その金曜日の夜11時、仕事が終わって家に帰るところだった。自宅のあるビルの横で、ホームレスがいるのを見つけた。顔が浅黒く、服も手足も汚ない。彼はなぜか空のペットボトルを片手に二本持ち、その場をウロウロしながら叫んだり独り言をつぶやいていた。ふと、何となく彼の顔に見憶えがあるような気がした。しかし、彼の行動が危険に思えたので遠目にタバコを吸いながら様子を見ていたが、どうにも目が悪くて顔がハッキリ見えない。まあ、いいかとそれ以上気にせず家に帰った。
家に帰った後もなんとなく気になったので、コンビニでバスチケットを買うついでにもう一度様子を見ようと思い、ビルの入り口に降りた。少しずつ近づいて声をかけてみた。「K君!」むこうは気づかない。もう一度声を掛けると俺に気付いて「Oさーん!」と抱きついてきた。去年一緒に住んでいたことがある元シェアメイト。なんとかファームで生き残りセカンドビザをとったらしい。その後なんとかシドニーに帰ってきたが、聞いてみると部屋なし、パスポートなし、携帯電話なし、金なし。パスポートの提示をしなければ部屋は見つからない。第一もう深夜で受付がどこもいない。シドニーに帰ってきてから三、四日間ずっと道端で暮らしていたらしい。
泊まるところを探そうと言うと、去年働いていたシティの居酒屋にツテがあるという。午後10時にそこで約束があったらしい。金曜日の一番忙しい時間帯に店と約束? ありえないと思ったが、とりあえず向かった。たった三ブロック先の居酒屋に着くまでの間、彼は何度もうずくまって頭を抱えた。金曜日のシティの真ん中、多くの人が不思議そうに彼を見た。
店につくと、もう一度雇ってくれないかという交渉をしに奥へ入っていった。従業員は不審そうに俺らをチラチラ見ては仕事に戻っていった。もちろん店は忙しく、マネージャーにまた明日来るようにと言われ、店をでた。とりあえず今日はウチに泊まるといいと言い、道を歩いた。彼はうつろで俺の言葉が耳に入っているかさえ分からない。その間、彼は何度も道端で叫び、うずくまった。俺は思った、「これは限界だ」。一刻もはやく日本に帰国したほうがいい。彼は限界にきている。これ以上自力で海外を生き抜く精神力は尽きている。もしあの時発見してなかったら。もしあのまま見過ごしてたら。もし確認しにビルを降りなかったら、彼はどうなっていたのか。これだけ人がいて、これだけ広い街でなぜ家の前にいたのか。彼がファーム行っていた十カ月間、二度も俺は引っ越しをしていたので、彼が俺の家を知る由もない。偶然とはほんとうにスゴイ。彼はその晩ウチにきた。場所がなかったので床に寝袋をしいて寝た。寝る寸前まですみませんと言ってきた。妻はこんなに汚い友達を連れてきてと、怒り心頭だった。バスチケットを買いに行くと言って出ていったきり数時間が経ち、バスチケットの代わりに、ホームレスの友達を連れてきたのだ。彼女にとっては全く状況が飲み込めないし、迷惑この上ないことだった。その夜なぜか、彼は起きて、部屋のドアをあけたままにした。そのたびにドアを閉めたが、彼はまた起きてはドアをあけた。
彼と再会してから二日目。土曜日。レストランでの仕事があったので早めに起きて部屋探しに出た。以前住んでいたPというバックパッカー宿に案内した。十二月のシドニー。街は観光客であふれている。満室。部屋が見つからない。パスポートの提示で断られる。仕事に行く時間がせまってくる。その日はどうしても休めない。十一月、十二月は従業員がとにかく連休を取っては旅行に行っている。彼と別れるのは不安ではあったが、しかたなく地図と、どのへんを探すのかを伝えた後、もう一軒だけ案内し、そこで彼と別れた。
