どうやら、私と私の前立腺ガンとの“闘い”は、まだまだ予断はできないのですが、互いに殲滅し合うというのではなく、言うなれば、それぞれの存在を尊重し合うという、一種の「平和的解決」へと向えそうです。 詳細記事
《観測装置》たる自分
内部「バイオフィードバック」のもたらすもの
《「人生二周目」独想記》第19号
運動の後、芝生の上に座して、こう思った。
私は、どういうわけか自分の意識をこう持ってここにいて、その〈眼鏡〉をとおして外界を眺めている。自分でも、また誰からも、意識のそういう在り方の理由もその目的も、説明はおろかその問いさえ聞くことは極めてまれだ。意識はただ、気付いた時にはそう存在していて、それを今まで長々と引きずってきている。
間違いなく、昔は、我を張ることを、そうとも気付かぬほどに当たり前としていて、「自分、自分」と、おのれを中心にすえた同心円を保持するのに汲々としていた。 詳細記事
動物から人間へ ; 更年期を境に
「二周目」から「一周目」を振り返る 〈その4〉
人間には更年期というものがある。昔は、女性だけの現象と言われていたが、近年、それは事実上、男にもあって、両性ともにその身体上の季節の変わり目を体験することとなる。
それの起こる時期は、人によってやや幅があるようだが、50歳あたりを前後して、この身体の季節の変化が訪れる。 詳細記事
旅立ちの設計
「悪がり」は装いか
《「人生二周目」独想記》第18号
兄弟サイトの『フィラース』に、先月亡くなった松岡正剛さんの逝去について、私は、そこにひとつの見落としがあったと見る立場での見解を書いています。
ただその見方について、それがあの松岡さんについてだっただけに、少なからずはばかれるところがあります。
その出どころは、一方での、実質的な絶筆書と思われる対談録『初めて語られた 科学と生命と言語の秘密』の随所にみられる、尽きぬ進歩を遂げる生命情報科学の今後を見通す、彼の慧眼です。 詳細記事
選択か非選択か
「二周目」から「一周目」を振り返る 〈その3〉
前日、パラリンピックの報道を視ていたからなのか、障がい者の施設を訪ねている夢を見た。
夢だから取り留めもないのだが、以前より知っていたらしいその施設が変わったとのことでの訪問のようだった。
行ってみると、施設の利用者は全員、男子のみとなっている。
どうしたのか、どうやら男女混合の居住の問題が生じて、女子は別の施設に移されたのだと、夢の中の自分は理解していた。 詳細記事
下記グラフのように、「日平均訪問者数」(グラフ中の赤線)は、7月の1,685人からさらに1560人へと減りました。これを、今年前半に顕著だった「AI底上げ現象」が一巡したと見なせば、昨年以来の穏やかな延びが引き続いているものと思われます。
78歳となった
大いなる「見込み違い」
《「人生二周目」独想記》第17号
20日で、78歳となった。
このいまの瞬間で、なによりもの感慨は、健康で、充実して、この年齢を迎えられている幸福感であり、そして、それをもたらしてくれている、あらゆる人や物や事に対する感謝の気持ちである。
記憶にある、10年、あるいはもっと前の自分が、将来の78歳の自分を想像していた時の自分像は、少なくとも、こうしたいまの自分ではなく、もっと老いさらばえた自分であった。 詳細記事
「分業」と「役割分担」の違い
「二周目」から「一周目」を振り返る 〈その2〉
人間、自分一人で、あれもこれもの役割を受け持てるわけではありません。社会の中で、人それぞれに、自ら選らんで、あるいは行き掛り上で、とある部分を引き受けています。前回ではそうした役割を、経済学の角度から、「分業」について振り返ってみました。
今回はそうした役割分担を、「分ける」視点からではなく、むしろ反対に、「包括する」二つの視点から見てみます。一つは、生物学的目線で、そして他は、一般に「人の道」と呼ばれる目線です。 詳細記事
