歴史再考(その2)

〈訳読‐2b〉現代の「東西融合〈涅槃〉思想」(その22)

 

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【新版(Second Edition)に基づく】

 

 

歴史再考(その2)

マヤ人の到来

全歴史を通じた最大の謎のひとつが、ある時、啓発された人たちが現れ、そして、千年のうちにその誰もが消滅したことである。西暦3世紀頃、マヤの人々は、グアテマラの蒸し暑いジャングルのトウモロコシ畑の中に、石とモルタルで、高くきらめくピラミッドを築いていた。そのマヤの全盛時代は突然衰弱し、10世紀頃には消滅を始めた。そしてついには、その美しい祭儀の都は、その南部の低地で荒廃し静まりかええった。だが、一世紀も経ないうちに、マヤは、今度はメキシコのユカタン半島の北部に、トルテックと伴に戻ってきた。そこで、全盛期後のルネサンスが1450年まで続いたが、マヤは再度、衰退し、それは永遠に続いている。1527年にスペイン人が到着するまで、マヤのルネサンスの最も美しい建物はすでに放棄されており、荒廃した遺跡となっていた。古代マヤ人は、その全体では、40万平方キロメートル以上に及ぶ領土に居住し、ユカタン、カンペチェ、キンタナ・ロ、タバスコ、チアパスのメキシコの州や、今日のグアテマラ、ベリーズ、そしてエルサルバドルとホンジュラスの一部の国々にわたっていた。

マヤの子孫は今日も生存している。 おそらく、メキシコや様々な中米諸国に、およそ2千5百万人のマヤ人が暮らしているものと推定されている。それはDNA調査によって発見されたもので、マヤ人はもともとモンゴルが発祥の地で、ベーリング海峡の氷橋をわたった後に南下し、中央アメリカに定住した。そうした過去のマヤ人の故郷には100ヵ所以上のマヤの町があったが、そのうち一割だけが公共的にアクセスが可能である。

古代マヤは最も高度な文化のひとつで、人々は、宇宙を物理的に理解し、見事なピラミッド寺院を建て、複雑な文字を持ち、そして、時間を計る非常に正確な方法を開発していた。マヤ人は、中央アメリカの高等文化における、天文学という偉大科学や数学の先駆者であった。 彼らの最大の業績の一つは、太陽系の深い理解であった。そのすべての建造物は天文観測に基づいていた。今から5世紀前のガリレオ・ガリレイが惑星を図にしたが、マヤは太陽系システムの中心が地球ではなく太陽であることも知っていた。

「眠れる預言者」エドガー・ケイシー〔1877-1945〕は、ユカタンに上陸してその高い文化を持ち込んだアトランティスの祖先について、幾度ものリーディング〔一種の読心術の施術〕を実施した。ケイシーによれば、彼らからの人類への贈り物は、「記録の館」との形をもった世界の文明の長い歴史を詳述する様々な遺留物であった。ケイシーは、世界中から同様な記録が所蔵されている三ヶ所を指名した。それらは、エジプトのギザのスフインクス、ビキニ諸島近くの太平洋海底の崩壊した寺院、そして、ユカタン半島の寺院の地下である。しかしケイシーは特にグアテマラのピエドラス・ネグラス遺跡の名をあげたり、ユカタンの他の場所を「記録の館」に特定はしなかった。だが、ピエドラス・ネグラスがいっそう古い寺院の上に建てられた可能性はある。ケイシーはことにユカタンを、寺院がそれを覆っているイルラルの場所とした。そしてそのイルラルとは、古代の歴史を石に転記することでアトランティスの記録を保存しようとした大祭司であった。1933年12月の有名なリーディングで、ケイシーは「これらの石は現在、ここ数ヶ月の間に、発見されつつある」と述べている。ケイシーの言う「これらの石」とは、明らかにアトランティス人にその力を与えたクリスタルの「火の石」である。さらにケイシーはそのリーディングにおいて、その石を表す証拠がペンシルベニア州立博物館によって発見されるだろうと打ち明けた。ケイシーの言うその期間が正しいとすると、それに当たるものは唯一、1933年にユカタン地域で行われたペンシルベニア大学によるピエドラス・ネグラスでの発掘しかない。ケイシーが言及した時期に、いくつかの発掘物がペンシルバニアに持ち込まれた。それらには、方解石の船とヘマタイトとして知られている常磁性石の断片を含んでいた。だが今日まで、「記録の館」とされるものは、ピエドラス・ネグラスでも、中米のいずれでも、発見されていない。

