まず初めに、ちょっとおさらいをしておきます。
前々回の「村上春樹をめぐるマイクロとマクロ」で、こういう話を述べました。
そしてさらには、その両親の命にかかわる私と同様な課程、そしてそのまた両親の命のそれといった具合に過去へとさかのぼってゆけば、一瞬たりとて途切れることのなかった、命の連鎖の途方もない長さの世界へとつながってゆくはずです。/そうであるなら、仏教の輪廻思想のように、前世において、私の命が他の何かの命であったとの発想や、さらには、星や宇宙の誕生ともつらなっているとの考えも、さほど突飛なものではなさそうです。/ただ、今回のこの議論では、そこまでの発展には触れません。ここでは話を、もっと限定した範囲にとどめます。
また、前回の「東と西という座標軸」では、「自然との結びつき度」を縦軸に、「地理的移動度」を横軸にした座標で、その第二象限が「東洋世界」、第四象限が「西洋世界」とみなせることを指摘しました。そして、「A」とマークしたその第一象限は、東洋でも西洋でもある両義的世界で、さらにその上に立体的に、「“神”的奥行き」の軸を立ててみると、その世界は、今度は、キリスト教的絶対世界観と仏教的輪廻世界観を融合した、さらなる両義的世界が想像されると述べました。
そしてその世界を前回、《未知多次元世界》と名付け、その詳しい議論を今回へとあずけたわけでした。
さて、こうしたおさらいをした上で、さて、いよいよ今回では、前々回でのそうした限定を取り払い、「移動」や「抽象」を際限なく駆使して、この《未知多次元世界》を存分に想像してみようというものです。
さて、そこでですが、最新の宇宙物理学の知見(もちろん、私の理解しえる範囲に留まります)によれば、宇宙を構成する物質で、現在、人類が知り得ているそれは、全体の4.4パーセントにすぎず、残りの96パーセントは、その得体すら知れない謎の暗黒物質や暗黒エネルギーで占められているといいます〔村山斉『宇宙は何でできているのか』(幻冬舎新書)p.224〕。ちなみに、この「暗黒」とは、それらが文字通り「暗くて黒い」という意味ではなく、ただ「未知であり、見えない」ということから、「暗黒」と呼ばれているものです。
ということは、科学による解明のあかりが照らしているのも、そのわずか4パーセントという小部分であり、残りの96パーセント、言うなればそのほとんどが、まだこの「暗黒」の状態の、“非科学”あるいは“前科学”の状態にあるということとなります。
角度を変えて言えば、私たちが理解しえている4次元の時空間とは、この4パーセントの範囲内のことで、残りの96パーセントはまったく謎の世界であり、上記の《未知多次元世界》も、その世界に属していると言うこととなります。
また、そうした宇宙空間での次元は、私たちの知覚が行き届く4次元どころか、何と10次元までもあるといいます〔同書、 p.201〕。つまり、私たち人類の知見のまったくおよばない世界が、さらに6次元にわたって“広がり”、残されているというわけです。
ちなみに、時間の次元のない3次元空間では動きというものがない静止の世界ですし、3次元人間から2次元人間を見れば、紙のような厚みのないぺらぺらな人間と見えるはずです。
逆に、我々の4次元世界から、10次元にも達するという世界を想像すれば、もはや我々の目には見えなく、形もとらええず、「暗黒」どころか、いわゆる「超自然現象」なぞもほんの序の口な、そうしたとてつもない何かであるはずだということとなります。
となれば、この《未知多次元世界》とは、むろん、こう表現することすら畏ろしく“寸足らず”な、何と膨大かつ限りのない世界であることでしょう。
俗っぽく放言してしまえば、「何でもあり」で、「何でもお好きに」とでも形容したい世界であります。
そこで以下、はなはだ手前味噌ながら、そういう奔放、自由、際限のない《未知多次元世界》に扇動されて、むろん「科学的」ではないのは承知の上で、私に与えられた命に間違いなくかかわっているはずのそうした世界への、「擬科学化」の作業に乗り出してみたいと思います。
ではそのまずはじめに、映画「おくりびと」から。
このアカデミー外国語映画賞受賞(2009年)作品は、映画としてつまらない作品ではありませんでしたが、その映画化の裏にあるいっそうの真実は、映画のヒットの割には知られていない部分だと思います。
この映画「おくりびと」の元になった物語は、『納棺夫日記』とのタイトルで出版〔1993年、桂書房〕され、文庫本〔文春文庫「あ28-1」〕にもなっている小説ですが、その著者である青木新門氏は、映画制作者からその映画化の了承を再三にわたって求められながら、その予定される脚本が余りに原作からかけ離れていることから、その映画化の原作とされることを断り続けたという事実です。
結局、その映画化は、その原作をリメイクした別作品として制作され、ゆえに、この映画には一切、氏の名は挙げられてはいません(こうした背景に関しては、私が五年前に書いた「静と動」を参照してください)。
話を簡略にすれば、映画「おくりびと」は、“原作者”の言いたいことの、ページ分量的にはそのほぼ半分しか表していません。というより、その言いたいことの神髄は、まったくと言ってよいほど、この映画では触れられていません。
