コロナも、異常気象も、世界各地での政治課題の続出も、ひとつの根本問題の別々の噴出なのではないか。つまり、人類という生物種――それのみに留まらないが――は、生存のためのそういう《適応》問題に遭遇しているのではないか。巨大隕石の落下による恐竜の絶滅に比べれば事はまだ穏便だ。だが、もしこの仮説が妥当とするなら、自分や自分達が“絶滅種”なのかどうか、確かめなければならないこととなる。
12月
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雨天の合間を縫って、ブルーマウンテンへ山歩きに行ってきた。コロナ騒ぎで人出はなく、静かな山歩き。森林の空気をたらふくいただいて、爽快感に満たされる。写真は、道端に咲くワイルドフラワー。調べると、Thysanotus tuberosusと言うらしい。
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昔、山好きな友人が、荒れる空模様をみて、人間たちを小馬鹿にしているようで小気味よいと、少々偏屈な心境をそれに重ねていた。そういう意味では、今年のコロナ禍は、人間世界を丸ごと、小馬鹿どころか大揺さぶりしている。かくしてこの一年で、人間様々の鼻っぱしが見事にへし折られたのは確かだ。さて来年は、人間はどんな面構えを表せるのだろうか。
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いよいよ、コロナ対策の失敗が露呈しはじめた。本来のコロナ対策の鉄則は二つ。Aウイルスを持った人を隔離すること、Bそれに伴う経済的損失の補償。だが日本政府は、Aを「自粛」に、Bを「GoTo策」に頼り、いずれも対象特定を“あなた任せ”にしたばかりか、鉄則の効果を相殺してしまうという無見識すら露見させている。今になってGoToを停止し、振り出しに戻すかの体だ。この数カ月にわたる時間と資源の浪費は、コロナ禍に輪をかける人災とすら映る。
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「はやぶさ2」の回収カプセル内からガスが検出されたという。採取してきた試料に由来するものと考えられている。だとしたら、有機物を含んでいる可能性が高い。まさに、生命の起源のサインだ。あと数時間で、カプセルは羽田に到着する。
[caption id="" align="alignnone" width="200"] 密封される「はやぶさ2」のカプセル=JAXA提供[/caption] -
はやぶさ2の足音が聞こえるとはジョークだが、今夜、東部州時間の0時過ぎ、そのカプセルが南オーストラリア州に着陸する。シドニーからその航跡を見るのは不可能だろうが、写真のように、回収団一行は、準備万端でその到着を待っている。
[caption id="" align="aligncenter" width="200"] 南オーストラリア州ウーメラ近郊の砂漠で、回収のリハーサル中の一行。[/caption] [caption id="" align="aligncenter" width="200"] 2010年、はやぶさ1の帰還の航跡写真[/caption] -
アメリカも中国も、似た者同士であることがますます目立ってきた。要は、どちらも王様好きなのだ。ただし、中国人は一人の王様好きであり、アメリカ人は、自分が王様であることが好きなのだ。共産主義も民主主義も、そうした好みが掲げる旗の名にすぎない。ならば日本はどうか。どうやら何かは飾っておきたいようだが、どうせ飾りものなので、旗幟鮮明かどうかは気にしない。
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11月
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理念(イデオロギー)には、益と毒とがある。前者に注釈の必要はなかろうが、後者には必要だ。それは、理念というものの本質から、人間から誤謬を排除した頂上部であるからだ。隣国、中国を見ていると、人間社会でありながら、この「毒」を容認しない理念の典型が、誤りを葬り続ける強迫観念かに実践されている。さもなければ、あの無妥協な強権姿勢の根拠が推量できない。ただし、現国家主席を最後のエンペラーと見ないならばだが。
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選挙騒ぎは終わった。アメリカの、そして、世界の修復に必要なことは明白で、ある意味では単純ですらある。それは、さまざまに存在する格差をなくすことだ。トランプ、バイデン両派の争いは、国を2つに割り、その是正を「右向きに」するのか、「左向きに」にするのか、それを争ってしまった。だが、望みはどちらも同じではないのか。割れた痛みを噛みしめて、皆が同じ向きに進む、《本当のポピュリズム》があるはずだ。両派合わせて1.5億人を戦わせ、高みの見物をしてほくそ笑んでいる者がいるのではないか。
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一時は、ひとりコロナの感染拡大が突出していたビクトリア州も、新感染例や死亡者ゼロの日が続き、規制緩和の段階に入った。先週末のクイーンズランド州選挙も、封鎖徹底を政策としてきた現労働党政権が圧勝して、コロナ撲滅は全オーストラリアの民主的結束源となった。同様のNZと並び、オセアニアはコロナ退治成功地帯となった。そこで今後だが、次の課題は、この鎖国政策のもたらした経済的ダメージからの復興だが、ドアを開けば、また振り出しに戻らざるを得ない。その舵取りは、もっと難しそうだ。
