Day 170+36(10月10日)
私にとって、ガンとの遭遇は、実に意味あるできごととなりました。そしてそれは、安易に医師にたよらず、自分の体のもつ可能性に信頼を託しきれたという結果をえて、いま、「やわらかくしなやかな」とでも表現できるような、そんな自身ができてきたような気がしています。この年齢になって、「やわらかくしなやかな」なぞとは何とも妙で、予想すらできなかった功名です。医師の助言に従い、あのまま前立腺を全摘しないで本当によかった。この身体感覚、なかなか絶妙です。
ところで、私は、いわゆる故郷をもたない人間ですが、故郷というものを、自分がこれまで接してきた自然環境というように広義にとらえると、そうした自然環境がもとのままに続いている安心感——逆にいえば、それが消え去ってゆく不安感——に似ているような、そのようにも表現できるものが、私のガンとの、敢えて言いますが、“和解”のもたらした実感です。“征服”ではありません。
ZG君、ありがとう。
Day 170+40(10月14日)
この冬の間、常用の公共プールが閉鎖されていたため、私のエクササイズが陸上型にかたよったことは先に述べました。おかげで、20キロはじりを達成できましたが。
そのプールの10月からの再開で、私のエクササイズは水陸両用型へと復帰してきているのですが、3ヵ月間の空白の影響は大きく、上半身の筋肉がげっそりと落ちてしまっています。歳がいってからの筋肉は、使うのをやめれば簡単に消え去るようです。
それに、腕を使うことが少なかったためか、右肩の関節が固まってしまったようです。腕を大きく回すと痛みがあります。泳ぐことへの支障までにはなっていませんが、無理をすると故障をおこしそうです。
そうして再開した泳ぎは、まるで初心者に舞い戻ったようで、のろく、距離も出ず、ぼちぼちと取り組んでいます。
今日、二週間目でようやく1500メートルまでにこぎつけましたが、そのタイムはほとんど40分。20年ほど前に記録を取り始めて以来の最低レコードです。一時は30分も切っていたというのに。
まあまあ、愚痴をこぼさず、これが現実です。
ただ環境について言うと、ここシドニーのプールは、同じ公共であっても東京のそれとはおおいに違い、さすが“競泳王国”を支える整った施設の恩恵をえている感が深くします。
まず、当地のブールは50メートルで、東京の25メートルとは規模が違います。それに混みようも比較にならず、こちらではたいてい、一コースを一人独占して往復できるのに対し、東京では、一コースを何人もが競って泳ぎ、ターンの際は止まって順番を待ち、しかも隣のコースにロープをくぐって移らなくてはなりません。(東京の全部がそうかは分かりませんが、少なくとも、杉並と練馬はそうでした。)
こうした状態では、そもそも、タイムをとっても無意味です。
Day 170+41(10月15日)
私が「日常化」とよぶ緊急態勢の解除により、食のコントロールを緩和してきています。ただ、このたずなの緩めようがなかなか微妙で、ある意味では、緊急態勢時の厳格実行のほうが容易であったような気もします。のど元過ぎて熱さ忘れてもなりませんし、いつまでも病人に甘えるわけにもゆきません。
こうした「日常化」が適度な食習慣となっているのかどうかの目安は、継続してえるPSA値によります。「日常化」後のその最初のものは12月初めの予定ですが、はたしていかなる値が出るものか。なにか怖いですね。
Day 170+43(10月17日)
「日常化」が進行しています。ことに、その進行のなかで、勤めのある日は、そのために時間がさかれたり、私の場合は店から出される賄食のため、どうしても、食の質が低下します。
今日、人々が外食とか中食という出来合い食で毎日を過ごさざるをえないのも、仕事のため、料理をしている時間がないという実情があるからでしょう。
お金を得るために働く→働くために時間がなくなる→買食で食の質が下がる→栄養の偏りと運動不足から健康をそこなう→治療や予防措置のために出費が増す→いっそう収入増が必要となる。
こういった悪循環こそ、今日、誰もが陥っている《習慣》です。
この悪循環を断つことこそ、ガン予防の要点とわかっていても、社会的にはそれがなかなか難しい。
いま、オーストラリアでは、大人はもちろん、子供の肥満が問題となっています。そうした太った子供たちが、将来の大病の膨大な予備軍であることは明らかだからです。無数の甘い飲料やハンバーガー等のテイクアウト食の氾濫で、子供たちの毎日は糖分と脂肪の過剰摂取漬けとなり、それなしにはひと時も過ごせなくなっています。タバコに適用された、広告の制限をするべきだとの動きも始まっていますが、標的とされる企業側の抵抗も生易しいものではありません。
病気はもはや、社会的産物と化しています。