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「国民は常に指導者の意のままになる。それは容易なことである。自分たちが攻撃されていると伝えればいいだけである。平和主義者は愛国心がなく、国を危険にさらしていると非難すればいいのである。どこの国でも同じことだ。」――ヘルマン・ゲーリング、1946年のニュールンベルク裁判での証言
〔訳注〕第四帝国: 第一の神聖ローマ帝国と、第二のドイツ帝国、そしてその正統性を受け継ぐ「ファシスト政権」が「第三の帝国」だった。その後を引き継ぐ独米をまたぐ帝国のこと。
終戦後、ファシストの夢を信じる人々は、別のアプローチが必要であると考えた。戦争の代わりに、ドイツが支配する統一ヨーロッパを、国際条約と外交によって実現するのだ。それは1957年、欧州経済共同体が設立され、わずか6カ国――ベルギー、フランス、イタリア、ルクセンブルク、オランダ、西ドイツ――からスタートした。それ以来、28カ国に拡大し、「EU」と呼ばれるようになった。現在でも、その「億万長者の犯罪政府」が強力な超国家企業を運営し、その企業がイギリスやEU超国家連合に政策を指示している。米国もまた、その規模から、大企業が政府のトップを占めるという新しい姿のネオ・ファシズムの感染に冒されることになる。
(1) Cooper, Harry, Hitler in Argentina, The Hitler Escape Trilogy, 2014.
ビルダーバーグは、1954年にオランダの同名のホテルで初めて会合を開き、その創設者の一人がオランダのベルンハルト王子であった。彼は重要な設立メンバーであっただけでなく、ベルンハルト王子は実際に1976年まで組織の議長を務めていた。あまり知られていないが、ベルンハルト王子は実はナチス党員であり、一時は親衛隊の幹部だったこともある。以下は、テレグラフ紙に掲載された「ベルンハルト、秘密の歴史」と題する記事からである。ベルンハルト王子は、ユリアナ王女(後のオランダ女王)と結婚する3年前の1934年まで、ドイツのナチス党員であったことが明らかとなった。記事は、ベルンハルトがナチスの略奪した富をまとめ、ファシズムをビルダーバーグ・グループの政治領域に取り込んだことを解説している。(2)
実際、現在ユーロと呼ばれている欧州連合の共通通貨のコンセプトは、ビルダーバーグ・グループによって考案され、開発されたものである。この組織は常にヨーロッパ統一の最前線にいるが、EUを作り上げたこの影の組織がどこから来たのか、知る人は少ないだろう。EU超国家連合を作り上げた影の組織で、その起源を知る人は少ない。
ベルリンのフンボルト大学で学んだベルンハルト王子が、国家社会主義者の学生友愛団体「ドイチェ・スチューデンシャフト」やナチスのNSDAP、その準軍事組織「シュトルマブテイルング」に参加していたことを証明する会員証が、オランダの歴史学者アネジェット・ファン・デル・ザイルによって発見された。1934年12月に大学を卒業し、ドイツの化学大手IGファルベンに就職すると、歴史の逆鱗に触れたのか、ナチス系の団体をすべて退会した。ベルンハルト王子とIGファルベンとの関係も、ナチスとのつながりがある。以下は、グレン・イードンの『アメリカのナチス・ヒドラ』という本からの引用である。
オランダのベルンハルト王子が設立したビルダーバーグ・グループは、1954年に最初の会合を開いた。王子はSSの元将校で、第三帝国のスパイとして活躍したIGファルベンの悪名高いNW7グループで働いていた。ベルンハルトは、テンプル騎士団のオランダ支部に所属していた。1954年、彼はテンプル騎士団オランダ支部の総裁に任命された。ジョン・フォスター・ダレスは、ビルダーバーグ・グループの設立に最も協力したアメリカ人の一人である。ちなみに、ダレスは1954年、GAFのような既得の敵国資産を元の所有者に返還するための法案に賛成した。
上の引用文が示すように、ジョン・フォスター・ダレスはビルダーバーグ・グループの設立に大きく貢献した。彼の兄であるアレン・ダレスは、ナチスの科学者やスパイ長らを大量に米国に入国させ、米国政府のためにさまざまな仕事を始めさせる「ペーパークリップ作戦」を指揮した責任者である。アレン・ダレスはこのプログラムに非常に情熱を注いでおり、2人の大統領がこのプログラムを停止させようとしたときにも、このプログラムは継続された。ナチスの科学者たちの歴史を曖昧にし、彼らの真実の物語を明るみに出そうとする努力を阻止することで、アメリカの体制に同化させたのが、アレン・ダレスのCIA「ペーパークリップ作戦」である。このプロジェクトは、アメリカ陸軍の将校が主導していた。この計画は1947年9月に正式に終了したが、これらの将校と他の人々は、ペーパークリップ作戦を継続させるために、1950年代半ばまで(法律と大統領令の両方を迂回する)陰謀を実行に移した。トルーマン大統領もアイゼンハワー大統領も、自分たちの指示が無視されたことを知らされていなかった。ケネディ大統領はアレン・ダレスをCIA長官より解雇し、「CIAを千個に分割して風に散らしたい」と考えた。鶏小屋の回りを徘徊る狐のように、アレン・ダレスは再びウォーレン委員会の委員となり、JFK暗殺を調査することになる。
もちろん、ビルダーバーグ・グループの関係者は、自分たちを表現するために「ナチス」という言葉や「ディープステートのために働く」というフレーズを使うことはないだろう。この言葉は悪と結びついていて、誰も関わりたくないのだ。しかし、ナチスの価値観や原則は、ビルダーバーグ・グループのような組織で生き続け、言葉よりも行動がものを言っている。もちろん、究極の目標は、地球全体を支配する「一つの世界政府」である。私たちは、彼らがそれを達成できないことを願い、決して実現できないことを祈ろう。人類は、目を覚ましてこのシステムを拒否するか、それとも、何世代にもわたって、圧制的な企業統治の下で従属的な支配を受けることになるのか。
(2) Snyder, Michael “Bilderberg: Started by a Nazi, still with the same agenda.” Blacklisted News: http://www.911forum.org.uk/board/view-topic.php?p=170
一般に「国家安全保障国家」と呼ばれるものは、第二次世界大戦後に誕生したものである。その正式な始まりは、1947年に制定された国家安全保障法である。トルーマン大統領は、任命された議長の下に統合参謀本部(JCS)を組織し、その諮問機関として国家安全保障会議(NSC)を設置した。アイゼンハワーは、後に国家安全保障諮問官という役職を設け、国家安全保障会議を主宰し、直接報告を受けるようになった。この冷戦装置の創設時の文章は、ソ連の野心と力を警戒的に誇張しているのが特徴で、ペーパークリップ・ナチのラインハルト・ゲーレンは、それぞれの立場を逆手に取った。アメリカは、もし、少しでも左に傾けば、「ドミノ効果」を引き起こし、共産主義下で地域全体を崩壊させてしまう、という考えに基づいて、近くて遠い国の内政に介入する権利を正当化した。この「トルーマン・ドクトリン」 は、1947年、アメリカをベトナム紛争に導いた。1950年4月7日付のNSC-68報告書は、クレムリンが「この共和国のみならず、文明の破壊」をもたらす脅威であると断言した。この報告書の主執筆者であるポール・ニッツェは、ソ連に対する先制核攻撃は望ましいが、「ただし、それが明らかに、攻撃中にある、もしくは、されようとしている攻撃に対する反撃の性質を持つものでない限り」非現実的であると考えた。というのも、「『予防』戦争という考え方は、我々や我々の同盟国に対する軍事攻撃によって引き起こされたのではない軍事攻撃という意味で、一般のアメリカ人には受け入れがたいものである」。つまり、自衛的な雰囲気を保ちつつ、いかにして敵の攻撃力を粉砕するほど強力な先制攻撃を行うという、原爆保有を公式に正当化する抑止力とは全く異なる問題をこの報告書は提起している。(3)
