全摘、是か非か

《「人生二周目」独想記》第1号

以前から、漠然とした構想はあったのですが、今一つきっかけをつかめず、ここまで来てしまっていました。

それが、先の二度目の生検の結果、私の前立腺ガンのステージが、早期から中期に移っていることが判明しました。

そして、これがこの優柔不断に踏ん切りをもたらしてくれまして、本『両生歩き』の「リタイアメント・オーストラリア」に、この新たなシリーズを掲載してゆく決心となりました。

海図なき航海へ

題して《「人生二周目」独想記》。

その表向きは、コーキ高齢者による、ブログ発行の編集後記という触れ込みです。そして一見するところ「孤独な闘ガン記」かのようですが、それに尽きません。むしろその含みは、海図なき大洋に漕ぎ出してゆく、《冒険航海日誌》です。

そういう次第で、その初回のタイトルは、「全摘、是か非か」。

 

男にとって、前立腺とは、なんとも危なくも切なくも、因縁ままならぬ存在です。

男だけの器官というのもその因縁の一つですが、人生の各ステージにおいて、ことに性にまつわって、ご本人の気分や体裁なぞもそっちのけで活躍、さまざまな起伏を作ってくれたのも、こやつやその同類器官あってのことでした。

そういうこの“ドラ息子”に関し、ほぼ十年前の初の生検で、早期のガン状態にあると宣告されました。それは我が人生はじめてのガン告知で、もちろん、考え込まされることとなりました。

そして、専門医によるいきなりな全摘手術の奨めはともあれ辞退すると決心して、以来、積極的観察処置を続けてきてのこの地点です。

そうなのですが、自覚的には全く健康そのもので、この十年、生存率100パーセントの毎日を続けてきています。

 

私は子なしではありますが、このドラ息子という、親離れもせずに、いまだにパラサイトを決め込んでいる未生児を持っています。その意味で、それは私の一部です。そういう化身めいた存在なのですが、その親の下半身に居を構え、あれやこれやと親をかき回す、厄介な一人息子でもあります。

そこに今回、早期から中期への移行が判明し、このドラ息子の腹の内は判りませんが、親としてはもちろん、何らかの決断をしなくてはならない事態に至っています。

むろん医師からは、以前にも増して、全摘手術を奨められています。

さてそこでですが、この奨めに従い、私自らの命の安全を優先するべく、ここでやつに印籠を渡すかどうか、そこが目下の一大事です。

そう、このドラ息子を切って捨てるのか否か。

 

私は団塊世代のしかもその先端という生い立ちで、そうした時代が与えた刻印なのでしょうか、私には、事をいかにも大上段に構えて見る性癖があります。

その数にものを言わせて世をわたってきた、そんな鼻持ちならない質とでも言いましょうか、自分たちが何かを起こせば世の中が変わるとでもいった、そんな奢った先覚者めいた意気込みに馴染んできてしまっています。

そうした思い入れのひとつに、現行医療、ことに西洋医学体系に対する疑念があって、この二度にわたるガン宣告についても、常識的には命取り――緊急ではないにしても――への警告と理解すべきでありながら、その額面通りには受け止められないできています。

幸い、この前立腺問題を除けば、健康にはフルに恵まれていて、この年齢にしては珍しく何の日常服用薬の必要もなく、むしろ、若作りな外見を維持してきています。

そういう慣性でここまでに至っており、上の性癖に従って時代精神満々に、この中期ガンの宣告についても、全摘を回避して、なんとか自力で克服してゆけるのではないかと、楽観的異論を進めようとしているところです。

そしてこの先で万が一、それが適切な選択ではなかったと判明する事態に至ったとしても、すでに充実した人生は送れたとの満足は抱かせてもらっており、その誤判断にも後悔は伴ってこないでしょう。

むしろ望むべくは、少なく見積っても十年の時間はあるだろう残余のこの命につき、文字通り医者にキンタマを握られたかの時代動向に対し、オルターナティブな生き方をもってこの残余を過ごさずに、他になにがあるのだろうと夢想しているところです。

 


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