• 06月

    • 東アジアは、極東と呼ばれて西洋からは最も遠い地帯だった。それだけに、西洋による侵略は後回しになり、逆にその時間差の分、極東では西洋への対抗意識が燃えさかった。100年前、それを実行に移したのが日本。いま、同じことを中国が行っている。その当時の日本のイデオロギーは「神国日本」。対し、いまの中国のそれは「共産中国」。いずれも、追いつけ追い越せと国民を煽り立てる旗印。中国は日本の失敗を学ぶべきで、また日本は、その失敗の膨大な犠牲を忘れるべきではなく、果たしうる役割は大きい。新冷戦にせよ、東西文明の相克にせよ、学ぶべき知恵は、多様性の共存しかないだろう。

    • 東京オリンピック、あと50日に迫った。仮にコロナの発生は不可抗力だったとしても、それは誰しも同じだ。だが、オリンピックはもうここまでくれば、事態は「ババ抜き」ゲーム。世界のいずれの国も組織も、帳尻を他者に押し付けても、自己損害の最小化に奔走している。日本政府が、国民損害の最小化に腐心しているとは見えず、自政府のそれすらもおぼつかない体だ。日本国民は、次の選挙では現政権のやりたいようにやらせて責任を取らせ、次の次の準備に入ったほうがいい。いずれにしても、一度や二度の選挙で片付く問題ではない。

  • 05月

    • スーパームーン皆既月食の今夜、シドニーは快晴で、文句なしの観測日和。写真のように、月食が始まると、周囲の星々も見え始め、赤く変色した月を飾っているようです。ただ、南半球からは、月の下側端が完全には欠けないようでした。

    • 寒いと感じる季節となって、ようやく、ずっしり重く、みずみずしい白菜が出回るようになりました。値段は、一個200円ほどといったところでしょうか。いよいよ、白菜漬けのシーズンです。今季、3回ほど漬けたのですが、気温が高いので塩をきかせてきました。これからはその必要もないでしょう。適度な塩気と白菜の甘さに唐辛子を少々きかせ、おいしい漬け物が楽しめます。

    • オーストラリアNSW州では、過去50日間、一人のコロナ陽性者も出ていなかった。それがおととい、シドニーの一夫婦が陽性とわかり、昨日午後5時より警戒態勢に入った。ことに、このケースの感染経路がなぞで、他には、アメリカから帰国した別の一ケースがあるだけ。ただし、この両ケースの間には何の接触の可能性も見出されていない。そこで、まだ未検出の第三者が介在しているのではないかと、まずはシドニー全域に用心段階の警戒が敷かれている。このように、現在のオーストラリアでのコロナ対策は、個々の発生ケースをしらみつぶしに追う、理屈上は犯罪捜査同様の考えで実施されている。

    • やや私事に関わる話ですが、このところ、当サイトへの訪問者統計を洗い直していて、10年以上も昔の記事への、今でものけっこう多い数字にびっくりさせられています。例えば、その最古は、2003年11月12日付の『リタイアメントオーストラリア』第1号の記事です。先の4月22日号の訪問者データ分析グラフに「旧コンテンツ」とされて示されている数値(空色線で表示)が、この当サイトのオリジナル版(2013年9月に現行版に刷新)に掲載の諸記事へのヒット数です。なお、旧版はこのHP左下の「旧サイト」よりリンクされており、懐かしい記事が読めます。たとえば、この分析グラフに読み取れる昨年9月で顕著な山をなしたのは、「静と動」と題した記事への突然の多ヒットです。コロナによって釘付けとなっている心境の反映かとも解釈される記事です。

  • 04月

    • 日本郵政が、6200億円もの大金をつぎ込んで買ったオーストラリアの物流企業トールを、大損をかぶって売却するという(売却価格は10億円程度という報道)。6年前のその安易な決断については、その懸念を記事「日本の買い物構成と潜む懸念」にした。民営化されたといっても、国は過半数の株を所有する。結局、この損失は国民が被ることとなる。この買収を強引に進めた当時の社長西室泰三は、その前は東芝の社長を長く勤め、会長時代に米の原子炉企業ウエスチングハウスを高値で買収、今の身売り先を探す哀れな東芝に堕す原因を作った。日本の貴重な財産がどんどん流出していっている。