「現役」とは「分業」の一駒
「二周目」から「一周目」を振り返る 〈その1〉
前号では、「二周目も四分の一を経過」とのタイトルで、今月20日で78歳となる、還暦後の心境をつづりました。そのほぼ20年間「何に取り組んできたのか」との問いに対し、自身の積りや思いとしては、現役期からリタイア期への「生き方」上の移行でした。この「生き方」との問いには、〈いかに喰ってゆくか〉との経済上から、〈何を価値にやってゆくか〉との信念上へとその観点は広範囲にわたります。今回からのこの新シリーズでは、そのうちから、前者の観点にフォーカスします。そしてそれを、誰もが避けられない要件にもかかわらず、自分の能力や遭遇した運で片付けられがちな微視的な視野から、もっと巨視的な視野へと見直してみます。ある意味では、自分の経験に立つ振り返り談でありますが、そうした、《「分業」から「退業」》へとの無職化の過程で問われる現実との〈すり合わせ〉の問題への私なりの見方です。
その第一回は、私たちの誰もが担う「現役」という役割は、歴史、ことに近代産業の発展史に見出せる、〈分業〉と呼ばれる巨大な潮流における、その最も末端での個人上の在り方であったことです。 詳細記事
別掲の7月の《日平均訪問者数》報告に述べているように、AIによる怒涛のような影響は、本サイトに関しては、この9か月間でほぼ一巡したかと見ます。そして今後、こうしたAIブームは、私の見るところ、かつてインターネットがそうであったように、一種の情報作業ツールとして、私たちの日々の生活に浸透、定着してゆくものと思われ、むろん本サイトにもその影響はおよぶはずです。
こうして到来しつつある《AI時代》にあたって、この間の分析作業をつうじて、ある程度の自分のとるべき原則点が見えてきています。
一時は、AI技術に根本的に依拠した創作活動が可能かに見えたりもしましたが、それも一種の操られた幻想でもあって、つまるところ、行き着いた結論は、〈AIは使いこなすものではあっても、依存するものではない〉というものです。 詳細記事
二周目も四分の一を経過
「メタ」フェーズが舞台に
《「人生二周目」独想記》第16号
あとひと月ほどで78歳となる。アメリカでは、大統領をめぐって同世代の老人たちの確執が世界の耳目をさらっている。3億も人口があって、しかも確実に増加しているというのに、若い人材がいないはずはないと思うのだが、実に奇妙だ。
一方、日本は高齢化に歯止めがかからず、子育て環境は厳しく、人口は収縮期に入っている。しかも、かつてのお家芸の経済も活力を失って、「貧乏国」との自嘲めいた声さえ聞こえはじめている。 詳細記事
二人の台湾人作家
いずれも日本語で作品発表
〈半分外人-日本人〉(その9)
先に「二国を股にかけるということ」という題名で、温又柔(おん・ゆうじゅう)という台湾人作家について触れ、言語的アイデンティティに関連して、私自身の体験――「恥」か「強み」か――をかきました。それが機会となってその後、李琴峰(り・ことみ)というもう一人のやはり台湾人作家を知ることとなりました。この二人の台湾人作家は、どちらも日本語による小説を書いていて、日本語という自分の母国語ではない外国語によるそこまでもの達成の事例となっています。そこで、その足元にもおよばない私の外国語習得能力の「恥」を改めて噛みしめつつ、二人の日本語はどれほどのものかとの好奇心も手伝って、二人の作品を読もうと思い立ちました。 詳細記事
《メゾライフ》
リタイア後人生の新フェーズ
《「人生二周目」独想記》第15号
前回の「続・健康力」に続き、そういう健康力がある二周目の人生を、《メゾライフ》と呼び、そのビジョンを描こうと思う。そしてまずこの《メゾライフ》とは、二周目という回数的なその次というよりむしろ、質的な意味でその次とかその上ともいう、此世と来世との「中間」にあるライフと言う意味での“メゾ”ライフである。 詳細記事