仕事に向かう途中、緊急を要すると思ったので、前日に怪しまれないように何気なく聞いておいた実家の住所と電話番号の紙を取り出し、すぐに彼の実家に電話した。母親がでた。事情を説明すると号泣した。うすうす気づいてはいたが、彼はICDだそうだ。いわゆる、統合失調症。妄想、幻覚、幻聴。ストレスや不安によって症状が悪化する。母親は「私は出身のT県からでることも稀なんです。どうしたらいいかわからない。あんなに反対したのに無理やり海外なんていくから。ほんとうにご迷惑をおかけして、すみません。」号泣しながら言う。本来、緊急で助けを求めるつもりで電話したのだが、どうやらそれはできなそうだった。俺は「パスポートと携帯電話の紛失、部屋のことなど、問題点をはっきりさせ、手順を追って解決していきます。ひと時落ち着いてから、日本に帰国することを勧めます。安心してください、シドニーは安全な街なので命がどうとかというのはありませんので、、」と告げた。命という言葉に反応したのか、母親はまた泣き出した。言葉を選び間違えたと思った。
仕事が終わった土曜日の夜10時。急いでシティへ帰った。問題があった。彼は携帯も失くしている。どう探せばいいか。一度別れると、それはまた行方不明というかたちになった。シティを走った。なんとなく見つかるとは思っていた。タウンホール駅まではきっと行ってない、例の居酒屋の近辺か、以前住んでいたタイタウンのあたりにいるだろうと思っていた。いくらかシティを探していると、ジョージストリートの反対側に人がうずくまっているのが見えた。街行く人は見向きもしていない。動いてしまわないだろうかと心配だった。信号が長く感じた。走ってそこに向かった。彼だった。声をかける。俺を見ると安心したように立ち上がった。今日何があったか聞いた。どうやら部屋は見つかったという。朝最後に紹介したところに入れたらしい。朝別れたすぐあとに部屋が取れたということだった。よかった。俺は安堵した。
統合失調症は百人に一人の割合で発症する。ひとたび発症してしまうと、今の医学では治療が困難な心の病だ。日常生活の中で幾度も突然幻覚が見え、幻聴が聞こえる。その幻覚幻聴はネガティブなものが多く、本人を追い詰める形で聞こえてくる。本人にとってはそれらは現実以外の何ものでもなく、本当の現実との境界線はない。とくにストレスがたまったときや、不安があるときそれは強く発症する。困難にぶつかっているときなど、さらに追い打ちをかけるようにやってくる。
彼を見つけた場所から人通りの少ない場所に移動し、俺は彼に実家に電話するように勧めた。自分の携帯を貸し日本に電話した。彼の兄が電話にでた。俺は横でたばこを吸いながら聞いていた。しばらくしてから、「だから日本には帰らないって言ってるだろ! 俺はここでやりとげるんだ! 成長しなきゃいけないんだ! そのあとに家族を守るんだ!」、彼は叫び始めた。一瞬、自分の携帯電話が壊されてしまうんじゃないかと心配だった。しかし、それよりも俺は彼の言葉に驚いた。「やりとげる」「成長」「家族を守る」。ここ数日、彼はホームレスだった。パスポートもない、携帯もない。金も家も仕事もない。海外生活において突発的な事件に巻き込まれる以外はこれに勝る最悪の状態はない。そんな中で家族に日本に帰れと説得されての反応。普通であれば「わかった、帰る」。「助けてくれ」。そんな言葉が出るのではないか。現に海外での長期滞在はきつい。多くの仲間が夢半ばで帰って行く。人に依存して生きていく人もいる。俺は彼の心の内に潜める強い向上心に感激した。こんな状況の中で自分から助けを求めず、人に頼らず、ひたすらうずくまっては自分と戦っている。俺は、人の強さを見た。
兄との会話がさらにエスカレートしていたので、割って入り電話をきった。寸前に彼がお金をもっていないことを告げ、送金してもらうことにした。彼は、また居酒屋と約束があるという。時間を聞けばその時間からもう二時間も経過していた。道中、彼は幾度もうずくまり頭をかかえて、しばらく動かなかった。
