とある大統領選レポート

両生 “META-MANGA” ストーリー <第3話>

 

【再度改題】本年初め、「両生“ジャンク”ストーリー」として発足したこの連載を、先月、「両生“絵のない漫画”ストーリー」と改め、今回、それをさらに「両生“META-MANGA”ストーリー」と再改題いたしました。

アルデバラン星系の惑星「フィラース」の主要メディアの報道によると、太陽系の地球という惑星のある大国で、じつに奇態な大統領選が行われるようになってしまったと、フィラーシアンによる、どこか自戒めいた関心を呼んでいる。

 

この国は、この惑星にこれまでに存在した最大の覇権国であり、その全世界に巨大な影響をおよぼしてきた。そしてその国の国是は《デモクラシー》とよばれる政治制度で、その国は国民の総意が所有し、国民のために国が存在、機能するというものである。ただし、この建前が文字通りの建前となってきているところが曲者であり、その成り行きが注目されているのである。

この国は、およそ70年前、この惑星二度目の全惑星的戦争に勝利した後、その世界の頂点に立った。だが、それをもって、勝者のおごりともいうべき、覇権力維持の桁外れの保守的策謀、すなわち、建前=デモクラシーを密かに殺し、本音=強欲自国主義を強引に押し通す、ドス黒権力の伏魔殿が出来上がってきている。

その国のそれまでの発展の源泉は、その「デモクラシー」とよばれるオープンで革新的な代議制政治システムにあった。しかし、そのオープンさとは相容れない《秘密》という“二重権力からくり”を導入したことによって、その発展の水源が断たれ、豊穣な水脈が涸れ始めたのである。つまり、頂点に立つことで、追われる立場になったその国は、その優越したポジションを失わぬために、「国家安全保障」という名のもとに、国民にその存在すら秘密にする《政府の中の政府》を極秘に設立し、その政策執行や政治責任が、いっさい、デモクラシー制度に定める手続や議会の監視の埒外に置かれてしまうに至った。

このように、この国の国是の堤防に蟻の一穴が開けられたのをきっかけに、秘密は秘密を呼んで肥大し、国の中に誰の目もとどかない暗闇部を形成しはじめた。かくして、この国の創造性の河川システムには、危険な漏水がいたるところで生じ、やがては、国家そのものを飲み込む、大洪水の恐れが現実のものとなっている。

おまけに、デモクラシーを自ら棚上げにしながら、よりにもよって、デモクラシーを正義の旗幟にかかげて他国攻撃の理由とし、みにくい侵略戦争を自らくりかえすという、おのれの面汚しも恥じない念の入れようなのだ。

ことにそうして、その惑星の頂点に立った国にとって、将来の強敵はもはやその惑星内にはなく、その本命は、大戦の終結以来、不気味な形跡をみせていた、惑星外の生命――ETと呼ばれる――の存在であった。言うなれば、技術的にも軍事的にも文明的にも、次元違いの恐ろしさをもってその国の優越性を根底から脅かす存在とは、そのETしかなかったのである。

そうした究極の脅威に立ち向かうために、その国はまず、墜落したETの星間飛行船――最初はその目撃情報から「空飛ぶ円盤」とよばれた――を回収して、その技術の緊急な後追い解明が始まった。むろんそうした動きは、国家安全保障上、絶対に秘密でなければならず、それを担当する極秘の政府部門も極秘に設立された。それがCIAと呼ばれる、外向きはその惑星内のジオポリティックス問題を担当する機関とされているが、その本来の任務は、宇宙界における惑星安全保障問題――“スペース・セキュリティー”――である。

一方その惑星は、その大戦後、その惑星内に、主に国是をめぐる政治的理念を理由とした二大勢力を生んでいた。その一方は、いうまでもなく、デモクラシーを国是とする国々で、そのトップが当大国である。

他方は、政治党派の独裁――理念的無謬性を建前としていた――にもとずく、非デモクラシー諸国であった。そうした惑星内対立関係をめぐり、その惑星年代の1960年代初め、その大国の足元の「クバ」と呼ばれる島国で、この敵対的体制を旨とする革命が成功した。そこでCIAは、国の最高責任者である大統領に嘘の情報を流して作戦や軍事行動を行い、それをけん制した。それが、当時、デモクラシーの寵児として世界的人望を集めていたケネディー大統領の強い不審をかった。そればかりでなく同大統領は、日ごろから疑念を深めていたCIAによるET問題の極秘扱いを、今後は公開すると宣言したため、彼はその後数日のうちに暗殺され、世界中に衝撃を与えた。そればかりか、その犯人の追及さえも闇から闇へと葬られ、この国の暗部の存在が世界に知れ渡ったのであった。

かくして、その後に選ばれた代々の大統領は、その政府内部の秘密政府に逆らった場合、自らの命すら危ういという脅威が、この国の政界の暗黙の前提となった。つまり、世界に名だたる国是であるそのデモクラシーの主脳であるべき大統領が、秘密のうちに《操り人形》同然と堕すに至ったのである。

