初夏、日本のローカルを旅する

(その1)紀伊山地の山里を訪ねる

旅というのは一種の取捨選択で、自らを日常から切り離して、地を選び、そこならではの予期せぬ出会いへの期待である。それは、たとえ自分の生国への「一時帰国」の旅であったとしても。

そうした選択として、この日本の初夏の旅では、ひとつは渥美半島から志摩を自転車でツアーし、もうひとつは、奈良県の山ふところ深く、また、大阪・奈良県境、金剛山麓の千早赤坂村(楠木正成の千早城の地)を訪れた。

 

紀伊山地の山里を訪ねる

旅程順から言うと逆だが、まず、山里の旅を先に。

大阪の東南辺縁に位置する金剛山あたりは、関西の“首都”からもっとも近い山里である。そうした境界域は、史跡をたどるハイキングのメッカであるが、もっと遠大には、都会生活に忍びきれぬ人たちが心魂の郷里を求め、それぞれの生き方を移築している地でもある。

茶庵に座すと、緑あふれる山里の光景にも迎えられる

そのひとつに、紀伊の山野に心神の源を見出すTさんが営む、薬草茶庵「アムリタ」〔サンスクリット語で不死の霊薬〕がある(写真上)。その山里の古民家は、輪廻転生するかのように、Tさんの手とアイデアによって、新たな役割を担い始めている。

Tさんは、吉野熊野の修験道聖地を案内するかたわら、自らの茶庵で野草茶、ジュース、食事を提供し、心安らぐ宿泊にも応じている(問い合わせは、chinmai629@icloud.com へ)。

案内をお願いして、紀伊山地のへそにあたる奈良県の最奥地、天川村を訪ねる。村にはあたかも神々が挨拶を交わし合うかの賑わった厳かさがあり、どこにおもむいても、どちらを向いても、鳥居や社に目を見張らされる。見上げる山々、深い谷、うっそうたる森林、そして豊富に流れ下る清流がかもす潤いは、その神々しさの根源を伝えていている。

 


羽生神社境内に祀られた命の源たる男女のシンボルを表す二人の神様。一方は突起した石、他方は割れ目の入った石と、いかにも日本のローカルを物語る(多気郡多気町)。


 

修験の山、大峰山は、今日でも、その厳しい修行に訪れる人々でにぎわうと言う。普通なら「登山口」とも呼ばれるだろうその入山口には、「女人結界」と記された門が構えていて、女性の入山を禁じている。今時、こうした“性差別”は通用するのかと心配されるが、かたわらの英文表示には、その宗教的理解を求めている(写真下)。


 

大峰山のふもと洞川〔どろがわ〕温泉の老舗宿「あたらしや」に宿をとる。江戸中期創業というこの温泉宿には、深田久弥――日本百名山の選定者――も宿泊したといい、玄関にはその色紙も飾られている(写真下)。

 

 

同温泉街外れには、清水の湧く「泉の森のオートキャンプ場小広荘」がある。このキャンプ場には、昨年、そこにほれ込んだオージー夫妻が一週間も滞在していったという。

一方、千早赤坂村には、当地に生き方を移築したもう一人の都会人がいらっしゃる。ネパールの聖地巡礼に自らの生きざまを見出したIさんである。急坂を登ってお訪ねしたIさん宅は、どこかヒマラヤの民家の雰囲気を漂わせている。大阪で美容師を生業とするIさんは、18歳の時、難病克服の切っ掛けを旅に見出し、それが高じてヒマラヤの山々の魅され、今では、聖地ドルポで村民と共の越冬生活をめざしている。Iさんはその遠征費募集もかねて今年3月、自分の半生をつづる冊子『未知踏進』を出版した(写真下はその表紙、クリックすると全ページが見れます)。

 

【渥美半島縦断の自転車ツアーについては、次回にレポートします】

 

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