1947年の国家安全保障法では、CIA(中央情報局)が誕生し、それは大統領が使用するインテリジェンスを一元化することが公式の目的であった。しかし、その予算は(1952年以降)主に計画局(Directorate of Plans)で費やされている。そしてその専門は「秘密工作」であり、NSC-10/2指令では「敵対する外国の国家や集団に対して本政府が実施または後援する活動」と定義されている。これは敵対する外国の国家や集団に対して、あるいは友好的な外国の国家や集団を支援するために、本政府が実施または後援する活動であるが、その計画および実行は、米国政府のいかなる責任も明らかにしないように行われ、また、明らかになったとしても、米国政府がそれに対するいかなる責任ももっともらしく否認できるようなものである。つまり理論的には、公表された場合、大統領のすべての違法行為を免除するように設計されている「もっともらしい否認」の原則は、CIAにほぼ完全な自治権を与えている。実際この原則により、CIAはその活動を大統領に明らかにする必要から解放される一方、万が一の場合に大統領の保護を受けることができる。NSC-10/2という文書を作成したジョージ・ケナンは、後にこれを「私が犯した最大の過ち」と呼ぶことになる。
アレン・ダレスが指揮するCIAは、3つの大陸で、民主的な選挙で選ばれた政府を倒し、アメリカの指導のもと独裁政権に置き換えた。そのの大きな成功は中東で、1953年、イランのモサデグ首相に対するクーデターであった。モサデグ首相は、アングロ・イラニアン・オイル・カンパニー(AOIC、1954年にブリティッシュ・ペトロリアムと改称)を国有化することを意図していた。その後、CIAは イラン国王モハンマド・パフラヴィーをテヘランに飛ばし、その秘密警察であるサバクの訓練を開始した。同じ頃、ラテンアメリカでは、CIAはグアテマラ大統領に対するクーデターを監督していた。グアテマラの大統領ハコボ・アルベンスに対してCIAは、1954年から1996年までの間に20万人以上の民間人を死亡させた軍事政権によるクーデターを起こした。アルベンスは、10万人の貧しい農民に土地の一部を再分配するという計画によって、土地の90%以上を所有する巨大バナナ企業である多国籍企業ユナイテッド・フルーツ・カンパニーの利益を脅かした。南米諸国やその他の地域で、CIAが支援した民主的な選挙で選ばれた政府の転覆には、他にも汚い洗濯物のリストがある。1953年に書かれ、1997年に機密解除された『暗殺の研究』と題するCIAのマニュアルには、武器、爆弾、模擬事故などによるさまざまな殺害方法についての詳細な指示が書かれている。場合によっては、暗殺者を「秘密工作員や犯罪組織のメンバー」にすることが推奨されている。(4)
国家安全保障国家とCIAは設立されてまだ1世紀も経っていないが、背後でファシスト政権樹立の動きを支える諸個人は、〔それ以前から〕非常に長い間、それを続けてきたのである。ディープステートは、政府、官僚組織、情報機関などの内部に入り込んだ秘密のネットワークであると考えられている。フランシス・ベーコンは1605年、「私たちは、世界を支配する神の政府が隠されているのを知っている」と書き、ディープステートについて説明している。これは、ベーコンが地上支配の良いモデルだと考えた、深層国家の最たるものである。「曖昧で見えない」ことが、ベーコンが考える政府の最も効果的なあり方であった。 つまり、フランスのレッセフェール「自由放任」政府の概念に従ったものである。
(3) James, Preston, “The Third Hijacking of America?” https://www.veteranstoday.com/2017/12/26/the-third-hijacking-of-america
(4) Putney, Alexander, R. Veil of Invisibility. Human Resonance, 2009. The Promise Revealed.
1946年9月、トルーマンは、ドイツの科学者が戦後の活動に貢献できるようにと、ナチス・ドイツの科学者をアメリカに呼び寄せる「ペーパークリップ計画」を許可することに同意した。この計画では、当初、ナチス・ドイツの科学者をアメリカに連れてきて、報告を受けさせ、ドイツに帰国させる予定であった。しかし、彼らの知識、専門性の高さを知ったアメリカは、計画を変更した。政府による元ナチスの雇用において、アメリカのエージェントは、ファシズム、自国民への暴力、国内監視、その他同様に非民主的な属性を特徴とする政権の一員であった彼らと非常に密接に連携していた。ドナルド・トランプが彼らを取り込むまで、CIAの「ディープ・ステート」は本質的に、誰がホワイトハウスにいようと、国を動かす代替権力のネットワークだった。第三帝国への資金提供という役割を考えれば、影の政府がヨーロッパで活動する優秀なナチスをニュルンベルク裁判から遠ざけ、アメリカに移し、より効率的な兵器や軍事用途の技術を開発する仕事を継続させたことは驚くにはあたらないだろう。
ペーパークリップ作戦の下で、統合情報対象局(JIOA)は、遠隔操作技術に取り組む科学者の部門を含め、ナチ党のための応用軍事開発に関連する科学者、情報将校、MK-Ultra Mind Kontrolle精神医学研究者およびロケットエンジニアの多くを雇用した。戦略サービス局(OSS)から新たに設立されたCIAの役割は、戦後の反共活動のために、SSのネットワークを米国の給与で維持することであった。旧ドイツの工作員たちは、当時の大多数の国民に知られることなく、アメリカ政府のために働くことを許され、その暗い過去は「すべて水に流され」た。
歴史の教科書は教えくれないが、ケネディーとフルシチョフは、危険なキューバ危機の後、共同宇宙計画を開発するつもりだった。だが軍産複合体(MIC)とペーパークリップ・ナチスは、両者を分離することを望んでいたため、この初期の交渉はケネディーの寿命を縮めるようなものだった。その理由は、架空の「宇宙開発競争」を通じて資金を最大化し、真の脅威は「共産主義者」であって、CIAと米国のファシスト「銀行家」の支援を受けてアメリカに浸透している進行中のナチス・ファシスト第四帝国ではないという装いを維持するためである。彼らは、CIAとアメリカのファシスト「銀行家」の助けを借りて、アメリカに潜入していた。彼らは、意図的に、総務省企業、NASA、司法省、国務省の権力の座に就いた。ソ連でも同様の潜入が試みられたが、あまり成功なかった。しかし、元ナチスを宇宙開発に利用したことで、偽の宇宙開発競争の両側で、情報伝達や妨害工作、隠された帝国の思惑が働くようになった。一方、何兆ドルもの資金が宇宙開発競争の両側で流用され、国家安全保障のベールをかぶった反逆的な行動と意図を隠すことによって、ファシストの意図を強化するために使われた。
いまや、この新しい形のファシズムが、どのようにして米国に定着したかを知ることができる。ヴェルナー・フォン・ブラウンと彼のロケット科学者チームだけでなく、軍のトップ、東欧諸国のスパイ、サディスティックなマインドコントロール精神科医など、かつての第三帝国のナチスが米国にやってきたときからそれが本格的に始まったのである。正当な理由は、ソビエトやその他の外敵との可能性のある戦争に勝つためのものだった。しかし、それは真の目的ではなかった。主な目的は、アメリカを内部から破壊することであり、1945年から徐々にアメリカに第四帝国、つまり新世界秩序を作り上げることだった。ナチスという敵は、70年以上もの間、誰も疑うことなく、アメリカ国民の鼻先で生きてきた。もちろん、オリジナルのナチスの多くは死んでしまったが、イデオロギーは生き続けている。私たちが読んできたように、超極秘のビルダーバーグ・グループは、最初からナチスと関係があり、今日に至るまでネオ・ファシストの計画を進め続けている。以下は、アメリカにおける第四帝国のほんの一例である。
