自分の前立腺ガンを「災難」と捉え、「ガン付き健康」と腹を据えた積りとしても、この降ってわいた遭遇物は、なんとも扱い難い代物との本性を表してきています。
というのは、別記のように、直近の血液検査のPSA値は8.21に上がって、これまでの最高値となっています。要注意の度は、このようにずり上がってきています。
そこでですが、私の場合、病苦とは言っても、まだほとんど心理的なものにすぎないのですが、こうした巡り合わせには、正直言って、何でなんだと愚痴を吐きたくもなります。
ただ、PSA値は一般に、生検など処置の後は上昇する傾向があって、今回のこの値も、その影響の可能性はあります。
そこで、この一つの数値だけで判断するのも性急と、三か月後に再度の血液検査を行い、時間幅をとったデータを見ることにしました。
そういう次第で、次の検査結果が出るまでは待ち状態が続き、無為であるわけではないにせよ、方針上の宙ぶらりん状態となります。
そこで、この独想記が闘病記とするなら、その闘い自体は“様子見状態”で、目に見える新展開もありようもなく、だからと言ってガン軽快に成功したわけではもちろんありません。かくして、方角も分からない谷間で動けず、何とも定まらぬ心境にあるのは確かです。
だがその一方、この独想記のもう一つの役割である〈思想的取り組みの道具〉との面では、ひとつの興味深い展開が見られ始めています。
それは、前々回より取り上げてきている「双対性」という、二者の錯綜をブレークスルーへの契機と捉える発想との絡みです。
というのは、今、こうして私が至ってきている「谷間」とは、このPSA値という〈身体性〉とこの〈思想性〉という二者が錯綜するもので、見方を変えれば、それらの〈収れん〉あるいは〈統合〉が問われているとさえ言える機会であることです。
そこで、こうした状態を、〈矛盾と統合〉というややずらした双対的視点から捉え直してみると、それはまさしく、「矛盾性の統一」という方向を示唆していることではないかと、ひとつの視界が開けてくる思いにくるまれます。
さてそこで、こうした発展をさらに哲学的に探ってゆくと、この「矛盾性の統一」という方向とは、「矛盾性の自己同一」とも内在化させて言い換え可能な、なにやら新たな高地を感じさせる行方となってきます。
だとすると、その行方の先には、前に兄弟サイト『フィラース』で取り上げた、分子生物学者の福岡伸一と西田哲学研究者の池田善昭の対話が思い出されます。
すなわち、上の「矛盾性の自己同一」とは、難解ながらその西田哲学で論じられている「絶対矛盾的自己同一」と、同等ではないとしても同類の発想にあるかに共振させられます。
そこでこの至り着きを、自分式に牽強付会に発展させ、「災難」なり「ガン付き健康」なりの〈身体性〉と私が追跡してきた〈思想性〉という、互いに対立し合うかの二者錯綜を、この「双対性」という視野でくるみ込むように捉え変えてみると、これこそ、西田哲学でいう「絶対矛盾的自己同一」へと連なってゆく、まさに「究極のゴール」たる「山頂なき登山」のひとつの登山道ではないかと見えてくることです。
そしてさらに広げて考えると、こうした自分を含む「双対的」存在の世界とは、それが福岡・池田両氏が指摘する、生命をめぐる本来の在り方を、そのようにつかみ得ていることではないかと、その巡り至った考えを定めさせ得ることです。
そこで帰結としては、これが「ガン付き健康」ということの、具体的で日常的な在りようなのかと、少しなりとも、落ち着きを取り戻せる心境を得るに至っています。
一方、本稿に平行して兄弟サイト『フィラース』においては、「病苦と科学と宗教と」とのタイトルのもとに、命の在り方の解釈をめぐって、自意識の究極の到達についての討論がなされています。合わせてご一読たまわりますよう、ご案内いたします。
ところで、前回に予告した〈経絡(けいらく)〉思想への言及については、まだ、その雑誌が発行されていませんので、それを待って、あらためて論じてゆく予定です。
【バックナンバー】
1号 「全摘、是か非か」
2号 「山頂なき登山」
3号 「『究極のゴール』、私の場合」
4号 「次の十年紀へ」
5号 私の《量子センサー》について