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10月
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今年もジャカランダの季節がやってきた。10月26日は、私のオーストラリア“上陸”の36周年記念日。1984年の10月25日の昼、成田を立ち、翌早朝、西オーストラリア州のパース空港に降り立った。当時はまだ直行便がなく、シンガポール経由の長旅だった。シンガポールで乗り換えたパース行きの便は、乗客のほとんどが白人ばかりに一変し、しかも誰もがカジュアルな姿。ことにビーチサンダル履きの酔客にしつこく話しかけられ、歓迎されたのか、からまれたのか、お国の違いぶりに早くも出くわしていた。
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お恥ずかしい話ながら、この年齢になっても出会えた身近な日本語があった。それは「信実」。意味は「利害打算を離れた誠実な心」。それなら、自分の日々の心がけと言ってもいい。それに出会う機会がなかったということは、言葉もろとも、もはや社会がその意を必要としていないことなのか。ちなみに、出会ったのは、新渡戸稲造の『武士道』(1900年出版)第七章の文中。やはり、古い話か。
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どうやら「Qアノン」の拡散のためらしいが、また、「陰謀論」バッシングが盛ん。そもそも「陰謀論」という用語は、かつてケネディー大統領が暗殺された時、犯人CIA説が広がった際、CIAが密かに流した逆宣伝用語。スパイの横行や諜報機関の存在がなくならないように、世界には極秘に行使される"政策"が間違いなく存在している。それを指摘するには、それを「陰謀」と呼ぶしかない。そういう指摘が広がると決まって出てくる「陰謀論」バッシング。
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09月
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先に自己ネット出版した『自‘遊’への旅』を、奮闘の末、アマゾンでも出版しました。同方式に合わせたため、今風装丁となっています。これで建て前では、世界市場に売り出したこととなります。なお、参考までに販売用ページは、https://www.amazon.co.jp/dp/B08K5GQ1DL です。
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シドニーも南の端の離れ町、バンディーナを訪れた。ほぼ二十年ぶりで、当時はひっそりとした隠れ処のような所だった。だが、今では様子はすっかりと変貌し、まるで別荘地。ただそこで、81歳というフェリー【写真】が昔のまま、ゆったりと仕事をしていた。オーストラリアで最高齢という。
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毎号の《多様多彩》に投稿いただいている写真家がいらっしゃる。そのコメントに、他の言葉は実に丁寧かつやや古風な日本語なのに、一語だけいつも英語で扱われる単語がある。「Japan」(時にTokyo)である。「我が国」とも「自国」とも呼びにくいこの国の呼び方、一体どれがふさわしいのだろうか。
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このごろ、ネットを通じて文章を書いていて、気になることがある。多くの便利な掲載フォーマットが、英語のそれをベースにしていて、日本語のそれと、微妙に異なっているからだ。インデントのないセンテンスとか、間を開けたセンテンスとか・・・。そもそも、横書き(この文もそうだが)の文章は、科学論文のごときだ。若い世代には、あまり違和感はないようだが。
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08月
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地図が好きな私が、もし、地球を回る宇宙船に乗ることがあったとすると、きっと窓から一日中、移り変わる地上を眺めているだろう。そして、今、どこの上なのかとか、見覚えのある地形などを見付けるのに懸命で、寝るひまもないだろう。そんな私だから、飛行機に乗った際も、昼間便なら窓際に座りたい。この年齢になっても、子供気分が抜けていない。
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昨日20日、74歳の誕生日を迎えた。お祝いを頂くのは嬉しいのだが、その最後は大抵、たとえば「いつまでもお元気で」との語句で結ばれる。どうも、カウント数字も74となれば、そのへんの「いいお歳」の領域ともなるらしく、そういう言葉を頂いてしまう。気分は、例えば64だった時と少しも違っていない積もりなのだが。
