「おばあちゃん」を思い出せ

〈連載「訳読‐2」解説〉グローバル・フィクション(その75)

今回の結末に述べられている、「おばあちゃんが食べていなかったものを食べるべきではない」とは、まさに金言です。

おばあちゃんが食べていた野菜――虫食い痕が目立っていた――、あるいは、おばあちゃんが食べていた魚――養殖物では決してなかった――は、買い物や下ごしらえに手間は要したけれど、食べて危険と警戒されるものではありませんでした。

私見ながら、私は、「60の手習い」式で、料理にかかわる仕事にたずさわるようになれた結果、自分や家族の口にするものを、少なくとも、自分の意志で考えたり、選んだり、決定したりできる能力をもてたことの恩恵を、しみじみと感じています。

自分の足で、自分で歩いて、自分の好きな所に、必要な所に行ける、身体の健康の有り難さがあります。それとまったく同じように、自分の技量で、食べたいもの、食べる必要のあるものを口にできることも、健康のための、そして、そういう行為自体も健康の印であることも、大事なことと受け止めています。

 

日本滞在のため、本連載は2回、休載となりました。では再び、「食品支配と脱出(その2)」へご案内いたします。

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