店につき、彼が店で従業員と話している間、俺は店の裏にマネージャーを呼んでもらった。レストランの裏の薄暗い喫煙所。俺は事情を説明した。マネージャーは、去年彼が働いていたころから何かおかしいと思っていたらしく、みんなは彼が薬物でもやっているんじゃないかと誤解していた。人生は不公平だと思った。俺は誤解を解くように説明した。彼本人は働きたい意思は強くある。ずっとシドニーで自力で生活したい。そのための職探しだ。もしかしたら雇ってくれるかもしれない。去年も働いていたんだ。断られる理由がない。人の人生にどこまで干渉できるのか。彼は限界だ。今ここで仕事を始めてしまうより、日本に帰り、心身を休めたほうがいい。自問自答しながら、俺は「雇わないでください」とマネージャーに告げた。話が終わるとマネージャーは料理長と話をし、彼を雇わないという結論をだした。帰り際、「どうだった?」と聞く。彼は「無理そうです。なんか今は募集してないみたいで、、、」バックパッカー宿への帰り道、彼は独り言を話し、うつろな目で空を見つめては立ち止まり、うずくまった。その横でたばこを吸った。心が痛かった。その夜、俺は再度彼の家族に電話し、彼の新しい住所を伝えた。
次の日の日曜日の朝。日本領事館の緊急連絡先に電話をした。電話にでたスッタフでは対応できないというので、数時間後に担当者が電話を掛け直すということだった。担当者の男性から電話がかかってきた。出来事を細かく説明した。領事館はトラブルの大きさを測る。たいしたことないと思ったのか、「領事館はみんなが思っているほど暇ではないのですがね」、担当者は言った。内心頭にきたが外には出さず、申し訳ございませんと言って話を続けた。俺の要望は、領事館のほうから彼に説得すること、なんらかの方法で彼のビザを中止すること、彼をなんらかの形で管理下におくこと。すべてを断られた。冷たく感じたが、個人には自由な判断をする権利が与えられている。本人がシドニーに残りたいと望む以上、ホームレスになろうが法を犯さなければそれを剥奪されることはない。口をだされることすらない。自由とは個人責任のことであり、ときに自分を苦しめる。領事館はパスポート、もしくは臨時で渡航書を発行することで協力すると言い、ありがとうございますと俺は言った。その夜、彼の家族とは電話で情報交換をしたが、肝心のKは見つからなかった。
月曜日、仕事が終わると彼の宿にまっさきに飛ぶ。いない。しばらく街を探したがいない。荷物はあるので、心配ではあったがとりあえず家に帰った。彼の兄から電話がくる。領事館の担当者が日本の家族に電話をしたらしい。臨時の渡航書発行についての必要書類の提出方法と期日を変更してくれた。また、兄と従弟がシドニーに彼を迎えに来るということだった。俺は安心した。夜中、眠っていると電話がなった。電話にでるとそれはKだった。しゃべり方も声もしっかりしていたので、一瞬誰からの電話か気づかなかった。彼は言う。携帯電話を買った。自分で領事館に行きパスポート再発行に必要な書類が何かを聞いてきた。どうやら部屋も見つかり、お金を送金してもらったことで精神的に落ち着いたのだろうと思った。このまま回復に向かえば普通にここで暮らしていけるのでは? 後悔がよぎる。もっともここまで自力で生き抜いてきたのだ。調子が良ければ無理に帰国しなくてもいいのではないか。人の大事な人生の選択を勝手な自分の判断でしていいものだろうか。
次の日の火曜日。彼は宿にいた。夕食を一緒に食べに行った。彼のシドニーに住み続けたいという気持ちは変わらない。前日の声を聞いて迷った。しかし、俺は勝手な判断と思いながらも、帰国が一番いいと信じている。彼のそういった姿を見てしまった以上、そう考えざるをえない。食事をした後シティを歩き、今後どうするかを話した。本気で説得した。ワーキングホリデーでの生活はそれ以上でもそれ以下でもない。与えられた二年をただ過ごすだけ。学位をもらえる学生ビザとは違う。永住権をもらえる保証はない。サポートなしでは上がれない。金がなくては身動きが取れない。仕事と勉強の両立は難しい。自分の専門がなければなお苦しい。ただネガティブなことだけを話した。ひたすら無益であることを強調した。
