【往メール】
はじめさん
お久しぶりです。
何カ月も連絡もせずすみません。
2016年もあと数日でもう終わりですが、2016年はほんとに苦しい年でした。
このメールは長文注意です。
8月に転職にトライしたのですが、ブラック企業にはまってしまい、半年間まともな職に就くことが出来ませんでした。
改めて、自分の年齢、実力、日本の思考原理、構造など痛感することになりました。
転職に割とおおらかな豪州の感覚はこの半年で完全に消えることになりました。
いよいよ日本に住んでいるという実感を味わっています。
~詳細は以下です~
2016年のはじめに、オセアニアチームのリーダーになり、仕事に対し自信を持ち、結構充実した日々を送ってました。
しかし、給与面で不満があり、時間がある際に転職が出来ればと考えていました。(日本の中では普通の給与)
6月ごろに「不動産営業」の求人広告を発見し、当時その内容はとても魅力的でした。
今思っても、この内容が本当なら最高だと感じます。
面接を受けると、自分経歴をすごい称賛してくれて、ぜひ働いてほしいということで軽い気持ちで転職をしたのが運の尽きでした。
入社してみると、待遇(時間や福利厚生)が求人と全く違うことが発覚し、また、極めつけは「罰金制度」があるということでした。3か月売らなきゃ50万円。
こりゃダメだと、すぐに他の職も見つかるだろうと10日ぐらいで辞めてしまいました。
この時点でもなんとかなるだろうと軽い気持ちでいました。
一か月後にまた「防犯カメラ営業」の職に就きましたが、なんとそこもブラック企業。
正社員求人だったのですが、蓋を開けてみると正社員ではなく外交員扱いという謎の雇用形態。
僕が言うブラックとは、求人広告内容と実際の待遇に差異がある、雇用形態や福利厚生がない。などです。
若干厳しかろうが、怒鳴られようが、そういったのは許容範囲と考えてます。
防犯カメラ営業をやっている最中に何社か再度トライし一次面接をパスした時点で辞めてしまい、また他社で働けるだろうと思ってたのが甘かったです。
そこからまったく仕事が見つからず、書類選考で落ちまくり、その数30社以上。
エージェントに話すと、38歳という年齢、英語は喋れても資格がないということで、希望する職は受からないとのことでした。この辺りでは気持ちは相当不安で、貯金も尽きはじめ、生活が危険な状態になってきました。
それからまた1カ月2カ月経つも見つからず、ついに貯金残高が2万になり、というところでぎりぎり雇用保険の支給をもらい生き延びました。
不本意ながら再度中古車輸出の仕事の面接を受け、最近内定をもらい、来月5日から働くことになりました。
~怒りの感想です~
日本という国は年齢に関し、ものすごく敏感で、38歳での転職はほんとうに難しいと感じました。
もう、軽い気持ちで転職は今後は無理だなと。今回はほんとに肝を冷やしました。
また、求人広告のウソが日本中であふれてると言わざるを得ません。あのように面接時に顔は笑顔でウソをつける人がいるということに憤りを感じます。
日本は思いやりがあり、おもてなし精神があり、など本当に嘘っぱちだと思います。
最近の電通の事件然り、日本の雇用状態は未だ闇が多いなというのが実感です。
~結局夢を追います~
この間、日本の知人に少なからず相談し、いろいろ助けてもらったのですが、そこである先輩の助言で(中古車輸出の先輩)、自分のやりたいことをやれと言われ、自分は絵が好きなので、時間があるのでいろいろ描いてみました。
http://blog.livedoor.jp/katemato/
仮のブログを作って載せました。ぜひ見てください。
また、友人が会社を立ち上げた際に会社のロゴを作ってほしいと依頼され作成しました。
自分的にはやはり絵を描くのは本当に好きだと感じています。また、ArtMeterというサイトに絵をのせたところ、なんと絵が売れ、人生で初めて自分の作品を販売することが出来ました。売れるもんだなあと感激しました。
多くの友人からも引き続き絵を描くことを勧められ、本格的にそちらへシフトチェンジしようと思ってます。
イラストレーターやアートディレクターなど、将来そういった仕事へ変更できればと思ってます。
とりあえず生活のために中古車輸出で働き、時間があるときに講座などに通う予定です。
20万ぐらいで養成講座があるそうで、そこでコネや技術、情報を得られると聞きました。
その間自分の技術をのばし、時期が来れば絵を使った職に就きたいと思っています。
金、金、金でいろいろ試してみましたが、金というのは不思議なもので追えば追うほど消えていくものだと改めて実感しました。守銭奴のような働き方や生活はもうやめようと思います。
株などは続けますが、金中心の思想はやめようと考えてます。
自分の好きなことが才能があるということ、
才能があることをやることが唯一社会との接点を持てる場所、
一度の人生やりたいことをやらずにどうするんだ、とはその先輩の言葉です。
昔はじめさんが僕に言った「自分の心の声を聞け」に似てます。
来年もよろしくお願いします。
良いお年を
まさと
【復メール】
まさと、メールありがとう。
連絡がないので、正直、心配していた。
きっと、仕事探しで苦労しているとにらんでいたが、その心配は当たっていたようだ。
今の日本は、まさしく、電通という日本の看板企業までもがブラック企業で、さほどの日本社会のブラック度――労働者無視――の蔓延に、さしもの厚労省も、動かざるをえなかったというのが実情だろう。
政府は国民の味方かのように見せかけるために。
まさと、ようやく、自分の内部の声を表現できる手法を見つけたようだな。
以前から感付いてはいたのだろうが、それを実現させてゆく自分なりの腹の据え所を決められなかったのだろう。
だが、もう、大丈夫だろう。
その怒りをじっくりためこんで、
食い扶持は食い扶持として、なんとかこなしつつ、
やりたいことは、しぶとくねちっこく持続させ磨いてゆく。
それこそ、「殺されても放すな」だ。
ただし、雇い主のためにではなく、自分のために。
こんな世界での人生なんて、《二重構え》で取り組むしかありえないのだ。
だれかが、そういう仕組みを作り上げているのだ。
やりたいことと稼ぎが両立するなんて、
いかに、そのやりたいことがいい加減であり、
俺はそういう腑抜け男だと、自己証明しているにすぎない。
本当にやりたいこととは、それほどに透き通ったものなんだ。
まさと、ようやく、そのやり方を見つけたな。
おめでとう。
あとは、こつこつと、道を外さないよう、最後まで歩んでいくことだけだ。
僕がオーストラリアで第二の人生を始めたのも38歳の時だった。
まさと、保証する。時間はまさとの味方だ。決して敵ではない。
だから、その透き通ったものを、絶対に捨ててはならない。
以下はこの7日に更新する僕のサイト記事からの引用だ。
「真理に到達する道を行くにあたって、おかす間違いは二つしかない。道を完遂しないか、それとも、出発しないかである。」 ――ゴータマ・ブッダ
かくして、出発はできた。
さあ、道を歩き続けてゆこう、まさと。
はじめ
【往信人による投稿記事「再会苦慮」参照】