対立の歩み寄り

《「人生二周目」独想記》第25号

2025年(昭和だと100年、明治だと158年)の年頭に当たって、世界が日ごとに大戦争の淵へと迫っているかの今日、これはきわめて大ぐくりで、時にナイーブとされかねないことは承知の上でのビジョンです。すなわち、その破滅へと向うかのような情勢の反面、一歩距離を置いたバードビユーにおいては、ある種のコンバージェンスつまり収束、あるいは歩み寄り状態が浮上し始めてきているように伺えることです。もちろん、自分の希望的観測も含んでです。

それは、学的にも文明的にも、東西を分けてきた原点と見られてきギャップが、こうした危険な変遷の一方で、より本質的な次元でのギャップの解消、あるいは、両者の歩み寄り方向への動きが始まっているようにも見えることです。

そうした分野を挙げてみると、以下のような二元世界の歩み寄りと観測できる諸現象です。

西洋文明と東洋文明

西洋哲学と東洋哲学

西洋医学と東洋医学

既存科学と新科学

 

こうした諸分野での互いな接近状況については、これまでにもそれぞれに、別々の記事に述べてきました。

その主なものを挙げれば、「西洋と東洋」については両生学講座 第一回 学問としての「両生」、「西洋哲学と東洋哲学」については西洋にとっての禅、「西洋医学と東洋医学」については、「MaHa」の学的最前線(補完章)、そして、「既存科学と新科学」については、生命情報第1章 非科学な科学などです。

これらの各々を書いた当初は、それぞれ個別の現象のように見ていたのですが、今になってそれを俯瞰すると、どれもがその底辺で、つながり合っているように受け止められます。お手数ですが、リンクを開いて確認いただければ幸いです。

 

また、近日では、そうした「歩み寄り」の必要を指摘する、たとえば、こんな見解が見られます。

日本経済新聞(デジタル版)の大晦日の記事に、「逆転の世界」と題した特集で、「『西側が作ったルールに従うべき』は偽善」との記事があります。国際関係の歴史家で米コロンビア大学のマーク・マゾワー教授にインタビューしたもので、こう述べています。(追記;1月6日付では、世界各国の戦時下準備が広がっているとの記事)

バイデン政権はある意味、米国の偽善の典型例だった。ロシアのウクライナ侵略で各国に求めた(攻撃を受けたウクライナ支援の)行動と、イスラエルのパレスチナ自治区ガザ攻撃の際の(イスラエル擁護の)行動が大きく異なり、世界はこれを二重基準だと受け止めた。

〔中略〕危機が去った後のより複雑な世界においては国際協力のために話し合える場を持つことが必要だ。

この「国際協力のための話し合い」が成立し、それが成果をもたらすには、その「偽善」を認識した歩み寄りの姿勢無くしてはありえません。

そして、上に挙げたように、それぞれの分野において、対立自体が、虚構とは言わずとも、時代的限界に根差す、一種の偏見であったことが、次第に明らかになってきていると見ます。

 

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