ナチスと同じように、彼らは、現在の国土安全保障省のような国家警察を備えた、高度に社会化された中央集権的な国家政府を提唱している。これは、合衆国内の国内政策を実施するために連邦軍兵士を使用する際の連邦政府の権限を制限するPosse Comitatus Actに反するものである。
ナチスと同じように、秘密エリートはグローバリゼーションに深くコミットしている。ナチスは戦争によって帝国を確立しようとしたが、秘密エリートは外交、交渉、諜報活動によってそれを実現しようとする。
ナチスと同じように、彼らは一般市民に対する厳格な銃規制、政府による中央集権的な教育、公的生活からの組織的宗教(特にキリスト教)の排除を信奉している。そして、ナチスと同じように、優生学と人口抑制に深くコミットしている。最近では、より「政治的に正しい」言葉を使うようになったが、彼らの多くは、今日の世界における第一の問題は人口過剰であると絶対的に確信しており、さまざまな方法でそれを何とかしようと決意している。そして、さまざまな「スローキル」プログラムによって、この問題を解決しようと決意している。
ナチスと同じように、彼らは自分たちが世界のエリートであると信じ、他の人種を軽蔑し、必要であれば軍事力を使って自分たちの目的を達成することを信じている。そして、政府、官僚、情報機関などの内部に凝り固まった秘密のネットワークである「ディープ・ステート」を採用している。政府の秘密にアクセスできる強力な官僚や、信頼できるメディアの友人たちは、確かに影から政府高官に影響を与えようとしている。
残忍な東ドイツのシュタージ〔国家保安省〕と同様に、この新しい秘密国家は、すべての人をスパイし、インターネットを通じて私たちをコントロールしようとしている。NSAの元技術部長であるウィリアム・ビニーは、「ドイツはポスト・ファシスト国家であり、彼らはそれを知っている。アメリカはファシズム以前の国家であり、そのことを知らない」。私たちが見ているのは、新しいグローバルバンカー政府のアジェンダを強制するために作られた、全体主義的な警察国家なのである。
ベテランズ・トゥデイの元編集者で、ウィスコンシン州マディソンの退職教授であるジェームズ・ヘンリー・フェッツァー博士は、「世界は、アメリカ人が自分たちの政府からの脅威に直面していることを理解する必要があり」、「国土安全保障省は、世界史上最も効果的な秘密警察として広く認知されている東ドイツのシュタージをモデルにしている」と述べている。
「ここアメリカでは、警察を軍国主義化しようとする試みが行われており、その多くはイスラエルで訓練を受けて、イスラエル人がパレスチナ人を敵として扱うように、アメリカ市民を敵としてみなすように変えている」。フェッツァーは、コネチカット州ニュータウンのサンディフック学校銃乱射事件のような銃による暴力行為の多くは、アメリカ人が銃器を持つことを禁止するためにアメリカ政府によって演出された「捏造、偽装、仕組まれた出来事」だと主張した。「なぜなら、国家安全保障と米国におけるファシズム的な軍事国家建設の間に立っているのは、1億人を超える武装した米国人だけだからです」とフェッツァーは結論づているる。
秘密裏に浸透し、ファシストが打倒された後、私たちは自問自答しなければならないだろう。アメリカはもはや何のためにあるのか。私たちは、多くの憂慮すべき衰退を目の当たりにしてきた。民衆民主主義の排除。不正な選挙。制限された市民権。偽善の拡大。警察の横暴の増加。やらせ偽旗作戦。毒のある遺伝子組み換え食品。環境破壊。ミツバチの驚くべき減少。市民のお金で銀行救済する。個人資産の差し押さえ。失業率。貧困の拡大。増大する 軍事費の増大。公害。規制緩和。企業の財務責任不問。エリートの金融犯罪に対する免責。合法化された詐欺。メディアのプロパガンダ。社会サービスの削減。無貯金。家もない。老後もない。希望もない。未来もない。1%を除いて、誰も幸福を追求する目的がない。
エリート秘密結社は、地球上の大多数の人々を殺そうと、数多くの異なる方法を考え出し、非常に前向きである。すべての災害、ケムトレイル、水へのフッ素添加、NDAA、モンサント保護法、ミツバチを殺す、フラッキング、「偶然の」石油流出、戦争、経済崩壊、予防接種のがん化、ワクチンの義務化、アジェンダ21、未試験の5Gの展開などは、人類を嫌う悪意のある「自己奉仕型」の地球人によってすでに侵略されているという強い兆候である。モンサント、IGファルベン、バイエルなど多くの製薬・化学企業は、アジェンダ21の一部であり、「堕天使」の人口減少のアジェンダである。ドラコ/アヌンナキやその他の自己奉仕的なETは、人間を嫌っているが、私たちの間に住み、腐敗した人間を通して活動している。
欧米の政府は、これらの「自分勝手な」ETに乗っ取られ、ジョージア・ガイドストーンに描かれているように、地球が著しく人口過剰であると考え、アジェンダ21を実施しているため、過疎化が進み、口のきけない、従順な「羊たち」がいるのである。ケムトレイル、フッ素、ほとんどのワクチンの理由もこれである。人類が目覚め、DNAが活性化することを恐れている。製薬会社(ビッグファーマ)は、健康な人たちでは儲からない。彼らは文字通り、汚染された生活を通して私たちが感染する病気から利益を得ており、その結果、医薬品製造産業における彼らのビジネスは永続するのである。
1936年、駐独アメリカ大使のウィリアム・ドッドは、フランクリン・D・ルーズベルト大統領に宛てた書簡の中で、次のように述べている。
アメリカの実業家の一団は、民主的な政府に取って代わるファシスト国家を実現しようと躍起になっており、ドイツとイタリアのファシスト政権と密接に協力している。私はベルリンに赴任して、アメリカの支配者一族がいかにナチス政権と親密であるかを目の当たりにする機会がたくさんあった。…ある大企業の著名な幹部は、ルーズベルト大統領が進歩的な政策を続けるなら、アメリカにファシズムを持ち込むための明確な行動をとる用意があると、私にはっきりと言った。あるアメリカの実業家たちは、ドイツとイタリアの両国でファシズム政権を誕生させるのに大いに貢献した。彼らは、ファシズムが権力の座を占めるのを助けるために援助を提供し、それを維持するのを助けているのだ。ファシスト集団の宣伝担当者は、ファシストの恐怖を否定しようとする。私たちは、その兆候を認識すべきである。産業界が社会的、経済的進歩のために作られた法律を無視した場合、政府の機関がその規定に従うよう強制しても、彼らはファシスト国家に頼ろうとするのである。
1945年4月30日、アドルフ・ヒトラーが地下壕で自殺したとは、誰もが知るところである。ソ連がドイツを占領すると、ヒトラーの遺骨はすぐに隠され、ロシアに送られて、二度と姿を現すことはなかった。ヒトラーの遺体はソ連軍によって発見され、ロシアに運ばれる前に、身元が確認されたという。ソビエトがずっと嘘をついていたということは、本当にあるのだろうか。しかし、2009年、コネチカット州の考古学者ニコラス・ベラトーニが、ヒトラーの頭蓋骨の破片をDNA検査することを許可され、DNA鑑定を行うことができたのである。
その結果が、情報機関や学者たちの間で反響を呼んだ。そのDNAは、ヒトラーのものと思われる記録上のサンプルと一致しないばかりか、女性のものであり、エヴァ・ブラウンの身近なDNAとも一致しなかったのである。
さて、問題はソビエトが地下壕で何を発見したのか、そしてヒトラーはどこにいるのか、ということである。歴史上最も憎まれた男が、戦争で荒廃したドイツを戦争の末期に脱出し、美しいアンデス山脈の麓で、アルゼンチンのサンカルロスデバリローチェ近郊の厳重警備施設にあるイナルコハウスを含む様々な隠れ家で、のどかで平和な生活を送っていたという証拠がある。(5)
