反省多々、ニュージーランドの川下り

やや急流の北島ワンガヌイ川、3日間で約100㎞

ひとことで言って、その振り出しから、これほど予期せぬハプニングに見舞われ続けた旅行は初めてでした。そして、たかが川下りと甘く見ていた見当違いがアダとなり、結果、カヌーが転覆、若いスイス人カップルに助けられてなんとか危機脱出できたなど、気が付けば、「自信過剰おっさんたち」のとんだ<はみ出し行動>となっていたのでした。

 

私の知識の限りでは、ニュージーランドほど、自然に親しむさまざまのレジャー商品や企画の豊富な国はありません。それこそ、元祖のバンジージャンプから、世界中の人気を集めるホテル並み小屋泊まりの高級登山まで、確かに、観光立国を宣言している国だけのことはあります。

私は当初、たとえばそのバンジージャンプが、国道の付け替え工事で無用となった旧橋を活用した地元の若者たちの遊びが発展したものと聞いて、いくら「観光立国」とは言え、よくぞ国がそんな物騒なものを商売として許可したものだと、驚かされたことがありました。

ただ、よく聞いてみると、そこにはそれなりの「仕掛け」があって、そうした危険を伴う「商品」に関しては、保険加入の有無を含めて、参加者側の「自己責任」で行う行為であることの同意に署名するとの手続きが、販売・購入の双方の義務として課され、徹底されているというわけです。

今回も、私たちは、訪れたツアー実行会社の現地オフィスでの説明と手続きの際、全料金の前払いと同時に、細かい条項が列記された文書に署名させられました。おそらく、私たちもそうであったように、他の大抵の人たちも、それを詳しくは読まないでサインしているのでしょうが、肝心な規定内容の一つは上記の点のはずです。まあそれでも、その実行が無事完了さえしていれば、そんな詳細は関係なしですむ話です。

それでも、私が事前にその川下りツアーの色刷りパンフレット(環境保全局発行)を見た際、気をそそられる写真や図の他に、あらかじめの予断を排するような要注意事項が並べられており――いわゆる人目を引く必要のある勧誘パンフレットにしては意外に明瞭に――、それなりの「警告」はしっかりとされている、との印象はありました。

ただし、そうしたパンフレット記述はこれまでに参加した他のNZのツアー(「Great Walks」と呼ばれているもの)でも同じことで、それらを無事こなしてきた“経験者”たる私たちとしては、今回の川下りも、それらに続く、もうひとつの体験としての認識でしかなかった、というわけでした。

 

そうした今回のNZ旅行。それがその取っ付きから、つまずきが起こったのでした。

相棒のエイブが、事前に食べ終えているはずの桃をリュックに入れたまま、入国審査の関門を通ろうとしてしまいました。案の定、X線検査機でそれが引っ掛かり、禁止物の無申告持ち込みということで、400ドルの罰金とされてしまいました。

その後、その手痛いショックも冷めやらないまま、乗り換えの国内便ゲートへやってくると、今度は、到着地が霧のため、その便はキャンセルされたとの通告です。しかもそれがその日の最終便ですので、やむなく、オークランドで一晩の足止めを食らってしまいました。

ワンガヌイ翌朝、一番機で、曇りがちながら、霧は晴れた目的地、ワンガヌイ(Whanganui)の空港に降り立ちました。

英語でも、「二度あることは三度ある」と言うようで、私とエイブは、三度目をおこさないよう用心しようと互いに確認し合いながら、バスに乗り換え、およそ1時間半後、今回のツアー会社のオフィスのあるオハクニ(Ohakune)の町に到着しました。

この町は、日本でいえば、スキーリゾートのような雰囲気の町で、その日は雲がかかってその姿を見ることはできませんでしたが、背後に、雪を頂く火山ルアペフ山(Mt. Ruapehu, 2,797m)がそびえ、冬は文字通りのスキーの基地となる、そのふもとの町です。

 

あたりはニンジンの名産地でもある、オハクニ。

翌朝、迎えの車が来て、川下りの出発点、ワカホロ(Whakahoro)まで、地方道から細い山道に至る約2時間のドライブ。途中、同行することとなる他の4人と装備品デポで合流し、カヌー3隻をのせたトレーラーを引いたマイクロバスに乗り換え、ワカホロへと向かいました。

山間の村ワカホロは、川下りするワンガヌイ川の脇に位置しています。その狭い川岸で、川下りに関する全般の注意事項やカヌーの扱い方の説明を受けます。私は、自分たちは初心者と事前に言ってあったので、何らかのカヌー操作の練習なり、試し漕ぎでもあるのかと予想していました。しかし、それもなく、ただ操作技術の簡単な説明のみで、いよいよ川面に漕ぎ出すこととなりました。

いかにも自信満々、ガッツポーズのエイブ

陸上では息の合った行動を、これまであちこちで積み重ねてきた私たちです。しかし、流れる川面上で、しかも、カヌーという不安定な小舟に身をあずけ、そうした経験が役に立つのか否か、あやしいところです。