それ以来、どんな大統領が選ばれようと、その人物は、その秘密政府の代弁者になるか、あるいはそれを潔しとしなくとも、建前と秘密の二重性を糊塗する、事実上、国民をだましてごまかす有能な演技者のいずれかであらねばならなくなった。そして実際に、レーガンという元俳優がその大統領の役を果たした時期すらあった。

 

このようにして、国の中に秘密の国を作り出してしまった結果は、じつに混迷にみちているどころか、その国是の制度にてらして奇態でもある。つまり、国は、憲法を筆頭に、法律システムという全国民の合意によるルールを根拠に、その権威と法的強制力が与えられている。それが、その国の中に、法律の適用をうけない、いわば無法の国――しかも大統領をあやつる力も伴う――を作り出してしまったわけである。この政治権力の《隠された二重構造》は、確実にこの国の働きを、本来の国是とは裏腹な、あたかも怪物のごときものへと変貌させてきている。

その結果、その秘密の国中国――これをフィラースの報道界は「Buu」と呼んでいる――は、その国の中の姿なき主であり、絶対無比という意味では、いわばその国の絶対主、神か魔王のような存在である。つまり、Buuはその国の「僭王」であり、その国はBuuによってあやつられている《傀儡国家》――これを同報道界は「U-es-say」と呼ぶ――にすぎないということとなる。

 

そのU-es-sayが、ことし11月8日火曜日の投票日に向けて、文字通り鳴り物入りで、いまや選挙戦の真っ最中である。そして、その選挙戦の見どころというか、建前と本音のサドンデスマッチを披露してくれているのが、民主党という政治建前を建前にせざるをえない党の候補者クリントン夫人と、他方、政治的タブーを歯にころもを着せずに連発してそうした建前をこきおろし、不満をもつ選挙民の溜飲を下げる効果をあげている“ちゃぶ台返し男”トランプ氏である。彼は保守共和党の候補の中でも異端である。

つまりこうした両者の対決は、図柄としては、片や、そうした《隠された二重構造》国家を生真面目に背負って、曲がりなりにも責任が果せるかの幻想を振りまいているのがクリントン候補であり、他方、そのまやかしの構造にへどを吐きたい庶民の本音を代言してタレント顔負けな人気を集めてはいるものの、結局はその《隠された二重構造》の上塗り、つまり不満のガス抜きで済まそうとしているのがトランプ候補である。

このように、その両候補のいずれが勝とうと、結果は、U-es-sayにおいてBuuによる隠然とした支配が揺るがない成り行きに変わりはない。それどころか、この《隠された二重構造》は、いよいよ、その終末段階の混迷の泥沼にはまり込んでゆこうとしている。そしてBuuの中心勢力のひとつの軍産複合体の思惑は、それが泥沼であればあるほど、三度目の世界大戦――この惑星では、戦争は実に儲かるビジネスなのだ――による新たな覇権体制の構築に、実に好都合な情勢となっているのである。

ただ、そうした選挙戦の中で、ひとつの興味深い異質要素が垣間みられる。それは、結果的に民主党内での候補者選びに破れて最終候補にはなりそこねたが、民主社会主義者を自称するサンダース候補である。彼は、そうした二重構造の一部の改革――たとえば、富の平等化、金融制度改革、あるいは、Buuによる世界的な経済植民地政策であるTPPに反対――を政策にあげるなどして健闘してきた。そして、そうした操り装置の歯車のどこかが狂って、もし、サンダース氏が大統領に選ばれ、Buuの支配に有効に歯向かう姿勢を堅持した場合、彼に故ケネディーと同じ運命をたどらせるシナリオが、Buuによって準備されているにちがいない。

 

おおむね以上が、フィラーシアンの地球分析専門家の見立てである。

フィラーシアンのこの先の見通しでは、こうした「秘密の君臨」が続いた結果の地球は、経済面に限ってみても、生産性は低減し、貧富の格差も限界に達して社会は荒廃し、遂には痛々しい政治的混迷をまねいて、第三次の世界戦争という自壊の道が避けられなくなるだろうとしている。

そこでフィラーシアンのうちの性急論者は、ことに三度目の世界戦争はあまりに悲惨で愚かであり、長期にわたり見守ってきた折角のこの惑星が、壊滅の事態に至るのは忍びないとして、地球に何らかの使節を送り、そうした自壊の道を回避できるような工作を行うべきであると論じている。

しかし、それに対する静観論者は、そうした介入政策は、これまでの経緯の趣旨に反するばかりか、結局は、地球のBuuたちによって、それを異星人による宇宙テロ攻撃と逆利用されるか、仮に受け入れられたとしても、Buuたちの延命の手段と結託させられ、その伏魔殿ぶりを、さらに複雑怪奇に増殖させるだけであると主張している。

そうした論争の結果、フィラーシアンたちの至り着いた方策は、もう一世紀か二世紀か、それとも意外に早いかは予断がつかないものの、時の経過とともに、すでにその兆しが確かな、地球人全般の自覚の広がりによって、そうした二重構造の解消がしだいに進められるのを待つしかないだろう、というものである。

