だから「ストリート祭り」をやろうっての?(その1)

〈訳読‐2b〉現代の「東西融合〈涅槃〉思想」(その45)

 == 本書の《もくじ》へ  「もくじ」の中の《本章》へ ==


「僕たちって誰も、どこか変ってて、その人生もまともじゃないけど、僕たちが誰かを気に入った時、その人も同じように変わってて、そうした僕たちって、互いの変わり具合にぞっこんになって、それって、愛と呼べるね。」――ドクター スース〔アメリカの絵本作家、1904-1991〕

この本の結末が近づくにつれ、私は一人称で再び書き始めてみる必要を感じている。「エソテリック・シリーズ」の三部作には著者のプロフィールを載せていないので、この章はその三部作ため、著者の経歴の記述に当てようと思う。私は常に、これらの本を書くにあたっての自分の役割を、厳密に質の高いコンテンツを提供することに置き、単に伝言者であろうとは考えてこなかった。この章ではまず冒頭で、この本の最終的な考えを述べ、続いて私のプロフェッショナルな経歴を概説した簡略なライフ・ストーリーを表し、その中で体験したいくつかの意義深いライフ・レッスンのハイライトも合わせて紹介したい。私はこの個人的な証言を面白く保つように努める積もりだが、以下で説明する理由から、自分自身について書くことは本当に困難を見出している。もし読者が、このスタイルがあまりにも本書の主題から逸脱していると思われるなら、次の章へと行かれたらいいと思う。

ここからは、私の自伝の履歴書部である。過去20年間、私の名刺の肩書には「出版人、著者、プロデューサー」と記してきた。さらにそれには「俳優、イラストレーター、アーチスト」も含めることも可能である。別の名刺には、私は自分を、カリフォルニア州サンフランシスコで毎春大規模な屋外イベントを製作する、非営利団体のエグゼクティブ・ディレクターとしている。そのイベントは、街路上で衣装をまとい踊って過ごす人たちの楽しい一日である。この本の読者は誰でも、この春時の極めて独特の体験――サンフランシスコのHoward Street で何千人もの人たちと共に――を楽しむようお勧めしたい。このイベントを主催する非営利団体は、WPTTO(World Peace Through Technology Organization)と呼ばれ、その野外祭りは 「How Weird Street Faire〔何と変わったストリート祭り〕」と称され、私が過去20年間住んできた都市、サンフランシスコのSOMA〔市場南部〕地区で催される。

本の出版を専門とすることが、私の一年のほとんどを費やす仕事である。オンラインの著作と記事の印刷出版の間で、私の書物の新しい章や、ソーシャル・メディアへの投稿、そして私はさまざまな私のウエブサイトを運営し、マーケティングをし、特別の販売行為をし、外注した外部業者との事業を運営する。私は、出版人の仕事を通じて、自分自身が持つことに価値を見出す、そういう種類の本のみの発行を求め、それは広範な読者への思想的刺激を与え、批判的内容を盛り込むものである。もしCCC出版(Consortium of Collective Consciousness)の新しい出版が予想を上回る売り上げをあげた場合、それはより多くの読者に達しえたことと私は満足し、私はさらなる販売促進を続ける。だがそうでなければ、私はいつもそうであったように、他のプロジェクトに場を移す。ご推測のように、私は自分の仕事が大好きで、それはほとんどの日で、仕事のようにすら見えない。これが、他の理由の中でもいっそう、私は人生に「満足」を見出している理由で、これは、インド旅行中に得たニックネーム、「Santosh」の意味である。私は毎日、今後の見通しを再確認しようと努力している。私は最善を尽くして、楽観主義を貫徹したい。それはあらゆる面で私に帰ってくるようである。私の圧倒的な肯定的な見通しの一部は、私が一生のうちに一度も落胆していないという事実によるものである。私は正直言って、落ち込む経験をしたことがないので、うつ病がどういうものであるかは解らないが、あらゆる種類の精神疾患に苦しんでいる人たちには同情を抱く。私の友人たちが言うように、私は「ハッピーな遺伝子」を持って生まれるという大当たりを当てた。ほとんど日常的な著作と編集に加えて、私の仕事には「何と変わったストリート祭り」に関連する時季的な職務も含まれる。私は自分のためのこうした双子の仕事が大好きだが、私は子供がいないので、この2つのビジネスとの取り組みを私の「2人の子供」と考えている。どの親とも同じように、私は彼らが育ち、両足で立ち上がることを喜びとしている。

