報道によると、豪州の大手建設企業が、東京で数千億円規模の都市再開発を計画中という。他方シドニーでは、日本の大手建設会社の子会社が手掛けた高層住宅タワーが、構造上の危険から居住民の避難騒ぎが起こっている。日本の建設産業には、脇の甘さがないのだろうか。
12月
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シドニーの南、およそ300キロほどの海沿いの町、バイトマンベイに来ている。友人宅に仮託し、その代わり、寿司や刺し身づくりのサービス。二周目の人生で身に着けたこの遅まきながらの実用技、身近なところで大いに役立つところが嬉しい。
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世界は、経済を武器とした大戦に突入している感がある。そして、各国の戦略は得意武器によっている。アメリカは高度情報産業。中国はコピーと安さと量を売り物にした総力戦。ヨーロッパ大陸は自市場の囲い込み。英国は独自性に打って出ようとしているが、肝心の強みある産業を欠く。ロシアは政治経済。日本はといえば、テクノロジーとしたいが、シャープ、東芝、日産と、すでに他国に侵略されている。この大戦後、世界地図はどう塗り分けられるか。
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11月
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シドニーのあちこちで、ジャカランダの花(写真)が満開になり始めた。日本で言えば桜の開花なのだが、こちらでは、それは春ではなく、夏の到来の前ぶれ。ただ、今年の夏は歩みがおそく、やや肌寒い日が多い。
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10月
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ヒマラヤ・トレッキングの何よりの土産は、体の諸故障を、完璧にとも言ってよいほど、解消できたこと。減量も5キロほども達成できた。どうやら、最良の治療法は、臆病になることではなく、“荒治療”。要するに、信頼関係なのだ。
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インド、シッキム州は東部ヒマラヤ中の山岳州だ。標高1800m前後の山脈の尾根上に、3万人を超える人口の州都ガントク(写真)がある。まるで現代のマチュ・ピチュだ。無事下山し、今、そのガントクに滞在している。あいにく天候は下り坂。山々は雲でおおわれ始めた。(写真はウィキペディアより)
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一週間滞在したここカルカッタから、あと数時間で脱出、シッキム州の山地に入る。いくら歴史を目撃するためとしても、この滞在は自虐的だった。なんといっても、当地の空気から水までの汚染度は忍耐を越えている。だが、脱出もかなわぬ人々は無数。
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09月
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昨夜遅く、インド、カルカッタに到着。繁華街裏町のホテルにチェックイン。タクシーで、空港からホテルに直行したため、まだ、町の様子はつかめていない。車中から見た限りでは、デリーよりは町の混沌具合は少ないよう。カルカッタには、一週間滞在の予定。
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日本も、中国にならうように、「独裁」と言っては不適切なら、「一強」依存への安易さが、真の国益をむしばみ始めている。何といってもその筆頭は、国民間の貧富格差の拡大であり、唖然とする女性差別である。ここオーストラリアにも、日本を見限らされた日本女性たちが、なんとか未来を切り開こうとやってきている。
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今月24日のインドヒマラヤ行きの出発を前に、昨年の失敗を繰り返さないよう、緊張した準備が続く。体力の強化は必要だが、体への無理は禁物。その接線が難しい。これほどに事前準備に苦心するのは初めて。つまりは、そこまで限界に近いということか。
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08月
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この20日で、暦を6度、回らせたこととなった。6×12=72と言うと、誰もが驚く。そして何やら丁重な扱いを見せてくれる。今まで通りでいいのに。言わない方が良かったのかな。ともあれ、お祝いに、うまいワインを頂いた。南オーストラリア産「KILIKANOON Killerman's Run Shiraz 2016」。
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日本でもオーストラリアでも、世界的な異常気象に遭遇しながら考えさせられることは、住居という文字通り“不動”の財産がゆえの被災がある。それがもし借ものだったら、災難もより軽微だったはずだ。異常な自然が続く限り、その所有自体がいっそうリスキーな選択となりつつある。逃げたり避難がしやすい、移動性をもった人生スタイルが、より現実的な選択になろうとしている。
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「持続は力なり」の如く、期せずして本サイトが、自流の“ブロックチェーン”的働きをし始めている。平坦で非中央集権的な意志疎通の場として、機能し始めている。この働きをもっと活用すべく、投稿も大いに歓迎。
07月
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「外国としての自国」体験とでもそれを名付けようか。ほぼ30年間のオーストラリア居住による“他者感覚”を携えた、今回の日本滞在体験。3週間にわたり東京から九州までを見聞し、自分が独特な観測をしていることに気付く。言葉は通じながらも、ある意味で「ニュートラル」、ある意味で「根無し草」。
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日本滞在最終日、最高気温が歴史初の41.1度を記録。私が以前、西オーストラリア州で体験した人生の最高気温46.2度も影が薄くなった。明日は真冬のシドニーに向かう。さて、体がもつのやら。
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もはや、河川工学の専門家は、洪水の防止より、洪水発生の予測に専門性を変えてきているようだ。最近の桁違いの降雨は、防災の観点を「どう逃げるか」に向かわせている。それにしても、生き残った後、猛暑の中での後片付けも想像を超える。
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日本に来て読めたことがある。なぜ官僚たちがあれほどに卑屈であるのか。その秘密は、2014年の第二次安倍内閣時に成立した内閣人事局にある。それまでは、政治家の行政への君臨を制限するため、内閣官房の国家公務員人事への支配権は制限されていた。それが撤廃され、この内閣官房内局が設置されたのである。もはや官僚は、官房長官ににらまれたら、出世は絶望的なのである。忖度どころの騒ぎではない。
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06月
