• 12月

    • クリスマスの日に、ふと頭に浮かびました。それは、近年のペットブームと、そこでの特別な言葉、「ほっこり」です。人間たちは、本来もっている心の琴線にふれ合う感性を、その切実ながら壊れやすい性質がゆえに、自分たち同士で交わすことを避け合ってきてしまい、いまやその穴埋めをペット相手に行い、「ほっこり」しているようです。そして、子どもや家族の数が減っている分、ペットの数が増えている、どうもそういう関係にもなっているのかも。

    • もしかすると日本は、世界の旅行や観光のイメージを変えているのかもしれない。それこそ、「おもてなし」の精神が全国いたるところで発揮され、訪れた海外からの旅行者の満足感をひと味もふた味も違ったものにしている。訪問地や買い物というこれまでの物的期待から、人や文化とのふれあいによる心的満足への変化だ。これってひょっとすると、人と人とが殺し合う戦争の異常に気付かせ、世界の平和につながってゆく変化なのかもしれない。いちいち「平和」を叫ばなくとも。

       

    • どこから見ても、その機は熟している。今の日本になく、かつての昭和の日本にあったのは「春闘」と「団結」。当時、日本の労働者は、春、一斉に立ち上がり、まず賃上げを求めて春闘をたたかった。私は、昭和21年の生まれの77歳。その昭和の生き証人。当時にあって、今にないのは、その「春闘」と「団結」と、明日への明るさ。

      [caption id="attachment_24406" align="aligncenter" width="200"] 1973年(昭和48年)当時の春闘集会風景[/caption]
  • 11月

    • 建設業の労働災害で過労死ことに自殺者が増えているという。私が日本で最初の過労自殺の認定に関わったのが1984年。あれから40年も経つというのに、減少でなく、増加だという。このグラフの精神障害で認定のうちの三分の一が自殺(未遂含む)。悲惨。

      [caption id="attachment_24289" align="aligncenter" width="200"] 日経クロステック最新号より[/caption]
    • いつものように、エクササイズの後、公園の芝の上でクールダウンをしていた。飼い主が犬にボールを追わせている、見慣れた光景が見られる。そうした時だった。ボールの一投が私の近くに飛んできた。するとその犬は、ボールをくわえはしたものの、飼い主のもとへと戻らず、私の前にやってきて、そこにポトリとボールを落とした。私を見るその上目遣いの目は、「もう疲れたよ、なんとかして」と言わんばかり。そこで私がそのボールを取って飼い主に方に投げ返してやると、ヤツは「どうも」と言い残すかのように、もうほどんどトボトボとした足取りで、飼い主のもとへと戻っていった。

  • 10月

    • 写真のように、今年もジャカランダの季節となった。毎年書くように、この花を見ると感傷的な気分となる。39年前の1984年10月26日、私はオーストラリアの地に足をおろした。その新天地での不安な私を迎えてくれたのが、この色鮮やかな花だったからである。これで私のオーストラリア生活は40年目に入る。毎年、初心を思い起させてくれる花である。

    • 今度の大天井岳、常念岳、蝶が岳の縦走は、紅葉には少々早すぎた。しかし、このウラシマツツジだけは、真っ先に紅葉して、私たちを迎えてくれた。(写真は常念岳付近にて)

  • 09月

    • アカシア(正確にはニセアカシアというらしいが)の若葉が目に染みる季節となった。ついこの前まで、まだ、幹と枝だけの姿だったのに、この二週間ほどでこの変わりよう。これから、このマスカット色の初々しさを楽しませてもらえる。

