二股体験がとりもって

「漱石論」と再会か

〈半分外人-日本人〉(その7)

77年9か月の人生のうち、後半38年をオーストラリア住まいしてきたのですから、年月上では、確かに内外を半々に股に掛けた人生ということにはなります。しかし、この「半々」とは、もちろん、数字上の偶然にあやかった、軽口な言いようにすぎません。それに、サブタイトルの〈半分外人-日本人〉についても、そんな諧謔的な言い表しを使って、反対に、そうではない真相をにおわしたいのが本音でもあるようです。

そんな、なかなか言い表しの微妙な外国体験なのですが、つい先日、こうした外国体験にまつわって、じつに興味深い話に出くわすことになりました。

それは明治中期(1900-02年)夏目漱石の英国留学の話で、苦い思いを抱いて帰国したはずの、もう120年以上も昔の外国生活体験のケースです。

この漱石の英国留学については、俗に、失敗に終わった、精神をすりへらすほどに苦痛で実りのない体験であったとされています。

私も、それこそ前半の日本時代、いわゆる「漱石論」といわれているいくつかの書物をひも解いた記憶はあるのですが、それからの長い歳月のなかで、最近では、上のような俗論に近いものとしか、意識に残ってはいませんでした。

そこで改めて、この軽口な〈半分外人-日本人〉とはいえ、いわゆる「漱石論」たるものを、再度、調べてみることとなりました。

そうした結果、覚えのあるいくつかの「漱石論」に再度、出会うこととなったのですが、そんなむかしの論述を改めて思い出すとともに、そうした作業の中で、ひとつの最近の現役研究者の論文を発見することとなりました。それは、かつて私が接した「漱石論」とは一味ちがう、ちょっとユニークな見解を展開している研究で、目に留まるものがありました。

いまのところ、その全内容は未読なのですが、その論文の要約によると、なにやら、私の近年の取り組みと発想が似ており、ことに兄弟サイトの『フィラース』に、私が「非科学―科学」と称して注視してきている視点に重なり合うものがあります。それは、科学が排除してきている辺縁部分の領域について、英国留学時代に漱石がそれを、時勢をけん引する西洋の近代科学が見落とし、だからこそ注目する必要のある分野として取り上げ、それを「文学」の領域として捉えているとの見解です。

いま、その全文を取り寄せ中で、果たして、私の期待にどれほどそったものなのかは判りませんが、ともあれ、未読ですがその論文を手掛かりに、夏目漱石が、英国留学体験があったからこそ着想を得たその著名『文学論』に関わって、私の二股体験と重なり合う、いわば私の「MaHa論」に通じるものを、見出せそうな予想を抱いています。

そういう次第で、本稿はまだほんの予告にすぎないのですが、なかなか面白そうな発見と発展が得られそうで、勇み足ぎみながら、この記事を掲載いたします。

 

 

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