実に幸福な人生である。土星周期のような筆者の最初の28歳感は、写真の上半分である。次の28年間は下半分。そして、三度目の28年間は、再び、世界をめぐる旅にしようと決めている。今後も満足した人生となるだろう。 (with permission, (C) Brad Olsen, 2018)

 

エソテリックな方向付け

ここ数年、私は編集の方向性を、旅行出版から、私が最も魅力的であることを見つけた主題へと変更してきている。神聖な場所への旅行について書くことが、その性質上論争の的であり、そのすべてが信じられるわけではない、ある程度の「禁止された知識」――その性格から、論争の余地が多く、誰もが信じうるものではない――を私は紹介することとなった。それがエソテリックである。そして私がエソテリカに没頭するにつれ、私はそれが有力な「対抗言説」としての魅力――主流情報への増大する幻滅と共に――を持っていることを発見することとなった。私の新しい「エソテリック・シリーズ」では、私は、隠蔽、秘密、オカルト、禁止、ほとんど無理解、魔法のごとき、当局を脅かす、そして、少なくとも神秘的なものを扱う主題の概要を追求している。それらの議論には、陰謀論、メディア操作、秘密科学、逆工学、宇宙兵器、地下基地、オカルト、遠隔視、予知、生まれ代わり、巨大製薬企業、遺伝子操作作物、ケムトレイル、フッ化物、ワクチン、サイバー・マインド、超人間主義、影の政府、フリー・エネルギー、現代ファシズム、王家、やらせ攻撃、第4帝国、9-11、シオニズム、モサド、CIA、NSA、連邦準備制度、お金の終焉、UFOの墜落、EBE、地球人拉致、スーパー兵士、クローン生物、反重力、畜牛切断、他の惑星上の構造物、場違い物体、巨人、アヌンナキ、黒服の男、古代異星人、愛誘惑現象、臨死体験、終末予言、HAARP、ジオエンジニアリング、アスパルテーム、モンサント、シャーマニズム、薬草、物質を凌駕する心、結晶、ORMES、真実禁制、アジェンダ21、Codex Alimentarius、ビタミンB-17、大麻油、ジョージア・ガイドストーン、ロスチャイルド、新世界秩序、黒いポープ、イエズス会命令、フリーメーソン、フィラデルフィア実験、タイム・トラベル、イエロー・キューブ、スターゲイト技術、M-ULTRA、プロジェクトブルー・ビーム、文化的拡散、失われた部族と文明、アトランティス、レムリア、キルリアン写真、数秘術、占星術、PSI、ESP、音響浮上、宇宙論、夢の解釈、聖なる幾何学、死後の世界、レイ・ライン、Wicca、松果腺、超自然能力、バミューダ・トライアングル、渦巻き、霊媒者、霊性主義者、ダライ・ラマ、ユートピア・シナリオ、過去の生命への退行、アストラル・トラベル、テレパシー、クロップ・サークル、そして、他の多くの間でのクリプトゾロジー超常現象および超心理学の科目がある。エソテリック・シリーズの3番目の本は、現在、『Beyond Esoteric:Truth and Reconciliation』とのタイトルが付けられ、著者の経歴は含まずに、CCC出版によって2018年に発刊される。

