MATSUよ、周囲も驚く順調な回復ぶりを見せているようでなによりだ。でもご免だが、俺の目論見はまだ終わっていないんだな。クモ膜下出血という手荒な手法だったが、MATSUには《META交信》を通じ、「両界体験」がどんなものかをもろに味わってもらった。でもな、俺にとってはまだ、し残したことがある。つまり、それがじいさんたちの「冥途の土産」話どころか、他の誰にとってもの今世のリアルな出来事でもあると言える、その理由でありその根拠なんだ。それも、科学的な。これまで、後回しにはしてきたんだが、いよいよそれを片付けなくてはならん。誰も車のメカなぞ知らなくても平気で運転できるように、その根拠なぞほっといても、俺にもMATUにも、むろん、何らの実用上の不都合はない。だが、ここへはいま一歩踏み込んでおいた方がよさそうだし、いかんせん、それなしじゃあまるで片手落ちでもある。それにMATSUだって、このままで収まっちまったら、この一連の体験は、馬鹿な失敗から生還できた「ラッキーじいさん」の話で片付けられてしまうんじゃないか。
俺は思うんだが、なあMATSUよ、俺たちが交わしてきたこの《META交信》ってやつ、これって、俺がまだ地球時代の頃に読みかじったこともある――確か「科学を脱皮しつつある科学」なんて記事があった――のだが、いわゆる量子理論でいう「エンタングルメント」のひとつの現れじゃないか。もちろん、それは量子の世界、すなわちミクロの世界のことで、俺たち生身の人間のようなマクロの世界の話じゃないことは重々承知している。だがしかし、俺たちの場合、マクロな人間に関することでも《META交信》という特定分野でのことで、いわゆるマクロ世界そのものの話ではない。しかもこの人間の心、すなわち脳の機能にまつわる領域は、脳神経細胞という極めて量子的世界に近接した話じゃないか。言ってみれば、“古典科学”には歯の立たない領域じゃないかな。
ところで、今回、藪から棒に「エンタングルメント」などと説かれても、地球側からは、「何だそれ」って声が聞こえてくる。それももっともだ。そこで俺の聞きかじりの知識なりにその想いを語らせてもらうと、日本語で「量子もつれ」とも言われるそれは、この百年ほどで、物理学の世界の鉄則を根底からくつがえしてきている、科学発想の“超革命的”な転換をもたらしている考え方だ。そしてそれはあまりに超革命的なため、あの天才アインシュタインでさえついてゆけず、そんな「馬鹿げたこと」と拒絶し、そのまま旅立ってしまった。
つまり「エンタングルメント」とは、ミクロの世界でおこる現象で、ひとつの素粒子が隔たった別の素粒子に、何の物質的媒介なしに、しかも瞬時に作用することだ。そしてこの隔たりとは、数キロどころか、たとえ数光年であっても距離とは無関係である。したがって、この現象はある素粒子が同時に異なった場所に存在しうるとの意味すら示唆している。そうした従来の科学常識からすれば考えられない現象のことなんだ。それが、最初のうちは理論上でそう想定されていただけなのだが、この数十年の間で、現実におこる現象として実験により一歩々々と証明されてきている。つまり、アインシュタインが実際にそう言ったように、素粒子同士が「テレパシー」を交わしているということだ。そればかりか、今日では、そうした素粒子のもつ現実の性質の一端が実用にも取り出され、従来のコンピュータとは比べものにならない性能を発揮する量子コンピュータの出現も間近のこととなっている。
そういう脱皮する科学による新科学的根拠を固めつつある――むしろ実態は、既存科学を脱皮させつつある――「エンタングルメント」なんだが、俺たちはその実用化を、量子コンピュータとしてではなく、人間に内蔵された通信装置としてすでに実際に活用してきたというわけだ。いわば内蔵スマホだな。そして俺はこう信じるのだが、人間の脳の働きは、たとえ量子コンピュータの実用化が成功したとしても、それを越えているものだと思う。つまり「エンタングルメント」をフルに体現できるのは、まだまだ当分の間は人造コンピュータ装置には無理だろう。
この間のMATSUと俺との《META交信》の成立で、俺たちにはそういう内蔵交信装置が存在し、それが働きうることが実証されたわけだ。少なくとも、一例として。
つまり、俺たちの《META交信》の企ては、こうして成功裡にその実用化の実験例を作り得たということだ。
ということは、この《META交信》という“超革命的”な能力は、むろん「馬鹿げた」独り善がりな現象などではなく、それは「人間エンタングルメント」とさえ表現できる最先端物理現象だ。そして、すでに「量子エンタングルメント」が物理学の従来の鉄則を揺り動かしてきたように、「人間エンタングルメント」も人間社会の従来の鉄則に、同様な揺り動かしをもたらすことと予想される。
言い換えれば、それは誰にもすでに「内蔵」されている「自前スマホ」を生かすことであり、いわば誰にだってすぐに“まね”のできることだ。なにも、そのうちに売り出されるだろう高価な「量子装置」を待つまでもなく、ただで、いますぐにでも、利用可能ということだ。
そして、もう一点付け加えておきたいことは、おそらくこうした《META交信》的な論議は、これまでなら、それが扱われてきたのは宗教やカルトか、そうでなくとも神秘主義的思想の分野においてであり、科学は厳密にそれを排除してきた。だからこそ、アインシュタインの徹底した科学者根性は、最後までそれを容認できなかった。それが今や、その探究によって科学自らが変容して《メタ化》し、そうした人間らしき分野の少なくとも一部を対象として含み、扱いうるようになってきている。言うなれば、人間そして自然に関する科学的事実認識は、もうそこまで広がってきている。
どうだろう、けっこう楽しい話じゃないか。まして、俺たちじじい同士の与太話なんかじゃ決してないんだよ、MATSU。