映画制作者の立場に立って言えば、それは映画化には不向きな部分であって、であるが故に逆に、映画メディアの限界を示しているとも見えます。言い換えれば、原作者が核心を述べるための序段として書いている、「納棺夫」としての体験談部分のみが映画化されたようです。
そこでその映画から割愛されている部分です。つまり、そうした体験――実在宗教の堕落の目撃から死への偏見――をへて、青木新門氏が持つに至った、人の死の持つ、宗教的、倫理的、哲学的、科学的、意味についてです。
彼はその割愛された章に、こう書いています。
科学的でない宗教は盲目である。
宗教のない科学は危険である。
と言ったのは、アインシュタインである。
(中略)
しかし今日のところ科学は、我々が想像もつかない遥か彼方まで歩を進めていることも事実である。
量子理論の生みの親であるシュレディンガーなどは、
主体と客体は、一つものである。それらの境界が、物理科学の最近の成果でこわれたということではない。なぜなら、そんな境界など存在しないからだ。〔同書、p.126〕
そして青木新門氏は、彼が納棺作業を続けているうちに体験した「光」について触れ、こう述べています。
この不思議な光は、はかり知れなくきわもなく、すべてのものをさえ通す光であって、そんな光がかたちもすがたもないまま永遠に存在し、永遠の彼方からやってくるのかとおもえば、常に我々のまわりにあって照らし続けているといった光なのである。
そんな光がこの世に存在するのだろうか、と思っていたある日(1987年2月23日)、我が家の横を流れる神通川の上流にある神岡鉱山茂住鉱の地下一千メートルの東大宇宙線研究所で、世界中の天文学者や物理学者が注目する事件が起きていた。
それは光とも光量子ともちがう、すがたもかたちもない、すべてのものを貫き通す、不思議な極微の素粒子が十六万光年の彼方からやってきて、地球を貫いて再び宇宙へ飛び去っていったことが観測されたというニュースであった。この不思議な素粒子はニュートリノと名づけられ、存在は立証されているが、誰も見た人はいない。
私がこのニュートリノという不思議な素粒子に興味を持ったのは、その素粒子の特徴の一つに、宇宙の星たちの死の瞬間に生まれるということが記事に書かれてあったからである。
星たちの臨終の際、重力崩壊で放出される膨大なエネルギーの九十九パーセントが二ユートリノによって運び去られ、残り一パーセントが衝撃波となって星を爆発させて、その星は死を迎えるのだそうである。
そして、超新星となって再び輝きはじめるという。その頃ニュートリノは、光速に近い速さで遥か彼方の宇宙空間に飛び出している。
例えば、大マゼラン星雲に発生した超新星1987A から飛び出したニュートリノは、十六万光年の彼方から、光速に限り無く近い速度で飛びつづけ、1987年2月23日、地球を南半球から貫いて北半球の彼方へと飛びさって行った。しかも一平方センチあたり約百六個、人間一人当たり十兆個のニュートリノが瞬時に我々の体も通り抜けていったというのである。さわりなく、はかりなく、すがたもかたちもみせぬままに、である。
特に注目すべきなのはニュートリノの発生が、宇宙のビッグバンや超新星の爆発など、宇宙や星の生と死が限り無く接近した瞬間に起こることである。
すなわち星たちが死を迎える一瞬に、ニュートリノが光速で抜け出し、次の瞬間に星の構成物質が爆発し死を迎えるが、その残骸から再び新しい星が生まれる。
太陽も地球も、そうして地球上の生物も、はるか昔に爆発して死んだ多くの星が残した残骸物質から出来ているのである。
このようにして生まれた我々人間も、その生死の瞬間における現象が酷似しており、それゆえに、回帰本能や複製本能が、生命の起源や太陽系の誕生やさらに宇宙の誕生といった母の母なる根源へと、鮭のように遡上を促されるのかもしれない。〔同書、p.131-33〕
まさに、映画制作者には扱い切れない部分です――全く不可能でもないとも思われますがヒットは期待できない――が、私はこうした部分こそ、青木新門氏が映画化への著作権を放棄までもして貫いた、まさしく言いたかったことの核心(の一部)であり、私が注目させられる部分です。
青木新門氏は、その人の臨終に伴う不思議な「光」の体験から、宗教書を「乱読」するようになり、最後に、親鸞にたどり着きます。
そうした経緯の仔細については原書に当たっていただくとして、納棺夫という日常の死に立ち会う体験から、親鸞の教えとの出会いを経た後の上記のような記述に、私は目を開かせられざるをえません。そして元著者として、映画化への再三の要請を断り――著作権の主張を放棄――までもして、その核心の表現を守った青木新門氏の意思に、信服に値するものを見出します。むろん氏は科学者ではありませんが、その彼の体験に基づく視点と、現在の科学が解明しつつある上記のような諸事実と結びつけうる、その眼力です。
さてここで、こうした氏の眼力を拝借し、私流の「擬科学化」を進めたいと思います。
