未必の必然

「人生三周目」予告編 第四号

「未必の故意」という法律用語がある。これは、犯罪の結果が生じる可能性を認識しながら、その犯罪性を認容している状態を言う。具体的には、行為者が自らの行為によって生じる可能性のある結果について、その結果が生じることを許容したり予期している状態のことである。

こうした法的用語に対し、ここに、人がとる選択においての、「未必の必然」という私の造語を提示してみたい。 詳細記事

生き方の「ロングテール」

「人生三周目」予告編 第三号

恐竜の「ロングテール」

前号掲載の〈「超一流コンサルタント」に聞いた本サイト評」〉で、『両生歩き』と『フィラース』の二サイトについて、AI(そこではMSのCopilot)に聞いてみた回答を記事にした。そこで気付いたことがある。それは、そうしてAIがやってくれていることは、それを「宣伝」に使うのは外道なのかも知れないが、ともあれ、AIの回答は、けっこうの「よいしょ」もしてくれて体のいい権威付けとなり、ましてそれを記事にするのは、発行者にとっては、もうこれ以上の「宣伝」法はないのだ。 詳細記事

〈心〉なき片手落ち

「人生三周目」予告編 第二号

どうやら「人生二周目」の20年間は、一周目の延長として、その「変形」としてしか考えられていなかった。それが、80歳を境とした「三周目」を目前にして、もはや根本的に「異質な」ステージとして捉えるべきでありそうだ。と言うのは、「二周目」のリタイア後の人生を支えた基盤は年金制度にあったのだが、それはズバリ言って、〈片手落ち〉な制度であるからだ。つまり「三周目」に入ってそれを〈両手揃えた〉ものとするには、年“金”ではなく、もはや金銭に頼らぬ、年“〈心〉”とでも呼ぶ次元にすべきなのだ。 詳細記事