私の著作への着想の多くは、冒険に満ちた人生から得られたもので、それは広範な国際旅行にもとづいている。意欲旺盛な読者であることは、内的反映を伴った習慣的な生来の好奇心を燃焼させ、私を批判的な思想家にさせるのを後押ししてきた。そして私は、読書と旅行が、視野を広げるという力がゆえに、どちらも気高い探究であることを早くから学んできた。私が28歳の時、自前資金による世界旅行を済ませた後、私は、次の「土星帰還」サイクルを有意義に送るため、あるプロフェッショナルな経歴を切り拓こうと決心した。私の中年期は、生産的で真摯な人生を送ることを誓って開始された。私はどの私の本にも、できる限り正直な情報を提示しようとに努めている。私の仕事を根本的に変えたり非難したりすることができる高位権威はない。私は、私の資格とは単に「他人への奉仕」であり、それが私の生涯における優先事項あると、ある種の免責事項として信じる者である。私が間違った情報を出した場合には、私は自分の間違いを認め、直ちに誤解を解決するための是正措置に努める。人間は間違いを起こすものであり、決して自分が完璧だとは思わない。私は間違いの正当な共有を行ってきたが、私は間違いから学び、決して間違ったことを繰り返さないことを誓う。私自身の遠大な構想は、それがたとえ「エソテリック・シリーズ」として極めて特異なテーマを探究しようとしていることであるとしても、私は一人の普通の人であることに変わりはない。

 

意図なき結果

私のプロフェッショナル生活の別の面は、Peace Through Technologies Organization(WPTTO)のエグゼクティブ・ディレクターの責務と、さらには、「How Weird Faire〔何と変わったお祭り〕」の現イベント・プロデューサーである。私は、こうした努力を楽しみ――自分のための普通ではない仕事――を作るために始め、そしてそれは、運命のいたずらにより、とても多くの他の人たちに尽くすイベントとなった。こうして当初は、数百人のためのアーティスト倉庫の前での地区屋外パーティーとして始まったものは、きわめて人気を集めたストリート祭りへと発展し、何千人もの群衆が衣装をまとい、踊り、人生を祝福した。ライブ・イベント制作に関心を共有する電子音楽ファンの同感グループと協力し合って、これまでどこにもなかったユニークな集まりが生み出された。一体何が変貌して今日の「何と変わったお祭り」となり、それが誰もの期待を越えるものとなったのか。そのユニークな屋外祭りのために、非常に高いスタンダードを持つその都市で、その後の毎数年、私は自分をサンフランシスコ最大のイベント創設者と呼ばれることとなった。意識的に意図することはなかったものの、それはつねに私の人生の目的となって、私は、自分の創造的な才能を興奮と発想に使えることを発見していた。イベントを製作するどの年においても、このパーティーはとてつもなく大きな影響を与えてきた。

毎年、私の「何と変わった」職務には、そのお祭りのテーマを構想し、演出を行い、ポスターを描くことを含め、私の同僚のマイケル・オロークとともに市の役職者と会い、その全日イベントに至るあらゆる面での制作への関与を続けることがある。もちろん、少数のディレクター自身では、そのすべてを行うことは不可能で、だからこそ、私たちは経験豊富なアウトドア・イベントの製作者らの熱心なチームと協働している。そうした製作者には自らのイベントを手掛ける、「Sea of Dreams」の伝説的なジョー・ブルックとアノン・サロンの名声、「Superheroes Street Fair」のレイアード・アーチャー、そして、ダグラス・コルバーグ――サンフランシスコでの毎年「Earth Day」の祝典を開催――がいる。またその他の主要チーム員には、アイザック・ロドリゲス、デボラ・ガチス、ジョンゼイ・トリニティー夫妻――彼らはまた「Burning Man」も手掛け、また一年中の諸イベントに関与――がいる。安全なイベント――何千人もの多彩な市民が素晴らしい時間を過ごせるよう――を遂行するためのたくさんの組織がある。ボトムアップ式に「風変わり」を編み出すことは実に愛のこもった仕事であった。他の何十名の主要組織者とのコラボレーションは、私の力を10倍にも拡張できることを示した。人が同趣向の人たちと一緒に働くと、1人につき10倍の乗数効果がある。 「何と変わったお祭り」の組織者は皆、参加者たちの期待を超えうることを願い、本当にすばらしい経験を創出するための情熱を共有している。