 

古代インド

ヒンズー教は、今日でもなお実践されている、世界最古の宗教である。その最古の起源は古代ヴェーダ文明――多様な信念と伝統の集合体でヒンズー教としての創始者はまだ現れていなかった――まで遡ることができる。その信仰いくつかの教義はほとんどのヒンズー教徒が受け入れているが、学者によって、すべての教派にわたる普遍的に受容されている教理を特定することは困難であることが判明している。ヒンズー教の信念の重要なテーマは、「倫理と義務」との法、「誕生、生命、死、再生の絶えない繰り返し」との輪廻転生、「行動とそれへの反応」との業、「輪廻転生からの解放」との解脱、そして「道と実行」との様々なヨガである。敬虔なヒンズー教徒は、死んで、インド聖都のバラナシで火葬されることは、解脱を得、死と再生の永遠のサイクルから解放されることだと考えている。

〔四部からなる〕ヴェーダ〔根本聖典〕はヒンドゥー教の主要経典である。それらは古代インドに発する経典の大集成である。これらの聖典は、人間の歴史の中で最古の文書で、現存している最も古代の宗教経典である。現存する宗教経典には、死者のエジプトの書、バビロニアの創世神話エヌマ・エリシュ中国の易経、そして、ゾロアスター教のアベスタがある。ヴェーダは確かにヒンズー教の最も古い聖典である。ヴェーダのマントラ〔真言〕は、ヒンドゥー教の祈祷師、宗教上の集まりあるいは他の吉兆な機会に朗唱される。各ヴェーダには数千の賛美歌や、古代インド由来の呪文と儀式のいくつかの節が入っている。最古のヴェーダの賛美歌のいくつか、特にリグ・ヴェーダの賛美歌は、少なくとも6千から8千年前のものとみなされている。ヴェーダは、神的な起源を持つと考えられているため、聖書を表したものと信じられている。ヒンドゥー教の伝統によれば、ヴェーダは「人間の作品ではなく」、直接に表されものであるため、スルチ〔天啓聖典〕と呼ばれて、バラモン的システムの宗教的信念の基盤を形成している。その霊的な価値の他に、それはほぼ4千年にわたり、インドの日常生活を独特な視点で示している。ヴェーダはまた、インド・ヨーロッパ語圏の中で最古の多義にわたる文書であり、比較言語学の研究においても非常に重要である。

ヴェーダには、主要な四部――リグ〔詩篇〕ヴェーダ、サーマ〔詠歌〕ヴェーダ、ヤジュル〔祭詞〕ヴェーダそしてアタルバ〔呪文〕ヴェーダ――から成っており、仏教、ジャイナ教、シーク教に大きな影響を与えた。伝承によれば、ヴェーダの経典は、宇宙と同等の古さをもつと言われている。学識者の評定によれば、四つのヴェーダの中で最古のリグヴェーダは紀元前1500年頃に編纂され、紀元前600年頃に法典とされた。最終的にいつ文語化されたかは不明だが、紀元前300年以後である可能性が高い。

ヴェーダの賛美歌は、アレキサンダー大王がインダス川地域を併合した直後、ギリシア語に翻訳されて最初に〔西洋に〕知られるようになった。この期間は、西洋文明の文化革命の時で、粗野で残忍な部族文化がより合理的行動に基づいた民主共和国へと変化をとげていた。 盲目のギリシアの詩人ホーマーは、ヴェーダ語のテキスト、シュメール語のくさび形文字、あるいはバビロニアやエジプトの神話などの過去の原典をもとにして、「神々の物語」を書いた。彼の詩は、古代の他の多くの神話世界とともに、3千年以上昔からの人間の努力や開発を非常に正確に記述している。