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8月15日はオーストラリアでも記念日で、俗にV-J Day〔日本に勝った日〕と呼ばれる。今年は75周年で特別な式典も計画されていたが、コロナのため、パレードは中止。写真は、当時、平和を喜んでシドニー中心の目抜き通りでダンスする男性の映像で、この日には毎年、必ずといっていいほど流される。路上を埋めているのは祝福の紙吹雪。
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[caption id="attachment_14125" align="aligncenter" width="190"] AFR, 6 Aug. 2020付記事より[/caption]
厳しい封鎖の再開に追い込まれたヴィクトリア州のアンドリュー首相【写真】は、連日、記者会見を開き、何時間にもわたり多々の質問に応答している。まさに針のむしろだ。ただその姿勢は丁寧で、記者の質問を遮るどころか、自ら「次の質問は」と問いかけるほどだ。未曾有の責任を負ってしまった政治指導者の腹を据えた決心が漂う。
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コロナ感染増加の止まらぬオーストラリアのビクトリア州首都メルボルンは、4日(火曜)真夜中より6週間、再度の都市封鎖に入る。午後8時から翌朝5時まで夜間外出禁止。自宅から半径5㎞以上の行動禁止。買い物は一日一回、一家族一人のみ。運動は1時間以内。学校は遠隔授業のみ等々。NSW州の増加はまだ少ないが、社会感染が止まらず、外出時のマスク着用が必要。かくして、オーストラリアの経済の落ち込みは、ますます深刻化が避けられない。
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07月
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昨日、サイクリングをした際、シドニー空港に立ち寄ってきた。国際空港も国内空港も、閑散として人影も少なく、それこそ、「火の消えたような」空港ビル。それでも、我が家にいて、ジェットの音が、やや頻繁に聞こえるようになったなと感じても、この状態。
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「はやぶさ2」が、小惑星「りゅうぐう」から宇宙の長旅を終えて、今年12月6日、地球に帰ってくる(正確には、そのカプセルを投下し、本体は旅を続ける)。しかも、そのタッチダウンの地は、南オーストラリア州のウーメラ付近という。はたして、その宇宙からの「お土産」は何? “出迎え”に行こうか。
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《多様多彩》欄、山本哲朗氏の「花との交信」の投稿作品は、むろん花の写真なのだが、その画像を通して、日本の社会のその時々の有り様までもが伝わってくるようだ。それは、写真技量によるものなのか、それとも、花自体が語っているからなのか。
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香港版治安維持法成立、7月1日より適用。「香港独立」と書いた旗をもって警察に逮捕され、頭を路上に押し付けられた青年の顔が目に焼き付いた。「やるべきことをやった。俺の人生もこれまでか」。そんな悲愴な表情。
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06月
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「閉じこもり生活」と「三蜜排除」を同時に行うのは論理矛盾。おかげで社会では、一方ではDV(家庭内暴力)が増え、他方では家族間の親密性が増す、などの相反する現象が生じている。自分はどうかと言えば、豪政府による生活保障支援が功を奏し、後者を味合わせてもらっている。このコロナ対策を契機に、社会保障に厚い国造りへの支持が増えるのだろうか。
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6日土曜、シドニーでも、人種差別への抗議の集会が催された。当初、NSW州政府はコロナ感染の危険を理由に集会を不許可。だが高等裁への異議申し立てが通って認可、2万人が参加した。写真はBLM (Black Lives Matter)と空に書かれた文字。
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05月
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二枚の写真。同じ場所で、上は今日、5月30日に、下は5カ月前の昨年12月末に撮ったもの。今日は清々しく晴れ渡っており、芝も緑。12月のは、森林火災による煙で空気は汚れ、芝も乾燥して枯れ切っている。
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今、暴動が起こっている米国のミネアポリス。どの州かと調べたらミネソタ州。そのミネソタと聞いて、どういう訳か、いきなり頭に浮かんできたのが「ミネソタの卵売り」という古い歌。「♪卵に黄身と白身がなけりゃ、お代はいらない、コッコッコッコッ、コケッコー♪」。1951年の歌という。私がまだ5歳のハナッタレ小僧のころ。