ただ、ひとつ気になったことがある。今までの会話上でなんとなく出てきた数字の計算。早い。携帯を取り出して電卓機能で計算しようかと思う自分を横目にサラッと答える。気になったので聞いてみると、算数、数学は学生時得意だったらしい。仕事も地方の役所で簿記をやっていたという。これは彼の身を助ける。いつかこの才能はどこかで役立つに違いない。彼の日本での生活の役にたてばいいと思った。しばらく考えた後、会計士はシドニーでは優遇されていることを話した。一度日本に帰り、資金を貯めた後、再チャレンジすることを勧めた。今の生活、ビザのままではあとが続かない。本当にオーストラリアが好きなのであれば資金を貯め、計画を立て、再度来豪すればよい。これは俺のトリックだった。一度俺の勧めに乗って帰国すれば、あとは家族が海外へは出さない。つくづく不公平だ。半ば自分で状況を強制しているにもかかわらず、俺はそう思った。それを聞いて彼は悩んでいた。彼からの言葉はなかった。俺は心の中で、もう戻ってきてはダメだと言った。それを口にすることはなかった。
水曜日夕方。彼から電話があった。日本に帰国します。飛行機チケットは取っていた。説得がうまくいったのか、前日に実家の両親、兄弟と再度話をしていたらしいのでその影響もあるのか、どういうきっかけで決断したかはわからない。本人も今の現状を理解し始めていたのかもしれない。理由は聞かなかった。彼は昼のうちに領事館に足を運んでいたらしい。事前に状況を知っていた担当者とは突然すぎて会えず、ほかの係員に必要書類を言われてだけで帰ってきていた。
警察署にパスポートの紛失届をもらいに一緒に行った。パスポート再発行か、渡航書の臨時発行か、どちらも紛失届が必要だった。無事もらった後、二人でたばこを吸いながら話をした。なぜパスポートがなくなったのかを聞いた。彼によると、ある日突然声が聞こえ、燃やせ燃やせと迫ってきたという。よほど強い声だったらしく、その声に従わなければどうにもならなかった。他に方法はなかったと彼は言う。俺はそうだったのかとそれだけ言った。その後の身の上話の中、彼はオーストラリアにはできれば居続けたい。繰り返しそう言った。気持ちは強くわかる。現に俺もここにいる。いたいからにほかならない。オーストラリアの空は高い。気持ちがいい。こうして腰を下ろしているだけで気分がいい。彼はこの閉塞感のない街の雰囲気を意識せずに好きなのだろう。俺は思った。
数日後。日本から兄と従弟がシドニーに彼を迎えにきた。お礼ということでオペラハウスの前のレストランで昼食をごちそうになった。強い日差しの中、外のテーブルで昼間からビールで乾杯をした。久しぶりにのんびりした。なんとなく俺は安心したのか、久しぶりのアルコールだったからか、真夏のオーストラリア、酔いが早く回った。彼もビールを飲んだ。だいぶ落ち着いていた。数日前のことが嘘のようだった。いや、数日前のことはきっと嘘に違いない、去年俺と彼と他のルームメイトとワイワイと酒を飲んでいた頃が本当なのだ。彼は幻覚に取りつかれていた。その彼自身も、また俺の目を通して見ていた彼も幻覚だったに違いない。彼は食欲を取り戻していて、再度食べ物を注文した。彼の兄と親戚とは同年代だったので、楽しく話をした。その中で繰り返し感謝の言葉ももらった。感謝されるのは悪い気分ではないが、あの場で彼をそのままにはできない、あたりまえの行動だと思った。それ以上に俺はそんなたいしたことはしていないとも思った。謝礼の話も何度ももらったが、断った。
食事をした後、時間が空いたので観光がてらマンリービーチを散歩した。空はより高くなった。日差しも強くなった。ビーチは多くの国籍の人々であふれかえり、近くのパブではパーティーをやっている。多くの人がサンタクロースの格好をしていた。皆半袖短パンのサンタクロース。オーストラリアを説明するのにこれ以上のものはない。彼の眼は輝いていた。サーフィンが好きな彼は何度も皆の足を止めてサーフィンのボードを売っている店に入った。いつかまた日本に帰ったとき、家に来てくださいと誘われた。喜んで行こうかと思う。また昼間からのんびりビールでも飲めればいいと思う。ここでの出来事を笑い話にして。