「漱石論」の“焼き直し”だとしても
二つの視点の融合の時
〈半分外人-日本人〉(その8)
前回に予告しました漱石論についてですが、注文した本『漱石「文学」の黎明』(神田祥子著)が到着し、さっそく読み始めています。
今のところ、まだその「はじめに」に目を通した程度なのですが、まずそこで、思わぬ発見というか、気付きというか、ともあれ、意外な〈遭遇感覚〉を体験しています。 詳細記事
続・健康力
「働く」のは金のためならず
《「人生二周目」独想記》第14号
前号に続いて「健康力」についてだが、このところ、報道記事で、運動のもたらす健康効果について、僕がずっと述べてきている極めて積極的な評価を、後追いしているような記事が目に付く。しかもそれは、ほどほどの運動という程度どころか、運動をすればするほど、寿命が延びるといったデータが確認されたとの話まで出てきている。あるいは、年齢を増せばますほど、運動の効果が精神の積極性を増して、それがますます、運動への意欲を促進するという好循環があるという。これは、認知症予防どころの話ではない。まさしく、僕がずっと実行し、体験として実感してきていることである。 詳細記事
健康力
すべての力の根源
《「人生二周目」独想記》第13号
最近、「○○力」といった言葉をよく聞きます。「権力」だの「金力」だのは昔から言われてきた「力」でしょうが、「ブランド力」とか「コミュ力」と言った「力」は、新たに取り上げられてきている「力」です。
その一方で、この「○○力」といった言葉の逆関係の語として、「○○頼み」といった言葉があります。それこそ、なにはともあれ「金頼み」から始まり、ひいては「人頼り」から「運頼り」、切羽詰まってお先真っ暗となった時には、「神頼り」にいたります。
つまり、この「○○力」とか「○○頼り」の根底にあるのは、その人にとって、何が最も重要で、欲するものなのか、ということでしょう。
そうした意味の「○○力」とか「○○頼り」にあたる私のバージョンは、言葉としては平凡ながら、まだ、あまり聞いたことのないもの、それは「健康」、つまり「健康力」であり「健康頼り」です。
いうなれば、現在の私の幸せの根源は、この「健康」に発しています。
二股体験がとりもって
「漱石論」と再会か
〈半分外人-日本人〉(その7)
77年9か月の人生のうち、後半38年をオーストラリア住まいしてきたのですから、年月上では、確かに内外を半々に股に掛けた人生ということにはなります。しかし、この「半々」とは、もちろん、数字上の偶然にあやかった、軽口な言いようにすぎません。それに、サブタイトルの〈半分外人-日本人〉についても、そんな諧謔的な言い表しを使って、反対に、そうではない真相をにおわしたいのが本音でもあるようです。 詳細記事
二国を股にかけるということ
「恥」か「強み」かをめぐって
〈半分外人-日本人〉(その6)
雑誌『世界』で、昨年4月から始まった「日本語の中の何処かへ」と題する連載エッセイがある。著者は、温又柔(おん・ゆうじゅう)という1980年台湾生まれで、幼少時に来日、東京で育った作家である。
その温又柔は、連載初回を、まず引用で始めている。
というわけで、もし私のことを本当に傷つけたいのなら、私のことばの悪口をいってください。民族的アイデンティティとは、言語的アイデンティティのふたご――私とは、私のことば、なのだ。私のことばに自信がもてるようになるまでは、私は自分に自信をもつことができない。
(グロリア・アンサルドゥーア)〔注記〕
「AI時代」との共存法
ヤツが出来ない土俵に立つ
《「人生二周目」独想記》第12号
前号では、「『AI時代』にあらがう」などと題して、「古き左巻きのツイート」を書きました。
左だろうと右だろうと、生存せねば意味がない以上、世界ではその純粋「左傾」国家は独自の変節をとげ、いまやその名残りを冠した独裁国家となるに至って、威勢のよい鼻息をふりまいています。