    • 今、オーストラリアでは、ベトナム参戦50周年を迎え、TVでは、当時のいかにも悲惨なその多くが黒白の映像が流されている。私も38年前にオーストラリアに来た際、自分と同じ世代が、その兵士たちであったことを知った。私は日本で、ベトナム反戦運動には参加したが、自分が兵士になることなぞ、想定もされなかった。不戦をうたった日本国憲法のおかげだった。そして、そうした黒白映像の中に、適齢の若者からの選抜がくじ引きで決められた抽選風景があった。それはなんと、日本でも商店街の大売出しくじ引きなどの際に使われる、多角形の容器をくるくる回して攪拌し、当たり玉を取り出す、あれと全く同じ装置だった。そんな方法で、若者の運命が決められていたのだった。

  • 08月

    • 日本人による日本の「ひいきの引き倒し」との話はすでに書いた。そうした表舞台の背後での裏舞台には、日本はもはや先進国ではなくなり、低賃金労働者の輸出国になり下がったとの現実がある。むろんそれは現在の話ということだが、なんと、2009年の段階で、そういう話をすでに書いていた。

    • 春本番、公園の芝に、白いクローバーの花が開きはじめた。二日前は気付かなかったのに。

    • 年くってきて、しだいに変わってきていることは多い。その最大と言っていいものが性にまつわるもろもろだ。ご同輩同士の挨拶めいた表現に「せがれが言うことをきかん」ってのがある。と、同時に、女性美の見方も変わってきている。ひとことで言えば、ハンターの目から芸術家の目へ。と言っても、その移ろいは季節変化より微妙だ。

  • 07月

    • 「嘲笑宣伝というものがある。それは、論争相手を、冷やかしたり、馬鹿呼ばわりしたり、嘲笑の種とすることで、相手の議論を、愚かしく、間尺に合わず、時には面白おかしく取り上げ、それがゆえに、その議論が一顧だに値せず、全く根拠も欠いたものとの結論にもってゆこうとする、宣伝上の技巧のことをさす」。これは、訳読を終えた『「東西融合〈涅槃〉思想」を越えて』の「発言を歪める様々な手法」の書き出しである。なにやら、いま流行りの姿勢で、それが時には「空気」とさえ受け止められてしまっているもののようだ。

    • 昔、私が小、中学生のころ、俗に「虎の巻」あるいは「あんちょこ」と呼ばれる本があった。それは、教科書にある問題や演習の答えがすべてのっている本で、私は、罪悪感はありながらも、宿題するのが面倒で、それによく頼ったものだ。ところでいま、AIチャットというのが脚光をあびているが、それは事実上、昔の「虎の巻」のことではないか。しかも、それのカバー域は教科書どころの比ではない。その「万能虎の巻」がタダ感覚でつかえ、しかも罪悪感なんてどこ吹く風だ。

  • 06月

    • 今朝、ホーチミンシティに到着した。夜行列車は、ダナン出発時で2時間半遅れ。到着もおよそ3時間の遅れ。およそ600キロをゆく車中では、足を延ばして横になれ、リズムのある音と揺れのおかげもあって、ぐっすりと眠れた。ただ、乗務員も乗客もみなベトナムの人たち。言葉がまず通じなかった。しかし、同キャビンの親子三人の家族が、自分の60年以上も昔を思い出させてくれて、ほほえましい。

      [caption id="attachment_23073" align="aligncenter" width="200"] 駅名は今でも旧名のサイゴンのまま[/caption]
    • 現在、ベトナム旅行中です。14日にハノイ入りし、いま、中部のダナンの町に。今日の午後、寝台列車でホーチミンシティに向かい、明朝到着。当地まではバスを使用しましたが、この先は長距離移動なので、列車の旅をえらびました。日本でいう在来線レベルの、なつかしい汽車の旅となるはずです。

      [caption id="attachment_23063" align="aligncenter" width="200"] 強い日差しで生まれた巨大な積乱雲。夕方、ダナンの町にやってきた。[/caption]
    • 先の日本滞在の際、一緒に秩父の武甲山に登った若き冒険家――世界七大陸最高峰全登頂を目指している――市川高詩君がエベレストに挑戦中で、5月24日登頂成功。下山中悪天候で凍傷を負い、ヘリで運ばれて現在入院中とのこと。無事回復を祈っています。これで「セブンサミッツ」の残すは南極大陸ヴィンソン・マシフ(4892m)のみ。