日々の制作の任務は、十数人の組織者――マネジャー試験の合格者で、およそ100人の従業者に接触する――によって分担される。私たちの組織は、「何と変わったお祭り」職員、寄付運動員、バーテンダー、職員室従業員、救急救命士を雇用し、サンフランシスコ警察官への支払い、そして舞台マネジャーに手当420ドルを払っている。各舞台ネージャーは、音響装置の設置と使用を管理し、DJ時間を割り当て、雇用された警備員の支援を受けて、ダンス区域を監視する。私たちは舞台のほとんどを「アウトソース」しているが、必要に応じて――2013年のウィルディ・グラスの舞台のためのライブマーチングバンドなど、テーマに特別なものが必要な場合――自家製の舞台を製作する。朝の開始の際、私の職務は、バリケードや可搬トイレの設置を監督し、また、他の者は、発電機ケーブルが落下しないか、屋台売り、バー、食品売店が正しい場所に配置されているかを監視して、「秩序をもった騒々しさ」を作るのも私の仕事である。私にとってのイベント先立つことさらな楽しみの一つは、デジタルアーティスト、ロバート・キッドウェルと毎年ポスターをデザインするコラボレーションである。私は絵を描き、彼は、すべてのデジタルメディアを入れて完成したポスターにする。それぞれのポスターデザインには、少なくとも一つの小さな灰色のエイリアンとUFOが見つかるかどうか、試してみよう。「何と変わったお祭り」にやって来るETの遊び心のある伝統を続けて、マーケティング・ディレクターのジャスティン・ワイナーは、最もお祭り会場に最も近い理想的なUFO着陸スポットのGPS座標を公開している。「何と変わったお祭り」はいつも、同類の友人間でのユーモアのセンスを生かして、やる気満々な共同創造をし続けている。

2000年の最初のポスター「UEO到来」 (with permission, (C) Brad Olsen, 2018)

 

 

ささやかな出発

ストリート上での私たちの粗末な出発は、ハワード・ストリートのConsortium of Collective Consciousness倉庫に移った四年後だった。1999年の予期せぬ機会は、「何と変わったストリート祭り」の開始を可能とした。それは、新たに創設された「World Peace Through Technology Organization(WPTTO)」のための、継続した拡大プロジェクトとしてのものだった。もし私たちがそれらを引き離すことができたなら、その拡大をサンフランシスコの人々のための毎年の野外音楽会の開始と結びつけるという、魅力的な展望を持つものであった。その古びたCCC倉庫からわずか1区画しか離れていないところで、伝説のフォルサム・ストリート祭り――その種の催しでは世界でも最大規模――が催されていた。私は、「何と変わったお祭り」が成功するためには、いかにも独特な催しでなければならないと考えていた。加えて、さらに一年を要して教育的な非営利団体としての501(C)3の地位を取得し、主にジョー・ファーメージという名のシリコンバレーの伝説となっている寛大な寄付のための準備とした。 2000年の4月23日は、最初の「何と変わったストリート祭り」が生まれた記念の日とななった。現時点では、私はハワード・ストリートのアーティスト倉庫に社内のDJらや、音響機器、アーティスト、そして最初のイベントに必要な諸施設とともに暮らしている。私のCCC倉庫の仲間たちの支援と、そして私たちの廃棄物のお祭り用品の蓄えを抜きにしては、「何と変わったお祭り」を創設するのは、たとえ不可能ではなかったとしても、非常に困難であったろう。だが残念なことに、2回目のイベントを制作した直後の2001年、私たちはCCC倉庫から移動しなければならなくなった。数年を過ぎた今でも、私の古いCCCのルームメイトにドリンク・引換券を与えるのは、私の方針である。すなわち、私の以前のCCCルームメイトがゆえに、このイベントが成立するという意図しない結果に至れたことを認めるのは、私の流儀なのである。

最初の「何と変わったストリート祭り」の計画が始まった際、私たちの主目標は、長年にわたってCCCのパーティーに来ていた数百の人々のために、楽しく安全なエレクトロニック・ダンス・ミュージックのダンスパーティーを催すことだった。もしその経費を賄え、イベントの持続を可能にできれば、翌年にもそれを行うことができた。最初の3年間は、11番街と12番街の間のハワード・ストリートの一区画の中ほどに、売店付きの2つのステージを持っていた。そうした初期のジョークは、ブルース・ブラザーズの映画をもじったもので、ジェイクとエルウッド・ブルースが、Bob’s Country Bunkerにはどういう音楽をやるの問われた時のものだった。そのジョークは、私たちの答えと同じだった。すなわち、「私たちは両方の音楽をやろうとしている。テクノとトランス〔いずれもエレクトロニック・ダンス・ミュージック系のジャンル〕だ」。

