続々々・交通システムの進化:究極の物流網

投稿者 MIRAI-MIN

モノとコトは世界の二大構成要素である。そのコトを構成する情報にはインターネットという最新技術が開発され、世界の通信方式のみならず、生活様式を一変させてきている。その一方、モノの流れである物流は、いくらかの速度の改善やIT化の組み込みはあるものの、その主軸は、車輛に頼った旧来の移動システムがいまだに主流をなしている。つまり、世界の二大要素の進歩に、致命的な「片手落ち」があるのは、先にも指摘した通りである。言うなれば、モノの行き先はほぼ瞬時に決められるのに、その輸送自体は、ゴトゴト、古代の大発明のひとつ、車輪に頼っているのである。

そこで、この片手落ちにバランスを与えるため、情報の世界を一変させたインターネット技術に相当するものを、モノの世界にも導入できないものかという発想が湧く。つまり、物流のインターネットである。

SF界の話なら、そうした機能は、モノの組成を素粒子レベルまで分解してその情報を電磁波移送し再生する、ホログラフと言う技術が構想はされている。しかし、その実現はまだまだ、遠い未来のことである。

そこで、実現可能な視界では、インターネットで光ファイバーに相当するものが、物流界では何によってなされるのかということとなる。

 

話は変わるが、昔、私が子供のころの昭和30年代、東京杉並の住宅街でも、肥え桶で糞尿を運ぶ光景が見られた。だがいまや、そうした方式は下水道網に取って代わられ、そんな臭くて非能率な光景はどこにも見られない。

当時、都市の地下に、そうしたパイプ網を構築することは、壮大な構想であった。だが、時をへて今やそれは実現し、当たり前のインフラとなっている。

つまり、その物流のネットワークについても、そうしたインフラが構築されるのは道理のあることだし、技術的にも不可能なことではない。

 

そこで、下水処理場と下水管網をイメージすれば、その下水の流れと逆の中心から枝葉へとのモノの流れが、生活物資の大半を運ぶそのインフラ・システムが構想される。つまり、物流基地とそこから放射状に延びるパイプ網である。

むろん、モノには重量物やサイズの大きなものもあり、それらこのシステムになじまない一部は従来の車輛による輸送が続けられるだろう。しかし、情報のインターネットが情報のパケットに束ねて送られるように、モノも一定のサイズのカプセルを単位として、それに詰め込んで輸送される。

しかも、もしこのシステムに上下二方向の流れも備えさせるなら、各戸からの荷物の発送や、ごみの輸送にも使えるだろう。また、小規模な生産者にとっての発送にも用いられるだろう。

 

こうして、世界の二大構成要素のコトとモノに、バランスのとれたネットワークシステムが完備されれば、運輸にたずさわる人力は極小化され、物流はそれこそ、工場内のベルトコンベヤーのイメージに重なる、流れそのものとなる。そうした効率化によって、その社会全体の生産性は飛躍的に高まり、ヒトは純粋にヒトにしかできないサービスや創造的生産に寄与することとなるだろう。

以上のような意味で、人体における血管網は、身体としての社会のモデルとなろう。

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