続々・交通システムの進化:盲点はどこに

投稿者 MIRAI-MIN

交通運輸を「点と線」になぞらえば、クルマは「点」、道路は「線」となろう。

その点としてのクルマは、EV化と自動運転化によりその進化・発展上の大転換期にさしかかっている。また、クルマことに自家用車は庶民には高価な商品として発展し、その大部分は私有が前提とされ、使用価値に加えてステータス・シンボルの価値をも生み、かくして、市場経済における基幹産業として多様に発達してきた。

他方、線としての道路は、社会の血管ともたとえられる社会資本のひとつとして、公有が原則――競争は成り立たない――であった。だが、新市場経済思想の広がりにより、民営化という公・私有折衷の手法が導入されて、ことに高規格の有料道路は、資本投資対象としての性格を強めてきている。

こうした「点と線」という二つの要素を持つ交通運輸システムであるが、一方の「点」が商品化を前提に市場経済に馴染みやす性格を持っていたため、その進化の資源が集中してきた。

だが、交通運輸がこの二要素をマッチさせなくては意味をなさず、「線」の進化も、「点」の進化に速度を合わせる必要がある。

この意味で、「線」の進化が期待されるのであるが、それが、市場経済にはなじみにくい社会資本であるため、クルマに働くような、起業家精神が集まりにくい盲点となっている。

また、「点」としてのクルマは、安全、効率といったどのクルマも共通に要求される機能がある。それを、各クルマの機能を個々に磨き上げて達成する困難性やコストに比べ、それを道路がどのクルマにも提供する機能とすれば、その困難性やコストは、大いに低下するのではないか。

先に提言したように、こうした「線」における進化の方法は、鉄道と道路の融合である。

 

この新システムを、だれが作り、誰が運用するのかというその事業主の問題であるが、従来の発想なら、それは公共セクターとして、政府の行う事業とされるであろう。

この意味でなら、強力な中央政府をもち、一党独裁の支配力をもつ中国が、その事業主として最適であると考えられる。

他方、そうした政府所有の欠点を克服するために発達してきているのが、民営の公共プロジェクトである。

ただ、鉄道と道路を融合させ、その新運輸システムに、最先端のテクノロジーの粋を結集させるとのプロジェクトは、その規模の上でも、深さの上でも、巨大な事業となる。

そうしたメガ・プロジェクトを機能的に実現する方式は、こうした官と民という二つのセクターのいずれを主体にしたものにすべきなのか。

あるいは、この二つのセクターという面においても、両役割を融合させるさらなる必要が示唆されているのかも知れない。それはたとえば、《社会所有された民営事業体》といった、近年注目され始めているESG投資〔注〕といった動きを含む、事業機能上の新概念の樹立が期待されるということかも知れない。

クルマ産業が、移動のための機器製造業から移動のためのサービス提供業に変容したとしても、移動という機能のもうひとつの担い手である「線」が旧態のままでは、片手落ちの進化でしかない。

〔注〕Environment, Social, Governenceを重視した投資

 

 

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