ここのところ私は、世界が本気で、これまでとは次元を異にする、とんでもない「何か」に変わってきているなとの感を強めています。
何やら怪物めいたもののようにも見えるその「何か」が何か、もやもやとは想念できるものの、明確にはつかみきれないでいました。
それが先日、通勤途上の電車の中で、『週刊金曜日』——日本より取り寄せて購読しています——の8月22日1004号掲載の記事、廣瀬純著「自由と想像のためのレッスン:アベノミクスと叛乱(1)」を読んで、そのもやもやの雲が一気に晴れる思いをえました。
というのは、最近、目にとまる社会科学系のどの文章を読んでも、胸のすくような見解に接することはほとんどなかったのですが、これは久々の痛快打です。
私の視界をクリアーにさせてくれたこの論評の要点は、今日、いかにも露骨に貧者から富者へとの富の移動が起こっている当世界は、かっての「産業資本主義時代」がもはや「終焉」したがゆえにのものだ、とするものでした。つまり、世界の資本主義は、かってのバージョンの限界に到達し、いまや、なりふりすらも捨て去って、いっそう醜悪露骨な収奪型のそれへと変貌したというものです。
確かに、私——1946年生——の世代が現役中に体験した際の資本主義は、たとえば、私がオーストラリアに留学して学んだ「労使関係学」にしても、日本の「終身雇用制」や「年功序列賃金」にしても、すべてそれの特徴である、「産業資本主義時代」と呼ばれるバージョンについてのものでありました。
また、かってはそれなりに“正義の味方”であった労働組合が、いまや、あこぎな特権固守勢力に変わり果てているのも、この「産業資本主義」というものがもはやその役目を終わらされ、その中で担っていた一応の使命を喪失してしまったからと解釈できます。
さらには、私は長くオーストラリアに居住しているのですが、このところ私の周囲に、学校を卒業以来、フリーターしか体験できずに三十をこえ、将来に何の展望も見いだせない自らの境遇をさとり、もしやの希望を託すようにして当地に渡ってきた日本の若者たちの痛々しいような姿を、幾人も目撃してきています。それはあたかも、日本という社会が、そのようにも“自国人材放出”を平気で行っているという現実そのものの図です。
ただ、こうした社会は日本ばかりにとどまらず、ヨーロッパもアメリカも同様で、世界の先進国中、もはやただ一国、かろうじてながらいまだに「ラッキー・カントリー」である——それもいよいよ大詰めにきている——オーストラリアが、そうした未来を奪われた世界の若者たちの、せめてもの漂流目的地となっているかの感があります。
こうした現実諸相は、かって、それなりに過酷であった資本主義社会でありながらも、富の再配分を通じた一応の社会保障制度を備えた国家機能が、今日、かなぐり捨てられつつあることを物語っています。しかも、そうでありながらその実相は隠蔽され、あたかも過去の国家機能が今でも存在しているかのように装われ、いずれの国家も、国民には幻想を与えつつ、その実相は、貧者はより貧しく富者はより富裕となる、富の逆再配分、あるいは、貧者放棄政策を実施していることに外なりません。
というのも、かっては国を代表し国に依拠した産業資本は、いまやグローバル資本となって世界にはばたき、特定国家の存続は必ずしもその必要条件ではなくなっているからです。したがって、一国の下層民までもの最低生活を保障してその購買力の創生を図らなくとも、安い労働力も広大な市場も、グローバルにはまだまだ無数に存在しているからです。
以上、やや長い前置きとなりましたが、私はこのような認識——やや遅きに失した感を認めつつ——に立って、以下、この「越界-両生学・あらまし編」、ことにこの第二回にのぞんでゆきたいと思います。題して、「クライメイト・チェンジ」ならぬ「キャピタリズム・チェンジに備えて」です。
すぎ去った時代を思い起こせば、私の父の世代は、戦争から生還後、敗戦・焦土よりの復興を端緒に、こうした「産業資本主義」の日本版の創生期に生き、そして私の世代は、その成長から成熟期に生存したと言えるでしょう。
こうして、私たち団塊世代が過ごしてきた社会は、産業資本主義の繁栄の一部を労働者階級にも分与し、彼らやその家族をそのおびただしい数量の生産物の購買者としてその分け前分を消費させ、その結果、膨大な利益として産業資本家に再吸収されるシステムでした。
1970年代始め、そうして蔓延しはじめた「オール中流意識」の真っ只中の社会に出た私は、なぜかそこに違和感を見出してその表層から脱落、それこそ今でいう「フリーター」となる自らを選びつつ、これという特権も特技もない一労働者の割には、一面、時代を一歩先取りしたかの、“アウトサイダー”風人生を送ってきました。
ただ、そうした日本社会の片隅では、産業資本主義社会の矛盾の“調整装置”ともいうべき労働組合運動がなんとかうごめいており、私は、曲がりなりにも社会の富の労使間分配交渉にかかわる「労使関係」という一角に働く機会をえたわけでした。
