どうして「神話」で始まるのか

〈連載「訳読‐2」解説〉グローバル・フィクション(その60)

私たちの歴史のその起源について、たしかに、それはいかにも遠い昔のことではありますが、それを伝えるストーリーに関し、なんともあいまいで、ぼやけ過ぎていて、なにやら怪しい話だと感じないではいられません。歴史をさかのぼって行くと、とどのつまりは「神話」にゆきついて、話はいかにも現実味を欠く、文字通り「神がかった」奇想天外な展開となります。しかもそれは、世界のどこの国でも大した違いはなさそうです。神話で始まらない国と言えば、アメリカとかオーストラリアとか、近世においての移民という血生臭い起源をもつ過度に現実的な国くらいで、そのいずれでもない国を聞いたことがありません。どうしてなんでしょう。

本章「過去のエソテリック」が斬り込んで行っているのが、それにまつわる謎です。そして、先回りした話となりますが、それに応える仮説が、それまでの進化の足跡を欠いた唐突な文明の出現という、古代文明の「外来性」つまり、ETによって「すでに完成されたもの」が持ち込まれたものとの見解です。そしてもしそうなら、これは私の解釈ですが、そうした天から降ってきた超すすんだ文明の主を「神」と呼び、その発達上の飛躍を、神話という現実離れした物語でまとめざるをえなかったのも、うなずけるものかと思われてきます。

そうだとしても、例えばエジプトの大ピラミッドについて、その建設完成の通説は、紀元前2570年頃とされています。ところが本章では、その時期はそれよりはるかに古い紀元前1万年前後と述べられています。紀元前1万年と言えば、世界史年表を開けば、世界はまだ石器時代の末期で、最後の氷河期が終わって温暖化し、地球中が緑で覆われた時期です。エジプト周辺も湿潤化していた時期です。つまりその頃は、集落程度はあったでしょうが、ピラミッドを築けるような文明や王国はありえなかったはずです。

世界の七不思議の一つとは言え、それほどの謎を含んでいるのがこのピラミッドです。

 

では、「過去のエソテリック(その1)」へ、ご案内いたします。

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