前号に「残雪の山歩きで見えてきたもの」と題した記事を掲載しましたが、本稿は、その続編です。その記事では、「私たちの徒歩行という古めかしくも生身な身体活動は、この天地にわたる現代技術のもたらす機能的交通体系の効用とあいまって新旧両界体験となり、まるでタイムスリップとの解釈すらも可能な、異次元な発想へとも高揚させてくれたのでした」と結びました〔斜字体は今回〕。そこで本続編は、この山行にまつわる何とも曰〔いわ〕くありげな発展について、その地上編と上空編とでも大別できる二つの視点を通じて、この「異次元な発想」をめぐる究極な視界――目下、世界の脚光を浴びている量子物理学へともおよぶアイデア――へとアプローチして行きます。

今回の山行コース(赤線)=地上編と、その上空の幹線航空路(青矢印)=上空編
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4月の「日平均訪問者数」(グラフ中の赤線)は、3月の1,732人から1,799人へと4パーセント増加しました。昨年前半の「AI津波」期を除外した長期トレンドで見ると、2年間で、1,100人から1,800人レベルへと60パーセント強の伸びとなっています。

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4月23日〈水〉
日本滞在中はほとんど忘れていられた坐骨神経痛が、オーストラリアでの日常生活に戻ると、ぶり返してきた。デスクワークに数時間集中する、そんな毎日がそれをもたらす。
今日も、午前中に買い物にでかけたのだが、歩き始めると左足の太もも当りに鈍痛がはしり、おもわずびっこを引くほどだった。
これは難儀が始まったと頭を抱える思いだったのだった。
それが、午後、例の荒治療をやってみようと思い立ち、運動をいつも通りにやってみることとした。
そうして、いつも通りのウォーミングアップを済ませると、なんと不思議なことに、この神経痛がピタリと消えていて、通常通りのはじりを始めることができた。
結果、8キロのはじりを終えたのだが、その間、少しもこの神経痛を感じることなく、むしろ、右足先の慢性化した微痛が気がかりになるほどだった。
こうした故障を気にしつつ、ペースを落としていたので、タイムは1時間9分56秒と平凡。ともあれ、はじりを完走できたのは吉報である。
こうした明暗な両面をもつ座骨神経痛とは何たるものか。ともあれ、つきあってゆくしかない。 詳細記事 →
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