    • オリンピック考

      あと100日を切った。ここで何が可能か。

      こんな世界状況であるからこそ、従来視野の取り組みで成功できるわけはない。つまり、もし実施するとの決断なら、これまで、どこも、誰もしなかった、完璧に独自なものを目指さなければ、それこそ無駄な浪費でしかない。

      その独自な取り組みの核心は、勝者を決める競技会とするのではなく、誰もが背負っているはずの、この時期の困難をどう克服して、選手の一人ひとりが競技に臨んでいるかという、そのプロセスであり人間ならではのドラマのプロデュースとしての競技会だ。そしてそのストーリーを何とかして、日本だけでなく、世界の人々に送り届ける工夫だ。

      ここまで追い詰められているこのオリンピックに、世界の誰も、どの国も、有り体の祭典なぞ期待していない。言い換えれば、どんな知恵が出るのか、それを固唾をのんで見守っている。

      ゆえに、それを開催する側も、この時期がゆえの困難を、体裁やお仕着せにおちいらず、それでも参加してきてくれる選手たちを迎える極力の努力をどう行っているのかを示し、そういう共の困難を乗り越えて何とか意義ある開催にしようという、お互いの連帯意識の祭典を目指すしかない。

      ある意味でこれは、またとない、歴史的なチャンスである。

      日本にしてみれば、コロナ対応でばらけた国民意識結集のチャンスだ。

      そう、数々の大自然災害を経験し、そこから立ち直ってきている日本各地の災害地の人たちが行っているように。

      そういう知恵を絞る頭も時間も、厳しいが、まだ残されていると思う。

    • これを「木枯らし」と呼んでは大げさなのだが、昨日からその「木枯らし」が吹いている。日本のそれと比べれば、その冷たさは穏やかだが、南氷洋からの南寄りの風がNSW-Vic州境をなす山脈を越えて吹いてきて、気温がぐっと下がった。オーストラリアの最高峰コジオスコ山(2,228m)あたりは雪だろう。火の気が恋しくもなる。これで文字通り、木々は枯れて秋の装いに変わる。

  • 03月

    • 昨日の朝、我が家の上空に大鳥が現れた。最近、雲の美しさに見とれることが多い。青い空をバックに、伸び伸びと浮かぶ雲は、下界の喧騒を見下ろして、どこまでも悠々としている。この大鳥はまるで、アンテナから飛び立とうとしているかのようだ。

    • 一週間ぶりに青空がもどってきた。シドニー西北部の洪水地帯は、晴天なのに、上流でこれまでに降った雨が流下してきており、水が引くのは、明日以降。オーストラリアの川は勾配がゆるやかで、流れ下るのに日数がかかる。

    • 統計本日更新記事参照)が示すように、日本人の広義でのオーストラリア《移民》が着実に増えている。私もその古参の一例だが、別にコロナに始まらず、すでにそうした《リモートな》生き方は、ここでも始まっていたと言ってよい。つまり、もしそこが暮らしにくい場なら、そこから暮らしよい場へと、人々の移動が起こるのは当たり前だ。むしろ、日本語のローカル性や日本の島国性――どの国とも地続きでない――が、その移動の壁となっていた。だが、スローながら、そのトレンドが起こっている。ことに、日本社会でよりしわ寄せを喰っている、女性の間で。

    • いま、オーストラリアは、性暴力の頻発に怒る女性たちで揺れにゆれている。コロナすら負けそうである。なにせ、国の政治のてっぺんの国会で、しかも女性大臣の足下でそれが発生している。むろん、その告発を困難にする法的壁はあるし、男女不平等の問題もある。しかし、いまや女性たちの怒りは、その頻発を許してきた社会の文化、伝統へと向けられている。その声は言う。「うんざりも限界」「それは人間の問題」「女嫌いになって済む話?」

