「人生三周目」への予告編; 第一号

《「人生二周目」独想記》第36号

 前回、この先の一年を「人生三周目」への「前夜」と述べ、以下のように書いた。

まず、「健活」における「前夜」だが、後述もするが、どうもその「健活」の方向を探るに当たっては、人工知能の開発に沿うように見えてくる、“生のロボット”たる自分が、自分の生の知能をもちいて、自分の究極をシミュレーションしていることと言えそうなことだ。

このままでは、ちょっと何を言いたいのか明瞭でないし、その「後述」も、本の内容の引用を越えておらず、いまいちその本意がつかめない。 詳細記事

「3周目」前夜

《「人生二周目」独想記》第35号

先の記事「人生3周目は傘寿から」に書いたのだが、この79歳の一年間は、傘寿をもって始まる三周目の人生の準備期間となりそうで、その意味で、「三周目前夜」と呼べる。その少々長い「前夜」にあって、にわかに見え始めている視野がある。それは、社会的には、いよいよ登場した第四の産業革命と呼ばれるAIすなわち人工知能であり、他方、個人的には「健活」の中身と行方である。それを今号では、いつもの居酒屋談義を借りた「これには驚かされた」でそのAIの可能性に触れ、本稿では、自分の身心資源の問題として、この「健活」を考えてみたい。 詳細記事

「未来邂逅」というビジョン

《「人生二周目」独想記》第34号

20年ほど前、「相互邂逅」という半自伝を書いた。それは、自分が十代末から書き残してきた二十数冊のノートを数十年ぶりに読み直す機会があり、そのあたかも今の自分が若き自分と再会しているかのような、思いもよらぬ体験について綴ったものである。

それらのノートは、それが記されたその時点では、数十年後の自分が、まさかそれを手に取って開きそして読むなんてことは想像すらされておらず、あくまでもその時の自分の胸中を独白したものだ。他に何の意図もない、「一人称」の書残しである。 詳細記事

〈旅心〉という「不思議」の源泉

《「人生二周目」独想記》第33号

居酒屋談35号そして本独想記32号に引き続いて、中央アジアの旅で体験した「不思議な遭遇」について考えている。

そしてその謎を解く鍵が、むしろ、旅をすること自体にあるのではないかと推測している。

そこで仮説を立てるのだが、旅をするのとは反対に、定住したり、国といった固定した枠内に安住したりすることが、人間にとっては、むしろ“不自然なこと”と断言するのは無理としても、大きく片寄ったものであるのではないだろうか。

そして、そうしたノーマッドな在り方が示唆することは、この定住とか国民とかとの、今日のほとんど全地球に行き渡った常態こそ、生命の本来の在り方に“背いている”とするのはこれまた行き過ぎとしても、大きく片側へと振れているものではないだろうか。

 

遠い過去には、旅を日常とする生業があった

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風穴を開けたのは誰

《「人生二周目」独想記》第32号

これはひとりの男の私見だが、いったん男としての沽券を捨てると、この世のもやが晴れるように出現する、見通しのよい視界がえられる。

それはたとえば、女のもつ、正直言って男には到底なしとげえない、適応能力が成す風景である。

もっと言えば、世界のどこであろうと、そこを根城に棲みついてしまえる、根源的な生命力だ。 詳細記事

健康長じてのこの楽しみ

《「人生二周目」独想記》第31号

「人のふんどしで相撲をとる」という諺がある。

いま、中央アジアの旅を始めて、はや十数日となっているのだが、私は、この旅とは正直言って、まさに、この諺の通りだなと思っている。 詳細記事

“私アニメ”;「夢は枯野をかけめぐる」

《「人生二周目」独想記》第30号

前号の「〈続〉 残雪の山歩きで見えてきたもの」では、奥秩父での山行体験が発展して、なにやら、量子理論の自分解釈版になりそうな記事となった。それが、兄弟サイトの『フィラース』に掲載中の「MaHaと僕のシェアーライフ」の「2.03 「並行宇宙」論と共に」ではさらに発展して、ことに、量子理論の「並行宇宙」論の私版を述べることとなった。

そう述べながら、これはもしかすると、今日風「夢」ではないのだろうかとの思いも頭をよぎる。

そこで、それがもし「夢」であるとするなら、そのドキュメンタリー映画中での宮崎駿の告白、「人間の夢とはことごとく、呪われた夢なんです」が、再度、想い起されてくる。 詳細記事

〈脆弱〉から〈天才〉への飛躍

《「人生二周目」独想記》第28号

前々回に「変容する主流パーソナリティ」と題して、人間のパーソナリティに焦点を当てた視点を述べました。今回は、そうした変化と共にあるはずの社会の側の特徴を述べてみます。というのは、人間のパーソナリティといってもそれは、その在り方を左右する人間にとってのインフラ側の特徴を反映していると考えられるからです。そこで下に示す図です。

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戦争しない国はどこ

《「人生二周目」独想記》第27号

English

世界はいまや、それぞれの国の一握りの政治家たちの自負心とその誇りがゆえに、ブラフされた混乱と、小規模だろうが大規模だろうが、ほんとうに火を噴く戦争さえ辞さないとした、錯乱の事態へと迷い込もうとしている。そしてすでにその兆しは、実際の戦禍の痛々しい事態にさえ至っている。 詳細記事

対立の歩み寄り

《「人生二周目」独想記》第25号

2025年(昭和だと100年、明治だと158年)の年頭に当たって、世界が日ごとに大戦争の淵へと迫っているかの今日、これはきわめて大ぐくりで、時にナイーブとされかねないことは承知の上でのビジョンです。すなわち、その破滅へと向うかのような情勢の反面、一歩距離を置いたバードビユーにおいては、ある種のコンバージェンスつまり収束、あるいは歩み寄り状態が浮上し始めてきているように伺えることです。もちろん、自分の希望的観測も含んでです。

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