四分の三プロジェクト」については、身動きすら取れないこのコロナ状況下、むしろ、それをチャンスとして逆手取ります。そして、籠城に徹して内部固めを優先し、来たる開城の時に備えたいと思います。すなわち、副タイトルのように、「老若共闘」「バーチャルと非局地性は同義語」「情報とは何か」との三大課題への取り組みを柱に、その時のための準備作業として、当面、専念してゆきます。 詳細記事

前回に申し上げましたように、私は、貴サイトの作品群を「全体」として受け止める姿勢で読ませていただいております。

そこで思うのですが、普通、著述作品の書き手なら、その作品は、たとえば小説とか論考とかと、はじめからそれらしい作法にならうのが通例かと思われます。

それを、本サイトの場合、その「発行主」はそうした典型作法をとらず、なにやら、ぎこちなく変則的に――その型破りなところが面白いのですが――、独白から創作にいたる幾つかの部門をもうけ、まるで将棋の駒を打つように発表されています。

ただそれにより、あちこちに分散していて――大抵リンクされていますが――、その分量も並大抵ではなく、読者にとっては追跡に手間を要し、その全体像をつかみとるのはなかなか骨が折れます。 詳細記事

残す四分の一をどう生きるか

新企画の骨子

「四分の三プロジェクト」をめぐって

前回、この8月20日の75歳の誕生日を契機に始める《四分の三プロジェクト》を、早々と公表しました。そこに述べたことは、骨子ばかりの概略計画ですが、残すこの先の「四分の一」を導くべきマスタープランとなるはずの計画です。

といっても、時はいまやコロナ感染の真っただ中で、どんな急変が起こるか気を許せず、いわゆる予定や計画などを立ててみても画餅になりかねません。

そこで当面は、そのマスタープランへの肉付けの狙いも合わせ持った論述作業を優先し、その実行を図ってゆくつもりです。 詳細記事

  以下は、「縞栖理奈」と名乗られる読者からいただいた投稿です。当サイトでは、その縞栖さんのご希望にそい、『地球「愛」時代の夜明け』とのタイトルのもとに、今後5回にわたって掲載してゆく予定です。【発行人】  

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私の生業はともあれ、一個人の関心をもって、貴サイト『両生歩き』をたいへん興味深く拝読しております。ことに、貴サイトの多種多様な記事を、個々の記事としてより、むしろ作品群としてその全体像を受け止める気持ちで読ませていただいております。そこで、勝手ではありますが、そうした読書体験から得た感想を投稿という形でお送りし、お願いできますならば、いくつかの記事として掲載していただければと望んでおります。 詳細記事

8月20日の75歳の誕生日にはまだ一カ月ほどあり、“フライングスタート”なのですが、これを節目とする《四分の三プロジェクト》、略して《3QsP》、を開始しようと思います。人生を仮に100年として、その四分の三の地点に達したこの場より開始する新プロジェクトです。

今年5月の単独トレッキングにて。おにぎりをほうばって、エネルギー注入。

先に、連載記事「自分って何人」を終えるにあたり、その設問が、結局、自分の「国離れ」の有無を問うたものであったとの結論に至りました。

そして、その結論に伴い、この「国離れ」の意味することが、自分の人生体験の現場としての国内と国外の二重生活と、思考体験上のフォーマットとしての「科学」と「神秘主義」という二極への到達がゆえと見えてきたことがありました。

これをアイデンティティ(ID)との視角から言えば、私の75年の人生が、その前半における、「国」という《自然ID》の拠り所と、その後半における、人生行路が切り開いてきた《選択ID》の形成という、二重のIDの所産であったということです。

しかもそれが、75歳という《生命上の越界》にそこまで接近してきている時と、《思想上の越界》すなわち「科学から神秘主義への越界」が顧みられ始めている時にも同期しているとの、時間的一致=偶有性も働いていそうです。

加えて、この「科学から神秘主義への越界」が、たとえ「牽強付会」な解釈としてでも、量子理論という科学の最先端の領域で切り開かれているともなれば、残りの25年を飾るに光栄すぎる遭遇でさえあります。

さらには、私が1946年8月に平和に根差す戦後初の生命として誕生したことは、ヒロシマ・ナガサキを想起させる歳月からも四分の三世紀ということであり、これは「国離れ」とは逆に、日本のその慚愧(ざんき)この上もない歴史と、切っても切れない関わりを含むものでもあります。

このような多義かつ忘却もできない諸テーマをもって、この《四分の三プロジェクト、3QsP》への取り組みを始めます。 詳細記事