2014年に新たに機密解除されたFBIの文書は、アメリカ政府がヒトラーが生きていて、第二次世界大戦が終わった後もずっと南米のさまざまなファシスト諸国を自由に動き回っていたことを十分に知っていたことを示す証拠を提供している。それだけでなく、アメリカ社会も知っていたのである。FBIの文書によれば、ヒトラーとエヴァ・ブラウンの自殺が偽装されただけでなく、この悪名高い二人には、OSSのアレン・ダレス長官自身の協力も得ていたことが、FBIの文書から判明した。
FBIの「The Vault」と呼ばれるサイトで公開されるまでは、信じられないような話だった。アルゼンチンのファシスト政権であるペロン政権が、元ドイツの独裁者を歓迎しただけでなく、彼の潜伏を手助けしていたことがわかったのである。この文書に登場する無名の情報提供者は、ヒトラー一行が通った村の詳細な道順や、ヒトラーの身体的な詳細、たとえば潰瘍や喘息に悩まされていたことなどが書かれていた。これらの証拠は、ヒストリーチャンネルのヒット番組「ハンティング・ヒトラー」(3シーズン)で見事に紹介されている。
(5) CIA declassified memo shows Hitler alive in 1950s in South America: https://www.documentcloud.org/
documents/3988205-HITLERADOLF-0003.html#document/p2
…50年間秘密にしてきたラインハルト・ゲーレン将軍との諜報関係を認めるものである。…CIAの発表は、ゲーレンと何らかの関係があったことをCIAが初めて認めたものであり、この関係に関する記録の機密解除への道を開くものである。
ゲーレンは、戦争中、東部戦線におけるヒトラーの上級情報将校であり、第二次世界大戦がクライマックスに達すると、その専門知識と人脈を米国に向けた。ゲーレンのヨーロッパでの諜報員ネットワークは、米国の諜報員によって捕虜収容所から救済されたナチス出身者を含み、1956年まで米国から数百万ドルの資金を受け取っていた。戦後、ヨーロッパのアメリカ占領軍の要請で、彼は「ゲーレン組織」を設立し、ソ連と東欧に関する情報の大部分をペンタゴンとCIAに提供する対スパイネットワークとなった。この組織は、数千人を雇用し、その多くは元ナチスであった。この組織は、西ドイツの秘密情報機関である連邦情報局(BND)の前身である。1956年に正式に認可され、ゲーレンは1968年に引退するまで、この組織を率いた。(6)
ゲーレンは、ソ連、その指導者、情報、そして広範なスパイ網に関する膨大な知識を持っていた。ゲーレンのソ連に対する膨大な知識、指導者、情報、そして広範なスパイ網は、連合国にとって大きな価値を持つものであった。ゲーレンは、その目的を達成するために、自分のファイルをすべてマイクロフィルムに収めさせ、部隊のリーダーを率いてアルプス山脈に向かったゲーレンと部下たちは、バイエルン州上流のシュピッツィング湖畔にある小屋の地下に、情報部のアーカイブである50個の大きなスチールボックスを埋めた。そして、ゲーレンとその部下はアメリカ軍部隊を探し出し、アメリカ軍に投降した。そこで、ゲーレンとマイクロフィルムを米国に持ち帰るという取り決めがされた。
ゲーレン組織は、700万ドルの資金を得て、まず東ドイツのソ連地帯で活動を開始した。ゲーレンのプルラッハの本部は、何万人ものスパイから集めた情報を評価した。ゲーレンの旗に群がる夜の軍勢とは、いったい何者だったのだろうか。彼らは、第二次世界大戦後、数年かけて解放されたドイツ人捕虜のボロボロの隊列の中から出てきた。ゲーレンの部下は、彼ら一人一人にインタビューを行い、その体験談を詳細に書き出していった。ソビエトのための手先や工作者を排除した。ロシアの軍人と民間人について特別な知識を持っていて ロシアの軍人と民間人に関する特別な知識を持ち、西側に忠実であることが証明された者は、エージェントとして登録された。
その他の工作員、数千人もすでに配置されていた。これらは、ロシア、ポーランド、バルト三国、ルーマニア、ブルガリア、ハンガリー、アルバニア、チェコスロバキア、そして特に東ドイツにおけるゲーレンの「掘り出しもの」エージェントだった。ゲーレンの機能は、ドイツ連邦共和国が成立してゲーレンの組織が西ドイツ政府に吸収されるまで、米国の後援の下で運営されていた。彼の局は、メンバーには「オルグ」と呼ばれていたが、正式には連邦情報局、1956年にはBNDと呼ばれるようになった。ゲーレンの活動は主に東ドイツ国家安全保障省、共産主義政治警察(SSD)、ナチのゲーレン組織とナチのオットー・スコルゼニーのODESSAに対して行われ、戦後は共に活動していた。マーティン・リーの著書「The Beast Reawakens」(2000年)では、元米国情報機関員ウィリアム・コルソンが次のように明かしている。「ゲーレンの組織はオデッサのナチスを守るために作られた。」
国立公文書館によると、ゲーレンは1950年代から1960年代にかけて、ヨーロッパで最も権力を持つ人物になるまで組織を拡大した。ゲーレンの工作員は、アメリカ、イギリス、フランス、そして中東で活動し、エジプトの諜報機関やイスラエルのモサドとも連携していた。その組織は、NATOとソビエトの間のパラノイアを煽り、冷戦を悪化させたと大きく評価されている。ゲーレンの忠誠心は、旧ナチス・ドイツの民族主義者と、ほとんど目に見えない第三勢力である第四帝国に向けられ続けた。1968年、ゲーレンは引退し、後任にかつての部下であるゲルハルト・ヴェッセル中将が就任した。それから11年後、ラインハルト・ゲーレンは自然死した。彼は今日、「スパイ首領中のスパイ首領」、歴史上最も偉大な諜報部長の一人として記憶されている。
(6) Gehlen Org declassification, and FBI documents prove Hitler survived in Argentina after WW II: https://vault.fbi.gov/adolf-hitler/adolfhitler-part-01-of-04/view/
1933年までにナチス党内で大きな力を持つようになったマルティン・ボルマンは、ドイツの成功した企業家からの「寄付」によって支えられた「ドイツ産業アドルフ・ヒトラー基金」を設立、運営した。また、ボルマンは、労働組合組織の暗殺者、脅迫者としての名声を得た後、ヒトラーのすべての業務と個人の財務を管理した。彼は第三帝国の最も強力な指導者の一人となった。1944年末には、ボルマンは事実上ヒトラーの副官であり、最も親しい協力者であった。ヒトラーの弱点や個人的な特異性を利用し、自らの権力を増大させるという不思議な能力を発揮した。ヒトラーの発言はすべて詳細にメモしていた。常に総統に同席し、面倒な事務的作業をこなし、ヒトラーを巧みに誘導して自分の計画を承認させた。戦争末期には、ボルマンは、ゲーリング、ゲッペルス、シュペーア、さらにはヒムラーといった危険なライバルを追い出すための内通者を獲得し、総統への接近を自らコントロールした。ボルマンは、その信頼関係を利用して、ヒトラーが空想にふけることができ、他の党員からのより賢明で融和的な提案がヒトラーから遮断されるような現実に対する壁を築いた。ボルマンは、ヒトラーを書類作成の負担から解放するために、すべてをシンプルな事務処理式に落とし込んでいった。彼は、ヒトラーの予定表を作成し、誰に会い、誰に会わないかを決定した。ヒトラーは、ボルマンのような信頼できるアシスタントに報酬を与えた。彼は、連合国が帝国に侵攻する準備をしているときに組織された、ドイツ民間人の「人民の嵐」であるフォルクスシュトルムの幹部となった。
