生命は宇宙起源か

〈連載「訳読‐2」解説〉グローバル・フィクション(その15)

今回から、新しい章、「ライフオロジー」を訳読します。

昨年12月に打ち上げられ、現在その長旅を飛行中の小惑星探査機「はやぶさ2」の主要目的は、サンプルリターンによって、生命誕生の謎を解こうというものです。

一方、今回の訳読の議論の中に、、「パンスペルミア〔胚種広布〕説」というものがあります。つまり、私たちを含む地球上の生命は、地球環境を起源とするものではなく、その種は宇宙からやってきたものと見る説です。

上記の小惑星探査機の目的も、この説に関連したもので、もし、持ち帰ったサンプルの中から、何らかの形の生命の痕跡でも発見されれば、この「パンスペルミア説」は一気に現実味を帯びたものとなります。

確かにこの説は、ダーウィンの進化説を根本からくつがえす、大論争となるべきものです。

そうではあるのですが、しかし、生命がどのように生まれたのかという議論においては、たとえ生命の痕跡が小惑星に発見されたとしても、それは舞台が地球から宇宙に変わっただけのことであって、生命誕生のメカニズムがそれによって解明されたわけではありません。「パンスペルミア説」は、地球になりかわり、その謎を宇宙の神秘に求めてゆくお膳立ての大変換となるもので、いってみれば、生命誕生の謎は、突如、宇宙の暗闇に大拡散してゆくものとなります。

その分、宇宙の神秘の可能性に大きな期待が寄せられることとなりますが、逆に、いかにもその神秘の深さが神格化され、精緻な生命誕生のメカニズムの解明にゆるみや飛躍が混じりこむのではないかと懸念されます。

私は、自戒的にそう思うのですが、たとえば、私が幾度ももちいている「霊性」といった概念に不必要に頼ると、そのへんのゆるみや飛躍が、いかにも安易に容認されてしまいがちです。

そういう意味では、「パンスペルミア説」は、生命誕生の謎をてことして、宗教上の神の概念に、紙一重で隣接する説――宇宙と神が同義語化しかねない――であるとも言えるのではないかと思います。

 

それでは、「ライフオロジー(その1)」へご案内いたします。

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