変な「半分外人」

〈半分外人-日本人〉(その1)

今77歳の私がここオーストラリアに渡ったてきたのは1984年、38歳の時で、昨年はそのオーストラリア在住の長さが、私の人生のちょうど半分に達した年でした。

そうした意味では、私はまさに「半分外人」なのですが、そうでありながら、今だ日本国籍をしっかり持ちつづけているという意味では、「半分外人-日本人」でもあります。

また昔、S30年代末の昭和の真只中、「変な外人」という流行語がありました。たしか、タレントとして活躍しはじめていた日本在の「ハーフ」の外人たちがそう自称したことが受けていたのですが、私のこの「半分外人」ながらまだしつこく「日本人」であるということは、「ハーフ」か「ダブル」かはともあれ、そんな“変な”「半分外人」でもあるようです。

そこで今回を皮切りに、ここに〈半分外人-日本人〉とのコーナーを設け、その“変な”「半分外人-日本人」ぶりをさらけ出してゆこうと思います。

私の人生終盤に向けての、アウトプットであります。

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〈半分外人-豪州人〉という鏡像

〈半分外人-日本人〉(その2)

(その1)に続けて(その2)も掲載します。

先に、『日本人という呪縛』との題名の昨年末出版の邦訳本(原題は The curse of Japaneseness)を読みました。日本在住も長いデニス・ウェストフィールド(Dennis Westfield)と言う豪州人ジャーナリストが原著者です。

まず、ひと言でその読後感を述べれば、本書は、私が自称する「半分外人-日本人」の鏡像とも言うべき、「半分外人-豪州人」による日本人見解です。 詳細記事

「災難」と「双対性」

統合への潜在性の谷間で

《「人生二周目」独想記》第6号

自分の前立腺ガンを「災難」と捉え、「ガン付き健康」と腹を据えた積りとしても、この降ってわいた遭遇物は、なんとも扱い難い代物との本性を表してきています。

というのは、別記のように、直近の血液検査のPSA値は8.21に上がって、これまでの最高値となっています。要注意の度は、このようにずり上がってきています。

そこでですが、私の場合、病苦とは言っても、まだほとんど心理的なものにすぎないのですが、こうした巡り合わせには、正直言って、何でなんだと愚痴を吐きたくもなります。 詳細記事

2024年2月6日、オーストラリア連邦準備銀行は今年最初の月例理事会を開き、現行政策金利を、現行の4.35パーセントのままに据え置くことを決定しました。

1月の一日平均訪問者数(グラフ中の赤線)は 1,248人と、12月の1,246人から2人の微増となりました。しかし、各部門のほとんどで緩和はしているものの、12月に続く下落となっています。

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この《独想記》は、既述のように、前立腺ガンという――遅行性ながら――致命的「災難」との遭遇に始まる一種の闘病記との役割は持っています。しかし、それに終わらせず、それを契機に、自身のこれまでの思想的取り組みである〈非科学-科学〉構想とを結び付けた、言うなれば、「自分実験」のまたとない機会であり、それを是非とも生かしたいとするものです。 詳細記事

次の十年紀へ

見誤れぬ、足下の一歩一歩

《「人生二周目」独想記》第4号

今年の8月で、私は78歳となります。

そしてこの2024年は、これまで、おおむね10年毎に新たにしてきた私の人生サイクルをめぐり、新たな節目の年になりそうです。

というのは、まず、ひとつのサイクルの終点として、既述のように、前立腺ガンという「災難」に遭遇し、対応に追われた10年間をへて、とにもかくにも、「ガン付き健康」といった腹構えを持つことで、ひと区切りを付けれたことです。

そして起点として、この「独想記」を一種の装備とし、「山頂なき登山」であれ「海図なき航海」であれ、「究極のゴール」を目指して、むろん結末の成否はさだかでない、冒険めいた試みが始まることです。

そのような展望を託して、これからの10年を、体験してきた諸サイクルを下地に、次の十年紀にしたいとするものです。

パキスタン、フンザ渓谷。右はラカポシ峰(7788m)〔2019年筆者撮影〕

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「究極のゴール」、私の場合

《「人生二周目」独想記》第3号

「新年おめでとうございます」――とは述べても、めでたさなぞ吹っ飛ばされる新年となっています。

そんな歳月の起伏にあって、このところ私は、自分をいわゆる「老人」として意識したり自称することが、しだいに多くなっている自分を感じています。

以前は、年齢が七十代も後半になってきているのに、どこかそう自認することに抵抗感をもっていました。あるいはむしろ、人並み以上の健康水準の維持がゆえ、そういう抵抗も当然とするところがありました。

そこに、この独想記のように、十年前のガン宣告に加えての昨年のその進行状況は、そうしたフル健康状態に手痛い傷を付けてくれ、そしてもちろん、そうした自意識に強いブローをもたらしてくれました。

ただ、そうなのではありますが、それらの宣告も検査結果を根拠としたもので、自覚症状は伴っていません。そこで、早期発見は早期発見としつつも、そうしたガンへの対処については、ともあれ「全摘」は辞退し、その「ドラ息子」との共存をより尊重してきているところです。

そのように、私にとってガン問題は、あえて申せば、降ってわいた「災難」にも等しいもので、対処は必要としても、少なくとも主観的には、必ずしも自分の「老い」をさらす、決定的事態を意味するものとは考えられないできています。

ここに、その「災難」と、築いてきた「自視野」とが交錯する、大きな高度差を眼前にし、方向を見誤るべきでない「究極のゴール」とは何かと問う、あらたな登山意識――「山頂なき登山」――が私の脳裏を占めつつあります。

そしてそこに、その用具とも、あるいは、そのコンパスともなるかのように、その意識の創発の場を提供してくれているのがこの独想記で、本稿のように、それに託す働きがなんとか役立ち始めてくれています。

ネパール、アンナプルナの峰々〔注記〕

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12月の一日平均訪問者数(グラフ中の赤線)は 1,246人と、11月の1,262人から16人減少し、10月からの11人に続く微減となりました。また、各部門のほとんどで、11月の顕著な伸びを相殺するような大きな減少となっています。

 

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