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今回の投稿写真『緑さす』を拝見して、日本での新緑の体験を思い出した。たとえば、初夏の山道を歩けば、空気までもが新緑に染まっているようで、肺の中まで、新緑色で満たされた気がしたものだ。だが、オーストラリアでは、樹木の種類が違い、あの初々しい緑に抱擁される感触にひたれない。シドニーは今日、冷たい秋雨。
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このコロナ禍だが、73との年齢に伴う、「二面」の巡り合わせによって救われている。ひとつは、すでに年金生活に入っていて、失業や無収入の脅威にさらされないことだ。第二は、前立腺肥大を除き、既往症が何もないとの、生命の脅威にもさらされないことだ。前者はまったくの幸運だが、後者は違う。少なくとも長年の、意識した健康志向による。
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こちらはすっかり秋。青く澄み切った空にすじ雲が美しい。
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日本は、巣ごもり連休中。本サイトは、どうやらその恩恵を得ているようです。五月に入ってから、訪問者の数がうなぎ登りで、4月平均の5割増し以上。普段、時間に余裕のない人たちが、この機にと、腰を落ち着けて読んでいただいているようです。期待にお応え出来ていればよいのですが。
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04月
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[caption id="attachment_13114" align="aligncenter" width="200"] 空を覆った煙で太陽も赤く変じて不気味[/caption] [caption id="attachment_13115" align="aligncenter" width="200"] この空が、同じ空とは[/caption]
ここ一週間ほど、快適な天気が続いていて、近くの公園の光景(写真下)も平和そのもの。一月の森林火災(写真上)は、まるで悪夢であったようだ。だが、それに代わる今のコロナ禍はリアルだ。
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すでにその兆候は始まっているが、コロナ禍が終息した後は、「情報資本主義」とでも呼べるような、情報資源が主動力となる社会が到来するだろう。それを、電脳監視社会とするか、AIアシスト自由市民社会とするか、今、その天地の分かれ目にある。メガデータに頼っても予測がきかない、多様性社会を花咲かせたい。
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「コロナ」対策の「家で過ごせ」政策のおかげで、にわかに自転車ブームが発生。私のいつもの川沿いのジョギングコースも、一家総出のサイクリングでうるさいほどだ。また公園の広場では、若いお父さんが、幼い子供に自転車乗りを教える姿も多い。長引くコロナ禍で、家庭生活は変わり、自転車店は、従業員を新たに雇うほどの繁盛。
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今や世界は、コロナ・パンデミックとの戦時下にある。そこでは、短期的とは言え、ケインズ政策とも呼ぶべき国家主導の国民生活と経済の下支え政策が実施されている。そして、感染防止のため、個人やビジネスの自由も制限される。果たして、こうした国家管理と自由制限の組み合わせが、「新常態」とされることになるのだろうか。
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コロナ禍は、両刃の剣だ。それは人々を目に見えない恐怖に陥れ、支配するためのステルス・テロリストだ。他方、その悪さの汎用性がゆえに、誰もの苦しみを束にする団結効果も発揮している。私の手元に、この後者に期待する知らせが届いた。コロナのせいで、生活手段を奪われた風俗労働女性たちを救おうとの署名活動。
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このコロナとの戦いの中で、世界の先進資本主義国の多くが、急速に“社会主義国”化している。むろんその“戦時”状況突破のための一時的措置だ。そしてその戦費にする巨費を将来予算から前借しようとしている。日本といえば、すでにその手はほぼ使い果たしている。次は、まさか「欲しがりません勝つまでは」か。
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4月1日、ここオーストラリアで、「逆エプリルフール」が発生した。私は年金受給者なのだが、政府によるコロナ禍対策の生活援助として、750ドル(約5万円)の一時金がさっそくに支払われてきたからだ。申請手続きも不要で、自動的に口座に振り込まれてきた。うわぉ!
