〈雑誌発行〉めいた孤業

リタイア後の在り方への一法

《「人生二周目」独想記》第9号

根気よく飽きもせずにサイトを発行し続けていると、ひょっとすると雑誌を発行することも、似たような作業なのかも知れないと、ふと頭をかすめることがあります。

もう二十年以上も昔、本サイトのオリジナル版を発行しはじめた当時、稚拙ながらビジネスがらみの目的があったため、その作業は、あたかもその会社の案内パンフレット――いかにもあか抜けしないチラシ風――をオンラインで配布しているかの感触でした。

そのビジネスが、今もドメイン名に残る「リタイアメント・オーストラリア」だったのですが、その起業もあえなくついえて、むしろその副産物として生き残ったのが、サイト発行という作業でした。

 

20年前のそのオリジナル版掲載の一記事(2003年12月1日付

というのも、若い頃から、ものを書くこと――自分に文才があるなぞとは考えたこともありませんが――には興味があり、それのもたらす自身への効用には、しだいに有用性を発見するようになっていました。そこで、そういう一人作業による、たとえ自己満足でも自家発電作業を続けることに、一抹の価値を見出すようになっていたわけです。

ただそれは、「もの書き」というより、むしろ、「もの作り」と言った面での関心であったようです。というのも、子供の頃から、絵をかいたり工作といったことは大好きで、学校での得意科目もつねに図画工作でした。それがやがて、見よう見まねで大工作業の“かじり”くらいはできて行ったようで、両親からも重宝がられていました。

そうした成長期をへてきていましたので、むしろサイト作りへの着手は、そうした「もの作り」の面での発展と見たほうが妥当でしょう。ただ、雑誌が「もの」かどうかは意見の分かれるところですが、ともあれ、何かを作り出すという点での違いはなかったはずです。

かくして、もの書きへのなま煮えな興味と、もの作りの持ち前の得意さとのアマルガムが、今日までのサイト作りの動力源であったわけで、それが、時代のもたらすネット技術の波に乗って、サイト編集への長年の関わりと方向付けなってきました。

ところで、私の人生は自分の子孫を残してきていないのですが、いうなれば、このサイトが、そういう意味では、その子孫に代わるもの――別掲記事参照――かも知れません。

 

そこで、こうしたサイト作りと本物の雑誌発行との類似ですが、私にとって、やや雑誌に近い体験と言えば、学生時代の学生組織の機関誌や、そして後に、労働組合の新聞の編集発行くらいの関わりはありました。しかし、いわゆる商用定期刊行物としての雑誌に関わった経験はなく、こうしたサイト作りは、たとえ雑誌編集に似ているとしても、私特有の亜流な取り組みにすぎません。

ただその一方、自分が現役労働の先兵であったころは、ともかく、避けてはいられぬ生存上の必要に追われ、やりたいことは後回しにするしかないフラストレーションは蓄積していました。そうした日々では、そこでのうっ憤を日記風にノートする程度の書きもの作業は続けていました。それが、いうなれば、後のサイト作りの下積み訓練にはなっていたようです。

そうした知らずしらずの準備期を過ごした後、上記のように、50代末の不成功のビジネス体験を経て、60代後半、ようやくの年金生活の開始をもって、あたかも長年の不完全燃焼を再燃させるかのごとく、サイト発行に本腰をすえうる機会がやってきたのでした。

 

文学界には同人誌というものがありますが、私の場合、そんな同人誌にもならない、まして仲間もいない、〈孤人誌〉ということとなりましょうか。それに私の場合、いわゆる文学的創意といったものは薄く、ともあれ混沌とした意気込みに駆られた、粗野な動機によるものでした。

加えて、サイトであれ雑誌であれ、その発行をめぐる金銭にからむあれこれがともあれ胡散臭く、広告すらも入れない完全無収入の自費出版とし、およそビジネス事業とは程遠い恰好のもとでの発行方式に至りました。

したがって、その発行に必要なコストは、形の上では自己負担とならざるをえず、発行を始めた初期ではたしかにその通りでした。しかしその発行を続け、しかも優先させて行きながら、いわゆる金稼ぎ仕事のロードを減らしつつ時間をさき、他方、生活スタイルも質素化し、やがて私の認識上では、サイト発行の費用を含め、自分の生活費の出どころと言えば、それはおおむね、オーストラリアなり日本なりの年金による収入となるに至りました。つまり、リタイア後の社会保障によって立つものです。

このように、自分の退職後の生活――サイト発行を自分にとっての主たる“仕事”と考える――が維持可能なのは、直接には、属する社会保障制度のおかげです。それも、ことにオーストラリアの社会保障制度は、こうした生活を送るにあたっては、実によく出来たものであるというのが私の基本認識です。したがって、そうした制度が実際に存在し機能していることを深く評価し、その支給が得られていることに、私的には感謝さえ持っています。その意味で、こうした制度を残してくれた先人たちの努力に、心底からの敬意をささげるものです。

そこでですが、もし、このように制度的恩恵を得て自由かつ有意義に生きれていることをうらやましく受け取る向きがあるとするならば、それは、それをうらやむ前に、その人が属し、生きている社会がそういうものであったことを、いまいちど、再認識すべきです。言い換えれば、そういう社会にするために、安くもない税金を払い続けてきたということです。

私も、かつてはそうした一員であったからこそ、こうした〈雑誌モドキ〉作りにたどりつき、それを無料発行しています。そしてこの成り行きを、少々の自負で味付けして言えば、社会的保障で得られている恩恵の、私流の社会還元です。

 

このような経緯と選択において、私はこの〈雑誌モドキ〉を発行しています。

そして一般に、雑誌発行者が第一に考慮しなければならないのはその購読者数ですが、当誌の場合、購読は無料ですので、その考慮のすべがありません。

そこで、自己満足を避ける意味でも、私は、ネットサービスプロバイダーから日々提供されるアクセスログ記録を、できるだけ精密に参考としています。そしてその月ごとの分析が、毎月初めに掲載している報告記事です。

もし、そうしたアクセスのデータが得られないとなれば、こうしたサイト発行の作業は、あたかも、闇夜に向かって一人叫ぶがごとき、じつに空しい作業でしかありません。それが、日々刻々と、プロバイダーから提供される克明なデータ――月末には累計30万に達するヒット数からなる5千行を上回るリストとなる――があるわけで、それは私にとっては、有料発行の購読料収入に匹敵するどころか、それを上回る情報となっています。

そのようにして、私は自分の書いた記事がどのように読まれているのか、その手掛かりを得ています。それはデジタル化された統計数字の羅列という表面上は実に味気のないものです。しかし、それを子細に分析してみると、現実の読者の反応がその数値の裏に見えてきます。つまり、私にとっては、実に貴重な生の読者の声に等しいものです。

 

ところで、そうしたデジタルデータが、別記事に述べてありますように、今年に入って、まるで隔世的な変化を見せています。

まさしく、ネットの世界は、新しい時代――AIの世紀――に突入しています。

私のように、70代も後半に差し掛かっているロートルにとって、こうした新状況は、なかなか入ってゆけない、いわば「お呼びでない」世界です。そうであればこそ、そこで新旧の体験が少しでも交流できる一歩にでもなればと、私のこうしたサイト発行の意義をひねり出し、老体と老脳に鞭打っているところです。

 

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