それに相棒のエイブは、車の運転もしないという誇り高き“機械おんち”。いかにも先が思いやられそうです。

そこで、漕ぎ出しに当たっては、彼が前にのって見張り役、私が後ろでかじ取り役を務めることにしました。

後からくる他のカヌーらに次々と追い抜かれながら、右にいったり、左にいったりと蛇行しつつ、ゆっくりとした速度で下ります。

そこでまず気付かされたことが、カヌーを漕ぐパドリングは、片時も休んでいられないということです。むろん、完全に何もしないで流れにまかせていることも可能ですが、流れでカヌーの向きが変えられてしまうし、ある程度の速度で進んでいないと、かじ取りもスムースにゆきません。つまり、この座った姿勢でバドリングし続けるというのが、考えていたほどに、容易な作業ではなかったのです。

ただ、川が流れ下る領域は国立公園に指定されていて、その風景は独特の神秘さを秘めています。両岸には崖が迫ってゴルジュ状をなし、流れを見下ろす周囲の山々には、名物のシダ類を含む亜熱帯性雨林がうっそうと茂り、いかにも人の立ち入りを厳として拒否しているかのようです。

ただし、そうしたビクチャレスクな風景を写真に収めたくとも、いつ濡れるかもわからないカヌー上で、防水型ではない私のカメラは厳重な防水箱にしまっておかねばならず、気軽にスナップというわけにも行かないのです。

第一日目夕方のジョン・コウル小屋付近での流れ。この夜は強い雨が予報されており、河原のカヌーを手前の高台に引き上げて流失を予防。この時点では水はまだ澄み、流れも静か。

第2日目は、終日の雨中行動となりました。しかも、夜来の強い雨で川は増水、流れも早まり、水も泥色に濁っています。

この日は、互いにカヌーの扱いに慣れたということで、今度は私が前に、エイブが後に乗り、ゴアの雨具で身を固めての出発となりました。

9時に出てしばらくは、雨に濡らされることもなく無事下っていたのですが、昼前、初めての急流に差し掛かった際のことでした。二人の呼吸が合わずにカヌーが横を向いてしまい、横波をかぶってあえなく転覆。二人は流れに放り出され、積んでいた食料用の箱のふたが開いて食料の一部が流れ出してしまう始末です。そして当然に、防水雨具どころではない、完璧な、服を着たままの水泳です。

急流中、何とか姿勢を取り直し、岸に向かおうと奮闘していたところへ、幸運にも、マイクロバスで同席したスイス人カップルが通りかかりました。彼らは、流され続ける私たちのカヌーを川岸へと引っ張ってくれて、なんとか陸へ引き上げることに成功しました。そこでカヌーを反転させて水を抜き、積み荷を再度縛りなおして、ほうほうの体での再出発となりました。

幸い、気温は20度半ばで、ずぶ濡れになっていても寒いほどではなく、時には強い雨にも身を打たれましたが、なんとか危機を脱することができ、その日の宿泊地、テケ・カインガ小屋に、文字通りに“漕ぎ着ける”ことができたのでした。

もちろん、先に到着していたスイス人カップルに、あらためて厚くお礼を言ったのは言うまでもありません。

食料の多くを流しましたが、運良く、非常用のラーメン2食――出発前、友人からの差し入れ――が残され、缶詰類も無事でしたので、その夜と、3日目の朝、昼食まではなんとかまかなうことができました。おまけに、その恩人のカップルは、私たちを救出後、なんと川面に漂う我々愛用のネスカフェの瓶を発見、それを回収までしてきてくれていました。かくして、我々の欠かせぬ嗜好も、ほとんど奇跡的に、中断をまぬがれたのでした。

第3日目は、前日の雨が嘘のように晴れ上がり、快適な川下り日和となりました。ただし、流れは増水したままで早く、最後に控える最も難関の2か所の急流が課題でした。

そこで、再度、私が後部に乗りかじ取り役を引きうけ、エイブには、必要とあらば取るべき行動の命令を出すこともあるだろうからそれに応じるようにと了解してもらい、いよいよ、その難関に差し掛かりました。

腕に自信のある他の若者たちのカヌーには、わざと流れの激しいところを下るものもいましたが、私たちは、安全第一のコースをとり、かつ、急流の横波を食らわないよう何とかカヌーを操りきれて、無事、その2つの急流を抜けえたのでした。

 

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難関の急流を抜け、ようやく写真をとる余裕も。

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振り向けば、我々よりまだ後のカヌーも。

最終地点ピピリキ(Pipiriki)に着いたのは正午ちょうど。迎えが来るのは午後2時で、それに十分まにあう、上々の出来でした。

しめて、3日間の総川下り距離は100キロほど。

かくして、いかにも若者たちの世界に迷い込んだかの感のある――お呼びじゃない――「二人の過信おっさん」のカヌーイング川下りは、まさしくかろうじてながらも、事なく終了したのでした。

互いに健闘を祝福する「おっさん」たち

互いに健闘をたたえ合う「過信おっさん」ふたり

 

ところで、陸に上がると、私たちを救った二人のカップルが、「容易すぎて、ちょっと退屈なカヌーイングだった」などと話しています。

そういう彼らにとっては、転覆している我々を見て、「なんで、こんな大したこともないところで」と、きっとあきれた顔だったのかも知れません。

 

帰路についた私たちを迎えてくれたルアペフ山の雄姿。

この日の夕、無事に戻れたオハクニの町で、地ビールでの乾杯とふんぱつしたディナーの、何と美味かったことか。

 

 

 

 

 

 

 

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