「親ガチャ」そして「国ガチャ」も

変遷するゲームの“遊び方”

〈半分外人-日本人〉(その11)

ズラリならんだ「ガチャ」ゲーム

これは、最初からそういう考えがあったという話ではないのですが、今になってよくよく考えてみれば、そういうことだったのかもと思えてきていることがあります。

それは、「親ガチャ」という言葉があり、その「乗り越え」という行動があるように、「国ガチャ」という言葉があったとしたらどうだろうということです。そして、自分がなが年にわたって取り組んできたことが、たとえ暗黙にではあったにせよ、この「国ガチャ」を乗り越える行動であったのかもしれないという思いです。

 

本来、こうして二つの「ガチャ」を並べてみるのは、あまたある選択が効かない運命的諸問題より、「ガチャ」との言葉をかけてその心に、両者の共通性に照明を当てようとの趣向です。

ただし、そこには通常、その運命的問題に関して、その苛烈さの程度によるさまざまなレベルがあることです。

たとえば、その苛烈さが、目下の生存を直接に脅かしている程となれば、なんとしてもそれを回避せざるをえないとの選択となります。ことに、非人間的とか暴力的な親や国のもとに生まれた人たちが、親離れや極端には親殺し、そして移民や密出入国にその突破を託そうなどとの事例です。

広く言えば、格差や差別に根差す泥沼のような状況が、今日の各国の移民政策やひいては民主主義の根幹にも触れる問題となって、欧米の先進国をも揺るがし、いわゆるポピュリズムの広がりをもたらしています。ましてや、誰にとってもの故郷であるはずのこの地球の異常気候は、私たちの可住な範囲さえをも狭めてきています。

 

私の場合、その発端は、半世紀前の日本をめぐって、モダレートからラジカルまで、スペクトラムをなすその運命的問題への関わりがあり、その後、合法的でさほどの飛躍を伴わない、地理的移動を続けてきての今日の結果です。

ちなみに、本サイトの『両生歩き』とのタイトルは、そうした「移動」の象徴的表現であり、そのコンテンツはその足跡の記録です。

 

そうした長い経過の結果にもたらされている一つの思いが、当シリーズのタイトルに表されている、「半分外人-日本人」との境地です。つまり、その気付きの程度はいろいろあれ、「国ガチャ」と表現しても間違いではない、一見、運命的でもあった課題をなんとかこなしてここに至り、いまや二国を股に掛けたようにもなっている、その到着点において抱いている“ハイブリッド”な視界です。

それは、一面、現実の選択の幅を広げてきたとの獲得をもたらしながらも、他面では、移動してきた旅路がゆえの郷愁も伴っています。

 

さて、以上は、半世紀前の日本で二十代を過ごした者の感慨です。

そこでですが、互いに同世代であっても、当時と今の日本とは大きく異なっており、今では「親ガチャ」も、乗り越えるものと捉える以前に、無闇にはできない限られた所与条件の一つとすべきなのでしょう。ですから「親ガチャ」も「国ガチャ」も、そうとはモジってはみても、それをそうと一重には扱えないものと変じてきます。

まして円安の時代とならば、海外旅行すらもハードルは高く、これも無闇に漕ぎだせない選択外へと遠ざかりつつあります。

「ガチャ」ゲームもさまざまですが、それをめぐって“遊び方”が180度も違う環境となっているとするなら、「半分外人-日本人」の思いも、一種、寂寥としてこざるをえないものがあります。

 

 

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