「お金持ち」という言葉がある。今日の普及用語にすれば「富裕層」となろうが、むろん私はそれには当たらない。むしろ、それからの「外れ」具合を”持ち味”に生きてきている「層』である。そうした「層』の一員である私が、この8月に傘寿となる。そうして「人生三周目」に入るということで、それへのグランド構想を模索しているというのが、この「予告編」のテーマである。
「命持ち」へ仮説拡張
「運動」とは「自己組織能力」インフラだった
「人生三周目」予告編 第八号
ひとつの仮説
運動機能という「人格」のインフラ
「人生三周目」予告編 第七号
「人生三周目」に向けてのグランド構想を考えるにあたって、私はいま、ひとつの仮説を立てようとしています。そしてそれを仮説とするのは、まさかそんなものが存在しているとは一概には考えられず、かなり慎重に取り扱わねばならないものだと思えるからです。そしてその仮説とするものは、副題のように、〈運動機能という「人格」のインフラ〉という見立てです。

こうした国土のインフラのように、、、(写真は「しまなみ海道」の本四間連絡橋) .
「老若コラボ」というタイムトラベル
見えてくる「二重構造」の桎梏
「人生三周目」予告編 第六号
「人生三周目」に向けて、そのグランド構想を考えている。
そして至りそうな結論から述べれば、こういうことになるのではないだろうか。
人間は、地球上で自然による40億年を要して生じた産物である生命体のひとつで、それ以上でもそれ以下でもない。そうした人間にとっての基盤は、限りなき宇宙を含む、その大自然環境に根差すことから外れてはあり得ない。その一方、時代を席巻するAIがその人間を超越するシンギュラリティ(特異点)をもたらすというが、それでもそれは、そういう人間の作り出したAI技術によるものとの限界は厳として存在するはずだ。つまり人間は、AIによるシンギュラリティという“自作”の新たな人間性をかかえた存在へと変質はするだろうが、それでもその人間性の基盤は、限りなき自然環境に置かれていればこそ開かれていることに変わりはない。
未必の必然
「人生三周目」予告編 第四号
「未必の故意」という法律用語がある。これは、犯罪の結果が生じる可能性を認識しながら、その犯罪性を認容している状態を言う。具体的には、行為者が自らの行為によって生じる可能性のある結果について、その結果が生じることを許容したり予期している状態のことである。
こうした法的用語に対し、ここに、人がとる選択においての、「未必の必然」という私の造語を提示してみたい。 詳細記事
生き方の「ロングテール」
「人生三周目」予告編 第三号

恐竜の「ロングテール」
前号掲載の〈「超一流コンサルタント」に聞いた本サイト評」〉で、『両生歩き』と『フィラース』の二サイトについて、AI(そこではMSのCopilot)に聞いてみた回答を記事にした。そこで気付いたことがある。それは、そうしてAIがやってくれていることは、それを「宣伝」に使うのは外道なのかも知れないが、ともあれ、AIの回答は、けっこうの「よいしょ」もしてくれて体のいい権威付けとなり、ましてそれを記事にするのは、発行者にとっては、もうこれ以上の「宣伝」法はないのだ。 詳細記事