何と表現すればよいのだろう、ともかく、不思議な〈再生感〉が立ちのぼってきています。

それを、生まれ変わったなぞと言ってしまえば、もちろんもちろん、誇大妄想なのですが、こちらは、自分の何かがどこか「再生」し始めているかのような、「メタ」そのものの効用なのです。

これは、先に『フィラース』に書いたように、「MaHa」を誕生させて以来のことです。

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「災難」と「双対性」

統合への潜在性の谷間で

《「人生二周目」独想記》第6号

自分の前立腺ガンを「災難」と捉え、「ガン付き健康」と腹を据えた積りとしても、この降ってわいた遭遇物は、なんとも扱い難い代物との本性を表してきています。

というのは、別記のように、直近の血液検査のPSA値は8.21に上がって、これまでの最高値となっています。要注意の度は、このようにずり上がってきています。

そこでですが、私の場合、病苦とは言っても、まだほとんど心理的なものにすぎないのですが、こうした巡り合わせには、正直言って、何でなんだと愚痴を吐きたくもなります。 詳細記事

この《独想記》は、既述のように、前立腺ガンという――遅行性ながら――致命的「災難」との遭遇に始まる一種の闘病記との役割は持っています。しかし、それに終わらせず、それを契機に、自身のこれまでの思想的取り組みである〈非科学-科学〉構想とを結び付けた、言うなれば、「自分実験」のまたとない機会であり、それを是非とも生かしたいとするものです。 詳細記事

次の十年紀へ

見誤れぬ、足下の一歩一歩

《「人生二周目」独想記》第4号

今年の8月で、私は78歳となります。

そしてこの2024年は、これまで、おおむね10年毎に新たにしてきた私の人生サイクルをめぐり、新たな節目の年になりそうです。

というのは、まず、ひとつのサイクルの終点として、既述のように、前立腺ガンという「災難」に遭遇し、対応に追われた10年間をへて、とにもかくにも、「ガン付き健康」といった腹構えを持つことで、ひと区切りを付けれたことです。

そして起点として、この「独想記」を一種の装備とし、「山頂なき登山」であれ「海図なき航海」であれ、「究極のゴール」を目指して、むろん結末の成否はさだかでない、冒険めいた試みが始まることです。

そのような展望を託して、これからの10年を、体験してきた諸サイクルを下地に、次の十年紀にしたいとするものです。

パキスタン、フンザ渓谷。右はラカポシ峰(7788m)〔2019年筆者撮影〕

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「究極のゴール」、私の場合

《「人生二周目」独想記》第3号

「新年おめでとうございます」――とは述べても、めでたさなぞ吹っ飛ばされる新年となっています。

そんな歳月の起伏にあって、このところ私は、自分をいわゆる「老人」として意識したり自称することが、しだいに多くなっている自分を感じています。

以前は、年齢が七十代も後半になってきているのに、どこかそう自認することに抵抗感をもっていました。あるいはむしろ、人並み以上の健康水準の維持がゆえ、そういう抵抗も当然とするところがありました。

そこに、この独想記のように、十年前のガン宣告に加えての昨年のその進行状況は、そうしたフル健康状態に手痛い傷を付けてくれ、そしてもちろん、そうした自意識に強いブローをもたらしてくれました。

ただ、そうなのではありますが、それらの宣告も検査結果を根拠としたもので、自覚症状は伴っていません。そこで、早期発見は早期発見としつつも、そうしたガンへの対処については、ともあれ「全摘」は辞退し、その「ドラ息子」との共存をより尊重してきているところです。

そのように、私にとってガン問題は、あえて申せば、降ってわいた「災難」にも等しいもので、対処は必要としても、少なくとも主観的には、必ずしも自分の「老い」をさらす、決定的事態を意味するものとは考えられないできています。

ここに、その「災難」と、築いてきた「自視野」とが交錯する、大きな高度差を眼前にし、方向を見誤るべきでない「究極のゴール」とは何かと問う、あらたな登山意識――「山頂なき登山」――が私の脳裏を占めつつあります。

そしてそこに、その用具とも、あるいは、そのコンパスともなるかのように、その意識の創発の場を提供してくれているのがこの独想記で、本稿のように、それに託す働きがなんとか役立ち始めてくれています。

ネパール、アンナプルナの峰々〔注記〕

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「山頂なき登山」

《「人生二周目」独想記》第2号

もうすぐ、海抜五千メート〔注記〕

いまの私にとって何が究極のゴールなのか、ということに思案をめぐらせています。

どうも、ガン宣告を受けたということで、目先がそれに引きずられ過ぎていました。

ガンを含め、病気とは、むろん誰も、望んで体験するものではなく、とにもかくにも、「降ってわいた」と受け止めるしかない「災難」です。

そうした災難に遭遇すれば、ともあれ目先の対処に取り組まざるをえません。

全摘の是非も含めて、この十年間の私の奮闘も、そういう災難対処であったということのようです。

要は、全摘をしようがしまいが、死ぬ人は死ぬし、生きる人は生きている。

五臓を摘出して、それでもしゃんと生きている建築家の安藤忠雄氏が言っています。

「ないなら、ないように生きる」。

私の場合、「あろうが、なかろうが」、その究極のゴールを追求する、ということです。 詳細記事

全摘、是か非か

《「人生二周目」独想記》第1号

以前から、漠然とした構想はあったのですが、今一つきっかけをつかめず、ここまで来てしまっていました。

それが、先の二度目の生検の結果、私の前立腺ガンのステージが、早期から中期に移っていることが判明しました。

そして、これがこの優柔不断に踏ん切りをもたらしてくれまして、本『両生歩き』の「リタイアメント・オーストラリア」に、この新たなシリーズを掲載してゆく決心となりました。

海図なき航海へ

題して《「人生二周目」独想記》。

その表向きは、コーキ高齢者による、ブログ発行の編集後記という触れ込みです。そして一見するところ「孤独な闘ガン記」かのようですが、それに尽きません。むしろその含みは、海図なき大洋に漕ぎ出してゆく、《冒険航海日誌》です。

そういう次第で、その初回のタイトルは、「全摘、是か非か」。

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