別掲の7月の《日平均訪問者数》報告に述べているように、AIによる怒涛のような影響は、本サイトに関しては、この9か月間でほぼ一巡したかと見ます。そして今後、こうしたAIブームは、私の見るところ、かつてインターネットがそうであったように、一種の情報作業ツールとして、私たちの日々の生活に浸透、定着してゆくものと思われ、むろん本サイトにもその影響はおよぶはずです。
こうして到来しつつある《AI時代》にあたって、この間の分析作業をつうじて、ある程度の自分のとるべき原則点が見えてきています。
一時は、AI技術に根本的に依拠した創作活動が可能かに見えたりもしましたが、それも一種の操られた幻想でもあって、つまるところ、行き着いた結論は、〈AIは使いこなすものではあっても、依存するものではない〉というものです。
これまで、IT技術は「検索」という情報の作業分野で発達してきましたが、それがAI技術によって情報を集めて組み立てる領域に広がってきているといえます。しかし、それでも、オリジナルな情報の創造という分野は、まだ、手付かずです。
そこで、IT業界では、AI時代の到来により、いわゆる検索需要は低下してゆくと言われています。というのは、検索作業には、自分で選んだキーワードを手掛かりに、関連情報を芋ずる式に追っかけ、その収集により、自分で求める回答を組み立ててゆく必要がありました。それがAI技術は、適格な質問を与えるだけで、そうした検索抜きに、質問には自動的に回答してくれます。そういう意味では、Google も Bing も安穏とはしていられないのでしょう。
つまり、今後、AIアプリが普及すればするほど、AIの眼にかなった情報は日の目を見るでしょうが、そうでないものはテクニカルに「無きも同然」なものとなるはずです。
そこで、AIにかかるやり方が求められるということになるのでしょうが、私のような素人には、それを実行したいにも、知識上お手上げです。
もちろん、できる限り「使いこなせるよう」に奮闘する必要はありますが、何はともあれ、そのトレンドに飲み込まれない眼力に重きを置きたいと思います。そして、AI技術が拠って立つ〈数理アルゴリズムに乗らない人間的要素〉に、フォーカスをあててゆく積りです。
したがって、私にできることの原則は、AI技術の向こうを張った、創造の原点に帰ることであり、〈人間のなす人間向け作業〉に徹することであろうと考えています。
むろんこうした原則によって、AIブームへの便乗はできませんが、限られながらも、確かな読者はつかみえてゆけるものと考えます。
そこで、この〈数理アルゴリズムに乗らない人間的要素〉とは何かですが、それは、一つのアプローチとしては、私が兄弟サイト『フィラース』で論じてきている《非科学-科学》という分野であり、他は、人間のもつ情緒的な分野と考えています。
そこで本サイトの制作において、この「情緒的」というフォーカスに立って、このところ、コンテンツの一種の「文芸化」につとめていることがあります。具体的には、《「人生二周目」独想記》や〈半分外人-日本人〉あるいは「話の居酒屋」といった“読み物”風の連載記事です。そしてその効果は、上記「7月の《日平均訪問者数》報告」にも述べたように、「私共和国」や「リタイアメント・オーストラリア」の部門へのヒットが着実に伸びていることに現れています。
インターネットの普及で多くの紙媒体が淘汰されたように、このAI時代も、何らかの淘汰を強いるはずです。そうした時代に、生き残って行くものは何か。まだ、時代は始まったばかりです。