1943年は、戦争の転換期を迎えた年であった。枢軸国は後退し、連合国が明確な勝利に向かって前進していることは明らかだった。これを知ったボルマンは、西側諸国と降伏のための有利な条件を交渉する目的で、フォイヤーランド作戦(ティエラ・デル・フエゴ)を計画した。彼は密かにヒトラーの逃亡とナチスの財宝を南半球に避難させることを計画していた。その中には、占領地での長年の略奪行為によって蓄積された無数の略奪美術品も含まれていた。さらにボルマンは、ナチスの最新秘密兵器や研究者・技術者の居場所などの機密情報を提供し、米国が採用することを提案した。さらに、彼はイタリアでまだ戦っている数百万人のドイツ国防軍兵士の降伏を申し出ていた。
この時点で事実上ドイツの秘密支配者であったボルマンは、ライバルに対するマキャベリ的官僚的な陰謀をやめなかった。その結果、ヒトラーはニュルンベルク裁判にかけられることとなるゲーリングを解任し、自ら総統になろうとしたヒムラーの影響力は大きく削がれた。ヒトラーの政治的遺言に署名し、エヴァ・ブラウンとの結婚の証人を務めたのは、第三帝国で最も奇怪で邪悪な存在であるボルマンであった。
ボルマンの死が、ベルリン陥落、ヨーロッパ第二次世界大戦終結の最後の日であったということへの疑惑が絶えない。1946年、北イタリアとスペインの修道院でボルマンの存在が公表されたのを皮切りに、ヨーロッパではボルマンの目撃情報が数多く報告されていた。同年、妻ゲルダ(狂信的なナチス党員で最高党員判事ヴァルター・ブッフの娘)は南チロルで癌で死亡したが、10人の子供たちは戦争を生き延びた。その後、ボルマンは他のナチスと同様にラットラインを通じてスイスに逃亡し、南米を経由してローマに向かったとされた。アルゼンチンで大富豪として密かに暮らしていると噂され、ブラジルやチリでも目撃されたが、ボルマンの行方は、最初に権力を握った時の匿名性と同様に、つかみどころのないものだった。1946年10月1日、ニュルンベルクで欠席裁判で死刑を宣告されたボルマンは、1973年4月、西ドイツの裁判所で正式に死亡が宣告されたが、国立公文書館によれば、その消息は不明である。しかし、実際には、イギリスのラジオ司会者であり研究者でもあるトニー ・ゴスリングによれば、ヒトラーの副官だったマルティン・ボルマンが戦後、750もの会社を設立し、第四帝国の権力を強化したという。ゴスリングはこう続ける。
ボルマンの組織はドイツの大企業を支配し、その投資を通じて世界の他の経済の大部分を支配していた。ボルマンは、1943年末までに1800億ドル以上あったと英国情報部が推定するヨーロッパの盗品を保管していた。ボルマンは1941年以来、ドイツの事務所からブエノスアイレスのドイツ銀行に個人名で銀行業務を行っていた。アルゼンチンの独裁者フアン・ペロンと共同口座を1つ持ち、1967年8月4、5、14日に、ニューヨークのナショナルシティ銀行(海外部門)、チェースマンハッタン銀行、メーカーズハノーバートラスト社の要求払い口座に、ブエノスアイレスのドイツ銀行を通じて決済するチェックを書いている。
1944年、ハースト新聞の記者バーネット・ハーシーが、ナチスのスペイン経由の逃亡経路を著した。ボルマンは、フリッツ・ティッセンとプレスコット・ブッシュに代わって管理していた十数件の敵国ビジネス関係を、1951年の終わりまで切り離すことができなかった。この記録は、ジョージ・H・W・ブッシュとアヴェレル・ハリマン夫妻が第二次世界大戦後、スイス、パナマ、アルゼンチン、ブラジルでビジネスを行い、資産を移動させていたことも示している。これらはすべて1945年のドイツ降伏後にナチスの資本が逃避するための重要拠点であった。(7)
ナチスの資産を世界中に広げたマルティン・ボルマンの成功は、ニュルンベルク裁判で I.G. ファルベン社のトップで国際決済銀行(BIS)の取締役であったヘルマン・シュミッツ氏によって讃えられた。ファルベンのN.W.7部門は、もちろんヒムラーのSSやゲシュタポと密接な関係にあった。ちなみに、1954年にビルダーバーグ・グループを結成したオランダのベルンハルト王子は、ナチスのSS隊員で、N.W.7にも所属していた。ニュルンベルクで、シュミッツはこう証言している。
我々は継続できる。我々には作戦計画がある。しかし、役員たちが長く拘束されることはないと思う。だが、釈放される前に調査手続きを踏まなければならないと、ワシントンに優れた人脈を持つN.W.7の人たちから聞いている。
ペーパークリップ作戦に引き続き、CIAのブラッドストーン作戦は、ナチスを米国に呼び寄せるもので、1948年6月10日に国家・戦争・海軍調整委員会により承認されたものだった。ブラッドストーン作戦の当初のスポンサーの一人は、外交問題評議会(CFR)のメンバーでもあった陸軍省のロバート・ラベットであった。クリストファー・シンプソンの著書『Blowback』(1988年)によると、ブラッドストーン作戦が承認された1ヵ月後には、破壊工作や暗殺を含む秘密作戦に拡大されたという。ジョン・D・ロックフェラー3世は、ブラッドストーン作戦を承認した「国家・戦争・海軍調整委員会」の海軍上級スタッフであった。
(7) The New Hampshire Gazette, November 7, 2003
最初の億万長者ジョン・Dの父である長老ウィリアム・ロックフェラーには、裕福な息子たちが隠そうとした恥ずべき秘密があった。長老ロックフェラーは、文字通り“いかさま商品”のセールスマンであり、女性に「がんの特効薬」を訪問販売する詐欺師であった。彼は「悪魔」という評判だった。彼はジョン・D・ロックフェラーの母親であるイライザと結婚し、その後、愛人・メイドとの間に2人の子供をもうけた。そして、家族を捨てて未知の世界に飛び出し、イライザと結婚したまま25歳年下の女性と結婚した。その悪名高い経歴の締めくくりとして、彼はレイプの罪でも起訴された。ジョセフ・ピューリッツァーは、このロックフェラーの家長とその波瀾万丈の過去に関する情報に対して8000ドルの報酬を提供し、ロックフェラーの息子たちが隠していたいくつかの手がかりを明らかにした。
もし戦争がなければ、ロックフェラー家は今の姿ではなかったかもしれない。南北戦争中、若き起業家ジョン・D・ロックフェラーは、穀物、干し草、肉類を北軍に高値で売りつけた。その資金をサミュエル・アンドリュースの石油精製工場に投資したのが、スタンダード・オイルの始まりである。第二次世界大戦中、ロックフェラー家は、スタンダード・オイル製品を使用した連合国と、同じくスタンダード・オイル製品を使用した枢軸国の双方から利益を得た。ジョン・D・ロックフェラーは、石油の富を利用して、1920年代までに複数の大銀行や企業を買収していたエクイタブル・トラストを買収した。世界恐慌は、ロックフェラーの権力を強固なものにした。ロックフェラーのチェース銀行は、クーン・ローブのマンハッタン銀行と合併してチェース・マンハッタンを設立し、長年の家族関係を強固にした。クーン・ローブ家は、ロスチャイルド家とともに、ロックフェラーが石油産業の王者になるための資金を提供していた。クリーブランドのナショナル・シティ銀行は、ジョン・Dが米国の石油産業を独占するために必要な資金を提供した。この銀行は、ロックフェラーがスタンダード・オイル・オブ・オハイオとして初めて法人化した1870年代、米国議会の公聴会で、資金を提供した3つのロスチャイルド系銀行のうちの1つであることが明らかにされた。
様々なロックフェラー家の人々が、以下のような政策決定機関に出資、設立、指導している。
外交問題評議会——デイビッド、デイビッドJr.、ネルソン、ジョン・D. III、ジョン・D. IV(ジェイ)、ペギー・デュラニー、ロックフェラー財団、ロックフェラー・ブラザーズ・ファンド
三極委員会——デイビッド、ロックフェラー兄弟基金
ビルダーバーグ・グループ——デイビッド、ジョン・D. IV.