 

フィラーシアンには、そのように地球人への希望を託して、この惑星とその上に繁殖させてきた地球人類文明の発達という壮大な宇宙“実験”――そう呼ぶことには疑念を伴うが、地球用語ではそう呼ぶしかない――が、まさか三度目の全面戦争を選ぶような発展はないであろうとの、実験実施者としての自責と希望的観測へと至らせている。

フィラーシアンは、地球時間的には40億年以上も昔となるのだが、宇宙の時空次元の歪みを利用して、月が地球の衛星として誕生しようとしている時期、その月に到達し、フィラーシアンの全英知を傾けて、ひとつの壮大な実験の基地作りを始めた。そしてまず、月の自転周期をその公転周期に正確に同期させて、地球からは絶対に見えない月の裏側を作りだした。そしてその地下に、地球実験プロジェクトの巨大基地を建設し、その実験の拠点としたのであった。そうして、当初はまだ無生物の惑星であった地球に、生命の種付けを手始めに、動植物の発生とその進化、そして最終的には人類の出現へと至る、膨大な進化発展過程を超巨視的に観測、研究してきていた。

この間、フィラーシアンは度々、地球に直接に訪れ、たとえば、そうした進化途上の人類に対し、いくつかの働きかけの痕跡を残したことがあった。それが、いまでも地球人に、「世界の不思議」とよばれている、いくつかの歴史発展としては不連続な諸出来事をもたらしている。

また、そうした働きかけやその際の訪問がきっかけとなって、地球人類には、あたかも全知全能の存在、つまり「神」と地球人の呼ぶ、宗教意識という産物さえ生んでいる。

今日でも、そうした神を否定する自称科学的な人々の間に、宇宙に存在するそうした高度な意志を、むろん神とはよばないにせよ、それを「ガイア」と呼んで区別し、その介在を想定し肯定する人たちがいる。

地球年代1960年代末から70年代初め、U-es-say がその月に人類を送り込んできた際には、いよいよ、そう進化した人類がその「創造の主」ともいうべきフィラーシアンとの遭遇が起こりうるという、宇宙史上の画期をなす“親子対面”の事態を迎えた。

だがその際、両者間に存在する意識や英知の膨大なギャップには、むろん、予想を許さないものがあるべくしてあった。ちなみにそれは、地球的には、17世紀末、オーストラリアを訪れた白人と原住アボロジニーの間のギャップ――片や産業革命時代、他方は石器時代末期――を類比させる。

だが、この人類の月面到達の際においては、U-es-say 側は、まずその達成を独り占めにする積もりであったし、その遭遇については徹底して秘密にしようとした上、そこから秘密裏に利益を引き出し、それを自己の優位性をさらに強化することに固執した。他方、フィラーシアンはその遭遇を機会に、それが地球の全人類に公開され、両惑星の人類による、実験主と被実験者という宇宙史に記録を残す異次元間協力の創出へと飛躍させ、さらに壮大な実験成果へと発展させてゆくよう想定していた。

しかし、地球人にとっては、それが神だろうが実験だろうが、天涯孤独を自負してきた者が、いきなり出現したその生みの親たるものとの出会いといったとてつもない狼狽に左右され、その宇宙版の“親子対面”は、すぐさまその場で折り合いがつけれる類の事柄とはなりえなかった。またフィラーシアン側にしても、地球側の狼狽のほどは想定されていることでもあり、そのレベルで受け止められることは致し方ない、ありうる「生体拒否反応」のひとつでもあった。

かくして、フィラーシアンのより高次元な世界にしてみれば、こうした地球人U-es-say の反応は、少なくとも対地球的には、あらぬ介入をさけるべき、実験の自然な成り行きとして見守るべきであった。他方、フィラース自身にとっては、観測が現象を「収縮」させてしまい、対象世界のありのままの受容を失わせてしまうという、自分達自身の古典的な《認識視野限定》――彼らはそれを「科学的認識手法の自縛」と呼んでいた――の克服の問題なのであった。

こうしてフィラーシアンは、そうした相互協力の次元はまだ時期尚早とし、月面上で行われた地球側との交渉では、いかにも地球的な粗野で限定的な内容を容認し、ひとまずの終結を選んで今日に至っている。そして、その後U-es-sayが、月へのそれ以降の着陸を行っていないのは、この交渉の合意による拘束にもとづく。

実験主フィラーシアンにとっては、今後のどのような発展をもって真の両者の遭遇の機会とするかどうかは、期待は置きながらも、いまだ考えどころの多いオープンな課題となっている。

ただ、フィラーシアンは、月面着陸を国家戦略としたU-es-say を相手としているだけでは片手落ちで、その他の地球勢力、たとえば地球上のある特異な地域に生じる可能性のある、そして現に生じつつある、自らの秘密政府を形成せず本来のオープンさを堅持している地域文明に、そうした相互協力の他方の期待を見出そうとしている。

そうした候補のひとつは、そうしたオープンさを、その平和不戦憲法の定めとその実践で維持している、ある島国であるということだ。

 

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