そして、ひとつの大仕事の解決を期に、労使問題を国際的な視野で学ぼうと、オーストラリアにやってきました。ちょうど30年前の10月末のことです。
この30年間といえば、敗戦時からの期間を加えればほぼ70年となります。
つまりこの70年は、父と私の両時代を支配した資本主義がひとつのバージョンを全うするに十分な長さだったと思われます。そうした一資本主義の生命サイクルの終焉を、私たちはいま、目撃しているのだと思います。まさに、歴史的ターニング・ポイントを見るようにして。
そこで、こうして本格化する次のバージョンの資本主義——それをここでは《消尽資本主義》と呼びましょう——は、今後いかなる様相をもたらしてくるのか。評者によっては、いよいよ次の大戦争がやってくると見るむきもあります。ともあれ、それは不気味に予想のつかない世界であります。
そうした時代に備えることは、いったい可能であるのでしょうか。
私は、もはや垣間見られ始めているように、そうした備えは、過去の連続的延長にはないだろうと予想し、むしろ、その逆相に手がかりを求めたいと考えています。
以下は、そのような反転的発想によるこころみの幾つかです。
マネー依存度を下げる
今日のお金にまつわる現実は、上記の《消尽資本主義》によって、もはや実態を伴わない次元にまで肥大されています。その顕著な推進要因は、アメリカをリーダーに、マネーの無制限な印刷を手法とする、膨大な資金の過剰供給です。おかげで、その恩恵に関われる人々は、そうした文字通りの“あぶく銭”の分け前を獲得して、庶民には信じられないような額の富を築いています。
しかし、こうしたマネーの実態は、根拠のない投機的数字に過ぎず、そうしたマネーをどれほど所有していたとしても、その変動は休むことを知りません。仮にその世界の一角に首を突っ込むことができたとしても、その激しい変動——それも誰かに操作されている——に付き合っていたら、おちおち眠ってもいられない、極めて非人間的世界に巻き込まれます。逆に言えば、いったんそうしたマネーに変わってしまった自分の価値は、それほどに誰かに盗まれやすいものはない、ということです。
したがって、これは古典的な知恵のひとつではありますが、マネーで買えるのは商品だけで、マネーで買えないものはたくさんあるということの改めての自覚の必要です。むしろ、人間にとって大切なものほど——自然、環境、社会、家族、友人、愛情などなど——、商品としては手に入りません。目を澄ませて、商品群のまぼろしを見抜くことがそのひとつです。
むろん、この世に生存するためには、商品の購入は避けられませんが、あとでも述べるように、そうした商品群はいまや、信頼を欠くきわめてあやうい品々と化しています。そうした危険な物品から自分や家族を守るという意味でも、商品に頼ることをできる限り少なくし、マネーの出番を減らすことができます。
逆にマネーの出番を増やすということ、つまり支出を増やすということは、それだけ収入を増やさねばならないということで、つまり、マネーの世界にそれだけ自分を露出しなければならないこととなります。これが現代でいう労働であって、まさにそういう労働にふりまわされているのが、現代生活の実態です。
健康という超マネー
先に私は、「健康という年金」という一文を書きました。それは、年金と健康は同等だという含みではなく、むしろ、十分な年金があったとしても、もしその人に健康がなければ、その生きている価値は、大幅に減衰するということです。これも古典的知恵ではありますが、お金で薬や治療は買えても、健康それ自体は決して買えません。それに、いまの若い世代にとって、将来の年金は絵空事に等しく、逆に、それに頼れないから「自分年金」を積み立てる必要があるとして、よりマネーへの依存に引きづり込まれています。
私は確かに、若いころから「健康はお金に代えれない」という言葉は知ってはいました。しかし、その意味を切実に感じ始めたのはほんの最近です。
率直に言えば、私は若い時には転職が多く、しかも人生半ばにして海外生活を始めたものですから、年金への積み立ては公的年金をかろうじて最低に満たす程度に、まったくお粗末な準備しかしてありませんでした。それで一時期、ある種の不安にかられた時もありました。しかし、逆にその不安が「自分でまいた種」と一種の覚悟に転じるとともに、早くから熱心であった運動への関心や、自分の身体に関する健康意識の旺盛さ——子供時代、病弱だった——によって、やがて、自分の健康のほどに気づくこととなりました。
いったんそれに目覚まされると、むしろそれが他に代えれない自分の財産と思えるようになり、それに、健康であることで、何事にも意欲的になれるばかりか、ちょっと怖気づかされるような事柄にも、勇気をもって臨めるところがありました。
