二人のガイド

話の居酒屋

第四十四話

今回の居酒屋は、都会の片隅にかろうじてある、そんな開襟の場ではない。そしてその場とは、厳冬の雪山の中、海抜千数百メートルに位置する、雪にほとんど埋まろうとしている避難小屋である。急激に悪化しつつある天候で、外は猛吹雪が吹き荒れはじめている。その限界環境にあって、なんとか“生存”が可能な最小限空間を確保しえている、男女三人の間の遣り取りである。その一人は、この山行を希望したほぼ平均寿命に近い男。他は、エベレスト登頂経験もある四十代初めの有能気鋭な山岳ガイド。そしてこのガイドの親しい友人であるキャリアに悩む三十代半ば女性ナース。

 

A(高齢男) Bさん、こんどは心底、君のガイドとしての技量に敬服したよ。まさに、与えられたギリギリの可能性の中から、この季節のこの谷川岳だからこその、最大限の魅力を体験させてもらっている。

B(山岳ガイド) いやそれより、Aさんの体力こそ驚きですよ、そのお歳で。もちろん出来るだろうとふんではいましたが、予想以上です。

C(ナース) 一緒に来させていただいてほんとによかったです。そして、Aさんの頑張りのすごさにも、どこからそれがくるのだろうかと、職業柄以上の感心です。

A 正直言って、Bさんのガイドがあったからこそ、僕はただ歩くことに専念できた。これが僕一人の単独行だったら、もうとっくに断念して引き返してた。“賢明”にも“常識的”にもね。それにそもそも、今度のような山行きに、挑戦すらしえなかったろう。

B ガイドを引き受けた以上、大寒波がくるとの予報の中、もう所定の計画は絶対に実行できません。それに谷川はそういう山で、その計画ではもう遭難間違いなしです。そこで日程を一日早め、しかも、頂上付近でのテント泊にしても雪洞泊にしても、それをしていたらあまりに無謀ですから、荷物をこの小屋にデポして身を軽くし、その分、行動時間を長くして、日没をおしてでもの往復としました。典型的なサミットアタック方式です。

A 僕の危なげな体力を含め、この条件下での最大限の行動でした。まるで複雑な方程式を解くような、みごとなほどの最適解です。それにしても、そしてそれだからこそ、頂上でのあの暮れゆく山々の眺め【下写真】は、どんな映画シーンにもまさる実体験であり、じつに感動的かつかけがえのないものでした。

 

 

B この厳冬期であの時刻に頂上にいたというのは、多分、今シーズンではまだ、われわれ以外にはいないでしょう。われわれが最初です。それくらいあの眺めは特別で、だからこそ、やり遂げる価値があった。しかもそれは、その三人パーティに、まもなく80歳になろうとする高齢者を含めてのものです。

A そしてその三人は、日が落ちて暗くなった中、ヘッドランプを頼りに、ここまで無事に下山してきた。これも、時間的にも体力的にもほとんど限界ギリギリでした。そして、、、そしてこうして、この格別の達成感と安堵のうちに、暖かい夕食も摂れ、ささやかな乾杯も交わせている。

C 私、いま、、、とっても安心できている気持ちです。

A その「安心」って、推測だけど、あなたの人生の上でも大事な区切りをつけられたからなのかな。

C そうなんです。これでいいのかどうかと長年思い悩みながらも先が見えなくて、決断がつかないでいたんです。

B 彼女は、Aさんの経験談をうかがって、仕事を辞める決心がついたんです。

A Cさん、僕がオーストラリアに渡る決心をした時も、ほとんどあなたの年齢でした。そして「中年留学」などと半ば自己卑下しつつ、それでも、自分の決断は間違っていないはずだと歯を食いしばっていた。

B それが正解だったからこそ、今、われわれがここに居合わせているんですよね。

C 私、こうして、山ではBさん、人生ではAさんと、二人のガイドに導かれているみたいです。

A そう言われると、なんとも面はゆいね、Bさん。でね、そこでなんだが、僕が言いたいもうひとつのことがある。それはね、時間は味方だってこと。

C 、時間って、私たちの尻をあおる、うらめしいような敵じゃないんですか。

A 世間は時間を敵に回しているが、そうじゃない。本当は、時間って、僕らを助けてくれる、味方ってこと。

C 私、もう、三十半ばなんですが、あせらなくていいってことですか。

A もちろんですよ。そしてその「もう」なんだけど、あれは僕が四十になろうとする時だった。そう、人生の折り返し点だって言われている四十。その時、その境地を、「もう四十」とする声と、「まだ四十」とする声との、二つの内なる声があった。それこそ、まるで「敵」と「味方」の声みたいにね。

B 「もう」と「まだ」ですか。これはちょっとの違いみたいだけど、真逆の違いだ。

A そう、君が提供してくれているガイドのように、その違いに助けられて、ここまで来れた。それは間違いない。一人だったら、敵に包囲されて、とっくに撤退するしかなかったろう。

C なんだか、ただの雪山に来ただけじゃあないみたいです。二人も味方がいて、、、

A 老若コラボ」とでも言えるかな。

 

 

 

 

Bookmark the permalink.