本講座の第一回で、移動と固定にまつわる様々な二元論をあげ、様々な移動に伴う様々な両眼視野が世界認識の有力な方法となった体験を述べました。続く第二回では、「動か、不動か」という分岐を通じて、「移動」と「自由」という二つの姿勢が、同義とは言わなくとも、類義ではあることを発見しました。そして、共に同じ想念を志していながら、「移動」ではその実現方法上の、「自由」ではその概念上の選択に、それぞれが焦点を当てたものであることを見てきました。

そこで今回では、そうした移動体験主の立場自体を対象とし、その「自明性」そのものに移動を与えてみたらどうか、そうした想定に取組んでみたいと思います。 詳細記事

前回の本講座で、その「第三世紀」へのイントロして、移動と固定にまつわる様々な二元論をあげました。

この「動か、不動か」という分かれ目には、そう認識するしないに拘わらず、誰もが逃れようもなく関与することとなる、人の生き方の根本的な特徴を決定付けるものがあると思われます。

私も二十代前半、当時「世界無銭旅行」――今でいう「バックパッカー」旅行のはしり――と呼ばれていた若者世代間での一種の共通の憧れにさらされて、その分岐点に立たずんでいました。 詳細記事

これまで、この「両生学講座」は、第一期第二期第三期第四期、そして 《老いへの一歩》シリーズというように、合わせて5期にわたる発展をとげてきました。

この5期の変化には、2005年9月から2013年10月までの8年間の歳月を要しました。年齢で言えば、59歳から67歳までの8年間ということとなります。言うなれば、還暦を節目とした、「二周目人生」の初の産物です。

ただこうした産物を、単にそれを時期順に羅列するだけでは、その発展の内実をあまりよくはつかめません。

そこでこうした発展を、大ぐくりに分けてみますと、第一期は地理的「両生」、第二期から《老いへの一歩》まではそれに観念や想像を加えたメタ「両生」だったと言うことができます。

つまり、そうしたホップ、ステップをへて、それがジャンプとなるかどうかは未知数ですが、これから、第3歩目へと入ってゆこうとしているわけです。そこで題して、「新海域への船出」です。 詳細記事