いくらかあいまいなところのある言葉ヴェーダは、「知識」、あるいは、さまざまな種類の「神聖な伝承」を意味している。それは古代インドの文典総体を取り入れているので、その言葉の解釈にはかなり幅広さがある。それに続くインド人は幾世代にもわたりヴェーダの詩篇を学び、それは「神々」から来たもので人間のものではないと言って後世に伝えた。最終的には、そうした詩篇の内容は書き留められ、聖典化され、真実として言葉通りに採用された。そのヴェーダの婉曲的、比喩的な内容は教条的な事実として受け入れられ、実践された。 その詩篇の哲学は無視され、詩篇はほとんどすべての現存する新興の宗教の――ことに注目されるのは、複雑なヒンズー教の信仰の――実践の起源となった。

 

ヴィマーナ飛行機械

ヴィマーナとは、「寺院」「宮殿」から「神話上の飛行機械」――サンスクリット語の叙事詩に描写されている――に至るまで、多義な意味を持つヴェーダ語のひとつである。古代の飛行機械の話は、主に古代インドの情報源に由来しているが、他の外国の文典や古代インドの叙事詩の幾百もの文献から来たものもある。そのほとんどは、その古代サンスクリット語から英語へと翻訳されてはいない。ヒンズー教のヴェーダは、マハーバーラタ〔ラマヤナと共に古代インドの二大叙事詩の一つ〕からのヴィマーナの詳細な部分を含め、ヴィマーナを描写している。その叙事詩は、ラマヤナと呼ばれる、特にさまざまな種類の航空機械の格納庫を告げている。カルデア時代〔紀元前7世紀のメソポタミアの時代〕に発祥するシフラーラの文書は、空飛ぶ機械を作る技術計画についておよそ百ページにわたり記述している。ヴェーダの文書のいくつかは、意識的考察の黎明期に立ち返って、空の戦い、有力な武器、反重力機、さらには先制的な核攻撃についてすら壮大な物語を描写している。

サマランガナ・スートラダーラと呼ばれる興味深い一つのヴェーダは、高度な飛行機械の作り方の技術的仕様を次のように述べている。

ヴィマーナの機体は、軽い物体の大きな飛ぶ鳥のように、強く耐久性をもたなくてはならない。その内部には、下側に鉄の加熱装置をもつ水銀エンジンが設置されなければならない。水銀中に潜在する推進力によって、運動する旋風を生じ、内部に座す者は、大きな距離を空中で移動する。ヴィマーナの動きは、垂直に上昇したり、垂直に下降したり、あるいは、前方または後方に傾いたりできる。この機会の助けを借りて、人間は空を飛ぶことができ、天の存在が地球に到来する。

サンスクリット語の叙事詩であるマハーバーラタに見られる古代の別の表現では、ヴィマーナは周囲が12キュービット〔古代の長さの単位で1キュービット=約52cm〕で、4つの強い車輪を持つと述べている。マハーバーラタには、その 「燃えるミサイル」以外に、円形の「リフレクター」を介して作動する致死武器を用いたとの記録がある。スイッチを入れると、それは「光の筒」を発し、どんな標的にも集中することができ、ただちに「それを平らげてしまう力」があった。この種の進んだ兵器は、レーザービームのような、20世紀初めにニコラ・テスラによって発明された「死の光線」に類似しているようである。

2005年頃、中国人はチベットのラサでサンスクリットの文書を発見し、〔インドの〕Chandrigarh大学に翻訳を依頼した。同大学の学者ルース・レイナ博士はこの文書をチームと協力して翻訳し、それには星間宇宙船を建造するための方法が含まれていると発表した。その推進方式は「反重力」であり、それはラギーマ――人の生理的構成の中に存在する未知のエゴの力で重力の引力に打ち勝つ十分強い遠心力――に類似したシステムに基づいていた。ヒンズー教徒によると、ヨガ師が人を浮かせることができるのはこのラギーマである。レイナ博士は、古代インド人は、同文書で「アストラル」と呼ばれていたこれらの機械に人々を乗せて、あらゆる惑星に派遣したと語る。同文書はまた、「アンチマ」、「不可視の帽子」、「ガリマ」の秘密――いずれも、「鉛の山のように重くさせる方法」を指示する重力の操作方らしい――を明らかにしてると言う。ラサからの回収された同文書は何千年も昔のものと考えられている。

