旅立ちの設計

「悪がり」は装いか

《「人生二周目」独想記》第18号

兄弟サイトの『フィラース』に、先月亡くなった松岡正剛さんの逝去について、私は、そこにひとつの見落としがあったと見る立場での見解を書いています。

ただその見方について、それがあの松岡さんについてだっただけに、少なからずはばかれるところがあります。

その出どころは、一方での、実質的な絶筆書と思われる対談録『初めて語られた 科学と生命と言語の秘密』の随所にみられる、尽きぬ進歩を遂げる生命情報科学の今後を見通す、彼の慧眼です。 詳細記事

78歳となった

大いなる「見込み違い」

《「人生二周目」独想記》第17号

20日で、78歳となった。

このいまの瞬間で、なによりもの感慨は、健康で、充実して、この年齢を迎えられている幸福感であり、そして、それをもたらしてくれている、あらゆる人や物や事に対する感謝の気持ちである。

記憶にある、10年、あるいはもっと前の自分が、将来の78歳の自分を想像していた時の自分像は、少なくとも、こうしたいまの自分ではなく、もっと老いさらばえた自分であった。 詳細記事

二周目も四分の一を経過

「メタ」フェーズが舞台に

《「人生二周目」独想記》第16号

あとひと月ほどで78歳となる。アメリカでは、大統領をめぐって同世代の老人たちの確執が世界の耳目をさらっている。3億も人口があって、しかも確実に増加しているというのに、若い人材がいないはずはないと思うのだが、実に奇妙だ。

一方、日本は高齢化に歯止めがかからず、子育て環境は厳しく、人口は収縮期に入っている。しかも、かつてのお家芸の経済も活力を失って、「貧乏国」との自嘲めいた声さえ聞こえはじめている。 詳細記事

《メゾライフ》

リタイア後人生の新フェーズ

《「人生二周目」独想記》第15号

前回の「続・健康力」に続き、そういう健康力がある二周目の人生を、《メゾライフ》と呼び、そのビジョンを描こうと思う。そしてまずこの《メゾライフ》とは、二周目という回数的なその次というよりむしろ、質的な意味でその次とかその上ともいう、此世と来世との「中間」にあるライフと言う意味での“メゾ”ライフである。 詳細記事

続・健康力

「働く」のは金のためならず

《「人生二周目」独想記》第14号

前号に続いて「健康力」についてだが、このところ、報道記事で、運動のもたらす健康効果について、僕がずっと述べてきている極めて積極的な評価を、後追いしているような記事が目に付く。しかもそれは、ほどほどの運動という程度どころか、運動をすればするほど、寿命が延びるといったデータが確認されたとの話まで出てきている。あるいは、年齢を増せばますほど、運動の効果が精神の積極性を増して、それがますます、運動への意欲を促進するという好循環があるという。これは、認知症予防どころの話ではない。まさしく、僕がずっと実行し、体験として実感してきていることである。 詳細記事

健康力

すべての力の根源

《「人生二周目」独想記》第13号

最近、「○○力」といった言葉をよく聞きます。「権力」だの「金力」だのは昔から言われてきた「力」でしょうが、「ブランド力」とか「コミュ力」と言った「力」は、新たに取り上げられてきている「力」です。

その一方で、この「○○力」といった言葉の逆関係の語として、「○○頼み」といった言葉があります。それこそ、なにはともあれ「金頼み」から始まり、ひいては「人頼り」から「運頼り」、切羽詰まってお先真っ暗となった時には、「神頼り」にいたります。

つまり、この「○○力」とか「○○頼り」の根底にあるのは、その人にとって、何が最も重要で、欲するものなのか、ということでしょう。

そうした意味の「○○力」とか「○○頼り」にあたる私のバージョンは、言葉としては平凡ながら、まだ、あまり聞いたことのないもの、それは「健康」、つまり「健康力」であり「健康頼り」です。