つまり、星の死の際、そこで放出されるエネルギーの99パーセントがニュートリノとして運ばれ、1パーセントが星を爆発させるという見解にならい、私が死ぬ際も、その私の99パーセントがニュートリノかそれに類する素粒子によっていずれかへ運び去られ――しかもおそらく、光速に近い速度で、何物をも貫通して――、その1パーセントが私の身体を抹消させると想像してみます。
だとすると、この私の死、つまり私の身体の抹消とは、まさに上述の10次元規模の宇宙世界への旅立ちです。そしてそこに、現生でいう「意識」に相当するものが伴うのかどうかはともかく、その旅立ちがいかにこの世のしがらみ、それこそ、以前に述べた、「“よこせし”世界」からの完璧なる離脱を意味しているのではないかと想像されるわけです。
考えてみれば、人間とは、地球という特定の環境に適合した生命体であって、まったく別の異なった環境に適合する生命体が存在しないとは断言できません。
ちなみに、人間は酸素を呼吸し、CO2を排出しなければ生きていけません。それを地球環境内で見ただけでも、たとえば、反対にCO2を吸い酸素を排出する“逆”生命体があります。それは、植物です。
つまり、日常慣習的な観点からみれば、私たちの死とは、それこそ人生の終わりを示す不可避で忌まわしい不幸と受止められてきています。しかし、そうしてたとえ地球上での生命活動は終わったとしても、氏が言うように、「さわりなく、はかりなく、すがたもかたちもみせぬ」微粒子となった私は、宇宙空間に光速に近い速度と貫通力をもって、飛び出してゆくのかもしれません。
先に、「老いへの一歩」というシリーズ記事を書きました。そして、「原点回帰」と題したその最終回に、以下のような結論を述べました。
老いという人生の出口期は、その入口期の、自身の誕生・成長から性愛や生殖という過程を反転・逆行するステージであると見ると、こうした原点回帰現象も、その反転・逆行の物質的あるいは宇宙的な実践プロセスかと、ひとつの落ち着きどころを見る感があります。
つまり、臨終を何かの終わりと見るのでなく、宇宙的な生命のほんの一時期を終えて次の時期へと移動するその通過点ではないかとする、想像上の見解です。
もしそうだとするならば、それは悲しんだり忌み嫌うどころか、壮大な《出発》を意味する、なんという“楽しみ”ではないでしょうか。
そこで、以上のような意味合いで、死を境として終了するそれまでの地球上の命を《固定生命体》と呼び、それ以後のそれを《移動生命体》と呼んでみたいと思います。
もちろん、後者の《移動生命体》は、「さわりなく、はかりなく、すがたもかたちもみせぬ」生命体であって、4次元上の現生にある私たちの知覚の範囲外の生命体です。少なくとも科学的には、それは観測もされず、測定もできません。
しかし、思い起こしてみれば、私たち日本人は、子供時代より漠然と聞かされてきた仏教思想により、それを信じるかどうかは別として、「来世」とか「霊魂」とかとそれらを日常的に「擬人化」して呼んで、死後の世界やこの《移動生命体》に、それとなく身近に親しんできたのではないでしょうか。
さて、そこですでに読者もお気付きのように、上記の《固定生命体》と《移動生命体》という呼び分けは、この両生学講座=第三世紀=のメインテーマである「動と不動」という、地球的あるいは現世的呼び分けの《未知多次元世界》への延長適用とも言えます。
また、上記の「老いへの一歩」シリーズの中で、死を「タナトス→エロス」 と再逆転する異次元の “生殖行為” と述べましたが、それは、死によってそのように生まれゆく先が、ここで言う《未知多次元世界》であるということではないかと考えます。
あるいは、こうした呼び分けは、地理的国境を意識してオーストラリアへの移動を実行し、この「第三世紀」にまで至る「両生学」を着想、発展させてきたように、自分の地球上の生命の終わりを意識することによる、この「両生学」の未知次元的バージョンアップ、あるいはその準備、と言うこともできます。
上で青木新門氏が引用した1933年のノーベル賞宇宙物理学者シュレディンガーは(ここでは詳しくは触れ切れませんが)、自分の量子理論のヒントを、限界を見出した西洋のそれからではなく、東洋の思想から得たという有名な経緯があります。つまり、前回に述べた東西の座標軸を融合させた「A」で表した象限での発展は、こうした面でも、すでに実績が積み重ねられているということでもあります。
そういう脈略でも、「両生学」の方法的主柱である「両眼視野(ステレオ視野)」的な手法は、有効に働いているのではないかと思われます。
ところで、私にとって今年2014年は、オーストラリアへの移動の30周年にあたります。
思い起こせば、30年間という歳月は十分に長く、そうして積み重ねてきた両眼視野についても、そろそろ、こうした時間の厚みのもたらす、次元的位相転換を用意せよということなのかも知れません。
そうした面でも、上記のようにひとつの節目をつけて、連続8回にわたった「両生学講座 =第三世紀=」を、今回をもってひとまずの結びとしたいと存じます。
最後に、上述の映画「おくりびと」の英語版のタイトルは、「Departures」すなわち「旅立ち」となっていました。