古代サンスクリット語のテキストは、紀元前6千年へも遡るもので、「ヴィマーナ」と呼ばれた先史時代の飛行機械について、さまざまかつ生きいきと描写している。V・ラガーバン博士――引退したインドの有名なマドラス大学のサンスクリット学科主任――によると、先史時代の地球はETたちの訪問先であった。同博士は、数世紀の古さのサンスクリット語の文書やインドとヒンドゥー教の古典的な言語は、宇宙から来たETが彼の国を訪れたと論じている。彼はこう述べる。「これらの古代の作品についての50年にわたる研究は、他の惑星には生き物がおり、彼らは紀元前4千年には地球を訪れている」ことを私に確信させた(with permission, (c) Brad Olsen, 2017)

 

ヴィマーナの回収か

洩らされた情報によると、ロシアのウラジミール・プーチンが首相の時の2010年12月に、西側諸国の最も強力な指導者たちにアフガニスタンの秘密の場所を訪れるよう、突然の緊急メッセージがあったとの報告が行われた。その西側の指導者たちが非公式的にアフガニスタンを訪れ、米国の軍事科学者による発見を視察した。それは、同科学者らが「ヴィマーナ」(古代の飛行体)と表現するもので、「時間の井戸」に捕らわれていた。それを取り除こうとする試みは、すでに少なくとも8名のアメリカの兵士たちの「消滅」を引き起こしていた。彼らは、5千年間と推定される長期間にわたり隠されていた洞窟から、その機械を回収しようとしていた。

この不思議な「時間の井戸」のあたかも「永遠の」力のごとき情報は、ロシアの外国諜報機関がプーチン首相のために作成した最も奇妙な報告書に述べられていた。その報告によると、それはエドワード・リーズカルニン――「古代の秘密の知識」を発見したと主張――の技術に基づいているようであった。リーズカルニンは、1923年から1951年まで、誰も解明していない方法を用いて、「単身でかつ秘密に」1,100トン以上のサンゴ岩を掘りきざみ、巨大な岩塊を動かし、フロリダ南部に「コーラル・キャッスル」として知られる世界で最も不可思議な産物を建造した。

ロシアのその報告書はさらに、ヴィマーナを封じ込んだ「時間の井戸」は、電磁放射重力場――統一場理論の中で、アルバート・アインシュタインによって最初に提唱――に関係していると述べていることである。この場は、フィラデルフィア実験――第二次世界大戦中の1943年に実施されたアメリカのテレポート実験――と呼ばれた悪名高い実験の背後にあったものとも語られているもので、アフガニスタンで起こった事件と同様に、何人かの米兵の突然の「消滅」をもたらしていた。

そのロシア外国諜報機関のもう一つの興味深い報告は、それが単にヴィマーナが発見されたというだけでなく、それがゾロアスターという古代の預言者の所有物であったことだった。同報告は、それが発見された洞窟にあった古代文献により、その「正当な所有者」が間違いなくゾロアスター教――歴史上の最も重要な宗教とされている――の創始者であったことである、と述べている。

 

ペルシャでの開花

紀元前630年、ペルシャでゾロアスターという名の師が、アフラ・マツダという名前の進んだ存在――彼はそれに30歳の時に描いた――めぐって特異な宗教を作った。これはまた、世界で一神教宗教が成長している別の一例だった。 アウラ・マツダはゾロアスターに「良い宗教」の根本的な原則を教えた。ゾロアスター教いくつかの特質は原始インド・イラン時代の文化と信念にさかのぼることができるのものであり、結果的にはゾロアスター教は、いくつかの要素を歴史的なヴェーダ宗教――同じくその時代に起源を持つ――と共有していた。今日では世界にほとんど知られていないものの、ゾロアスターの宗教哲学は、人類の目的、あるいは(すべての創造物のそれのように)アサすなわち「真実」維持する、すべての既知の宗教の基礎を提案したものであった。現代のロータリー・クラブは、ゾロアストリア人によって設立された友誼組織である。

ゾロアスター教の最も一般的に知られている信者マグサイ(Magi)――聖書では東方の賢者としても知られている――は、幼児イエスためにベツレヘムへ贈り物をもたらした旅人としても有名である。イタリアの探検家マルコ・ポーロは、マグサイの墓地を、今日のイランのテヘラン近郊のセッテ地区で見たと主張している。英語では、用語magiは単語magicやmagicianの語源である。今日の支持者数の小ささにもかかわらず、ゾロアスター教は比較宗教の研究に巨大な役割を果たしている。それは古代ヴェーダ・ヒンズー教の母体であっただけでなく、ユダヤ教とキリスト教の発展にも大きな影響を与えた。

