AI的メルヘン

その知の平準化効果

「人生二周目」独想記 第41号

インターネットの普及とともに登場した「ウィキペディア」が、かつて“資産”の象徴だった百科事典を完膚なきまでに駆逐したように、AIの登場は「博識」という人間資質――いわば“人間百科事典”――を、”民主化”させようとしている。つまり、それが誰であろうと、いったんスマホ片手にAIへ問いかければ、これまで限られた人たちだけが持っていた知の優位性は、たちどころに大衆化される。よって、富の偏在が社会的階級の根源となっていた既成の事実に、この知の民主化が、単なる理念としての平等ではなく、知にまつわる現実的基盤としての平等をもたらし、”大衆革命”をいっきょに身近に引き寄せる効果を持つ。百科事典を絶滅させた「ウィキ効果」に引き続く、あるいはそれにとどまらない現象として、今度は、人間社会の〈二重構造〉を揺らがしてゆくに違いない。

 

このAIによる知の平準化効果は、かつて、共産主義が危険思想として扱われたように、子供がスマホを持つことを危険視する、制度側の恐怖をもたらしている。

たとえば、スマホのSMS機能がいじめを助長する恐れを理由としてその使用に年齢制限をかけようとしているが、いわばそれは皮相で、そもそも、AIによる知の平準化効果が学校教育における試験制度を無効化させるという、今日の知の希少性に立つ社会階級の崩壊への恐怖心がその背景にあるからである。

子供たちが、スマホ片手に学校制度の根幹である知の階層性に反乱を起こし始めたら、それこそ、教育制度の規範はたちどころにその建前が揺らぎはじめる。

そこで、AIのもたらす「ウィキ効果」の本質を、〈既存の階級制度を無効化する平準化効果〉と一般化すれば、そもそも、人間社会の様々な威厳の体制が、これまた、“完膚なきまでに駆逐されてしまう”という、社会の民主化の新たな流れを浮かび上がらせてくる。

たとえば、大人と子供という、経験という時間を媒介とした知の蓄積の“非対称性”の構造も、AIによる経験知の完全な開示が可能となれば、その年齢を尺度とした上下関係も、その基盤を脆弱なものとさせてしまう。

 

そこで、こうした〈AIによる知の平準化効果〉を、もっと広い俯瞰をもってとらえてみよう。

すなわち、技術革新が、それまで「希少性」によって支えられていた社会階級制を、不可逆的に平準化していく現象として、いくつかを挙げてみる。

ポイントは、既存の能力・権威・威厳が、個人の資質や長期修練の産物であるかのように見えていたものが、技術によって“即時アクセス可能”になる変化である。

 

1. 活版印刷と「聖職者的知」の崩壊

中世ヨーロッパにおいて、ラテン語文献を読解できる能力は、聖職者階級の威厳そのものだった。聖書を「読める」ことは、すなわち神意を媒介する資格を意味し、民衆はそれを信じるしかない存在だった。

しかし活版印刷の普及により、

 
  • ・聖書は大量複製され
  • ・各国語に翻訳され
  • ・「読む」という行為そのものが一般化した

結果として起きたのは宗教改革であり、「解釈する権威」そのものの失効だった。

これはまさに、

「博識な人間」=「意味を媒介する存在」という構図が、「誰でもアクセスできる知」によって解体された最初の大規模事例である。

AIは、これを宗教領域ではなく、全知的領域で再演していると言える。

 

2. 電卓・表計算ソフトと「計算ができる人」の没落

かつて、暗算・筆算・そろばんに長けた人間は、

 
  • ・商取引
  • ・会計
  • ・組織運営

において、明確な優位性を持っていた。つまり、「数字に強い」という資質は、人格的信頼にすら結びついていた。

ところが、

 
  • ・電卓
  • ・Excel
  • ・会計ソフト

の普及により、「計算できること」は能力ではなくありふれた条件になった。

重要なのは、計算そのものが不要になったのではなく、計算が“人徳”であるという社会的評価軸が消滅した点である。

これは、AIによっていま起きつつある、

 
  • 博識
  • 記憶力
  • 多分野横断知

の価値変動と、ほぼ完全に対応している。

 

3. カーナビと「土地勘」という経験資本の無効化

かつて「道に詳しい人」は、

 
  • ・タクシー運転手
  • ・配達業
  • ・地元の賢者

として、経験年数そのものが権威だった。しかしGPSとカーナビの登場により、

 
  • ・初めて来た土地でも
  • ・最短ルートを
  • ・迷わず移動できる

ようになった瞬間、「長くその地を知り抜いていたこと」の価値が蒸発した。

これは、上に指摘した

年齢=経験=知
という連鎖がAIによって断ち切られる未来を、すでに空間認知の領域で先取りした事例といえる。

4. YouTubeと「師匠制度」の空洞化

料理、楽器、スポーツ、DIY、プログラミングなどの領域において、かつては、

 
  • ・師匠につく
  • ・先輩に教わる
  • ・団体に所属する

ことでしか学べなかった技能が、今や動画一本で視覚的に完全開示されるようになった。

結果として起きたのは、

 
  • ・師匠の権威の相対化
  • ・「正統なルート」の意味喪失
  • ・独学者の大量出現

ここでも、「教える側/教えられる側」という非対称性が崩れている。

AIはこれを、「技能」ではなく「思考」「判断」「説明」そのものに拡張しつつある。

 

5. 法律検索データベースと「専門家としての威厳」の侵食

弁護士や行政書士の権威は、

 
  • ・法律が難解であること
  • ・情報にアクセスしにくいこと

に強く依存していた。しかし、

 
  • ・判例データベース
  • ・Q&Aサイト
  • ・生成AIによる法的説明

により、「何が書いてあるか」「どう解釈されてきたか」は、一般人でも即座に把握可能になりつつある。

専門家は不要にならないが、専門家“であるだけ”では権威を維持できない。

これは学校教師や研究者にも、そのまま当てはまる。

 

このように、AIは単なる効率化ツールではなく、

知の希少性を破壊し、階級制の存在理由そのものを失効させる装置

であることだ。

 

ウィキペディアが「百科事典」を追放したのではなく、百科事典という“威厳の形式”を追放したように、AIはこれから、

 
  • ・博識
  • ・年長性
  • ・専門性
  • ・教師性

といった、人間社会のさまざまな威厳の形式を、静かに、しかし不可逆的に空洞化させてゆく。

 

最後に、本稿は、前回の「〈AI的リアリティ〉の登場」と二部作となっており、両稿合わせて、AI技術の功罪の両面を俯瞰しようとしている。

 

 

 

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