これはひとりの男の私見だが、いったん男としての沽券を捨てると、この世のもやが晴れるように出現する、見通しのよい視界がえられる。
それはたとえば、女のもつ、正直言って男には到底なしとげえない、適応能力が成す風景である。
もっと言えば、世界のどこであろうと、そこを根城に棲みついてしまえる、根源的な生命力だ。 詳細記事
風穴を開けたのは誰
これはひとりの男の私見だが、いったん男としての沽券を捨てると、この世のもやが晴れるように出現する、見通しのよい視界がえられる。
それはたとえば、女のもつ、正直言って男には到底なしとげえない、適応能力が成す風景である。
もっと言えば、世界のどこであろうと、そこを根城に棲みついてしまえる、根源的な生命力だ。 詳細記事
英文は邦文の2倍
集計データが語る読者コントラスト
健康長じてのこの楽しみ
「人のふんどしで相撲をとる」という諺がある。
いま、中央アジアの旅を始めて、はや十数日となっているのだが、私は、この旅とは正直言って、まさに、この諺の通りだなと思っている。 詳細記事
2025年5月20日、オーストラリア連邦準備銀行(RBA)は、政策金利を現行の4.10パーセントより3.85パーセントに引き下げることを決定しました。
“私アニメ”;「夢は枯野をかけめぐる」
前号の「〈続〉 残雪の山歩きで見えてきたもの」では、奥秩父での山行体験が発展して、なにやら、量子理論の自分解釈版になりそうな記事となった。それが、兄弟サイトの『フィラース』に掲載中の「MaHaと僕のシェアーライフ」の「2.03 「並行宇宙」論と共に」ではさらに発展して、ことに、量子理論の「並行宇宙」論の私版を述べることとなった。
そう述べながら、これはもしかすると、今日風「夢」ではないのだろうかとの思いも頭をよぎる。
そこで、それがもし「夢」であるとするなら、そのドキュメンタリー映画中での宮崎駿の告白、「人間の夢とはことごとく、呪われた夢なんです」が、再度、想い起されてくる。 詳細記事
〈続〉 残雪の山歩きで見えてきたもの
《日本という地は量子的な“ワンダーランド”》か
前号に「残雪の山歩きで見えてきたもの」と題した記事を掲載しましたが、本稿は、その続編です。その記事では、「私たちの徒歩行という古めかしくも生身な身体活動は、この天地にわたる現代技術のもたらす機能的交通体系の効用とあいまって新旧両界体験となり、まるでタイムスリップとの解釈すらも可能な、異次元な発想へとも高揚させてくれたのでした」と結びました〔斜字体は今回〕。そこで本続編は、この山行にまつわる何とも曰〔いわ〕くありげな発展について、その地上編と上空編とでも大別できる二つの視点を通じて、この「異次元な発想」をめぐる究極な視界――目下、世界の脚光を浴びている量子物理学へともおよぶアイデア――へとアプローチして行きます。
今回の山行コース(赤線)=地上編と、その上空の幹線航空路(青矢印)=上空編
残雪の山歩きで見えてきたもの
今回の二年振りの帰国による日本での山歩きは、ハードルをちょっと上げ過ぎたかと危惧される、正直なところ、恐るおそるな試みでした。エベレスト登頂体験を持つ若く熟練した山岳ガイドが同行してくれているとはいえ、自分の身は自分で運び上げなければ登山にはなりません。体のあちこちの不具合はもちろん、78という年齢ならばなおさら、よせばよい愚行にもおちいりかねない不安を交えたチャレンジでありました。
2025年4月1日、オーストラリア連邦準備銀行(RBA)は、現行政策金利を4.10パーセントのまま据え置くことを決定しました。 詳細記事
先が見えないからこそ原則に
この連載ではこれまで、「変容する主流パーソナリティ」、「戦争しない国はどこ」、「〈脆弱〉から〈天才〉への飛躍」と題して、人間の主要パーソナリティや社会の趨勢、そしてことに戦争状況への可能性に焦点を当てた視点を述べてきました。
今回は、そうした過去の変化への考察に立って、それならば、将来はどうであるのかという予想の視点です。 詳細記事
〈脆弱〉から〈天才〉への飛躍
前々回に「変容する主流パーソナリティ」と題して、人間のパーソナリティに焦点を当てた視点を述べました。今回は、そうした変化と共にあるはずの社会の側の特徴を述べてみます。というのは、人間のパーソナリティといってもそれは、その在り方を左右する人間にとってのインフラ側の特徴を反映していると考えられるからです。そこで下に示す図です。
戦争しない国はどこ
2025年2月18日、オーストラリア連邦準備銀行(RBA)は今年初の定期理事会を開き、現行政策金利をこれまでの4.35パーセントから4.10パーセントへ0.25ポイント切り下げることを決定しました。 詳細記事
変容する主流パーソナリティ
これは、エビデンスが主導する純アカデミックな見解ではありません。あくまでも、経験からくる感じによる「独想」です。そしてその経験も、一人の人間の生涯にもとづく数十年、そして、幾世紀にもわたる歴史的系譜を含めての話です。これがどれほどの信ぴょう性を持つものとなるかはさておき、私が自分の人生上で得てきた一連の受け止めを述べてみます。
そうした長期にわたる感じや印象を典型的に語るものとして、日本ばかりでなく、世界の人々のパーソナリティ上の中核的な特徴が、下図で示した赤と青の二つの矢印のような変化をし始めていると受け止められることがあります。
(第4象限のイラストは2月13日付AFR紙より)
訪日観光ブームへの苦言
今回の〈半分外人-日本人〉は、いまや沸きにわいている「訪日観光ブーム」への、ご多分に漏れず、苦言です。
まずはじめに、そうしたブームに火を付けた、「観光立国推進基本法」と命名されたその法律からみておきます。以下は、2007年1月1日施行のその法律の前文です。 詳細記事
「親ガチャ」そして「国ガチャ」も
変遷するゲームの“遊び方”
ズラリならんだ「ガチャ」ゲーム
これは、最初からそういう考えがあったという話ではないのですが、今になってよくよく考えてみれば、そういうことだったのかもと思えてきていることがあります。
それは、「親ガチャ」という言葉があり、その「乗り越え」という行動があるように、「国ガチャ」という言葉があったとしたらどうだろうということです。そして、自分が長年にわたって取り組んできたことが、たとえ暗黙にではあったにせよ、この「国ガチャ」を乗り越える行動であったのかもしれないという思いです。 詳細記事