「漱石論」の“焼き直し”だとしても

二つの視点の融合の時

〈半分外人-日本人〉(その8)

前回に予告しました漱石論についてですが、注文した本『漱石「文学」の黎明』(神田祥子著)が到着し、さっそく読み始めています。

今のところ、まだその「はじめに」に目を通した程度なのですが、まずそこで、思わぬ発見というか、気付きというか、ともあれ、意外な〈遭遇感覚〉を体験しています。

というのは、この本は、分野で言えば完全な国文学の研究書で、私にとっては、これまでの量子力学や日本伝統医学、分子生物学、西田哲学、あるいはフェミニズム等々に続く、これまた「お呼びでない」まったくらち外の分野への、首の突っ込みであることです。

つまり、それほどに、ほとんど興味本位で、奇遇あるいは偶然ほどの〈遭遇〉であって、こうしてまたしても、不案内な世界に迷い込み始めようとしています。

そして、夏目漱石という、国文学の世界ではすでに十分に研究されつくされているだろう、日本近世における傑出した存在に関するいわゆる「漱石論」について、門外漢による無知分野への迷走として、我流の浅薄な焼き直し議論を述べ始めようとしています。

それはともあれ、こうした試みは私にとって、本サイトの副題のように、「人生二周目」ならではの取り組みであり、上記のようにいかにも特異な方法でもあります。

すなわち、人生一周目では、誰しも何らかの実務分野の歯車として教育、訓練された生存の道を歩むものですが、それに続く人生二周目にあっては、決して自動延長な道行きとしてではなく、一つの新たな選択としてその「歯車」から離脱し、そしてもちろんその経験をかけがえのない土台として、たとえ軽量であろうとも、それだけに、そうした諸分野を眼下にしうる飛行方式を可能として、わが人生というこの所与の機会の真実を探ってゆきたいとするものです。

そして、本連載タイトルの〈半分外人-日本人〉に立ち返って言えば、こうした方向も、半生前の1980年代半ばに、国境を越えた初動があっての、その移動の試みの長い年月を経ての産物であることは間違いありません。

 

この国文学というらち外の分野において、読み始めている本書『漱石「文学」の黎明』が案内してくれている視界によれば、漱石が「黎明」期をもたらしたその「文学」という構想は、これまで私が当『両生歩き』と兄弟サイトの『フィラース』において述べてきた最も結論的なテーマである「非科学な科学」という発想と、相互に百二十余年を隔てていながらも、どうやら同類の疑問意識によってつながっているようであることです。

すなわち、漱石が、英国留学に“挫折”したかの体験をもとに、むしろその一見マイナスの成果を材料として発見した、「文学」という領域――漱石は西洋の近代文明を牛耳っている「科学」が取り上げない広い分野を「文学」と呼んだ――への期待が、まったくもって期せずして、私の「非科学な科学」という発想と重なり合っているようであることなのです。

 

以上のような観点で、ここに浮上してきている視野は、区分け上、本『両生歩き』で扱うものというより、むしろ、兄弟サイトの『フィラース』で扱うべき、より思想的分野です。つまりこの「区分け」とは、『両生歩き』がデータの集積であったのに対し、『フィラース』がそのデータの解析であると、大別されます。

そしてすでに、『フィラース』ではその下準備はある程度進んで来ており、いうなれば、両観点の結合へと進むべきタイミングとなっています。

そういう次第でも、これ以上の進展は、『フィラース』上にて述べてゆくことが妥当と考えます。

 

そこで視点を『フィラース』に移しますが、すでにそこでは、その準備として、いくつかのテーマが提示されていますので、その概略をここに案内しておきます。

まず、その準備内容については、それの全体を一覧するには、『フィラース』HPにあるカテゴリーメニューをそれぞれ見る必要があります。

ただその全体は、項目としてもコンテンツとしてもかなりの分量になっています。そこで、手短にそれを概観したい向きには、それを総括したものが「生命情報」と言うカテゴリーです。そしてその「はじめに」を開くと、その概要がつかめるはずです。

また、とくに「非科学な科学」という発想をめぐっては、そのもくじの中の「第1章 非科学な科学」に詳しい説明があります。また、「自分彫刻」のカテゴリーの「初めに;〈非科学-科学〉へ向けて」についても、その発展を述べたものとして、参考になるはずです。

 

以上のように、この「漱石論」でその基軸的テーマとなる「文学論」に関し、それとの〈双対的〉な関係をなすかの私の側でのアプローチがあり、今後の二者の結合をめぐる議論は、常識的にはらち外同士の関係の探索であるだけに――些末な”焼き直し”となる可能性も含め――ユニークなはずで、それを『フィラース』上において述べてゆくこととなります。

 

 

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