《理論人間生命学》の立ち上げに向けて 

「自分史」の告げる意味

独自サイトの設置準備(その1)

前号で完結した「“KENKYOFUKAI”シリーズ」で《理論人間生命学》を提唱しましたが、それを本サイトが到達した新パラダイムとし、いっそう発展させたいと構想しています。現在、そのための新サイト――新たなアドレス(URL)を使用――の立ち上げに取り掛かっています。その発足までにはしばらく時間を要します。それが整うまで、その準備の議論をこころみてゆく積もりです。

 

二重の脱マジョリティ――自分史をたどれば――

若いころ、マジョリティに馴染み切れず、ならばとあえて海外でのマイノリティを選んだ者が、歳月を経て、拠るべきマイノリティの場すら無くしていたとしても、それは本望というものだろう。それを、“敵の敵は味方”とでも言うように、改めてもとのマジョリティに舞い戻ってゆこうとするなぞは、まるで遊戯かジョークにちがいない。そんな「本卦還り」に迷い込まない、二重の脱マジョリティの到達先はいったいどこなのだろう。

かくして、自らの探知感覚の終の落ち着き先は、《脱地球とフィラースの共存》であり、その働き場所は《理論人間生命学》である、と言うことに至った。

 

最近読んだ記事に、新鮮に共感させられるものがあった。台湾生まれの小説家、温又柔〔おん ゆうじゅう、1980-〕さんへのインタビューである(『週刊金曜日』2020.3.6号)。彼女は語る、「言語は、力の発露の場所であり、また同時に無自覚の服従の場所でもあり、非常に複雑な隷属形態である」〔下線は引用者〕

以下、彼女の話を引用したい。

私自身も日本語は日本人が話すもの、中国語は中国人が話すものだという観念や、「国民国家」という幻想を知らず知らずに叩き込まれて、いや叩き込むというよりもっとソフトに、そういうものだと自ら思いこんでいたのです。

ですから「国」と「言語」が合致していない人間がどう言葉を紡いで良いのか、躓いていた時期がありました。

(中略)

いつも身近にあった中国語と台湾語の響きを自分の文章の中に織り込もうと決めたとき、ようやく私のニホンゴは「国語」の呪縛から解き放たれたのだと思う。

そう気づいた大きなきっかけは、母の言葉についてです。

母は、たとえば日本語で「電気を点けなさい」と言うところを「電気を開けなさい」と言うのですが、これは中国語で「開電」という言葉がまず出てきて、そして「電気」と「開ける」という日本語は知っているから「電気を開けなさい」という言葉になって出てくるのですね。子どものときの私はそれがとても嫌で、たとえば母の言葉が友達に聞かれることがなんとなく恥ずかしかった。

でもあるとき、母の「言い間違い」の中に、「国語」に縛られない日本語の豊かな世界が広がっていた。母が使う日本語を「ノイズ」だらけだと思っていたのですが、その「ノイズ」だと思い込んでいた部分が、実は私の「糧」だと気づいたのです。

そのときから、自分が本当に自由になった、大きく解き放たれたように感じました。

 

温さんのこうした体験は、自分の「糧」の実在を母の「言い間違い」に発見したものだが、私の場合は――(英語圏社会で)そうした「言い間違い」は言うにおよばず――、そういう「糧」が、どこかで生成されて立ち登ってきているはずなのだが、その出どころが容易にはつかめず、その追究が今日にまで至っているケースである。

そこでそれをアバウトに、“日本起源”としてしまってもよさそうである。しかし、それで済んでしまうくらいなら、これまでの遍歴は何だったのか、と言うこととなる。

こうした体験を、《マジョリティによるマイノリティへの規範の押し付け》と整理すると、温さんの言う「非常に複雑な隷属形態」とは、「マジョリティへのマイノリティの隷属化」と言い換えうるだろう。

彼女の場合、小説家タイプゆえ、その隷属は主に言葉の問題として立ち登ってきた。だが、並な人間の場合、その形態は確かに複雑で自分の全てに関わる。それを先のシリーズでは「映画館現象」と呼んだ。

私の場合、外国住まいというマイノリティの場を選ぶこととなったのだが、いまだに、その――ヘソ曲がりな――選択をさせた判断の主が何であったのか、謎である。

だからこそ、《理論人間生命学》なのである。そしてその基盤にあるのは、誰もの内なるマイノリティを見つめよう、との方法である。

 

 

 

 

 

 

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