    • 世界中で放映されたメーガン妃へのインタビューが、英国の王室論争を炎上させている。私は、日本の天皇制に関する日本人の大勢について、先の出版本にも書いたように、「親離れ」との語を借りて、「天皇離れ」していない未成年国民、という持論をもっている。英国人についても、どうやら同様なところがあるようだ。ただ、大きく違っているのは、ジョンソン英首相が、「王室関係の事柄に関し、首相にとって正しいのは何も言わないことだと本当に思っている」と述べている点だ。菅首相は、皇室問題について、こう一線を引けるだろうか。ともあれ、歴史上の変化の一コマを目撃している感がある。

  • 02月

    • 最近、日本をテーマとする2作を読んだ。『ぼくがアメリカ人をやめたワケ』(ロジャー・パルバース著)と『ロスジェネのすべて』(雨宮処凛編著)だ。一言でいって、惚れられた日本と、恨まれている日本。それも、外人からと日本人から。この外ずらはいいが、内ずらの悪い日本とは何か。私はこれを、「エリートにとって」と「庶民にとって」の違いと読む。ことに後者は、尻上がりで。

    • 日本が、スポーツをめぐり、世界の耳目を集める二人の人物を通して、恐ろしいほどの“古新”と男女と老若の二極対比を全世界に轟かせている。その一人は、東京オリンピックの今や成否を握るMr Mori。あわよくば、スポーツを通した健康老人の鑑にもならんとしていた。他方は、今や世界女子テニス界の彗星のみならず、女性の生き方そして人種問題でもの自己像の追求と、その影響力がゆえの世界のロールモデルをも意識しているNaomi。そうした二者が、いまや世界に拡散されるネット力をもって、前者が「旧弊」、後者が「新明」の日本代表とさえも理解され始めている。はたして、日本をめぐるこの実に多重かつ極端なコントラストは、日本への忌避あるいは好感を築く結果となるのだろうか。それとも、そうした対比を併せ持つ日本の矛盾やねじれと(もしやその“奥行き”とも)受け止められることとなるのだろうか。ともあれ、その成り行きが注目される。

    • 「強制投票制」と呼ぶと、いかにも聞こえが悪い。ところが、オーストラリアの選挙は強制で、毎回その実効投票率は90パーセント程。しないと罰金が科される。他国のように自由投票にせよとの声もなくはないが、1924年の制定以来、投票は義務という認識が国民に定着している。そして、その聞こえの悪さに反し、ここが重要なのだが、その実際効果は、これこそ民主的と言えるものだ。なにしろ、誰もが投票するということは、日本でいう“浮動票”(こんな失敬な言葉は当地にはない)が大勢を決するということ。それを軽々しいと言うなかれ。時には、政治への単なるムードが次の政府を決定すると言ってもいい。現在の日本のような惨憺たるムードでは、確実に政権は吹っ飛び、多数の「先生」が、ただのおっさん、おばさんに成り下がる。

  • 01月

    • 今日1月26日は、オーストラリア建国記念日。今年のオーストラリア人賞に選ばれたのは、レイプ被害者のGrace Tameさん26歳(写真)。15歳の時、学校の先生にレイプされ、沈黙を破って11年間闘い、法律を変えさせた。「すべての子供性犯罪被害者のみなさん、この賞は私たちへの賞です」とスピーチした。

    • 2021年を、どこにも《寄る辺のない時代》の始まりと考えてしまうのは、何も私の年齢のせいがゆえだけではないだろう。ここまで、幻想が幻想と暴かれるのには、コロナもトランプも一役果たしてきている。だが、際限なきQEへの依存継続や再開を見ても、人類の含み資産はすでに使い切られ、底なしの負の領域に移っている。どのみちの際限なしの実施なら、格差縮小をめざして、高レベルの全国民生活賃金の実施をやったらどうか。

    • どんな劣悪政治だろうと、それを選んだのは国民である、との議論がある。それほど、民意は正確に反映されているとの前提に立てるなら、それも言えよう。だが、良くて4分の1がその反映率という実態では、残りの4分の3は、結局、奴隷を任じるか、程度はともあれ犯罪をおかすのいずれか。そこでひとつのニッチは、法の隙間をぬった流民と化して、命をかすめ取られないよう漂流する。内なる“非国民”である。「あつまれ日本人非国民」。