いまの私にとって何が究極のゴールなのか、ということに思案をめぐらせています。
どうも、ガン宣告を受けたということで、目先がそれに引きずられ過ぎていました。
ガンを含め、病気とは、むろん誰も、望んで体験するものではなく、とにもかくにも、「降ってわいた」と受け止めるしかない「災難」です。
そうした災難に遭遇すれば、ともあれ目先の対処に取り組まざるをえません。
全摘の是非も含めて、この十年間の私の奮闘も、そういう災難対処であったということのようです。
要は、全摘をしようがしまいが、死ぬ人は死ぬし、生きる人は生きている。
五臓を摘出して、それでもしゃんと生きている建築家の安藤忠雄氏が言っています。
「ないなら、ないように生きる」。
私の場合、「あろうが、なかろうが」、その究極のゴールを追求する、ということです。
今日、「私共和国」にこんなことをメモしました。
2023年12月13日〈水〉
なにやら、「健康」の考え方を変える必要が出てきている感じがある。
というのは、登山で頂上を目指すように、見上げれば、雲間の先にも確かに見えていたその目標が、どうやらそれほど単純なことではなさそうなのだ。
それを、極端な言い方をすれば、あえて病んでいることすら、目標になれるということなのだ。あるいは、金銭の〈金持ち〉のように、心身の〈健康持ち〉になったとして、それがゴールなのかということ。そうして長寿を得たとして、だからどうなのだ。
つまりはどうやら、事実上の、健康追求の登頂はほぼ成し遂げたらしいということ。
ゆえに、戦略の練り直し。
これはなかなか面倒な話となってきた。
これが、「海図なき航海」ということか。
ガンごときに、考えをぶれさせられない。
それも、あまたある「災難」のひとつ。
だから私の健康とは、このガン付きの健康ということ。
その「ドラ息子」と伴に、そう生きる。
どうやら、これが、「海図なき航海」、あるいは、「山頂なき登山」ということの、まずは取っ掛かりのようだ。
〔注記〕上掲写真の出所は、このリンクの「続編」に)
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