むろん、その「独裁」には到底なじめるものではなく、いい年となった「古き左巻き」たる孤人は、この怒涛の「AI時代」のサーフィンを試みようとしています。 詳細記事
2024年5月7日、オーストラリア連邦準備銀行は定期理事会を開き、現行政策金利を現行の4.35パーセントのままに据え置くことを決定しました。
「一回きり」を何に託すか
「選択と不選択」をめぐって
〈半分外人-日本人〉(その5)
何年か前だったが、偶然な機会で知り合いとなった、まだ三十代の半ばにもなっていないだろうに、派手さはなく質実な印象の、ある日本人女性から言われたことがある。
「〇Xさんって、成功者ですね。」
それには思わず、「はぁー」っと間の抜けた返答をしてしまったのだが、ともあれその「成功者」との言葉は、思いも付かない僕への形容だった。 詳細記事
「AI時代」にあらがう
古き左巻きのツイート
《「人生二周目」独想記》第11号
「AI時代」とは、まだ、始まったばかりのほんのとば口だろうに、早くもそれに「あらがう」などというのは、「早とちり」もはなはだしい軽佻浮薄な行為にちがいないでしょう。
あるいは、そういう時代に、そもそも「お呼びでもない」いい爺さんがしゃしゃり出るのも、よせばいい“古き左巻き”の御託並べなのかも知れません。
いずれにせよ、そうした時代錯誤は重々承知の上で、あるいは、むしろそれこそを意図もして、長らく馴染んできた老害心めいた話をご披露しようかともくろんでいます。
というのも、先にその走りを述べましたように、「AIの世紀」の到来を、「AI本主義」といったごろの悪い呼称や、「人工知力専制主義」なぞとの汚名すら着せようとした、そうしたへそ曲がりのやからの魂胆のネタを明かすのも、今向きには、毒の毒は薬とばかりに、案外、役立つ場合もあるかも知れぬとうそぶくがゆえです。 詳細記事
サイクルの変わり目
さあ「百花繚乱」しよう
《「人生二周目」独想記》第10号
このシリーズにある『人生二周目』という標記には、到来した「サイクルの変わり目」を股にかけるといった意味合いがあって、その変調といったものを、到来自体はやむを得ないとしても、ならばそれを活用したいとの意図があります。
そうした意図から言うと、今日の時代に暮らしていて、しだいに現実味を深めてきている、二つの視点があります。
そのいずれも、日本にとっては極めて深刻な課題であるはずなのですが、なかなか着手の困難な問題となっているものです。
その一つは、人々の生き方という見地からのもので、他は、すでにその問題は現実に顕在化していて、喫緊の課題ともなっているものです。
続・「言葉って重たい」
意図しなかった緊張の発生
〈半分外人-日本人〉(その4)
前回に続き、「言葉って重たい」をテーマとするのですが、今回はその背景が大きく違っています。むろん、言葉に関する点に変わりはありませんが、〈半分外人-日本人〉といった地理由来の観点ではなく、むしろ、ジェンダー由来の問題です。そこでそれを、本シリーズのタイトルにからめて言えば、〈半分男-日本人〉とでも言い換えることができましょうか。 詳細記事
〈雑誌発行〉めいた孤業
リタイア後の在り方への一法
《「人生二周目」独想記》第9号
根気よく飽きもせずにサイトを発行し続けていると、ひょっとすると雑誌を発行することも、似たような作業なのかも知れないと、ふと頭をかすめることがあります。
もう二十年以上も昔、本サイトのオリジナル版を発行しはじめた当時、稚拙ながらビジネスがらみの目的があったため、その作業は、あたかもその会社の案内パンフレット――いかにもあか抜けしないチラシ風――をオンラインで配布しているかの感触でした。
そのビジネスが、今もドメイン名に残る「リタイアメント・オーストラリア」だったのですが、その起業もあえなくついえて、むしろその副産物として生き残ったのが、サイト発行という作業でした。