午後8時。空はまだ明るい。彼らの滞在しているホテルまで行き、最後の別れの挨拶をした。帰り際、お土産ということで日本酒とお茶菓子をもらった。もらうか迷ったが、せっかく買ってもらったのであればと受け取った。家に持って帰ると妻はうれしそうにそれを食べ始めて言った。「あなた、長い間、行方不明だったけどバスチケットは買えたの?」
ビューティフルマインドという映画がある。実在の話を題材にしている。統合失調症にかかった数学者の話。主人公ジョン・ナッシュは大学で数学を教え、図書館では研究を続けている。彼もやはり幻覚に悩まされ、周りから変人呼ばわりされ苦悩している。やがて大きな幻覚が事件を巻き起こし、病院に送られる。そこで自分が病気であることを自覚する。しかし、彼に幻覚と現実の境目はない。生活は困難を重ねるが、それでも妻に支えられながらも苦難をのりこえ、やがて克服していく。映画のネタをバラしてしまうことになるが、後に彼の発表した「ゲーム理論」は20世紀の経済学や経営学、心理学、政治学、社会学、社会科学などの分野に大きな影響を与えノーベル賞を受賞している。
統合失調症や他の精神的な病を罹ったものだけが幻覚や幻聴を見るのだろうか。ふと、考える。将来に不安があるとき、未来を考えるとき、選択に迫られるとき、人を思うとき、不幸な節目に立っているとき。人は常に自分の中の幻覚や幻聴をきいているのではないだろうか。まだ起きてないもの、証明されてないものに対し恐怖し、人は背を向ける。未来はまだ始まっていない。本人次第でいくらでも作ることができる。選択することができる。心の中から聞こえる声、ただ不安にさせるだけのネガティブな幻聴。始まってもいない未来をネガティブな幻覚によって否定され、歩むのをやめる。あきらめる。だが、彼は歩くのをやめなかった。ただ歩き続けた。
人と比べて強さは測れない。人はみな違うスタートラインに立っている。環境が違う。生まれ持った才能も違う。彼がすごしたシドニーでの一年は、ほかの誰よりも困難だった。たしかに彼はハンデを背負って生き抜いた。統合失調症による幻覚や幻聴に苛まれながら、前に進み続けた。他の誰がこのような状況で耐え続けられるだろうか。ほんとうの強さとはこういうことだ。人に助けられながら都合よく生きている人がいる。それが自分の力と過信する人がいる。しかし、彼は助けを求めるようなことは一度もしなかった。ここでの出来事は俺の勝手な判断だ。幻覚が見えても、幻聴が聞こえても、ホームレスになっても、成長したいと叫んだ。家族を助けるために大きくなりたいと叫んだ。彼はもしあの場で俺と再会していなかったら、彼はいまだに路上で暮らしていたかもしれない。ホームレスになり続けてもオーストラリアに住み続けたい。それが彼の本心であり、本当に欲した選択だったかもしれない。彼は自分自身に敗北することはなかった。彼はこの一年、最後まで勝ち続けていた。
火曜日に彼は日本へ帰る。必要以上なストレス社会。ただ、日本人である以上日本でくらしていかなければならない。そうでなければ、さらなる努力をして、他国の永住権を取得しない限り、暮らしていける国は世界中どこにもない。国境を越えるとは容易なことではない。これから彼の新しい生活が日本で始まる。今までもそうであったように、彼には人以上の困難が待ち受けている。追い詰める声が聞こえてくる。存在しないはずの誰かが目の前に立つ。ストレスがさらに彼を追い詰める。繰り返される認識行動が心に負荷をかける。現実との境界が消え、やがて彼はまた彼の世界を歩くことになる。
いつの日か、技術が進歩して統合失調症が治る日がくるかもしれない。それはそれにこしたことはないが、そういった日を待つ前に、なにか今日、彼らにできることはないだろうか。少しずつ手を差し伸べることで、やがて大きな力になり技術を待たずとも解決できたりしないものだろうか。ただ、きれいごとを述べても始まらないことだけはわかる。俺は、この出来事を強く記憶しておこうと思う。海外生活での、いや、人生においての貴重な再会をここに綴る。いつかまた、このどこまでも高く青い空の下、強い日差しが降り注ぐ中、ビールで乾杯できる日を望みながら。