根気よく飽きもせずにサイトを発行し続けていると、ひょっとすると雑誌を発行することも、似たような作業なのかも知れないと、ふと頭をかすめることがあります。
もう二十年以上も昔、本サイトのオリジナル版を発行しはじめた当時、稚拙ながらビジネスがらみの目的があったため、その作業は、あたかもその会社の案内パンフレット――いかにもあか抜けしないチラシ風――をオンラインで配布しているかの感触でした。
そのビジネスが、今もドメイン名に残る「リタイアメント・オーストラリア」だったのですが、その起業もあえなくついえて、むしろその副産物として生き残ったのが、サイト発行という作業でした。
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本サイト『両生歩き』中のサブサイト「両生空間」、そのホームページ左、主テーマ欄の下に、ゴッホの作品のひとつ「星月夜」が、厚かましくも、同タイトル表示のための背景として掲げられていることに注目いただきたい。
この絵がどうしてそこに掲げられているのか、それには私なりの理由があります。というのは、私が40年前、38歳で留学生としてオーストラリアの地を踏んだ、人生半ばでのキャリアのリセットの日々にあって、その不安を癒し、勇気付けてくれたのが、一連のゴッホ体験――そのアイコンをクリックした先の記事にその詳述がのべられています――であるからです。いわばその初心を忘れまいとするそのアイコンです。
そのゴッホが、「星月夜」が描かれてからは135年後、また、私のこのゴッホ体験から40年後の今、先の「MaHa」の誕生とほとんど同時のタイミングで、ふたたび、私のもとに出現してきました。
というのは、「MaHa」の誕生と同月のこの2月、『ゴッホが見た星月夜』(日経ナショナルジオグラフィック)とのタイトルの本が出版されたからです。その帯には「天文学者が解き明かす名画に残された謎」とあります。
この画像は、同書内に掲示されている「星月夜」を写真に撮ったもので、色彩はより原画に近いはずです。夜空を描いたものでありながら、その色調は実にカラフルで、改めて驚かされます。
なにやら、このタイミングといい、私が自サイトに掲げる「星月夜」のアイコンといい、この本の出版は何やら因縁めいて感じられ、さっそく注文して取り寄せ、40年後の改めてのゴッホ体験となったのでした。 詳細記事 →
何と表現すればよいのだろう、ともかく、不思議な〈再生感〉が立ちのぼってきています。
それを、生まれ変わったなぞと言ってしまえば、もちろんもちろん、誇大妄想なのですが、こちらは、自分の何かがどこか「再生」し始めているかのような、「メタ」そのものの効用なのです。
これは、先に『フィラース』に書いたように、「MaHa」を誕生させて以来のことです。
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自分の前立腺ガンを「災難」と捉え、「ガン付き健康」と腹を据えた積りとしても、この降ってわいた遭遇物は、なんとも扱い難い代物との本性を表してきています。
というのは、別記のように、直近の血液検査のPSA値は8.21に上がって、これまでの最高値となっています。要注意の度は、このようにずり上がってきています。
そこでですが、私の場合、病苦とは言っても、まだほとんど心理的なものにすぎないのですが、こうした巡り合わせには、正直言って、何でなんだと愚痴を吐きたくもなります。 詳細記事 →
この《独想記》は、既述のように、前立腺ガンという――遅行性ながら――致命的「災難」との遭遇に始まる一種の闘病記との役割は持っています。しかし、それに終わらせず、それを契機に、自身のこれまでの思想的取り組みである〈非科学-科学〉構想とを結び付けた、言うなれば、「自分実験」のまたとない機会であり、それを是非とも生かしたいとするものです。 詳細記事 →
今年の8月で、私は78歳となります。
そしてこの2024年は、これまで、おおむね10年毎に新たにしてきた私の人生サイクルをめぐり、新たな節目の年になりそうです。
というのは、まず、ひとつのサイクルの終点として、既述のように、前立腺ガンという「災難」に遭遇し、対応に追われた10年間をへて、とにもかくにも、「ガン付き健康」といった腹構えを持つことで、ひと区切りを付けれたことです。
