新サイト『フィラース Philearth:理論人間生命学』が、8月20日、晴れてリリースされました。この新サイトは、当サイトの新世代版とも言うべきもので、当サイトでのこれまでの議論を下地に、大きな変動が予想される世界の今後への展望を託して新誕生するものです。当サイトと合わせて、読者の皆様のご拝読をお願いし、ご案内申し上げます。

前号の「今月のおすすめコンテント」でご協力をお願いしましたように、現在、本サイトにおいて『天皇の陰謀』についての読者アンケート調査が実施されています。開始されてからまだ2週間という短期間のためか、いただいた回答はほんの数通に留まっています。終戦後75周年という節目の時期にあって、同書ばかりでなく、天皇制自体についても、改めて考えるまたとない機会でもあります。どうか読者の皆様の積極的なご回答をお願い申し上げます。【調査回答はこちらへ

「今月のおすすめコンテント」は、「読者調査」という、いつもと違った扱いで行きます。

というのは、八月というのは、私事レベルでは、戦後最初に生命を授かった平和初世代としての誕生の月であり、また日本人にとっては、戦争という極めて悲惨な体験にもとづく、二度と起こしてはならぬとの《出直し》を誓った月であるからです。

そういうこの八月を期して、ひとつのアンケート調査を行います。それは、本サイト定評コンテンツのひとつである 『天皇の陰謀』――その戦争に切っても切れぬ根幹存在であった昭和天皇を克明に論じた著作――について、その広範な読者の皆様のご意見をアンケート式に調査し、改めて、戦争の記憶と認識を喚起する一助としたい――あるいは「どうしてかくも広く長く読まれるのか」を明白にしたい――と願うからです。

読者の皆様のご協力を切にお願い致します。【調査へと進む

 

今年も8月がやってきます。私は、終戦の翌年の1946年生まれで、文字通りのベビーブーマーの先頭に位置してきました。父が終戦後すぐに復員してきて生まれた家族では第二子です。今月紹介する記事は、そういう私の出生にも関連して、やはり私の育ちのどこかに、直接ではありませんが、戦争体験をひきづったところがあり、それを表しておくのは私の世代的役目と感じています。この記事の中の私がまだ4、5歳のころの写真は、何やらアジアの開発途上国の子供を思わすような、当時のまだ貧しかったもののどこか澄んでいた、日本の面影が漂っています。来月、またしてもの戦争を想起する月を迎えますが、それをひかえて、今月はこの「戦争と私」と題した記事を取り上げます。

今年も8月がやってきます。私は、終戦の翌年の1946年生まれで、文字通りのベビーブーマーの先頭に位置してきました。父が終戦後すぐに復員してきて生まれた家族では第二子です。今月紹介する記事は、そういう私の出生にも関連して、やはり私の育ちのどこかに、直接ではありませんが、戦争体験をひきづったところがあり、それを表しておくのは私の世代的役目と感じています。この記事の中の私がまだ4、5歳のころの写真は、何やらアジアの開発途上国の子供を思わすような、当時のまだ貧しかったもののどこか澄んでいた、日本の面影が漂っています。来月、またしてもの戦争を想起する月を迎えますが、それをひかえて、今月はこの「戦争と私」と題した記事を取り上げます。

これは2008年の世界同時不況の際に書いたエッセーですが、現在のコロナがもたらし始めている不況と同じような「時代の変わり目」の雰囲気を背景にしているものです。当時、故堺屋太一〔官僚出身評論家〕が、不況後に来る社会を「知価社会」と呼んで物的消費に傾かない主知的満足社会の到来を予告しました。それは現在で言われている「ニューノーマル(新常態)」に相当する甘美な標語でした。当時私は、その予告標語に対して、「プロレタリアート」つまり並みの労働者は、真に受けない方がいいのではないかと身構えて考えたわけでした。結局、堺屋太一の予告は外れて、グローバル・サプライ・チェーンに支えられたいっそう大規模な消費システムが構築されました。それはむしろ、私がそのエッセーに書いた恐れの到来でした。ではそのエッセー「『知価社会』時代のプロレタリアート」にご案内いたします。

これは2008年の世界同時不況の際に書いたエッセーですが、現在のコロナがもたらし始めている不況と同じような「時代の変わり目」の雰囲気を背景にしているものです。当時、故堺屋太一〔官僚出身評論家〕が、不況後に来る社会を「知価社会」と呼んで物的消費に傾かない主知的満足社会の到来を予告しました。それは現在で言われている「ニューノーマル(新常態)」に相当する甘美な標語でした。当時私は、その予告標語に対して、「プロレタリアート」つまり並みの労働者は、真に受けない方がいいのではないかと身構えて考えたわけでした。結局、堺屋太一の予告は外れて、グローバル・サプライ・チェーンに支えられたいっそう大規模な消費システムが構築されました。それはむしろ、私がそのエッセーに書いた恐れの到来でした。ではそのエッセー「『知価社会』時代のプロレタリアート」にご案内いたします。

これは12年前に書いた自分の健康についてのエッセーです。これには、たまに、集中したアクセスがあって、どこかで教材にでも使われたのかと勘ぐったりもしています。ところで、自分の体については、もちろん、当時と今では大きく変化してきていますが、自分の身体を内外に区別せず、体内も周囲の環境も連続した、すべてがエコロジーだという考えは変わっていません。そしてむしろ、近年の命に関わる体験をへて、そのエコロジー観は、宇宙にまで広がっています。ではそのエッセー「私の健康観」にご案内いたします。

これは12年前に書いた自分の健康についてのエッセーです。これには、たまに、集中したアクセスがあって、どこかで教材にでも使われたのかと勘ぐったりもしています。ところで、自分の体については、もちろん、当時と今では大きく変化してきていますが、自分の身体を内外に区別せず、体内も周囲の環境も連続した、すべてがエコロジーだという考えは変わっていません。そしてむしろ、近年の命に関わる体験をへて、そのエコロジー観は、宇宙にまで広がっています。ではそのエッセー「私の健康観」にご案内いたします。

6年前のちょうど今ごろ、私は宣告された前立腺ガンをかかえて、深刻な心境にありました。専門医の助言に従って、全摘手術を受けるか否かの選択を迫られていたからでした。結果、手術を受けない選択をしましたが、心身健全なまま、現在に至っています。そこで何が起こったのでしょう。ではそのストーリー「ガンからの『回復』に思うこと」にご案内いたします。