アジア・ソサエティ——ジョン・D. III、ジョン・D・IV、チャールズ、デビッド
人口問題評議会——ジョン・D. III
アメリカ大陸評議会——デイヴィッド
グループ・オブ・サーティー——ロックフェラー財団
世界経済フォーラム——デイビッド
ブルッキングス・インスティチュート——ジュニア
ピーターソン研究所(旧:国際経済研究所)——デイビッド、モニカ
ザ・インターナショナル・エグゼクティブ・サービス・コープス——デイビッド
ザ・インスティテュート・フォー・パシフィック・リレーションズ——ジュニア
ザ・リーグ・オブ・ネイションズ——ジュニア
国連——ジュニア、ジョン・D. III、ネルソン、デビッド、ペギー・デュラニー、についていた
ロックフェラー・ブラザーズ・ファンド
国際連合協会——デイビッド、モニカ
リチャード・ロックフェラーは、2014年6月13日の金曜日に飛行機事故で亡くなくなった。彼は、すべての子どもにワクチンを接種することを公約に掲げている「国境なき医師団」の代表を務めていた。世界人口の削減の必要性について、ロックフェラーのシンクタンクから発信される、世界人口を減らすべきだというマルサス的な誤ったプロパガンダを考えると、リチャードが世界の人口を増やすために、すべての子どもにワクチンを接種しようとしたとは考えにくく、彼が、世界人口を増加させるワクチン接種を望んだとは思えない。
ロックフェラー家は、イタリアのベラージオの屋敷で、人口減少を目的とした「ローマクラブ」の結成に尽力した。ポカンティコ・ヒルズの地所では、三極委員会を設立した。ヒトラーに影響を与えた優生学運動の主要な資金提供者であり、さらに、ヒトのクローンや、現在の米国科学界におけるDNAへの執着も、この一族が引き起こした。一族は、ヒトラーに影響を与えた優生学運動の主要な資金提供者である。
ジョン・D・ロックフェラー・ジュニアは、亡くなるまで人口問題評議会を率いていた。彼の名前に由来する の息子であるジョン・ジェイ・ロックフェラー4世は、ウェストバージニア州の上院議員であった。弟のウィンスロップ・ロックフェラーはアーカンソー州の副知事であり、現在も同州で最も権力を持つ人物である。1975年10月、ニューヨーク州知事でもあったネルソン・ロックフェラー副大統領は、『プレイボーイ』誌のインタビューで、次のように語っている。「私は、経済的、社会的、政治的、軍事的、総合的な世界計画の大信奉者だ」。
しかし、ロックフェラー兄弟の中でも、三極委員会の創設者であり、チェース・マンハッタン会長であるデービッドは、ロックフェラー家のファシスト政策を世界規模で先導してきた。彼は、イランの国王、南アフリカのアパルトヘイト政権、チリのピノチェト政権を擁護した。彼は、外交問題評議会、三極委員会、アジアにおける効果的かつ耐久性のある平和のための委員会(ベトナム戦争時)の最大の出資者である。紛争で生計を立てていた人々にとっては大当たりであった。
(8) Solomon, Steven, The Confidence Game: How Un-Elected Central Bankers are Governing the Changed World Economy. Simon & Schuster. New York. 1995
プレスコットの息子、ジョージ・H・W・「ポピー」・ブッシュは、JFKが暗殺されたとき、自分がどこにいて、何をしていたかを思い出せない数少ないアメリカ人の一人である。そして実際、20年以上もの間、いかなる詳細もまったく思い出せないのである。おそらくこの意図的健忘症は、彼が暗殺時にテキサス学校図書倉庫ビルの前に立っている写真があるがゆえにだろう。当時39歳だった彼は、ハリス郡(ヒューストン)共和党の委員長で、JFKを率直に批判していた。しかも、〔暗殺の前日の〕1963年11月21日、ポピー・ブッシュはダラスのダウンタウンにあるシェラトン・ホテルに滞在しており、その晩、全米石油掘削請負業者協会で講演した。その後、JFK殺害の前夜、彼はクリント・マーチソン・シニアの家で、最終指示を受け取った「承認会合」に出席し、乾杯を上げたと報じられている。
ジョージ・H・W・ブッシュは、CIAの秘密工作や政府のトップ・ポジションに関与した、長く汚い洗濯物リストを持っている。CIA長官(1976-77年)、CFR長官(1977-79年)として副大統領職(1981-1989年)に至るまでディープ・ステートを支配し、その後、新世界秩序の初代大統領として(1989-1993年)、さらに舞台裏での影響力を発揮し続け(ビル・クリントン政権)、そしてその息子のジョージ・W・ブッシュである。ブッシュ・シニアは、ビル・クリントンが州知事として犯罪に満ちた十数年の任期中、アーカンソー州の田舎町メナからアメリカ国外へのコカインの売人として、最年少のこのアーカンソー州知事を雇っていたことが明らかにされている。
ブッシュの秘密結社は、イラン・コントラ時代には、ビル・クリントンが彼の小さな空港を通して、年間10億ドル以上のCIAの麻薬資金を洗浄した。「麻薬戦争」による利益は、ブッシュとクリントンの両犯罪ファミリーの台頭を促し、彼らは、無数の殺人、連続レイプ、子供の性売買などのスキャンダルを効果的に抑えるために、裁判所の裁判官、連邦・州弁護士、州警察、FBIの職員を十分に買収・任命し、儲かる、簿外のCIA闇予算を調達した。ブッシュの犯罪組織は、半世紀以上にわたってCIAを支配してきたが、それは常に、ロスチャイルド世界シオニスト民間不換紙幣中央「銀行家」とその右腕である国際シオニスト犯罪シンジケートとしても知られるハザリア・マフィアという大ボスに隷属してきた。
ジョージ・H・W・ブッシュの息子、若いジョージ・W・ブッシュは選挙で選ばれたのではなく、兄のジェブがフロリダ州の投票を不正に操作して就任させ、その後、最高裁が何らかの理由で、一般投票に負けた男を支持した。就任の8か月後、ジョージ・W・ブッシュはアメリカ国内でへの最大規模の攻撃〔9.11テロ〕を受けて、ヒトラーの実行法に酷似した愛国者法と、憲法で特に禁じられている常備軍をアメリカに創設する国土安全保障法を制定することができた。それに立って、大統領令を出し、WHOと協定を結び、アメリカの主権の終焉を取り決め、時期が来れば国連軍とWHOによる米国占領の扉を開いた。1回目は失敗、2回目は大統領を暗殺して軍部が望むベトナム戦争を本格化させる人物に交代、3回目は新型コロナに見られるように、あらかじめ用意された「パンデミック」による緊急クーデターという具合に、各世代で1回ずつ、政治クーデターの試みが行われている。
(9) How Bush’s grandfather helped Hitler’s rise to power” https://www.theguardian.com/world/2004/
sep/25/usa.secondworldwar
(10) Orion, Eric, “The Hitler / Bush Connection” 2003.
(11) Wilcock, David, “Secret Space Program Revealed: Two New Radio Shows, Transcript!” Divine Cosmos.com, June 14, 2015.