そして起点として、この「独想記」を一種の装備とし、「山頂なき登山」であれ「海図なき航海」であれ、「究極のゴール」を目指して、むろん結末の成否はさだかでない、冒険めいた試みが始まることです。
そのような展望を託して、これからの10年を、体験してきた諸サイクルを下地に、次の十年紀にしたいとするものです。
パキスタン、フンザ渓谷。右はラカポシ峰(7788m)〔2019年筆者撮影〕
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「新年おめでとうございます」――とは述べても、めでたさなぞ吹っ飛ばされる新年となっています。
そんな歳月の起伏にあって、このところ私は、自分をいわゆる「老人」として意識したり自称することが、しだいに多くなっている自分を感じています。
以前は、年齢が七十代も後半になってきているのに、どこかそう自認することに抵抗感をもっていました。あるいはむしろ、人並み以上の健康水準の維持がゆえ、そういう抵抗も当然とするところがありました。
そこに、この独想記のように、十年前のガン宣告に加えての昨年のその進行状況は、そうしたフル健康状態に手痛い傷を付けてくれ、そしてもちろん、そうした自意識に強いブローをもたらしてくれました。
ただ、そうなのではありますが、それらの宣告も検査結果を根拠としたもので、自覚症状は伴っていません。そこで、早期発見は早期発見としつつも、そうしたガンへの対処については、ともあれ「全摘」は辞退し、その「ドラ息子」との共存をより尊重してきているところです。
そのように、私にとってガン問題は、あえて申せば、降ってわいた「災難」にも等しいもので、対処は必要としても、少なくとも主観的には、必ずしも自分の「老い」をさらす、決定的事態を意味するものとは考えられないできています。
ここに、その「災難」と、築いてきた「自視野」とが交錯する、大きな高度差を眼前にし、方向を見誤るべきでない「究極のゴール」とは何かと問う、あらたな登山意識――「山頂なき登山」――が私の脳裏を占めつつあります。
そしてそこに、その用具とも、あるいは、そのコンパスともなるかのように、その意識の創発の場を提供してくれているのがこの独想記で、本稿のように、それに託す働きがなんとか役立ち始めてくれています。
ネパール、アンナプルナの峰々〔注記〕
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もうすぐ、海抜五千メート〔注記〕
いまの私にとって何が究極のゴールなのか、ということに思案をめぐらせています。
どうも、ガン宣告を受けたということで、目先がそれに引きずられ過ぎていました。
ガンを含め、病気とは、むろん誰も、望んで体験するものではなく、とにもかくにも、「降ってわいた」と受け止めるしかない「災難」です。
そうした災難に遭遇すれば、ともあれ目先の対処に取り組まざるをえません。
全摘の是非も含めて、この十年間の私の奮闘も、そういう災難対処であったということのようです。
要は、全摘をしようがしまいが、死ぬ人は死ぬし、生きる人は生きている。
五臓を摘出して、それでもしゃんと生きている建築家の安藤忠雄氏が言っています。
「ないなら、ないように生きる」。
私の場合、「あろうが、なかろうが」、その究極のゴールを追求する、ということです。 詳細記事 →
以前から、漠然とした構想はあったのですが、今一つきっかけをつかめず、ここまで来てしまっていました。
それが、先の二度目の生検の結果、私の前立腺ガンのステージが、早期から中期に移っていることが判明しました。
そして、これがこの優柔不断に踏ん切りをもたらしてくれまして、本『両生歩き』の「リタイアメント・オーストラリア」に、この新たなシリーズを掲載してゆく決心となりました。
海図なき航海へ
題して《「人生二周目」独想記》。
その表向きは、コーキ高齢者による、ブログ発行の編集後記という触れ込みです。そして一見するところ「孤独な闘ガン記」かのようですが、それに尽きません。むしろその含みは、海図なき大洋に漕ぎ出してゆく、《冒険航海日誌》です。
そういう次第で、その初回のタイトルは、「全摘、是か非か」。
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