リタイアメント・オーストラリア

「人生三周目」に向けてのグランド構想を考えるにあたって、私はいま、ひとつの仮説を立てようとしています。そしてそれを仮説とするのは、まさかそんなものが存在しているとは一概には考えられず、かなり慎重に取り扱わねばならないものだと思えるからです。そしてその仮説とするものは、副題のように、〈運動機能という「人格」のインフラ〉という見立てです。

こうした地理的インフラのように、、、(写真は「しまなみ海道」の本四間連絡橋)      .

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リタイアメント・オーストラリア

傘寿ともなれば厄年無縁

〈半分外人-日本人〉(その22)

昨年末以来、わずか二か月そこそこの間に、私の「救急車体験」が二度にわたって続いた。何やら嫌な事態に思えなくもなく、日本の風習にならって、いわゆる「厄年」ってやつを調べてみた。 詳細記事

リタイアメント・オーストラリア

〈AI的リアリティ〉の登場

「人生二周目」独想記 第40号

Copilotの制作によるイメージ   .

AIとのやり取りをしながら、ある鼻持ちならない感覚にとらわれた。あるいは、こちらの生身な在りようでは太刀打ちできない、あたかも底なしの世界に引き込まれてゆくような、そのまさに人間離れしたAI側の能力に圧倒される気配である。その場ではもう、こちらにはただ、スイッチを切るしか手は残されていない。これって、これまでの「二重構造」の上塗りじゃないのか。注意しなければならないのは、AIはまるで自分が人間であるかのような顔をして、しかも揺るぎない確信をもって語ってくることだ。これが言われている「シンギュラリティ(特異点)」の第一歩なのかも知れない。 詳細記事

両生空間
No.436

今回の「話の居酒屋」シリーズは、Line環境を通じての日豪越境談義。前回の「二人のガイド」を読んだDとそのAとの対話である。AとDは、かれこれ二十年来の付き合い。Dは、四十代後半の典型的な氷河期世代で、かつて、冷え切った日本に見切りをつけ、転機を託してオーストラリアに渡ってきていた。そしてAとは、シドニーの和食レストランで働く、年の離れた同僚同士となった。Aは長年の準備もあって永住の地位を得ていたが、ワーホリだったDは、全力をあげた努力にもかかわらず万策尽き、その日本への舞い戻りの憂き目を見るにいたった。今回の談義は、こうした背景を持ち合った、団塊とそのジュニアの世代間の、「疑似親子」同士のやり取りである。 詳細記事

この一月、雪におおわれた山を体験したことで、自分がなぜ山が好きなのか、その疑問が解けるような見解を発見した。それはどうも、当たり前のことなのだが、自分というものを、それを中心にして考えてしまう、つまりそれがまず主観としてしか意識に登ってこないという、いわば〈意識の錯覚〉とでも呼べる、その出現にまつわる不可避の形を見たからだ。 詳細記事

2月8日〈月

日本、自民、単独で316議席獲得、三分の二の311すら越えた。日本の有権者の選択がこれである。国が分裂するよりはましとしても、とても健全な選択をする統一とは思えない。政治の堕落は止まりそうもない。 詳細記事

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