(12) Zagami, Leo Lyon, Confessions of an Illuminati, Volume I: The Whole Truth About the Illuminati and the New World Order. 2nd ed. CCC Publishing, 2019
ジョン・F・ケネディ(JFK)大統領は、生前、CIAのスパイチーフとの連携に疲れていたという噂がある。ケネディ大統領がベトナムから撤退し、ソビエトとのデタントを考えていたことは確かだが、この動きはワシントン中心圏内の戦争タカ派から非難されていた。CIAは、ケネディが自分たちの組織を完全に解体してしまうことを恐れていたのかもしれない。CIA、あるいはスパイ組織内の悪党が、自分たちの職を失うことを心配するあまり、暗殺を命じたという可能性はないだろうか。ジョージ・H・W・ブッシュは、あの運命の日、CIA組織内の彼の力が、ダラスのディーレイ・プラザを見下ろす写真に写っている可能性がある。有名なザプルーダー・フィルムには、リムジンの運転手であるシークレットサービスのウィリアム・グリアが振り返り、JFKの頭を拳銃で撃っている様子が写っている。多くの人は、草むらで銃を持った男が発砲したと指摘し、また別の発砲が地下道と書庫ビルの下のマンホールからだったとしている。これらは、非常にうまく調整された攻撃であり、罪はすぐに偽者であるリー・ハーヴェイ・オズワルドに振り向けられ、詐欺的なウォーレン委員会によってうやむやにされたのである。ポピー(ジョージ・H・W)がJFK暗殺とその後の隠蔽工作に手を貸したということはあり得るのだろうか。
JFKが多くの強敵を作っていたことは間違いない。組織犯罪に反対し、弟のボビーを司法長官に起用したこと、キューバ・ミサイル危機をめぐるソビエトとの全面核戦争である第三次世界大戦への無謀な突入を拒否したこと、CIAのキューバ侵攻に最後まで巻き込まれなかったこと、ベトナムからの撤退を約束したこと、次の選挙でリンドン・B・ジョンソンを副大統領にしようとしたこと、実際に米国紙幣を印刷したことなどがその理由である。 これは、ロンドン市の私設連邦準備制度とその偽物の不換紙幣(アメリカ人が悪質な利子をつけて使用するもの)を次第に除去する試みであった。これらの努力は、1963年11月22日、ディーレイ・プラザで彼の運命を違法に決定づけた。
1963年11月22日のアメリカのクーデターは、CIAとそのロンドン市が支援する麻薬密売の悪魔的小児性愛者の陰謀団が先導する完全な第四帝国のファシズムの到来を告げた。JFKの暗殺は、秘密の影の政府(SSG)のクーデターであり、大統領職や政府の高い地位にある者が、彼らの許容範囲を超えた場合、SSGが何をするかということを公に示すために計画されたものだった。JFKの暗殺は、米国をファシスト国家に変貌させ、技術的には今日まで非合法な政府として残っている。
J. エドガー・フーバーは、自分の遺産を守る必要があったのか。JFKを殺す手段、動機、機会があったかもしれない人物といえば、FBI長官のJ.エドガー・フーバーをおいて他にないだろう。フーバーは、ケネディ兄弟が、政府の優先課題をマフィアに集中させることで、自分の反共主義運動を危うくすると感じたのかもしれない。また、フーバーは、その物議を醸すような壮絶な経歴から、自分が権力から排除されることを恐れていたのかもしれない。もしそれが本当なら、彼ほどに暗殺を組織するのに最適な人物はおらず、その後それを隠蔽するのに最適な人物もいなかっただろう。
FBIの設立に貢献したのはフーバーであり、彼の助けなしにはナチスの犯罪者がアメリカに入国することはあり得なかった。彼はインターポールで、1940年から1942年までナチス親衛隊の警察部長を務めた創設者のラインハルト・ハイドリヒと、その後任で後にニュルンベルクで絞首刑になった親衛隊員のエルンスト・カルテンブルンナーと共に働いていた。フーバーのキャリアにはマフィアとの幅広いつながりがあり、彼の死についてはまだ完全に調査されていない。フーバーはなよなよした反米ナチスシンパだった。彼は同性愛者であり、女装家であることが知られていたため、多くの人が道徳的な堕落者と考えていたが、実際の犯罪は小児性愛とナチスシンパであったことである。彼はドレスを着て、”メアリー “と呼ばれるのを好んだ。フーバーは優秀なFBI職員を全員解雇し、白人のキリスト教ファシストを採用した。その中には、自分と同じように反米で同性愛のナチスシンパもいた。彼らはフーバーのGメン、あるいは “ゲイ・メン “として知られていた。
ビルダーバーグ・グループの「名付け親」は、元米国国務長官のヘンリー・キッシンジャーである。彼は、90歳を過ぎた高齢者になっても、毎年のようにその集まりに出席している。この人は、『ワールド・オーダー』という本まで書くほど、グローバリゼーションに熱心な人である。しかし、ほとんど誰も知らないことだが、彼が1970年代に「不満を持つナチス」のグループと西ドイツ政府の転覆について実際に話し合っていたことが、ドイツの学者が発見した忌まわしい証拠によって明らかにされた。
既述のように、バチカンと赤十字は、ナチスが自由を求めて脱出し、南米諸国で新しい身分を確立するのを助けた。ヘンリー・キッシンジャーは、〔ドイツの〕オーバーアマガウ〔NATO訓練校がある〕でルシウス・クレイ将軍と仕事をし、その後、ペーパークリップ計画でナチスのスパイを引き入れる役割を担ったアメリカ陸軍情報部やCIAの主要部隊と仕事をした。第二次世界大戦中、ドイツからアメリカ陸軍情報部に入ったキッシンジャーは、謎めいたフリッツ・クレーマーを「師匠」としていた。クレーマーのペンタゴンでの30年にわたる沈黙のキャリアは、アレキサンダー・ヘイグの下準備を含む計画部門にあったもので、フリッツ・クレーマー(ダッハウの記録では33番の囚人、ヒトラーの特別中尉)という彼の本当の正体を隠していたからかもしれない。キッシンジャーは、国務長官時代もそうであったが、今でも彼の助言を頼りにしている。
ニクソン時代の元国務長官、ヘンリー・キッシンジャーが一連の驚くべき告白の中で、地政学と経済の世界フォーラムの現状をこう明らかにしている。
米国は中国とロシアを囮にし、最後のとどめを刺すのは、もちろんイスラエルの主な標的であるイランでしょう。我々は、中国に軍事力を高めさせ、ロシアにソビエト化から立ち直らせ、虚勢を張らせているが、これは彼らにとってより速い終焉をもたらすことになる。私たちは、暴徒が銃を手にするのを威嚇する狙撃手のようなもので、彼らが銃を手にしようとすると、バンバンと音がするのです。これからの戦争は非常に厳しいものになり、勝てるのはたった1つの超大国だけです。EUが完全な超国家を形成しようと急ぐのは、この先何が起こるかを知っているからだ。彼らの切迫した状況は、大きな対決が迫っていることを十分に理解していることを物語っている。この楽しい瞬間を、私はどれほど夢見てきたことだろう。石油を支配すれば国家を支配し、食糧を支配すれば国民を支配することができる。…あなたが普通の人なら、田舎に引っ越して農場を作ることで戦争に備えることができるが、飢えた群衆がうろつき回るので、銃を持っていかなければならない。また、エリートは安全な場所や専門のシェルターを持っているとはいえ、シェルターが危険にさらされる可能性があるので、一般の民間人と同じように戦時中は気をつけなければならない。軍部は、中東の7カ国を占領して資源を確保すると言っていたが、彼らはほぼその仕事を完了させた。私が軍をどう考えているかは皆知っているが、今回は超然と命令に従ったと言わざるを得ない。ただ、最後の踏み絵であるイランが、本当にバランスを崩すことになる。中国とロシアは、いつまでアメリカの後始末を黙って見ていられるのだろうか。偉大なるロシアの熊と中国の鎌が眠りから覚め、その時こそイスラエルが全力でもって武器で戦い、できる限り多くのアラブ人を殺さなければならない時だ。うまくいけば、中東の半分がイスラエルになる。私たちの若者は、過去10年ほどの間、戦闘用コンソールゲームで十分に訓練されてきた。このゲームは、予測プログラムによって、近い将来に起こることを正確に映し出している。アメリカや西洋の若者たちは、良い兵士、大砲の餌になるようにプログラムされているので、準備ができている。そして、街へ出て、狂った中国やロシアと戦うように命令されると、彼らはその命令に従うでだろう。灰の中から新しい社会を築こう。残るのは超大国が一つだけで、その一つは勝利するグローバルな政府であるだろう。忘れてはならないのは、アメリカは最高の武器を持っているということだ。他のどの国も持っていないようなものを持っている。(13)