ゾロアスター教の中心は、道徳的選択、すなわち自由な意志に重点を置くことで、(アサまたは 「真実」を維持するため)人がいったん死が伴う世界に生まれた責任と義務を選ぶか、それともこの義務を放棄して、反対のドルジの働きを容易に加担するかである。ドルジはアベスタン語で 「嘘」を意味する。同様に、ゾロアスター教では、宿命説は拒否するよう教えられる。人間は自らに関わるすべての状況に責任を負い、これが互いに行動しあう基礎となる。報い、罰、幸福そして悲しみのすべては、どのように個人が自分の目的を見、その結果をどう生きるかに拠っているとする。

ヒンズー教や仏教におけるカルマの原則と同様に、ゾロアスター教では、善が正しい行いをなす者のために働く。邪悪をなす者は自らの破滅を招いたと自分自身を責めなければならない。ゾロアスター教徒の道徳性は「良い考え、良い言葉、良い行為」という簡単な言葉に要約することができる。思考がもとであり、なぜなら、自分の思考体系に行動が続くからである。アフラ・マツダとの名の唯一の普遍的かつ超越的な神があり、それは未創造の創造主であり、あらゆる生命がその源(唯一性という考えだが、多くの名前を持つ)の延長であるがゆえ、それにすべての崇拝が向けられる。アフラ・マツダの創造――真実と秩序という証拠――は、混乱、虚偽そして無秩序の反対概念である。結果として生じる紛争には、全人類――紛争の中で活発な役割をなす――を含む全宇宙におよぶ。良い考え、良い言葉そして良い行為を通した人生への積極的な参加が、幸福を確保し、混乱を避けるために必要である。この信徒の積極的な参加は、ゾロマスター教の自由意志の中心的要素である。

長老プリニー――1世紀のローマの著述家、自然主義者そして自然哲学者で、ローマ初期の海軍司令官――は、ゾロマスター教を「魔術の発明者」と命名し、歴史家の主張は、アレクサンドリアの 古代王立図書館が所蔵するゾロアスターについて書かれた「二百万行」に基づいていると述べた。悲劇的なことに、西暦391年、キリスト教のローマ皇帝テオドシウスⅠ世は、この図書館を破壊するように命じた。

このアレクサンドリアの古代王立図書館で起こった「破壊」以後、13世紀になって、ゾロアスター「魔術」の最大の復活が、神秘主義者によって南ヨーロッパに住んでいたカタリ派の間で行われた。カタリ派は敬虔なキリスト教徒で、物質的富の蓄積を放棄し、官能的快楽を控え、非常に厳しい生活を送っていた。そうすることによって、カタリ派は神秘的な力を得たと言われていた。1161年から1216年まで生きた法王イノセント三世は、カトリック教会への脅威と見なされる異端人――イスラム教徒やカタリ派を含め――に対する残虐な十字軍派遣を命じた。ゾロアスターの「魔術」の「力」が一度でも世界に再現し始めたら、キリスト教への脅威は否定できないことに注目すべきであると言われ、それが法王にカタリ派の非戦闘市民の虐殺を命じさせた。第二次世界大戦の恐怖まで、ヨーロッパでその規模の虐殺は起こらなかった。最も悪名高い南フランスのアルビゲンス十字軍は、「彼らを皆殺しにせよ。神はそれに感謝しよう」と命じたという。しかし、こうした全面的虐殺が行なわれている中でも、ゾロアスター教の原則は圧殺されなかった。こうした象徴的な実践行為は、中世になると、表面からはただ消え去っていった。

 