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7月2日から24日まで、日本へ一時帰国。この間、本サイトへの2回の更新には変動が予想されます。昨日発表された地震予報では、滞在予定地は最も確率の高い地帯ばかり。いざという備えは不可避。東日本大震災の際は、その発生は私の出発予定日の4日前だった。
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政治や行政の劣化の進行に逆比例するように、日本の国民レベルのパフォーマンスは、着実に向上しているように感じられる。反面教師を見るように、ああいう生き方はしたくないと、かえって動機付けられているかのようだ。
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私たちはきっと、動く時代を目撃しているのだろう。その奔流の中で、片や森を見すえている政治家がおり、片や、木どころか、葉っぱの維持に終始しているものたちがいる。朝鮮半島の平和と拉致家族の帰還は、東アジアの森にかかわる同次元の話ではないのか。
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半世紀昔、N大闘争という争議があった。その亡霊が、アメフトというとんだ場において、また徘徊を始めたようだ。スポーツは大学権力に利用されやすく、それが今日でもまだ生き残っていた。これでN大は、未だに民主化されていない大学のひとつであることが、またも明らかになった。
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05月
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663年の白村江の戦いで、百済がほろび、唐が建国、日本では701年の大宝律令で倭の国を日本と改め、東アジアの版図が大きく変わった。その後日本は、唐の侵攻に備えて北九州沿岸を固める一方、遣唐使を送り情報を探った。それから千三百余年をへた今日、朝鮮半島情勢が変わり、東アジアに似たような勢力バランス変化が起ころうとしている。歴史が示唆するものはなにか。
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人の庭先で軍事演習をする方が悪いのか、あるいは、縮小された演習に配慮を汲み取らない方が悪いのか。それとも、話を蒸し返してチャラにしたい者が進行に横やりを入れたのか。亡くなったバエ(星友良夫)さんの歯ぎしりが聞こえる。
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朝鮮半島が統一情勢となった時、日本は、今の対韓朝両国政策を維持していたら、二重の意味で、その新東アジア情勢の最も遅れをとった孤立国となる。第一は二次大戦の植民地策のくびきを今も引きずり、第二はその分断状態をむしろメリットとしてきたため。しかも、日本が頼ってきた米国は、影響力ある自己優勢のうちに、半島情勢を取引材料に、極東に距離を置こうとしている。他者の不幸を自らの利とする情勢への便乗は、もうやめたほうがいい。
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今日、オージーの友人が、空海のゆかりの地をたずねに日本へ出発。彼に、讃岐の満濃池と京都の東寺もたずねるように案内したのだが、彼は何を発見して帰ってくるのだろう。
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04月
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フェイスブックのデータリークとか何やらアナリティカの話を聞くと、これも、何も信用するなと促す反情報かと身を構えたくなる。だが、私はネットの働きに期待を続ける一人だ。むろん、そこには古典的原則――自分の解読力――が志されていることが前提だが。
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昔、1970年前後、政府の強権に抗議した若者たちは、その抗議行為を違法とする告発に対し、黙秘権を使って自分を守ろうとした。今日、政治家
の忖度に屈してとつるんで法を犯している官僚たちが、同じく、証言を拒否して自分の保身を貫いている。その志には天地の違いがあるが、法は等しく、そうした者らを罰するのだろうか。それとも、今では、その法の執行すら、ねじ曲げられるのだろうか。(本日打ち消し線部を訂正) -
私はもうフェイスブックを使っていません。2年ほど前、そのお仕着せがましい関係作りがうっとおしくて止めました。一方、当サイトは、手間ひまは要しますが、バーチャルではない実質の関係を開拓しています。新しい《自然》です。
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03月
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日本の政治の劣化が末期的。それには内因、外因あるが、隠された意図はしだいに見えてきている。誰かの片棒を担がされての戦争。それがあっちのAだろうが、こっちのAだろうが、その愚かさは誰の目にも明白。80年余前の惨劇を忘れるまい。
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新メニュー「両生図書館」を以下に開設。新しい読書法を開く自由閲覧ライブラリーとして、本サイトの手掛けた諸書籍を解説を付けて掲示しました。今後、蔵書を増やしてゆきます。ご活用を。
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7月2日シドニー発、7月24日成田発で、3週間の日本行きを予約。店の休暇に合わせたこともあるが、例年の5月後半がひと月半ほどずれ込む。梅雨時が気になるが。亡母の生誕100年、亡父の同105年を記念し、いい年齢となった子供らの集まりを計画。
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02月
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NZより、自信を回復できて帰宅し、9月末に予定の次の目標は、昨年、自ら機会をつぶした、インドヒマラヤ行き。気掛かりなのは、増えてしまった体重。それでなくてもスタミナは減っているところに、余分な重荷は二重のハンディー。その対策に水泳も再開しているが、いったん増えたものはなかなか頑固。
01月
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今日の午後、3日間のトレッキングを終え、無事アカロアの町に下山。体力は少々落ちているのを感じたものの、20キロ弱のバックを背負っても、まだ結構歩けることを確認。明日、クライストチャーチに戻り、明後日の便でシドニーへ。
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飛行機にも乗ってよいと医師の許可もおりて、明日より一週間、ニュージランドへ。南島のバンクス半島をめぐるトレッキングです。この間の運動不足による体力減退が心配ですが、減量には有効でしょう。今日のシドニーは抜けるような青空。暑くなりそう。
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新年です。今年は戌年。ということは年男。いままで数えたことはなかったが、干支暦の6周がすでに終わり7 周目に入るということ。どうやらこの周回は、新たな体験を開かせてくれそう。ありがとうSDH君。前回の際は「ボケ防止第一次プロジェクト」の開始だった。