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03月
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ここシドニーでは、今夜0時より、外出自粛がひと段階厳しくなり、その一つが、感染に弱い70歳以上の高齢者の外出を出来るだけ控えるようにとのお達しである。73歳の私だが、戸外での運動は、やらなければ絶対に逆効果である。ともあれ、「平均的」ではなくなっているようだ。
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新型コロナウイルスのパンデミックに関し、日本の対応が世界から注目されている。例えば、日米の感染者数と死亡者数を比較すると、1,375と47、85,689と886となり、なぜ日本はこうも少ないのかとの驚きである。よって、日本には隠れた感染があるのではないかと疑う見解もある。むろん、今後の爆発的拡大の恐れはある。しかし、これだけしか死者がいないとは、疫病対策として、ともあれ成功している証拠である。今後の経緯を見守りたい。〔日本の数はクルーズ船を含む、3.27現在〕
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五大陸最高峰の全登山をめざして、2015年より世界を自転車ツアーしている我が若き友人、高詩しか男君が、この3月10日、欧州より最後に残すエベレストへの移動の途上、ジョージアの最高峰、カズベギ山の冬季単独登山を成功させた。これは、アジア人では初の快挙という。【写真はフェイスブックより】
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考えてみれば、ウイルスは生物と情報の間の子だ。新型コロナウイルス騒動がどんな形で終息するにせよ、経済の一層の情報化という結果をもたらすだろうことは因縁だ。そこでもサプライチェーンは依然不可欠だが、一層ロボット化され、その情報化を高める。そうして、生活や経済が「ナレイティブ化」を遂げないでは済まないことだ。
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「新型コロナとは結局何か」との先の問いへの回答:【国民皆保険のない国に発生した流行性ウイルス】。そこで、その出所をめぐり、該当する米中間のなじり合いが始まっている。昨年末、武漢での発生が報じられた時、米国では、「インフルエンザ」の死者が2万人にもなりながら放置されていた。それが持ち込まれたと中国は主張している。いずれにせよ、国民皆保険を持たぬ国が発生源となり、世界に大迷惑を与えている。大国なら、全国民に健康保険を保証するのは、自国のみならず、世界への責任ではないか。
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新型コロナのパンデミックと世界経済の縮小の恐れ。この同時発生は何を意味する。病気の拡大を止めるのは絶対優先事項。何を犠牲にしようと達成せねばならぬ。それが故、膨大な富が消えんとしている。もしそれを「調整」と呼ぶのなら、それで済んでしまう富とは。もし「調整」でないなら、消えた富は、その犠牲にふさわしかったものとなるか。
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NYタイムスの記事によれば、武漢から避難して強制隔離を終えた米国人親子に、US$3,918の医療費請求が来たという。毎30秒に一人、医療費未払いで破産する人がいるという。コロナウイルスのテストは$500はするらしい。その一方、1万人とも2万人とも言われるインフルエンザによる死亡者との報道。その内のコロナの死者は? サンダースの皆保険の公約は正しい。
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02月
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「新型コロナウイルス」って、結局、何なのか。それがもし人工の産物なら、誰が何を考え、何のためにやっていることなのか。他方、それがもし自然現象なら、こんな病害を自然に出してしまう中国って国は、人間世界にとって、なんと危い国ではないのか。そして、そのどちらにも真実があるのなら、人間って、なんと愚かな存在になってきていることか。
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コロナウイルスがパンデミック(世界的流行)の段階に入った。日本発で、その流行を最小に食い止めるアピールが届く。新手の偽メールのリスクもあったが本物と判断、HPの掲示板にのせた。ともあれ、世界経済へのインパクトは避けられない。「世界コロナウイルス不況」とでも呼ばれることになるか。