老子と道教

ゾロアスターが生きたわずか数十年後、中国の高齢の哲学者が、「道」と呼ばれる偉大な知恵を著した小さな本を書いた。その著者老子、すなわち紀元前580年から500年を生きた「老」「師」の著述は、その一部がその生前へ数世紀もさかのぼる可能性がある。例えば、中国語の最も初期の手書き本とされる『道徳経』は、紀元前4世紀末のものであり、それを意味する記述を含んでいる。今日、この哲学は道教として知られている。老子の自然、宇宙そして人間の状態の理解は、今もなお共鳴を呼んでいる。広い伝承によれば、人間としての彼の最後の生涯は、中国農村部の小さな村で送られた。彼は自分の人生の本質を熟考した。仏陀となったシッダールタのように、老子は自分自身の思考、地球上に存在する理由、そして数々の経験と直面した。そうすることで、彼は自分の記憶と人間の能力と永遠性を回復した。老人として、老子は村を去り、身体から離脱するために森に行くことを決心した。村の門番は彼を止め、彼の個人的な哲学を書き留めてほしいと彼に懇願した。以下はその「道」からの記憶に値する文言である。

落胆は過去に生きようとするからであり、不安は未来を生きようとするからである。平穏は今を生きることから生まれる。

 

見ようとするから見えず、聞こうとするから聞こえず、求めようとするから得られない。

 

形のない形、動きのない動き。つかみどころのなさが人生の源であり、それが己である。

 

ただ自分が宇宙の中心にいることを見、無限の身体の一部としてすべてのものと生き物を受け入れよ。他人に行なわれた行為が己自身になされたと知ったとき、大きな真実を会得する。

 

壁は部屋を成すが、それらの間の空間が最も重要である。壺は粘土でできているが、その中に形成された空間が最も有用である。動きは、何かの何かへの力によって引き起こされるのは、無がすべての形の源であるのと同じである。

 

人には身体があるので、人は大きな苦しみを受ける。身体がなければどんな苦しみがあろうというのか。自分の精神よりも身体が気になるなら、人は身体となり、精神の道を失う。

 

自己と精神が想念を作る。人間の想念は、現実がそれではないことを意味する。想念を作り、それが現実より現実的であるものは、道に従い、天道を見つける。 

こうした教えの真の作者やその編纂や完成の日付に議論はあるものの、老子のその作品と道教の哲学は今日でも生きている。その双方のシンプルさと深さのため、『道徳経』は最も広く読まれてきた神聖な経典である。その魅力は普遍的であり、キリスト教徒、ヒンズー教徒、イスラム教徒、仏教徒、さらには量子物理学者ですら有効性を見出している。この経典は「道」を奥義的な源とし、すべての存在の根源として述べている。それは目には見えないが、超越的ではなく、きわめて強力でありながらも非常に謙虚で、すべての存在の根源である。『道徳経』によると、人間が「道」の中に特定の場所を持っていないのは、我々がその「幾万」の現れのひとつであるのと同じである。人々は欲望と自由意志を持っており、したがって、自身の性質を変えることができる。多くの人が「不自然に」行動し、「道」すなわち絶対の静けさという自然のバランスを乱す。『道徳経』は、信者を「道」と調和して自然な状態に「戻る」ことを目指している。道教は宗教(ヒューストン・スミスの言う「神性を求める」との意味で)であり、永遠の探求に取り組む一方で、この世でのその実践は静かで深くおおらかな体験をもたらす。

道教の諸文献では、言語、宗教、慣習の知恵は、批判的に吟味されている。それらには固有の偏向があり、広く逆説を利用した先鋭な論点をもって、人為的であると見なされている。むしろ逆に、「無動」――文字通り「行動しない」――という概念は、『道徳経』の中心である。無動の概念は非常に複雑で、その語の多様な意味は、翻訳上〔原文では英訳上〕でも、「何もしない 」、「強いない 」、「演じない 」、「無を創造する 」、「自発的に動く」、そして「時に従う」などと訳せる。老子はこの言葉を広く用い、シンプルさと謙虚さを主な美徳とし、しばしば利己的な行動とは対照的な意味に使う。政治的なレベルでも、戦争、過酷な法律、過度の税負担などの状況を避けることを意味させている。道教徒には、「無動」とエソテリックな実践との間に関係性――例えば「あえて忘却する」とか、「身体的気付きや思考を空にする」とか――を見い出している者もいる。これらの概念は、また、中国の哲学者、荘子の著作にも見られる。

 

【つづく】

 

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Modern Esoteric: Beyond Our Senses,  by  Brad Olsen

http://cccpublishing.com/ModernEsoteric  www.bradolsen.com

with permission, (c) Brad Olsen, 2017



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