ゴッホが再びやってきた
40年振りの再会
《「人生二周目」独想記》第8号
本サイト『両生歩き』中のサブサイト「両生空間」、そのホームページ左、主テーマ欄の下に、ゴッホの作品のひとつ「星月夜」が、厚かましくも、同タイトル表示のための背景として掲げられていることに注目いただきたい。
この絵がどうしてそこに掲げられているのか、それには私なりの理由があります。というのは、私が40年前、38歳で留学生としてオーストラリアの地を踏んだ、人生半ばでのキャリアのリセットの日々にあって、その不安を癒し、勇気付けてくれたのが、一連のゴッホ体験――そのアイコンをクリックした先の記事にその詳述がのべられています――であるからです。いわばその初心を忘れまいとするそのアイコンです。
そのゴッホが、「星月夜」が描かれてからは135年後、また、私のこのゴッホ体験から40年後の今、先の「MaHa」の誕生とほとんど同時のタイミングで、ふたたび、私のもとに出現してきました。
というのは、「MaHa」の誕生と同月のこの2月、『ゴッホが見た星月夜』(日経ナショナルジオグラフィック)とのタイトルの本が出版されたからです。その帯には「天文学者が解き明かす名画に残された謎」とあります。
なにやら、このタイミングといい、私が自サイトに掲げる「星月夜」のアイコンといい、この本の出版は何やら因縁めいて感じられ、さっそく注文して取り寄せ、40年後の改めてのゴッホ体験となったのでした。 詳細記事
2024年3月19日、オーストラリア連邦準備銀行は、定期理事会を開き、現行政策金利を、現行の4.35パーセントのままに据え置くことを決定しました。
なお、同理事会は、昨年までは一月を除く年11回の月例(第一火曜日)で開かれていましたが、今年から、年8回に改められました。従って次回は、5月7日です。
不思議な〈再生感〉
「MaHa」を誕生させてからというもの
《「人生二周目」独想記》第7号
やっぱり「言葉って重たい」
〈半分外人-日本人〉(その3)
今回は、〈半分外人-日本人〉のテーマの中で、やっぱり「言葉って重たい」という、至極当たり前な話題を、あらためて取り上げます。
と言うのも、前回、私は英語が苦手である「変な〈半分外人〉」だと書きました。そんな私ですので、この「言葉って重たい」との実感は、身に染みている体験の告白でもあります。そして、そこをさらに断言してしまえば、外国暮らしをするその機会をどう成果付けるか、それを生かすも殺すもその行方は、その人の言語能力次第であるとも言えるからです。 詳細記事
今月は、オーストラリア連邦準備銀行による政策金利発表は、19日に変更となっています。
変な「半分外人」
〈半分外人-日本人〉(その1)
今77歳の私がここオーストラリアに渡ったてきたのは1984年、38歳の時で、昨年はそのオーストラリア在住の長さが、私の人生のちょうど半分に達した年でした。
そうした意味では、私はまさに「半分外人」なのですが、そうでありながら、今だ日本国籍をしっかり持ちつづけているという意味では、「半分外人-日本人」でもあります。
また昔、S30年代末の昭和の真只中、「変な外人」という流行語がありました。たしか、タレントとして活躍しはじめていた日本在の「ハーフ」の外人たちがそう自称したことが受けていたのですが、私のこの「半分外人」ながらまだしつこく「日本人」であるということは、「ハーフ」か「ダブル」かはともあれ、そんな“変な”「半分外人」でもあるようです。
そこで今回を皮切りに、ここに〈半分外人-日本人〉とのコーナーを設け、その“変な”「半分外人-日本人」ぶりをさらけ出してゆこうと思います。
私の人生終盤に向けての、アウトプットであります。
〈半分外人-豪州人〉という鏡像
〈半分外人-日本人〉(その2)
(その1)に続けて(その2)も掲載します。