いうなれば、現在の私の幸せの根源は、この「健康」に発しています。

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「AI時代」との共存法

ヤツが出来ない土俵に立つ

《「人生二周目」独想記》第12号

前号では、「『AI時代』にあらがう」などと題して、「古き左巻きのツイート」を書きました。

左だろうと右だろうと、生存せねば意味がない以上、世界ではその純粋「左傾」国家は独自の変節をとげ、いまやその名残りを冠した独裁国家となるに至って、威勢のよい鼻息をふりまいています。

むろん、その「独裁」には到底なじめるものではなく、いい年となった「古き左巻き」たる孤人は、この怒涛の「AI時代」のサーフィンを試みようとしています。 詳細記事

「AI時代」にあらがう

古き左巻きのツイート

《「人生二周目」独想記》第11号

「AI時代」とは、まだ、始まったばかりのほんのとば口だろうに、早くもそれに「あらがう」などというのは、「早とちり」もはなはだしい軽佻浮薄な行為にちがいないでしょう

あるいは、そういう時代に、そもそも「お呼びでもない」いい爺さんがしゃしゃり出るのも、よせばいい“古き左巻き”の御託並べなのかも知れません。

いずれにせよ、そうした時代錯誤は重々承知の上で、あるいは、むしろそれこそを意図もして、長らく馴染んできた老害心めいた話をご披露しようかともくろんでいます。

というのも、先にその走りを述べましたように、「AIの世紀」の到来を、「AI本主義」といったごろの悪い呼称や、「人工知力専制主義」なぞとの汚名すら着せようとした、そうしたへそ曲がりのやからの魂胆のネタを明かすのも、今向きには、毒の毒は薬とばかりに、案外、役立つ場合もあるかも知れぬとうそぶくがゆえです。 詳細記事

根気よく飽きもせずにサイトを発行し続けていると、ひょっとすると雑誌を発行することも、似たような作業なのかも知れないと、ふと頭をかすめることがあります。

もう二十年以上も昔、本サイトのオリジナル版を発行しはじめた当時、稚拙ながらビジネスがらみの目的があったため、その作業は、あたかもその会社の案内パンフレット――いかにもあか抜けしないチラシ風――をオンラインで配布しているかの感触でした。

そのビジネスが、今もドメイン名に残る「リタイアメント・オーストラリア」だったのですが、その起業もあえなくついえて、むしろその副産物として生き残ったのが、サイト発行という作業でした。

 

20年前のそのオリジナル版掲載の一記事(2003年12月1日付

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ゴッホが再びやってきた

40年振りの再会

《「人生二周目」独想記》第8号

本サイト『両生歩き』中のサブサイト「両生空間」、そのホームページ左、主テーマ欄の下に、ゴッホの作品のひとつ「星月夜」が、厚かましくも、同タイトル表示のための背景として掲げられていることに注目いただきたい。

この絵がどうしてそこに掲げられているのか、それには私なりの理由があります。というのは、私が40年前、38歳で留学生としてオーストラリアの地を踏んだ、人生半ばでのキャリアのリセットの日々にあって、その不安を癒し、勇気付けてくれたのが、一連のゴッホ体験――そのアイコンをクリックした先の記事にその詳述がのべられています――であるからです。いわばその初心を忘れまいとするそのアイコンです。

そのゴッホが、「星月夜」が描かれてからは135年後、また、私のこのゴッホ体験から40年後の今、先の「MaHa」の誕生とほとんど同時のタイミングで、ふたたび、私のもとに出現してきました。

というのは、「MaHa」の誕生と同月のこの2月、『ゴッホが見た星月夜』(日経ナショナルジオグラフィック)とのタイトルの本が出版されたからです。その帯には「天文学者が解き明かす名画に残された謎」とあります。

この画像は、同書内に掲示されている「星月夜」を写真に撮ったもので、色彩はより原画に近いはずです。夜空を描いたものでありながら、その色調は実にカラフルで、改めて驚かされます。

なにやら、このタイミングといい、私が自サイトに掲げる「星月夜」のアイコンといい、この本の出版は何やら因縁めいて感じられ、さっそく注文して取り寄せ、40年後の改めてのゴッホ体験となったのでした。 詳細記事