キッシンジャーは、ウォーターゲート事件、東南アジアの大量殺人事件(ベトナム、カンボジア、ラオス)、チリの大量殺人独裁者ピノチェトの就任、南米でのコンドル作戦の大量殺人などに関与していたようで、最近ではセルビアのスロボダン・ミロシェビッチ元独裁者の顧問を務めている。イランとの戦争を一貫して提唱した。ブッシュ大統領がキッシンジャーを9月11日の調査委員会の委員長に指名したのはいかにもありそうなことだ。銀行強盗を詐欺事件の調査委員に選ぶようなものだ。彼はその後、多大な抗議を受け、この仕事を辞退した。
(13) The Elite, the ‘Great Game’ and World War III: Sovereign Independent.com
最終的に、グローバリストとして知られるジェームズ・A・クラッパーは、米国のすべての諜報活動をコントロールしたが、自身が米国の敵であることを証明した。政府で最高のセキュリティ・クリアランスを取得した後、クラッパーはGeoEye〔世界最大の商業的衛星画像企業〕で働き、3つの政府請負会社の役員を務め、デティカ(英国軍事情報)、BAEシステムズ、SRAインターナショナル、ブーズ・アレン・ハミルトンで働いた。
アメリカの新世代のナチスの一例として、ジェームズ・クラッパーは以下の機関を支配下に置いていた。中央情報局(CIA)、国家安全保障局(NSA)、 国土安全保障省、連邦捜査局、国務省、財務省、国家安全保障局、国家安全保障局、国家安全保障局、国土安全保障省、連邦捜査局、国務省 国務省、財務省、国防情報局、空軍諜報部、陸軍諜報部、海兵隊諜報部、海軍諜報部、 国防情報局、空軍情報部、陸軍情報部、海兵隊情報部、海軍情報部、沿岸警備隊情報部、エネルギー省、国家偵察局、麻薬取締局、国土地理院 麻薬取締局、国家地理空間情報局。
彼は国家情報長官室に、これら17の機関から収集したすべての情報を自分の管理下に置くよう命じた。CIA には「国際安全保障」という強力な権限があり、クラッパーは他のどの機関よりも、そして大統領を含む私たちの選んだ高官よりも高い安全保障上の地位を与えられていることを忘れてはいけない。
クラッパーは議会に呼ばれ、宣誓の上、NSA はいかなる形でもアメリカ人をスパイしていないと宣誓した。彼は、アメリカ人に対する監視は全く行われていないという嘘で何度も偽証をした。もちろん、これは虚偽であることが判明しており、実際、NSAはすべてのアメリカ人をスパイしており、インターネット、Google、Facebook(すべてのソーシャルメディア)、すべてのPC、電話、銀行口座などから抽出したアメリカ人全員のファイルさえ持っている。スノーデンの「リーク」はNSAの悩みの種となった。オバマがNDAA(米国国防権限法)を拡大し、アメリカ人を戦闘員として含めるようにしたため、彼らは確かにアメリカ人をスパイしていることを認めざるを得なかった。
ほんの数人で権力を集中させると、たいていはうまくいかず、この場合は非常にうまくいかなかった。クラッパーは正確な情報には興味がなく、ナチスの情報局のような午前4時の「その日の話題設定者」に過ぎないのである。クラッパーは、「17の情報機関」がすべて自分に同意しているという事実だけで、何の証拠もなく、自分の言うことを何でも信じさせようとしている。基本的に、ジェームズ・クラッパーの発言は、たとえ証拠がなくとも、また他の機関が意見を聞かれなかったとしても、他の「16の情報機関」の代弁者をなしている。
『ヒトラー・ブッシュ癒着』の抜粋からのオットー・スコルツェニによると、この
写真はシェルフ一家と数人の友人たち(1938年頃)である。左のシェルフ家の母の手を取っているのがマルティン・ボルマン。手前はラインハルト・ゲーレン。後ろは ヨーゼフ・メンゲレ、その右隣は は若いころのスコルツェニ。中央右(ドイツ海軍の制服を着ている)は、ジョージ・ H・シェルフ・ジュニアとその父親。ボルマンはヒトラーの副官となった。ラインハルト・ゲーレンは親衛隊の幹部であり、ペーパークリップ作戦でドイツから密輸された暗殺者である。スコルツェニーはヒトラーのボディーガードで、戦後、「ペーパークリップ」作戦で米国に渡ったSSのスパイ/暗殺者。スコルツェニーとジョージ・ブッシュは、「ワイルド・ビル」ドノバンとアレン・ダレスとともに、ナチス親衛隊の情報とOSIを統合し、CIAを設立することに貢献した。これらの人物はまた、CIAのマインド・コントロール実験(MK-Ult)のようなマインドコントロール実験に参加した。SS隊員で医師のヨーゼフ・メンゲレは、悪名高い「死の天使」である。アウシュビッツのサディスティックな「死の天使」であったヨーゼフ・メンゲレは、戦後、ドイツから南米に逃れた。ジョージ・H・シェルフ・ジュニアは、ジョージ・H・W・ブッシュとして第41代アメリカ合衆国大統領となった。 (with permission, (c) Brad Olsen, 2023)
19歳の誕生日を迎える3日前に、ジョージ・H・W・ブッシュは米海軍の最年少飛行士となった。しかし、新しい研究によると、アメリカ海軍のパイロット、ジョージ・H・W・ブッシュは、本当はナチス・ドイツのスパイだった。ジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュは、墜落した飛行機を回収するためにUボートで待機していたナチスに高度な銃システムを届けるために、グラマンTBFアベンジャーを意図的に破壊して2人の乗組員を殺害したとされている。(with permission, (c) Brad Olsen, 2023)
1966年、イェール大学でラグビーをするジョージ・W・ブッシュ。プレスコット、ジョージ・H・W、ジョージ・Wの3人は、模擬人身御供のような奇妙なオカルト儀式を実践することで知られる秘密結社「スカル・アンド・ボーンズ」のメンバーであった。2人の元大統領は、ボヘミアン・グローブ――上流社会のメンバーが、大きなフクロウの偶像の前で奇妙なオカルト的儀式を行う――に出席していたことが知られている。(with permission, (c) Brad Olsen, 2023)
この写真のように、ジョージ・W・ブッシュの祖父、故プレスコット・ブッシュ上院議員は、アドルフ・ヒトラーと一緒にいるところを見ると、ナチス・ドイツの金融支援者との関わりから利益を得た企業の取締役や株主であったことがわかる。プレスコット・ブッシュは、ナチスに資金を提供したため、「敵国との取引法」に基づき資産を差し押さえられた。(with permission, (c) Brad Olsen, 2023)
1963年、ジョン・F・ケネディの葬儀会場から去るケネディ一家。1992年6月、ジョージ・H・W・ブッシュ大統領は記者に対して、「もしアメリカ国民が我々のやったことを知ったら、我々を追いかけてきてリンチするだろう」と自信満々に語った。(with permission, (c) Brad Olsen, 2023)
アレイスター・クロウリーは、「汝の意に沿うことをせよ」をモットーとする悪名高い「セックス・マジック」の実践者であり、非常に乱暴な性格であった。「大いなる獣666」クロウリーとの儀式的な性行為の9ヵ月後、ポーリーン・ピアースはバーバラ・ピアースを出産し、彼女はバーバラ・ブッシュとなった。同類は同類を呼ぶ。(with permission, (c) Brad Olsen, 2023)
ロックフェラー家は、スタンダード・オイルの大株主の一人のおかげで、大金を手にすることができた。 I.G.ファルベンとは、ナチスの収容所で使用されたシアン化合物ベースの殺虫剤「ツィクロンB」を製造していたドイツの化学産業コングロマリットである。世界保健機関(WHO)は誰が運営しているのか。WHOの主な資金提供者は、ロックフェラー家とビル・ゲイツである。ロックフェラー家はI.G.ファルベンに半分出資していた。ファルベン(I.G.Farben)の半額を出資していた。(with permission, (c) Brad Olsen, 2023)
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