先に、『日本人という呪縛』との題名の昨年末出版の邦訳本(原題は The curse of Japaneseness)を読みました。日本在住も長いデニス・ウェストフィールド(Dennis Westfield)と言う豪州人ジャーナリストが原著者です。
まず、ひと言でその読後感を述べれば、本書は、私が自称する「半分外人-日本人」の鏡像とも言うべき、「半分外人-豪州人」による日本人見解です。 詳細記事
「災難」と「双対性」
統合への潜在性の谷間で
《「人生二周目」独想記》第6号
2024年2月6日、オーストラリア連邦準備銀行は今年最初の月例理事会を開き、現行政策金利を、現行の4.35パーセントのままに据え置くことを決定しました。
私の《量子センサー》について
「究極のゴール」への手法となるか
《「人生二周目」独想記》第5号
この《独想記》は、既述のように、前立腺ガンという――遅行性ながら――致命的「災難」との遭遇に始まる一種の闘病記との役割は持っています。しかし、それに終わらせず、それを契機に、自身のこれまでの思想的取り組みである〈非科学-科学〉構想とを結び付けた、言うなれば、「自分実験」のまたとない機会であり、それを是非とも生かしたいとするものです。 詳細記事
次の十年紀へ
見誤れぬ、足下の一歩一歩
《「人生二周目」独想記》第4号
今年の8月で、私は78歳となります。
そしてこの2024年は、これまで、おおむね10年毎に新たにしてきた私の人生サイクルをめぐり、新たな節目の年になりそうです。
というのは、まず、ひとつのサイクルの終点として、既述のように、前立腺ガンという「災難」に遭遇し、対応に追われた10年間をへて、とにもかくにも、「ガン付き健康」といった腹構えを持つことで、ひと区切りを付けれたことです。
そして起点として、この「独想記」を一種の装備とし、「山頂なき登山」であれ「海図なき航海」であれ、「究極のゴール」を目指して、むろん結末の成否はさだかでない、冒険めいた試みが始まることです。
そのような展望を託して、これからの10年を、体験してきた諸サイクルを下地に、次の十年紀にしたいとするものです。
「究極のゴール」、私の場合
《「人生二周目」独想記》第3号
「新年おめでとうございます」――とは述べても、めでたさなぞ吹っ飛ばされる新年となっています。
そんな歳月の起伏にあって、このところ私は、自分をいわゆる「老人」として意識したり自称することが、しだいに多くなっている自分を感じています。
以前は、年齢が七十代も後半になってきているのに、どこかそう自認することに抵抗感をもっていました。あるいはむしろ、人並み以上の健康水準の維持がゆえ、そういう抵抗も当然とするところがありました。
そこに、この独想記のように、十年前のガン宣告に加えての昨年のその進行状況は、そうしたフル健康状態に手痛い傷を付けてくれ、そしてもちろん、そうした自意識に強いブローをもたらしてくれました。
ただ、そうなのではありますが、それらの宣告も検査結果を根拠としたもので、自覚症状は伴っていません。そこで、早期発見は早期発見としつつも、そうしたガンへの対処については、ともあれ「全摘」は辞退し、その「ドラ息子」との共存をより尊重してきているところです。
そのように、私にとってガン問題は、あえて申せば、降ってわいた「災難」にも等しいもので、対処は必要としても、少なくとも主観的には、必ずしも自分の「老い」をさらす、決定的事態を意味するものとは考えられないできています。
ここに、その「災難」と、築いてきた「自視野」とが交錯する、大きな高度差を眼前にし、方向を見誤るべきでない「究極のゴール」とは何かと問う、あらたな登山意識――「山頂なき登山」――が私の脳裏を占めつつあります。
そしてそこに、その用具とも、あるいは、そのコンパスともなるかのように、その意識の創発の場を提供してくれているのがこの独想記で、本稿のように、それに託す働きがなんとか役立ち始めてくれています。