還暦を目前にして、それまでの自分の経歴を一転させ、60の手習いならぬ寿司修行を始められたのもその一例です。また、生活習慣病の予防に、医師が強調する運動の大切さも、運動することで自分の精神状態の活性化がおこることを体験的に知っていて、手前味噌ながら、医師の勧めもいらぬどころか、運動自体が自分の医師ですらあるとの実感をもっていました。
つまり、マネーの効用の限度に対し、健康であることの安全性、汎用性、高価値性は、おそらく、比べものにならないものですらあると思えたわけです。早い話が、お金に不足があれば、健康であれば、働きさえすればいいのです。むろん、投機マネーのように、一気に数倍、数十倍・・・と増殖することはありませんが、いったい、私たちの健康に、十倍、二十倍といった度合いが必要なのでしょうか。
健康とは、不健康でなければ十分なもので、むしろ、ただそれが維持されていることで満足で、それこそ、数百の宝に値するものであるのだと思います。
身体という環境、環境という身体
私は別掲で「私の健康エコロジー実践法」というシリーズ記事を書いています。
この健康を「エコロジー」とする私の見方は、自分を中心にして同心円状に、その身体の内臓から筋肉や肌、そして自分が毎日接する身辺の環境、それに加えて、地域や国や地球、そしてさらに広がる宇宙へと、それは途切れることのない、連続した一連の環境体においてあるものだと考えるところから来ています。つまりそうした同心円状のものは、途切れのない一体をなすエコロジー態だという考えです。そして健康も、そうした同心円状をなす周囲の環境との一体性をなしてあるものだという見方です。
むろん、短期的には、それを無視した生活もできなくはありません。そしてむしろそれに気付かないままにそうした無視を続けているのが私たちの毎日であり、そしてそれが長期に続くと、いよいよ、重たい支障に見舞われます。
こうした、大きくは地球はおろか宇宙空間にもおよぶ広大な自然と連続体をなす自分の身体やそれをインフラとする自分の意識——つまり「自己」というもの——という見方は、今年三月に前立腺ガンを告知された時、自分のそれまでの生活内容に照らしてみて、いかにもその告知が唐突で、何とも了解しがたい事として受け止めさせられるに十分な後ろ盾となってくれました。
そしてあれこれと考えあぐねた結果、どうもそのガンの発生が、私の生存してきた環境のうちのあやしき諸要素によるのではないか、との見方が浮かび上がってきました。そして、それと合わせて、ガンとは、高血圧や心臓疾患のように、《生活習慣病》ではないかとの考えも浮かんできたのでした。
そうした結果に取り組んだことが、食という、自分の身体と環境とを結び付け合う行為において、ガンの原因を取り込んでしまうことがあったのではないか、との発想でした。
そのような発想をもって自分のガンのことを調べてゆくと、詳しくは上記リンク記事を参照していただきたいのですが、私がそれまでに口にしてきた数々の食物を通じて、微量ずつではありながら、私の体内環境を変えてゆく有害物質を取り込み、蓄積してきたのではないかとの仮説に達することとなりました。
かくして、私は、無知から知らずしらずに摂取してきたそうした食を改善するという体質改革に取り組み始めました。そして、入手可能な限りの自然栽培による玄米菜食主義の実行を3ヶ月間続けた結果、ガンの病相のひとまずの克服をえることができました。
もちろん、ガンとは《生活習慣病》でありますので、継続した取組みが不可欠です。
それを、患部やその臓器を摘出して完治とする現代主流医学のありかたは、私の目には、見当外れなものに映ります。上記のようなエコロジカルな健康を無視した、極めて視野の狭い見方です。
今回の別掲記事のように、ガンの「征服」なぞありえなく、ただ「和解」をもって共存してゆくものだと思います。つまり、自分の体内の健全細胞をガン化させてしまうのは、それを知らずに摂取してしまう、危ない食物による結果なのです。むろん、そうした有害なものには、自分が習慣としてきた生活スタイル——広い意味のストレス——も含まれるでしょう。
こうしたガンとの遭遇体験は、私に、自分の身体をコアに同心円状をなすエコロジカルな環境が、自分の健康のためにいかに重要な土台となっているかということに気付かせてくれました。
その一方、そういう自分を取り囲む広大な自然環境が、一昔前では公害や汚染問題、それが今日にいたっては、異常気象だの地球温暖化だのと、加速度的に拡大深刻化するさまざまな異常現象を見せてきています。
つまり、そうした「クライメイト・チェンジ」と上記の「キャピタリズム・チェンジ」とは、決して無関係なものではなく、むしろ一体のものとして存在し、そのチェンジなった《消尽資本主義》は私たちに、それこそ「怪物的」な影響を加えてきているのです。