私はこのオーストラリアに住んで、もう30年以上にもなります。そうした経緯から、不可避的に、この大陸の先住民、アボロジニのことを知り、しだいに関心を深めることとなりました。
この国に到着後まだ間もないころは、彼らとの隔たりはあまりにも大きすぎ――当時は何より、白人のオージーとコミニケートするだけでも大変で――、正直言って、違和感の方が大きく、理解などとはほど遠いものでした。
そうした私の態度を大きく変えるきっかけを与えてくれたのが、日本人若手研究家、保苅実の著書『ラディカル・オーラル・ヒストリー:オーストラリア先住民アボリジニの歴史実践』でした。その詳細コメントは別掲記事に任せるとして、その著書より、アボリジニの人たちの拠って立つところが、実に、今日の私たちの輪郭を遙かに超えるものであることに目覚めさせられたのでした。
本章の「オーストラリア原住民の『ソング・ライン』」の節に限らず、本章で議論されているいわゆる未開民族の持っている文化的伝統は、ある可能性をもって、今日のケオスな時代のその後に向けた、私たちの未来の方向を示唆しているものと受け止められます。
また、そうした未開民族の持つ“伝統性”の裏返しとも言える、むしろ「超然能力」とでも言いうる分野に関し、「ドリーム」だの、「意識変化状態」だのといったアプローチは、ポストAI(人工知能)時代の主手法になる可能性が感じられます。
そもそも、アボリジニにとっての「ドリーム」とは、「夢」であり、そして彼らの言う「正しい道」を教えてくれる回路です。だから、眠った時は、夢を通じて、伝説の主が行くべき道を示唆するわけです。上の保苅の本の中で、あるアボリジニの長老は、それを「電話みたいなもんだ。夢みたいなもんだ」(p.120)と言っています。すでに、私たち現代人が忘れ去っている、私たち自身が本来もっている貴重な意識のチャンネルを、彼らはいまでも、日常的に生かしているのです。
また、今回に別掲の「《知・エネルギー融合子》=《氣力》たる存在として(MOTEJIレポート No.8)」は、そうした議論を土台に「META-MANGA」化したストーリーです。
それにしても、エソテリックの世界から現代を見通す本書のこころみは、並みな議論には決して発見できない、実に清々しく遠大で未来的な視界を提供してくれています。
では、その「太古の知恵」の章にご案内いたします。