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偶然だが、2のぞろ目となる2020年2月22日の今日、本サイトは390号に更新。この半年、読者数の漸減がつづいてきたが、今が底の気配。その反転の動力は、どうやら新企画の《多様多彩》と『“KENKYOUFUKAI”シリーズ』らしい。ともあれ動向を静観。ついでながら、2222年2月22日というスゴイのが202年後に来る。どんな時代か。
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昨日、オーストラリアの森林火災の鎮火宣言。今シーズンでの全焼失面積は12万平方キロに達したという。実に日本の総面積の32パーセント。一方、新型コロナウイルスによる死者は全世界で1500人を越え、まだ流行衰えの兆しはない。まさに、地球は異常だ、病んでいる。「ヒトは地球のウイルスか」。そんなフレーズが脳裏をよぎる。
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ほんの一週間前までは、森林火災の脅威にさらされていた地帯が、この週末は、激しい豪雨に襲われて、今度は洪水の脅威だ。下の地図は、10日現在の過去24時間の降水量分布。シドニー辺りから南部にかけて、200~400ミリの紺から紫色。
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死者数で言うなら、この冬の米国のインフルエンザの猛威は、中国発の新型肺炎どころではない。本日段階の報道では、新型肺炎の死者は563人だが、米国のインフルエンザは2万5千人にのぼるという。その騒がれ方には見事な差がある。たとえ独裁国家での報道管制を見込んだとしても、報道姿勢としていかにもバランスを欠く。当然、米国発の感染拡大もそれに比例しているだろう。片やは国境が閉ざされたも同然、他方はいまだに野放し。
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これはブラックジョークだが、中国発の新型肺炎の流行は、天安門事件で殺された中国市民たちのたたりのようだ。1989年6月4日のその流血の弾圧の後、1992年に鄧小平の「南巡講話」が出され、それ以降は、共産党独裁下の拝金経済発展主義が蔓延。無視された国民の政治的成熟のあげく、公衆衛生すらも手薄な中、30年の潜伏期をへてビールスに生まれ代わった。
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01月
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今度は停電だ。どれくらいの範囲で発生したのか、情報までも切断されて判明していないのだが、最高気温が43度になった昨日の夕方、何の予告もなく停電となった。夜も30度を越える熱帯夜なのに、クーラーも扇風機も使えない。ネットも通じず、この発信も今となった。電気会社に問い合わせても、送配電会社の責任と話にならない。どうやら、酷暑で限界を超えた電力消費のしわ寄せを食わされたようだ。
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久々に雨の音がする。空気の臭いも、煙臭さから、雨と土のなす香りに変わった。9月以来の森林火災による延焼面積は10万平方キロ。日本の総面積の38万平方キロと比較してみる。かくしてシドニーの煙害はひと段落したが、オージーの環境意識は格段にシビア―となった。経済的被害総額もまだ不明。
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前回本欄記載からの一週間で、NSW州の森林火災の焼失家屋数は1,300棟から2,000棟へと増加した。昨日もシドニー市中で政府環境政策の転換を求める大規模なデモが行われた。風で飛来する灰と水使用の制限で、走る車のどれも埃だらけの醜態を余儀なくされている。戸外での運動を控えるようにとの警告も発せられ、もはや森林火災は、誰にとっても、“身に火の粉がおよぶ”災難と化している。
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オーストラリアの新年は、ほとんどの州で、手に負えない山林火災の未曾有の被害で明けました。シドニーを州首都とするNSW州だけでも、すでに焼け落ちた家屋は1,300棟を越え、シドニーから南の海浜地帯にある私の知人宅も、元旦早々、火の手に襲われ全焼。しかも、さらなる酷暑が予想されるこの夏は、まだ、その半ばです。
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