      [caption id="attachment_22893" align="aligncenter" width="200"] 向かって左が本人[/caption]
  • 05月

    • エクササイズの際、まず近所の公園に行くのだが、いつも私の姿を見ると、どこからともなく、数十羽の鳩が舞い降りてくる。エサをもらえると期待しているらしいのだが、それは私ではない。それでも物欲しげに回りに集まり、クック―、クック―と催促する。エサ目当てでないなら可愛いのだが。

    • 日本の報道で最近「神対応」との表現によく出会う。一種の賞賛のそれも最上級の意味のようだ。英語なら、「ジーザス・クライスト」とか「オー・マイ・ゴッド」になろうか。だがその英語表現が、私にはどこか宗教臭く聞こえる。ところが日本のこの場合、そんな臭さはなく、いかにも大衆的。これを日本人の無宗教性の故とするのは、私の独断か。

  • 04月

    • 誰も、一度は宇宙飛行士となって、宇宙を飛んでみたいと願望します。また、そうした願望を先取りして、宇宙観光めいた宇宙旅行パッケージが恐ろしい値段で売り出されています。そこで想うのですが、もし「死」を通過点と考えるなら、その永遠の旅立ちとは、宇宙旅行への旅立ちとして、大いに歓迎すべきであるし、そんなに金をかける必要もなさそうです。そうなんです、「死」とは、宇宙社会へ船出する「成人式=通過儀式」なのです。

  • 03月

    • WBC日本優勝。いやみに聞こえるかも知れないが「たかが野球、されど野球」。つまり、全体がそこに凝縮している。そして「多様と一体」があって、それがじつに清涼だった。個々にとっては「たかが自分、されど自分」なのだが、私たちにとっては「たかが日本、されど日本」。そして願うべきは「たかがアジア、されどアジア」そして「たかが地球、されど地球」だ。

    • 袴田事件。今日、検察が特別抗告を断念し、再審が決定した。袴田さんは1966年にこの事件に遭遇、以来、57年間、自分の無罪を訴え続けてきた。ただ、そのために人生のすべてを費やしてきた。再審の決定とは、無罪が確実だからこその裁判のやり直し。もうすこしで完全に自由の身となる。袴田さんは87歳。私よりちょうど10歳上。これで本件が物証を警察がでっち上げた冤罪ケースであったことが浮かび上がる。それにしても、こういうことができた警察や国とは、何であったのだろうか。私は、それと同じ時代を生きてきている。

    • 東日本大震災から12年。右の写真は、2017年に現地を訪れた際、復興中の南三陸町の佐藤信一氏の写真館で入手したものです。

  • 02月

    • 前回紹介した本『今夜世界が終わったとしても、ここにはお知らせが来そうにない。』を、キンドル版の白黒で読んだためか、それとも、「人生は旅」との思いと絡めすぎて読んだためか、この本をクラシックに『夫婦善哉』と並べてしまった。そしてそこに描かれているのは、そんなはちゃめちゃの旅人生をたくましく生きる夫婦愛の物語として。むろん舞台は戦前の大阪ではなく、まさに現代の世界随所だが。

  • 01月

    • マツダの軽で地球を放浪車旅中の友人ごフーフが本を出しました。写真のようにどれが書名か分らんですが、『今夜世界が終わったとしても、ここにはお知らせが来そうにない。』で、著者は石澤義裕。まだ現物未見で、無精ながらのご案内。

    • 新年を迎え、自らを《検出器》としてゆこうとの思いをあらたにしている。健康であることも、そのための条件作り。年金生活者であれることも、また、別の意味での条件のひとつ。こうした諸幸いを得られて、この仕事をより充実させて行きたい。むろん、良き人たちと出会えていることも。