このイベントは年々人気が高まり、その4年目には12番街の交差点へと広がり、最初の交差点のアートワークと本物の芝生の「都市公園」を特徴とするようになった。実績が広がるにつて、4年目は舞台は4つへと拡大し、ここで、そうした舞台を他のDJ集団に委託し始めた。その後の数年間、参加者は毎年10パーセントほど増加し続けた。そして8年目まではすべて順調であったが、その年、厄介事がこの「何と変わったお祭り」を終わらせかねない脅威となった。お祭りの圏内に住んでいる隣人からの抗議――音が大きすぎ、そのほぼ住宅地域には大規模すぎると主張――は、この催しを中止させるよう市の担当官に強いた。 2007年の2週間、「何と変わったストリート祭り」は公式に中止された。数百の署名と証言を含む激しい草の根の広報活動だけがこの催しを救うことができたが、市から出された条件は、それがこの催しの最終年でなければならないということであった。だが私たちはその決定をくつがえし、かつての場所で第8回年次イベントを行えるようになったが、場所を変えることを命じられた。もちろん、私たちの動きには、意図しない予期せぬ結果が生じることはありえた。

なじみの場所から追い出されることは、不幸に見えながら、実は、有り難いことであることが判明した。私たちは、お祭りの会場をハワード・ストリートから、セカンド・ストリートまで10区画下町へ移さなければならなかったため、9回年次イベントのテーマは「出立」とされ、そしてその新たな地で、年に一日、「何と変わったお祭り」が引き続き催されることとなった。財政的に言えば、新しい場所での最初の3年間は、収支かすかすのものだった。しかし、新しい下町の場所での4年目、12回目の行事は、ついに盛大な財政的成功を収めることとなった。つまり、催しがすべての可能な方法で成功するためには、10年以上の試行錯誤の期間を必要としたのであった。

「何と変わったお祭り」を催すことの最大の産物は、それがあらゆる人たちに、どういう影響を与えるかということであった。その単日の雇用は間接的にはおよそ100名に仕事を与え、ボランティアをする人はそれをはるかに超え、催しに参加する人は、それだけで数千人に達していた。私が2000年にこのお祭りを始めた時以来の年々、私の動機は常に、忘れることのできない、音楽、芸術、ダンス、そして笑顔の一日を数千人に届けることであった。それはすべて、質の高い体験を創造し、その目標へと私のスタッフを到達させ、そして、私は毎年、それを継続した。2011年には、私たちは十数人の内部制作者に、業界の最低基準を超えた、最初の名目的ボーナスを支給した。その誰もが、公平性を期して、同じ額のボーナスを得た。ほとんど毎年、私たちは収支ちょうどであり、幾年かは、目算をやや越えている。利益の上がった年は、近隣社会への善行のため、World Peace Through Technology Organization(WPTTO)に寄付をすることを許しており、それには、恵まれない人々や精神的障害を持つ人々のためのARC、SOMA青年団そしてUnited Playerzを含んでいる。私は、人々が「何と変わったお祭り」に参加して魂の仲間に出会ったとか、仕事を得たとか、美しいパートナーをつかんだとか、旧友と再会したとか、伴侶をえてベビーを持てたとかと言われることを、とても素敵なことだと思う。意図しない結果について話してください!これらの要因は考慮されていませんでしたが、それにもかかわらず、他の人々のために肯定的な方法で起こっている。

2001年のポスター「ストリートの変人」 (with permission, (C) Brad Olsen, 2018)

 

つづく

 

 

== 本書の《もくじ》へ  「もくじ」の中の《本章》へ ==

 


Modern Esoteric cover small

Modern Esoteric: Beyond Our Senses, by Brad Olsen

http://cccpublishing.com/ModernEsoteric  www.bradolsen.com

with permission, (c) Brad Olsen, 2018

本書宣伝用リーフレット

Bookmark the permalink.