。
松果腺のそうした「開眼」を有効に用いたいとのぞむ人には、以下の諸点がその出発点のガイドラインになる。第一に、松果腺について、それが位置すべき場所を感じるよう瞑想することから出発しよう。静かに座し、この器官を脳の両半分の間に見る。それを白色に輝く光の中で成長するのを描き、自分の脳の中心にうずく感じをこころみる。東洋の伝統のクンダリーニ〔ヨガやタントラ教で脊柱の最下部にヘビのようにとぐろを巻いて存在する潜在的エネルギー〕を高める者と同じように、瞑想、太陽凝視、あるいはチャクラ高揚の際中に、「オムー」という音を柔らかく唱えで音声化することをお勧めする。それはまた、両耳で鼓動を聴いたり、最適の等時的音調――松果腺に同化し活性化しうる――を聴く助けとなる。これを毎日、30分ないしそれ以上行う。太陽凝視の古代技法の多くの主唱者が説くところでは、一般的な病気の癒し効果があるばかりでなく、発達したテレパシーや食事を完全に抜いた旅立ちといった超人間能力を得る。太陽凝視の熟達者によると、身体を維持するために実際に必要なのは食物ではなくエネルギーで、「太陽食い」はそのエネルギーを摂取することである。
毎日の生活のなかで松果腺を強めるために、フッ素を含んだすべての水や製品を避けよう。塩化フッ素が、水道水、フッ化練り歯磨き、非有機栽培の果物や野菜、フィルターを通さないシャワー、あらゆるソーダ飲料水、合成あるいは加工食品、そして赤身肉に入っていることは衆知の事実である。それに代わり、ミネラル水、蒸留水、あるいは逆浸透浄化水だけを飲もう。シャワー・フィルターを購入し、また大きな食品市場に行き、有機栽培の果物、野菜、そしてフッ素抜きの歯磨きを入手しよう。
松果腺の機能を高めるために、食品のなかに、解毒剤、刺激剤、そしてサプリメントを加えることも可能である。よく調べた上で以下の製品を購入し使ってみよう。クロレラ・スピルアリナ、藍藻、コエンドロ、ヨード、ビタミンC、ナイアシン、朝鮮人参、ホウ砂、shilajit、D3、mucuna、シスチン、calcium benzonite clay、葉緑素、blue skate liver oil、ゼオライト、そして単原子元素(ORMES)。松果腺機能に最適の食物は、生カカオ、gojiの実、スイカ、バナナ、蜂蜜、ココナッツ油、アサの種、海藻、ノニジュースなどである。シバムギのジュースは驚くべきエネルギー生成食品で、体はこれを化合太陽光のごとくに扱う。
自然のエンセオジェン索を奨励する研究家も存在するが、これは明らかに万人向けではなく、多くの国ではその使用は違法である。自然のエンセオジェンには、ayahuasca、サイロシビンきのこ、ペイヨーテ、changa、大麻、サルビア、DMT、その他の物質がある。
そして最後に忘れてはならないものに、いくつかの結晶がある。アメジスト、モルドウ石、水晶、herkimer diamond その他は、誰にも向いている。瞑想中に結晶を手にもっているだけで、松果腺を刺激し活性化することをたすける。
私たちが今日経験していることは、旧世界秩序――人々と地球資源を長きにわたって支配してきた人工システム――の死ではあるが、地球や人間精神の死ではない。それは、信条や無知による偏見の死であり、長く生き延びてきた腐敗した社会構造の死である。この変化はまた、脳の松果腺の変革的「覚醒」と関係しており、デービッド・ウィルコックが述べているように、「根源域」との私たちの中核的結合として現れつつある。人類はこれまで地球上に現れたことのない、最大の可能性をもつ変換点に差し掛かっている。すなわち、私たちは、自らの運命を、真に多次元的な人種へと向かわせるのか、それとも、古い道に捕らわれ続けるのか。私たちの松果腺を開眼させることは、高い次元への関門を開くことである。しかし、情報の流れを支配する者たちは、それを知ろうとはしていない。というのは、私たちがその幻想を見破った時、彼らはそれを無視しようとする。同じように、彼らは私たちの病的状態から利益をえており、次章では、それを検証してゆきたい。
with permission, (c) Brad Olsen, 2015
松果腺の光変換能力がゆえに、多くの人がそれを「第三の目」と呼ぶ。松果腺は小脳の前に見られ、「生命の木」の役割を果たしている。私たちが第三の目について考える時、いくつかの事が念頭にうかぶ。そのあるものは、イグアナあるいはニュージーランドのムカシトカゲで、それにはいまだに働いている第三の目あるいは松果腺がある。今日の科学的証拠は、この器官には第一の目の特性がある――ことに脊椎動物や人類に――ことを証明している。しかし、いまだに多くのミステリーがあり、松果腺の正確な機能は、科学的に未解明である。顕微鏡による観察は、網膜に見られる棒状の感光細胞の際立った特徴をもつ細胞で形成されていることを明らかにしている。これは、もともとの働きとして、視覚の器官であったことを示唆している。
爬虫類脳は、脳の内のもっとも古代の部分である。それは新皮質のように二つの半球をもち、新皮質の右と左の半球に、それぞれ関係しているい。爬虫類脳は、脊髄の上部と神経節基部、間脳、中脳の一部から成っている。爬虫類脳のこうしたすべての部分は、私たちの頭の中のこぶのように、脊柱の最上部に位置している。松果腺は知性と肉体の間を結合する場にある。
【本章 完】
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t11760.html
http://psychedelicadventure.blogspot.com/2009/08/cannabis-pineal-gland-turn-
on-third-eye.html
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Modern Esoteric: Beyond Our Senses, by Brad Olsen
http://cccpublishing.com/ModernEsoteric www.bradolsen.com
with permission, (c) Brad Olsen, 2015