人間には更年期というものがある。昔は、女性だけの現象と言われていたが、近年、それは事実上、男にもあって、両性ともにその身体上の季節の変わり目を体験することとなる。
それの起こる時期は、人によってやや幅があるようだが、50歳あたりを前後して、この身体の季節の変化が訪れる。 詳細記事
動物から人間へ ; 更年期を境に
人間には更年期というものがある。昔は、女性だけの現象と言われていたが、近年、それは事実上、男にもあって、両性ともにその身体上の季節の変わり目を体験することとなる。
それの起こる時期は、人によってやや幅があるようだが、50歳あたりを前後して、この身体の季節の変化が訪れる。 詳細記事
選択か非選択か
前日、パラリンピックの報道を視ていたからなのか、障がい者の施設を訪ねている夢を見た。
夢だから取り留めもないのだが、以前より知っていたらしいその施設が変わったとのことでの訪問のようだった。
行ってみると、施設の利用者は全員、男子のみとなっている。
どうしたのか、どうやら男女混合の居住の問題が生じて、女子は別の施設に移されたのだと、夢の中の自分は理解していた。 詳細記事
「分業」と「役割分担」の違い
人間、自分一人で、あれもこれもの役割を受け持てるわけではありません。社会の中で、人それぞれに、自ら選らんで、あるいは行き掛り上で、とある部分を引き受けています。前回ではそうした役割を、経済学の角度から、「分業」について振り返ってみました。
今回はそうした役割分担を、「分ける」視点からではなく、むしろ反対に、「包括する」二つの視点から見てみます。一つは、生物学的目線で、そして他は、一般に「人の道」と呼ばれる目線です。 詳細記事
「現役」とは「分業」の一駒
前号では、「二周目も四分の一を経過」とのタイトルで、今月20日で78歳となる、還暦後の心境をつづりました。そのほぼ20年間「何に取り組んできたのか」との問いに対し、自身の積りや思いとしては、現役期からリタイア期への「生き方」上の移行でした。この「生き方」との問いには、〈いかに喰ってゆくか〉との経済上から、〈何を価値にやってゆくか〉との信念上へとその観点は広範囲にわたります。今回からのこの新シリーズでは、そのうちから、前者の観点にフォーカスします。そしてそれを、誰もが避けられない要件にもかかわらず、自分の能力や遭遇した運で片付けられがちな微視的な視野から、もっと巨視的な視野へと見直してみます。ある意味では、自分の経験に立つ振り返り談でありますが、そうした、《「分業」から「退業」》へとの無職化の過程で問われる現実との〈すり合わせ〉の問題への私なりの見方です。
その第一回は、私たちの誰もが担う「現役」という役割は、歴史、ことに近代産業の発展史に見出せる、〈分業〉と呼ばれる巨大な潮流における、その最も末端での個人上の在り方であったことです。 詳細記事